漁師達は、本当に気のいい、素朴な男達ばかりだった。
出される酒の味も悪くない。
サンジが料理を作るのに手を出しているからか、出される肴の味も
しっくりとゾロの口に合う。

ハハ、と少し離れた所で老婆達に囲まれているサンジが笑っている。
その声が気になって、ゾロは酒を口に含んだまま、何度も振り返った。

真っ暗な夜の海岸で、薪や篝火の赤く揺れる光の中では、はっきりとサンジの
顔が見えない。けれども、鍋を焚く火に照らされて闇に浮かび上がる半身が、
楽しそうに揺れ、そして、笑う声が聞こえる。

素直で小さな、照れた様な笑い声、そんな風に笑う声をゾロは初めて聞く。

(あいつア、料理していたら、機嫌がいいんだな)
サンジの笑い声を聞く度に、何故か、自分までが嬉しくなってくる様な気した。

ゾロは、誰にも気付かれないように、じっとサンジの姿を見ていた。
浮かれて騒ぐ酔っ払った男達の中にいて一緒に騒いで歌うよりも、遠くから、

自分が見つめている事を、サンジに気づかれないくらい遠くから、
嬉しそうに料理を作るサンジを見ている方がずっと気持ちが浮かれて来る。

(妙な話だ)とゾロは思う。
勝手に飲んで騒いでいる方がずっと楽しい筈だ。
あんな、気の食わない、何を考えているのかさっぱり分からない男の
機嫌が良かろうと、悪かろうと、自分の感情にはなんの影響力もない筈だ。

自分の感情が動く、その理由がゾロには分からない。
そんな気持ちを起こさせるモノがなんなのか分からず、初めて、自分の感情を
御しきれない戸惑いを自覚しながら、サンジから目を離せなかった。

その視線にサンジが気づく。

目が合った。
何かまた、口汚い言葉を言ってくるかと、ゾロは思った。
いつもなら、そう思えば言われる前に自分から先制攻撃を仕掛けるのに、
何故か、口が動かない。

自分の視線に気づいた事で、サンジの表情から、さっきまで盗み見ていた無邪気な
笑みが消えている。ただ、怪訝な顔をして、黙ってじっと自分を見ているだけだ。
ついさっきまで、サンジは楽しげに笑っていた。
今日出会ったばかりの老婆達には、無防備に、無邪気に笑っていたのに、
ゾロに向けられた顔には、もうその欠片も残っていない。
(・・・ちっ・・・)
ゾロの心の中で思わず、舌打ちが鳴る。
それを目で捉えた途端、瞬間的に息苦しくなって、それを誤魔化す為の舌打ちだった。

それから暫くして、「さあ、さあ、ご馳走だよ!」と大勢の老婆達がガヤガヤと
近づいてきた。
「ご馳走?」宴席を一際盛り上げていた漁師の1人が、酒に酔い、真っ赤な目をして、
老婆達にそう尋ねる。

老婆達が差し出したたくさんの皿を見て、漁師達はわっと歓声を上げた。

「なんだ、これ」
「グランドラインでもこんなに美味い魚はないって言うくらい美味エ魚なんだと」

ゾロの質問に答えたのは、老婆達ではなく、サンジだった。
腕まくりをし、得意げにニヤニヤ笑っている。

「あんたがサバたのか、あの魚!たいしたもんだ!」など男達は口々に
サンジの料理と、その腕を褒めた。

ゾロの隣に腰を下ろし、皆が美味そうに、そして凄い勢いでその魚料理を
平らげていくのをサンジは目を細め、とても満足そうに笑ってみている。
ゾロも男達に負けまいと、思い切り頬張った。

「お前、食ったのか、」
皆が食べているのをだた見ているだけで、一口も料理に手をつけないサンジを見て、
ゾロはふと、そう尋ねた。
せっかくこんなに美味い料理なのだ。ここを出たら、もう食べられない珍しい魚だと
言うし、サンジだって味わって見たいと思っているに違いない。
どうして、今日に限ってそんな気を回してしまうのか、不思議に思うが、
それは、別に嫌な感情ではなかった。
一口食べて、美味い、と自画自賛する顔を見てみたい、と思ったからかも知れない。
けれども、サンジは「俺は、あっちでバアさん達と食った」と言う。
「ちょっと、信じられないくらい美味エ魚だな。ブヨブヨしてて、見栄えは悪イけど」
「木につるして、捌くんだぜ。内臓も毒のある部分があるから、下手に包丁入れられないしな」料理の感想よりも、サンジはゾロにその魚がいかに珍しく、
料理をするのに面白い魚だったか、と楽しそうに話す。

「・・・ふーん」サンジが作ったその魚料理を口いっぱいに頬張り、
じっとその横顔を見ながらゾロは相槌を打つ。

こいつ、こんなに睫毛長かったか。
こいつの鼻、こんな形だったのか。
こいつの首、こんなに細かったのか。

そんな事がやけに目に付く。

味覚は甘い脂と香ばしさがいつまでも口に残る魚料理に奪われ、
視覚は今まで気付かずにいた、眉毛以外のサンジの顔立ちをしげしげと眺めるのに使い、聴覚は、サンジの声を聞き取る為に使う。
嗅覚も、無意識にサンジへと注意が向いた。
そして、そのゾロの嗅覚は、すぐに嗅ぎ慣れた生臭さを感じ取った。
「・・・お前、・・・血の匂いがする」

そう言うと、サンジの表情が瞬間、強張った。
が、それは瞬きするより短い時間で、すぐにゾロをバカにしたような、
いつもの見慣れた生意気な顔つきに変わる。
「人の大きさくらいある魚、捌いてきたんだぜ?その前にも、獣だの鳥だの捌いてんだ」
「血の匂いくらいしてあたりまえだろ」

そう言うと、サンジは億劫そうに立ち上がった。
「まあ、隣でそんな匂いさせてちゃ、せっかくの美味エ料理もなんか食う気失せるか」
「俺ア、明日に備えてそろそろ寝る」
それだけ言い残し、サンジはゾロの側から離れた。

翌朝。

「トンジットさん、ですね。確かに届けるよ。安心しな」
「よろしく頼むよ」
そう言って、サンジはトンジットが忘れて行った箱を漁師の1人に渡した。

その島から、トンジットが向った島までまだ少し距離がある。
けれど、その島の者がサンジとゾロの事情を聞き、
「仲間の具合が悪い中、わざわざ忘れものを届けるのも、心配だろう?」
「血が繋がっているわけじゃないが、同じ魚を追う仲間同士、生きるも死ぬも
共に、と誓った仲なんだ。この島にいる連中は全部仲間であり、家族って訳だ」
「俺たち家族を助けてくれたお礼に、この箱は、間違いなく、そのトンジット、と言う人に届けよう」と漁師の中の長が言ってくれた。

二人はその好意に甘える事にし、ゴーイングメリー号へと帰路を辿る。

「やっぱり、お前、血の匂いがする」
「どうでもいいだろ、気色の悪イ事いうな。そんな暇あったらさっさと歩け」

歩き出して、二時間ほどしてからゾロはやはりサンジの体から血の匂いを
うっすらと感じ、一度立ち止まった。
サンジはゾロの言葉に耳も貸さずにそのまま数歩、先を歩く。

普段と何も変わらない足さばき、何も変わらない。
が、その背中を見送る形になって、ゾロは目を疑った。

「お前、・・・いつから、そんなに血、垂れ流してんだ」
「ああ?」

ゾロの言葉にサンジは鬱陶しい、と言いたげな顔で振り向く。

真っ白な氷の表面は少しづつ、溶け出して表面はかなり凹凸が激しく、
決して足場は良くない。滑りやすく、その上、まるで水溜りを歩いているくらい、
湿っている。

その氷の上の、サンジが歩いた場所にだけ赤い染料を薄く水に溶かして流したような
色が着いていた。

「知らねえよ」
サンジは自分の足元をチラリと見て、ぶっきらぼうにそう言い、また
何事もなかったかのように歩き出す。

「あの時の怪我、チョッパーに治療してもらったんじゃねえのか」
「あの時イ?何時の話してんだ、てめえ」
追いすがってゾロが言った言葉に、またサンジは面倒くさそうに答える。

(まただ)ゾロはまた、息苦しさを感じた。
サンジが血を流すと、何故か、息が苦しくなって、出所の分からない悔しさが
心の中で頭をもたげてくる。
それを振り払いたくて、意味もなくゾロは大声でサンジを怒鳴った。

「サルだか、ドジョウだかにぶん殴られた時の、だよ!」
「なんなんだよ、てめえは!」ゾロの声に負けないくらいの大声でサンジも
怒鳴り返してきた。
「いちいち、うるせえんだよ、気にもしてねえくせに偉そうに言うな!」
「・・・んだとぉ?!人が心配してやってんのに、なんだ、その言い草は!」
ゾロが言い返すと、当然、サンジもその言葉尻を捉えて言い返してくる。
「誰も心配してくれなんて一言も頼んでねえだろうが!」
そう言われたら、ゾロも更に言い返さずにはいられない。
こうなると、頭で考えるよりも先に口が勝手に動く。
「誰がてめえに頼まれて、てめえの心配なんかするか!」
「俺はてめえが血を流してるとムカつくんだ!」
「ああ?俺が血を流して、てめえになんか迷惑かけたか、腹巻オヤジ!」
サンジがそう喚いて、ゾロがそれに対して、言い返そうと、口を開きかけた時。


二人の足元が、凍てついた氷が、大きく揺れた。
「「うわっ・・・!!」」思わず、二人の口から同じ声が上がるくらいの、
大きな揺れだ。海面に大きな波が立った所為なのか、それはすぐには治まらない。
かなり大きく、ゆらゆら・・・ゆらゆら・・・と、足元が揺れるので、ゾロもサンジも氷の上に両手を付き、四つんばいになって様子を伺う。

「なんだ、この波?」とゾロが呟いた言葉にサンジは
「近くに海王類がいるのかも知れねえ。風もないのに、こんなに海が揺れるのは、
海の底をバカでかい生き物が移動してる所為だ」とやや、緊迫したような声で答える。

「普段、凍りつかない海面が凍ってるんだ。動揺して、海中から氷に向って体当たりしてくるかも知れねえ」

サンジがそう言った途端、凄まじい衝撃が二人の足元から突き上がってきた。
ドシン、ドシン、と氷を下から突き上げ、どうにかして割ろうと必死の様だ。
立っていられないどころか、体が跳ね上げられてしまいそうになるくらいの
衝撃を氷にぶち当ててくるくらいの海王類だ。
相当、大きい、と見ていい。

「・・・あ!」
ゾロの体が衝撃に跳ね上げられ、浮き上がった。
そのまま、体勢を整える間もないまま、凍て付いた海面に叩きつけられる。
背中からせりあがった流氷の隆起に叩きつけられた時、
腹巻に挿していた、和道一文字の下げ緒がどう訳か、緩んで、解けた。

海面からの突き上げはまだ、続く。
ドシン、ドシン、と揺れる氷の上をふら付きながら、ゾロは腰から解けた
和道一文字を拾おうと手を伸ばした。

もう少し、と言うところで一際大きく足元が揺れる。
「ああ!」
氷と氷の裂け目に吸い込まれるように、和道一文字はずるりとその中へと滑り落ちた。
慌てて、這いより、ゾロは下を覗いた。
まだ、海面に落ちる事無く、氷の中へ潜り込んで必死に
手を伸ばせば届きそうな場所に引っかかっている。

だが、もう一度、海が大きく揺れたら海の中へと落ちてしまう。
「畜生・・・・こんなところで落として堪るか」
ゾロは不安定な足元にも躊躇う事無く、その氷の中に潜り込む。

やがて、海王類も諦めたのか、揺れは遠のいていった。
だが、頭を下にして、手を伸ばしてももう少し、という所で
刀にゾロの手は届かない。
「おい!落ちたのか!」と足元からサンジの声が降ってくる。

ゾロの体ではその氷の裂け目は細すぎて身動きできない。
潜り込めるギリギリまで潜り込んだけれど、もう少し肩幅が狭かったら
もうあと、少し先まで潜り込めるのに。

サンジの声に答えず、ゾロは小さく歯軋りする。

「上がって来い、お前じゃガタイがでかすぎて届かねえんだろ」
「替われ!」
そう怒鳴られて、ゾロは数秒考えた。
(あいつに借りを作るのは嫌だが・・・仕方ねえ)
ゾロは両手を氷の壁に付き、ジリジリと後ろに、潜り込んできたのと逆の動きで
氷の表面まで後退する。

悔し紛れの言葉を言いそうになったのに、サンジは何も言わず、躊躇う事もなく、
ゾロの横をすり抜け、すっぽりと氷の割れ目に潜り込んでいった。

(こんな状況、どっかで見たことがある・・・)
ゾロは氷の中へ、頭を下にして潜り込んでいった
サンジの姿を見て、そんな言葉が心を過ぎった。

深い深いプールに沈んだルフィを助けに、水の中に飛び込んだ、
アーロンパークで、初めてサンジの、闘う姿を見た時の事をゾロは思い出した。


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