船の大きさは、およそ、メリー号の倍程だ。
どのくらいの人間が乗っているのか、ゾロには分からない。
だが、目的は、この船に乗っている、武器を持っている連中を全員、
甲板に引き摺り上げる事だ。

(あいつが動きやすいように)、とゾロは力加減をして刀を振り回す。
騒ぎが大きければ大きいほど、そのドサクサに紛れてサンジは動き易くなる筈だ。

「相手は1人だ、さっさと片付けてしまえ!」と頭らしき男のだみ声が飛ぶ。
「そう、簡単に片付けられても困るんだよ、」
ゾロは、一瞬で何人かをなんなく薙ぎ飛ばしてそう呟き、
自分に刃を向ける男達を眺め回した。

篝火を背にし、その肩に刀を担いだゾロと対峙した男達は皆、その不敵な笑みに気圧され、瞬間、硬直する。
「それでも海賊か、てめえら。ちょっと大人しすぎるんじゃねえか?」
「頭がさっさと片付けろっつってんだ。黙って突っ立てちゃ、」
相手の出方を待っていてはせっかく起こした騒ぎが静まってしまう。
ゾロの足は誰の目にも止らない速さで動いた。

ただ、口から吐かれる言葉だけは、
切り伏せられ、あるいは斬り飛ばされる男たちの耳を風の様に掠める。

刀が一閃する。
「俺は」
星明りも月明かりもない夜、光源は篝火の朱色だけ、その光を受けた刀が
ぎらつく、そして、その度、ゾロの声を、言葉だけを、男達は聞く。
「倒せないぜ」
あざ笑う様な、煽るようなゾロの声に、怯えていても竦む事は出来ない。

動いても、動かなくても殺される、そう思わせる響きがゾロの声と刀が放つ閃光には
篭っていた。

恐怖心に竦みあがって動けなかった男達の、緊張の糸がプツリと切れる。
なりふり構わず、この男を殺さねば、自分達が殺される。
ゾロの思惑通り、甲板の上は蜂の巣を突付いた様な大騒ぎになった。

(・・・ああいう仕事は、得意だな、あいつ)
サンジはゾロが飛び上がった船べりと反対側から、騒ぎが起こった気配を察してから、船に乗り込む。

すぐ側に、武器を持って遠巻きにゾロと、己の仲間が戦っている光景を
小刻みに震えながら眺めている男の背中が見えた。

そっと気配を忍ばせて近づき、いきなり後ろからその男の口を手で押さえ、
反対の手で首を締め上げる。
男の口を塞いだサンジの手に、無精ひげがガサガサと当たった。
「・・・う・・・う?・・・」サンジからは見えないが、きっと目を白黒させているだろう。サンジは首根を締める腕にぐっと力を込め、声を潜めて囁いた。

「声、出すなよ、出したらてめえの首、へし折るぞ」
「・・・むぐぐ・・・」男は頷く事も首を振る事も出来ない。
「何しに来たか、分かるだろ?妙な真似したら、・・・殺すぞ」

サンジはそう言い、男の首に腕をがっちりと回したまま、とりあえず、下の船底へと
降りる階段へそっと歩み寄った。

(歩きにくいな)と思い、サンジは男の首から腕を外し、代わりに、
ロビンから教えてもらった関節技を応用し、男の腕を力任せにグ!とねじりあげる。
「イダダダ!腕が折れる!」と男が悲鳴を上げても、サンジは顔色一つ変えない。
「・・・声を出すな、頭、蹴り潰されてえか・・・!」だた、小声で威嚇はする。

人質、全員の安全を確保するまでは、自分が船にもぐりこんでいる事を極力、
知られてはならない。
1人でも人質に取られたら、それが男ならどうでもいいが、
女性や、幼い子供なら、どうしても動き辛くなるからだ。

サンジは男を先に歩かせ、一段、一段、階段を下りる。
下へ降りていくに従って、湿気の篭った嫌なにおいが強くなってきた。
「女と子供はここに・・・」と男は弱々しい声を出し、顎で前を指し示す。

「酷エ事、しやがって・・・」と思わず呟いた。
薄暗いランプが灯された船底には、女性と子供達がそれぞれ、後ろ手に縛られ、
一塊になってうずくまっているのが見える。
母親から引き離されて、括られた子の中には、まだ、自分で立って歩けない程
幼い赤ん坊さえいた。
女達は憔悴しきっていて、子供は泣き疲れたのか、騒ぐと酷い目に合わされて
怯えてしまっているのか、誰も一言も声を出さない。

だが、意識のある者はゆるゆると顔を上げ、サンジと、サンジに腕をねじ上げられて
顔をゆがめている男を見た。
(大丈夫、俺は味方だ、)と一番、腹を据えていそうな、少し太めの中年の女性に向ってサンジは微笑んでみせる。

「・・・男連中はどこだ」
「この奥の牢屋に・・・」

サンジは男の言葉を聞いてから、男の手を離し、そして突き飛ばした。
急に体が自由になり、男はつんのめって、床に転がる。
その横っ腹をサンジは蹴り転がし、仰向けになったところを思い切り、足の裏を
腹にめり込ませるようにして、ふんずけた。

「ぐえ!」と蛙の様な声を出し、男が口から泡を吹き、白目を剥く。
動かなくなったのを目で確認し、男の腰に挿していたナイフをサンジは抜き取った。
頭の上では、相変わらず、ゾロが適当に手を抜きながら暴れている音がひっきりなしに
聞こえてくる。

(もう、全員叩きのめしていいぜ、)
伝わる筈もないのに、サンジが心の中でそう呟く。
女性、子供の安全は確保出来た。男達の居場所も把握できた。
ここまでこれば、人質を取られる心配はもう、しなくていい。
後は、男達が閉じ込められている牢屋をぶち蹴って壊せば、カタがつく。

サンジが抜き取ったナイフで、さっき笑いかけた女性の縄を切り、ほどなくして
甲板の上が静まり返った。

まるで、サンジが声にも出さずに呟いた、その言葉が聞こえたかの様に。
サンジが滞りなく動き、その目的を果たしたタイミングを
どこかで見ていたかの様に。

(まさかな、)サンジは思わず天井を見上げる。天井、その向こうは甲板、
甲板の上には、きっと、叩き伏せた男達を眺め回して、まだまだ動き足りない、と
言いたげな顔のゾロがいる。
その風景を思い浮かべたら、勝手に笑いがこみ上げて来た。

いつも、いつも、自分の顔を見たら、バカにしたような事ばかり言う、
気に食わない男だ。
剣士としての技量だけは認めるけれど、それ以外はなんの役にも立たない筋肉まみれの
ゴクつぶしだとしか思えない。
普段は、一体、何を考えているのか、まるきり分からないし、別に分かろうとも
全く思わないのに、どうして、こんな時に、呼吸が揃うのか、
相手が何を考えて、何をしているのか、手に取るように分かるのか、サンジは
それがとても不思議に思える。
そして、そう不思議に思いながらも、それを自然に受け入れている自分をもっと、
不思議に思う。
そして、その不思議が、何故か面白いとも感じている。
ゾロと、言葉を交わしていないのに通じ合えているこの感覚を、楽しい、と感じている。

それを自覚したのは、(・・・あのくだらないゲームからだな)

サンジは力任せに男達が閉じ込められている牢の扉を蹴りながら、思い出した。

チョッパーを取り返す為に、それに、ナミに「勝って!」と言われたのだから、
何が何でも勝ちたかった。
勝ちたい、と言う強い気持ちが、バラバラの場所に閉じ込められている魂を引き合わせた。
ゾロを蹴り飛ばした時、自分の体とゾロの体が一体化したような、
ゾロの体を自分が操り、自分の体をゾロが操っているような、妙な感覚を
感じた。

その感覚に浸ると、とても気持ちが良かった。
今まで、感じたことがないくらいの、爽快感だった。

ガン、ガン!と何度か蹴ったら、牢の扉が歪み、錠が外れた。
もう戦意を無くした海賊達は、解放されていく人々を追う気力などない。
誰にも邪魔されず、サンジとゾロは無事に囚われていた者達全てを助け出した。

サンジとゾロが一晩の宿に、と思ったその小さな島は、特別な魚の漁を許された
漁師達だけがその魚の漁の時にだけ、住む島だった。

「とても貴重でねエ、しかもとびきり美味いんですよう」
「だからぁ、滅多やたらと乱獲されないように、」
「漁期もぅ、漁獲量もぅ、厳しく制限されているんですわ」
「へえ、そんな珍しくて美味エ魚があるのか」
その話を聞いて、黙って大人しく寝る筈がない。

サンジは、腕まくりをし、腹をすかせた男達や、子供に食事を与えよう、と立ち働く老婆達に混ざって、一緒に大きな鍋を前に料理を作っていた。

ゾロは少し離れた場所で、焚き火を囲み、漁師の男達相手にバカ笑いをしている。
もう勝手に酒盛りを始めてしまった様だ。

さっきまで、この海岸は、悲しみの涙を吸い込んだ赤い闇に閉ざされていた。
その同じ場所、同じ光景の中に、今は笑いさざめく喜びの歌が潮騒に混ざって、
途絶える気配はない。

「食べてみてえなあ、今、ここにねえのか、バアさん」
一旦、ゾロに向けた視線を、また目の前でグラグラと煮え立ち、
湯気を上げる鍋に戻して、隣にいる腰の曲がった老婆にそう言った。
「はあ、でも、サバくの料理人でねえと難しい魚ですがのう」
「ハハ」
サンジは、何故か、軽く笑ってしまう。
男が料理を作る、と言うだけで老婆達にも、女達にも、とても珍しがられた。
この島では男が料理を作る、などと言う事は、考えられない事らしい。
美味い魚だと知っていても、料理人でないと捌けない高級な魚故に、
彼らの口には、滅多に入らない。

「俺は、料理人に見えないかい、バアさん」
「はあ、見えんのう。料理を作る手つきはうちの娘よりずっと上手だがのう」

サンジは老婆の言葉にまた ハハ、と軽く笑う。
ふと、視線を感じて、振り返った。

さっきちらりと見た時には、背中を見せていたゾロが振り向いている。

目と目が合った。

(なんで見てんだ、あいつ)
酒をもってこい、とも肴を持って来いとも言わずに、ゾロはサンジが見たこともない
無防備な顔で自分を見ていた。

その無防備なゾロの顔が目に入った途端、一体、どう言う訳か、サンジの心臓が
ドクン、と大きな音を立てた。自分で自分の心臓の音が聞こえたくらいに。

(・・・なんだ?なんの用なんだよ)と聞けばいいのに、何故か言葉が上手く
出なくてサンジはゾロから目を逸らし、また鍋の方へ向き直る。

「捌いてやるよ、その魚。どこにあるんだ、バアさん」
妙な心臓の動悸を鎮めようと、サンジは目に焼きついた、さっきのゾロの顔を
忘れることにし、老婆にそう言った。

「獲れた魚を生かしておく生簀があるんですじゃ」
「そこに何匹か、おります。ホントにあんたにさばけますかのう」と言い、
老婆は、皺くちゃの顔で、ホロホロと笑った。

「まあ、そういわずに、案内してくれ」
「上手く捌けなくても、俺は、食材は絶対に無駄にしないからさ」
そう言ってサンジは老婆に案内を頼み、一旦、宴の場から離れる。

海岸ぞいを少し歩くと、カラカラと風車の音が聞こえてきた。
「海水を風車の力で汲み上げて、その水を循環させて魚を生かしておくのですじゃ」
「女が入ると、水が穢れると言われるで、私は中には入れません」
そう老婆が言うのでサンジはその小屋の戸を開けようと、引き戸に左手をかける。
ガタ、とほんの少し開いた時。
「死ね、海賊!」
引き戸ごしに、そう男が喚いた声が聞こえた。
薄く開いた木の引き戸から銛が凄い勢いで突き出され、その先端が、
全く何の警戒もしていなかった、サンジの太ももに突き刺さった。

「畜生!」と叫びながら、若い男が飛び出してくる。
サンジについてきた、老婆が何か、叫び声をあげた。
見知った男の名前らしい、そんな単語だった。
が、サンジにとってはいきなり銛を足に突き立てられたのだから、驚く前にまず、
頭に血が昇る。

「・・・っって、なんだ、てめえ!」と言いざま、銛を引き抜き、その男の
答えを待たず、血が噴出す足で男の横っ面を蹴り飛ばした。
「こ、この男は密漁者ですじゃ!海賊に襲われた時から、ずっとここに隠れて・・・!」

老婆は慌ててサンジに駆け寄り、自分の前掛けを裂き、サンジの傷口に押し当てた。
「こんなの、怪我のうちに入らねえから、騒ぐなよ、バアさん」
「でも、足に穴が開いて、あんた、こんなに血が・・・」と、老婆はオロオロする。
だが、サンジは地面に腰を下ろし、老婆を安心させるように笑ってみせた。
「そうやって押さえといてくれたらすぐに止るさ」
「せっかく、酒盛りも盛り上がってるし、皆腹減ってるんだ」
「俺も美味エ魚、食いたいしな。だから、頼むから騒がないでくれよ」
「それに、誰にも言うな」

サンジがそう言うと、老婆はまるで、自分が怪我をしたかのような顔をして、
それでも、渋々、小さく頷いた。


戻る     続く