呼吸の温度



(やっぱり、こいつ、気に食わねえ)と、ゾロは改めて思った。

今、ゾロとサンジは青キジが凍てつかせた海の上を、トンジットを追って
歩いている。シェリーが引いていくソリの跡を辿れば、彼が目指す島へと
間違いなくたどり着ける筈だった。

「全く、こんなのホントに届ける必要があるのかよ」とサンジはさっきから
何度もブツブツ文句を言い続けている。
トンジットが住んでいたテントの周りには、結構、色々な忘れ物が放置されてあった。
その中で、おそらくシェリーが子馬の頃から使っていたような、大小様々の大きさの
使い古された蹄鉄が入った箱があった。
チョッパーは、「これはシェリーの成長記録で、きっとあの二人にとってはとても
大事なものだと思う」と言う。

ルフィはまだ、体調が完治しない。
ロビンも同様、ナミとチョッパーは二人の看病から手が離せない。
ウソップは当然、1人で見たことも行った事もない場所へ行く気など毛頭ない。
だから、サンジとゾロがその忘れ物を届ける事になったのだ。

「大事なものなら、なんで忘れるんだよ」
「嫌なら船にいりゃ良かったんだ。ブツクサ言うなら帰れ」

サンジが文句を言うのも尤もだ、と本心ではゾロも思っている。
本当はゾロも文句を垂れ流したい。
だが、サンジが先に文句を言い出したので、それに同調するのも癪だ。
だから、自分は潔く、迷惑だなどと少しも思っていない、と言う態度でサンジより
先に立って歩いていた。

「大体、俺1人でもソリの跡を辿っていくくらい、出来る」とゾロが
さも足手まといだ、と言いたげな顔つきでそう言うと、サンジはバカにしたように
フン、と小さく鼻を鳴らし、顎でソリの跡をさして
「帰りにそのソリの跡がわからなくなったらどうやって船に帰ってくるつもりだよ、
先天性方向音痴が」と言った。
「お前なら分かるってのか」とゾロが言い返すと、サンジは事も無げに
「この程度の距離なら、太陽の動きとか星の位置でどうにかなる」
「毎日、太陽の昇る方角と星の位置をログホースと海図で確認してりゃ、
もとにいた場所に戻るくらいは出来るさ」と言う。

(・・・ホントにこいつは得体の知れねえヤツだ)とゾロは思う。
バカだ、アホだと言い合ってはいて、その時は絶対に自分よりサンジの方が
バカだと思うのに、こんな風にナミやロビンと同じ様な知識を持っているのを
目の当たりにすると、どっちが本当のサンジなのか、分からなくなってしまう。

本当のサンジの事を、何も知らない。
知っている、と思っているのはほんの一部分しかない。
サンジの事を、得体の知れないヤツ、と思う度にゾロは落胆に似た、言葉では説明
しきれない不思議な気持ちを感じる様になっていた。

「ん・・・?」
歩き始めて、日が暮れかけた頃、サンジが前方を見て目を細めた。
怪訝な表情がその横顔に浮かぶ。
「なんだ?」ゾロがその怪訝な表情のわけを尋ねると、
「灯りが見える。まだ、隣の島に着く程歩いてねえ筈なのに」と思いのほか真面目に
答えてきた。

「夜っぴて歩くほど急ぎの用でもねえし、氷の上で夜明かしするより、あの島に
寄って火を焚いて寝るってのはどうだ?」ゾロにそう尋ねながらも、サンジの足は
トンジットのソリの跡から少しずれ、その島の方へと歩き出している。
「悪くねえな」サンジに主導権を握られているけれど、今はサンジの言う事に
従ったほうが楽そうだ。そう思って、ゾロもサンジの後に続く。

「なんだ、一体・・・?」
二人は島に着いて唖然とする。
島では、20人ばかりの老人達が皆、海岸に座り込み、さめざめと泣いていた。
「じいさん、バアさんばっかりだな」
「海が凍てついたから天変地異でも起こったとか思ったか?」

あてずっぽうな事を言いつつも、サンジは1人の老婆に泣いている訳を尋ねた。
「今朝、海賊がやってきて、・・・この島の男も女も子供も、浚って行ってしまったんです」
「男は海賊船の漕ぎ手だの、荷運びの人足だのに売られ、女は売春宿に、子供も・・・
一体どこでどんな風に売り飛ばされて酷い目に遭うか・・・」
立ち向かいたくても、働き盛りの漁師相手でも敵わない相手だったのだし、
老人ばかりではどうしようもない、と老人達は皆、為すすべもなくただ、泣いているだけだ。

「襲われたのが今朝なら、まだ近くにいる訳だ」
「氷に閉じ込められて動けなくなってる筈だからな」
ゾロもサンジも一切、躊躇はしない。する理由がない。

住民が100人足らずの小さな島に押し入って、金品がないからと人を奪って
行くような連中だ。そう大した相手ではない。
それに、一分一秒を争う様な用でもないし、と二人は一言も相談しあう事もなく、
おのおのが勝手に予定を決めた。

「一晩、宿を貸してくれるなら、ジイさん達の家族、俺が取り返してきてやるよ」
(俺が、だと?)サンジの無神経な言葉がゾロの神経に引っかかった。

「てめえはここに残れ、邪魔だ」と言われ、ゾロはすぐに言い返す。
「ああ?それはこっちのセリフだ、てめえ、まだあのドジョウ魔人に張り飛ばされた
傷が痛むんじゃねえのか」
「はあ?そんな大昔の話し、してんじゃねえよ!」と喚いたサンジの腹をゾロは
足でドン!と結構な勢いで、蹴飛ばした。
それくらい、いつもなら簡単に避ける筈なのに、サンジはそれを避け損ない、
バランスを崩し、ヨロヨロと後ろ退った。
「そらみろ」と勝ち誇ったように言ったゾロの目の前にサンジの足がブン、と唸って
飛んで来る。
「なんだ、てめえいきなり蹴りやがって!」とサンジは完全にいきり立っているが、
「今の蹴りだって、いつもなら俺の顔面にぶちこめたぜ」
「いつもよりずっと、キレが悪イ。自覚してんだろ、いくてめえがバカでもよ」
と冷静に言い返すと、ますますサンジの目に怒りが燃え立った。

老人達が焚く、篝火の炎がサンジの影を海岸に映している。
波の音が聞こえるはずの海辺には、老人達のすすり泣く声と、サンジとゾロが
怒鳴りあう声、それとパチパチと薪が爆ぜる音しか聞こえない。

(しまった、こういう言い方して聞くヤツじゃなかった)とゾロは今更になって
後悔し、舌打ちした。
例え、いつもより蹴り技の威力が落ちていようと、
サンジを足手まといだとは思っていないのに、何故、今は戦わせたくないと思うのか、ゾロは自分でも説明できない。

ただ、頭の中には少し前、ボールを頭に載せた間抜けな格好で、血まみれになっていた
姿がちらついていた。

チョッパーを取り返すため、と言う目的があった、だから負ける訳にはいかなかった。
サンジを、ボールマンだったサンジを、自分が守り切らねば負けるゲームだった。
だから、必死になっていた。

必死になって、サンジを守ろうとした。
けれど、サンジは血まみれになった。
血まみれになったサンジを見て、ゾロは思った。(俺の力不足だ、)と。

そう感じたら心が痛くなった。
きっとその流れがまだ心の中に残ってしまっているのだろう。
今まで、サンジが黒コゲになろうと、血まみれになっていようと、特に
何も心配などした事はない。どれだけサンジが頑丈な体をしているか、仲間になってから何度も死ぬような怪我をしている癖に、何日か経てば、いつもケロリとしている
サンジを見ているから、十分知っているつもりだったからだ。
(こいつはどんな事があっても死なねえな)と自分やルフィとそう変わりない生命力を持っている男だと信じ切っていた。

それは今でも変わらない筈だ。
それなのに、今は、サンジの体が、血に染まるのを見たくない。
自分の力不足を思い知らされるからなのか、それとも、グロッキーリングの時に感じた、
サンジを守らなければ、と思った感情の昂ぶりがまだ心の中に残っているからなのか、
それはゾロには分からない。
だだ、必死にサンジを押し留めようと躍起になっているだけだ。

「てめえこそ、バカでかいサルに殴られた腹からまだ血、垂れ流してんじゃねえのか」
「ああ?だれがサルに殴られただと?」
さんざん言い合いをしたが、ふと、ゾロは我に返った。

(時間の無駄だ、こいつと言い合いするより、先に船見つけてこいつが乗り込む前に
全部、片付けてちまえばいいんだ)と思いつく。
が、その思いつきは、サンジも同様だった。

「「おい、ジイさん!その船、どっちに行った!?」」
お互いの鼻に喚いて飛ばした唾飛沫が掛かるくらいの距離で怒鳴りあっていたのに、
突然、二人は全く同じ言葉で、一番近くにいた、老人にそう怒鳴る。
「え・・・え?あ、・・・」その形相があまりに恐ろしかったのか、二人が声をかけた
老人が怯え、口ごもる。

「ここを襲った船だよ!どっちに行った?」サンジにそう怒鳴られ、老人はおずおずと
沖へと指をさした。

二人が思ったとおり、沖には突然凍てついた海に閉じ込められ、
舳先や、甲板にいくつか灯りが灯された、動けなくなった船の影が見える。

「あれか・・・」そう呟くや、サンジはいきなり走り出した。
「待て、クソコック!てめえはすっこんでろ!」ゾロは慌ててその後を追う。

「すっこんでるのはてめえだ、ヘナチョコ剣豪!」走りながらサンジはゾロの
罵声に、額に青筋を浮かべて言い返してきた。
「てめえの相手なんかいねえ、俺が全部、1人で叩った斬るからな!」

「アホが・・・」サンジは吐き捨てるようにそう言ってますます足を速める。
「相手は人質、たくさん抱えてんだぞ」
「真っ向から斬り込んで行って、その人質を盾にされたらどうするつもりだ!」と
言われ、ゾロはニタリと笑って見せた。
「付いて来たんなら、それはお前が考えろ」

「何イ?!」サンジの眉毛がキリっと吊りあがる。
「お前が付いて来たんだろうが?!」

「うるせえ、考えられるのか、考えられねえのか、どっちだ」ゾロがそう大声で
サンジに尋ねると、力強い答えが返って来た。
「バカヤロ、俺はてめえと違って、脳味噌がピッチピチだからな、」
「考えられるに決まってる!」
その答えを聞いて、ゾロは可笑しくなった。
どんなことを考えているのか、など聞かなくていい。
サンジが自信満々に言うのだ、自分が思いのままに動いても、それすら、サンジの
計算の中に入っているに違いない。
それが手に取るように分かるのが、我ながら可笑しい。

本当のサンジの事を、何も知らない。
知っている、と思っているのはほんの一部分しかない。
得体の知れない男だと思う、サンジの事など何も分からない。
分からないと思うのに、今は誰よりもサンジの事を理解している様に思える、
その矛盾が不思議と楽しく、面白い。

ゾロとサンジは闇に紛れて、その船に近づく。
サンジは徐々にゾロから離れ、気配を殺して、ゾロがいる、反対側の側面へと
そっと回り込んだ。

なんの打ち合わせをしなくても、ゾロにはサンジが考えている事が分かっている。

(出来るだけ派手に動いて、時間を稼ぐ)事を考えて、動けばいい。
ゾロは腰に挿した刀を一振りだけ、抜き、氷を蹴って、船内へと踊りこんだ。


戻る     続く