「マジかよ。」

オールブルー、と一般的に言われている海域は確かに
すさまじく、気温が低かった。
それでも、海底火山が活発な場所柄、温かい海水が流れている付近までは、
滞りなく、ゾロは 船を進ませる事が出来た。

一人で航海するのも、もう慣れた。
オールブルーを示す、指針は 誰にでも手に入れられるものではない。

ここにある、世界一のレストランに来ようとするなら、
最も近い島で、レストランの送迎用の船で来ないと来られない。

この区域を 政治的に利用しようとする者から 保護するために
世界政府が その指針の保持を厳しく取り締まっているからだ。


ゾロは、船を進めて行く内に、海の上に氷が浮かび始めているのを見て、
嫌な予感がした。
この時期に帰ろう、と決めたけれど、まだ 凍りつくまでは
時間があると思って出発してきたが、

なんの障害もなく、航海出来る訳もなく、途中、海賊と闘ったり、
世界一の剣豪に挑む剣士の相手をしたりして、予定より、
1週間ほど 遅くなったのだ。

そして、オールブルーの、もっとも美しい入り江へと向かう途中、
極寒の海の上で 茫然と、いや、愕然としたあと、
茫然となったのだ。

「マジかよ。」

木造の、ゾロの船では 海の上をびっしりと張った氷を砕きながら
進むと事は出来ない。

第一、
「浮いてる分より、水の中の氷の方がでかい」のだ。

ここまで来て、引き返せる訳もない。
帰る、などと連絡はしていないけれど、この寒さの中、
たった一人で 冬を越えようとしているサンジの姿を思い起こすと、

自分の乗ってきた船など、どうでも良かった。
距離的には、船で一日も進めば着く所まで来ている。

精神を集中すれば、氷の呼吸も聞けるはず。
薄い場所、割れている場所をきっと、その呼吸で探れる筈だ、とゾロは
考えて、氷の上へ 降りて見た。

地吹雪、と言うのか、空は オールブルーのなに恥じる事無く、
晴れているのに、氷の上に降り積もった雪が 
突き刺すような、凍てついた風に吹き上げられ、ゾロの顔に叩きつけられる。

思わず、顔を顰めた。


これほど、
(痛エほど、寒い)とは思わなかった。

こんな場所で、サンジは一人でいる、そう思うと どんなに
空気が冷たくても、ゾロの足は前へ進んだ。

指針を腕に巻き、ゾロは氷の上を歩く。
氷の呼吸は、ゾロに クレバスの位置や、薄氷の場所を確かに
伝えてくる。

寒さの中、考えるのは、ただ、ただ、サンジの事だけだった。

サンジの作る、体を温める様々な料理。
共に旅をして来た頃、 特別感謝もせず、
いつも、いつまでも、それを 好きな時に好きなだけ食べられると
当然のように思い込んでいた。
だから、お互い、別の場所で生きるようになってから、
サンジの料理のありがたさが 身に沁みた。

離れて暮らすようになって、闇雲にサンジの作ったものが
食べたくなる時がある。

それは、同時にサンジの体が どうしようもなく、懐かしくなっている時とも
言えた。

サンジの作った料理が、
サンジの体が、

肌を晒し、心の中を晒し、
意地も強がりも纏わない、唯一の瞬間のサンジが

ゾロは恋しくなる。

自分を見た瞬間の、サンジの顔を想像する。
立ち止まると、凍えて 動けなくなり、そのまま 死ぬかも知れない、と
思うほどの環境を休まずに歩いていけるのは、

驚いて、これ以上ないほど見開かれた、蒼い瞳と、
唖然として口を利けないほど、驚く、ガキ臭い顔を見たいからだ。

風がやむと、ほんの少し、温かい。
弱いながらも、太陽がゾロを照らしてくれる。
けれど、その温もりは、ゾロの髪を凍らせていた氷を解かして、
ゾロの髪をぐっしょりと濡らした。

そして、また 翳る。
風が吹き狂う。
緑の髪が凍てつく。

それでも、ゾロはただ、サンジの事を想い、ひたすら歩く。



夜も寝ないで、食事も歩きながら。

そして、やっと、氷が陸に届き、ゾロはサンジの住んでいる
海岸へと辿りついた。

「随分、」風景が違うものだ、と回りを見渡す。
店である、船は陸に引き上げられていた。

屋根を見ると、恐らく、今朝、雪の重みで建物が 押しつぶされないように、
雪を掻き下ろした跡が見うけられた。

咥え煙草のまま、額に汗をして、スコップを激しく動かして
雪降ろしをしていた姿が目に浮かぶ。

早く、会いたい。
早く、凍えた体を温めたい。

きっと、この全身の血さえ凍りつきそうなほど冷え切った体が 
何もしなくても、ただ、サンジの驚いた顔を見るだけで温まるだろう、

そう思うと 自然に 先へと歩く足が加速した。


空は晴れているのに、と思っていたが、気がつけば
どんよりと 灰色の空になっている。
地吹雪ではなく、本当に空から 雪が 狂暴なほどの勢いで
降り始めた。

幸い、追い風だ。
背中を押されるように、ゾロは歩いて行く。

降雪した景色の所為で、
見馴染んだ風景には見えず、初めて来る場所のように、
頼りない感覚だ。

けれど、方向音痴のゾロがまっすぐにサンジの家に向かえるのは、
うっすらと、自分以外の足跡が雪の上に残されていて、
ゾロはその足跡を辿って歩いているからだ。


ゾロは、人の気配を感じて サンジの足跡を眺めていた視線を上げて、
前を見た。

足が勝手に動き出す。

髪がやっぱり伸びていて、
ずっと、ゾロが描いてきた、ガキくさい、

「よお」と声を掛けると、
(鳩が豆鉄砲食らうとこんな顔になるんだろうな。)と思うような顔を
した。

白い肌が寒さの余りに紅潮しているのを見て、
ゾロはマントを広げる。

まず、胸が温かかった。
触れた頬は いつもと逆で、自分の方がずっと冷たいらしく、

ほんのりと温かい。

「どうやって、ここまで来たんだよ。」

久しぶりに聞く声に 心が踊った。
思いきり抱き締めたくて、それだけでは 足りなくて、

腕だけでサンジを感じるだけでは物足りなくて、
ゾロは雪の上に サンジを抱かかえたまま、倒れこむ。

降り積もったばかりの柔らかな雪が二人をやさしく 受けとめた。

口付けると、サンジの体温が唇から沁み込んでくる。
寂しい思いをさせたくない、と思いながら歩いてきたけれど、

本当は、そうではなくて、
寂しかったのは、

(俺だったのかもしれねえ)と思った。

サンジの為、と思って歩いてきたつもりだった。
が、それは、欺瞞で、サンジの温もりに触れた時、
初めて、ここへ帰ってきたかった 真の理由にゾロは気がつく。

氷の上を歩いて来た時、何度となく 思い返した様々な事全てが欲しくて、
ここへ 帰って来た。


サンジの作った料理を、
サンジの体を、

肌を晒し、心の中を晒し、
意地も強がりも纏わない、唯一の瞬間のサンジを


誰の目にも触れさせず、誰に憚る事無く それを愛しみ、
独占出来ることを望んでいる、

そんな あさましい自分に


今は、ただ、ゾロだけを見つめる蒼い瞳に気がつかされた。

(帰郷2へ