「ジュニアは随分、大人びたじゃねえか。」

ライとの、物騒な会話を切り上げ、ゾロはサンジに向き直った。

「ああ、見かけはな。」とサンジは 面白くなさそうに答えて、
アトリが作ったサラダを口に運んでいる。

このレストランでの、サンジをはじめ、コック達の朝食は
全て、アトリが作っている。

基本的に、レストランの厨房で作った料理以外は、
オールブルーにいる間は、口にしてはいけない。

何故なら、前述したように、この海域を狙う、

つまり、サンジの命を狙って、この海域の所有権を奪う事を目論む
輩が後を断たない。

下手な家政婦や、雑用を雇えば、そう言う輩の息がかかっていて、

サンジはもちろん、ジュニアも、サンジの舌で働くコックたちも、
危険な目に遭う。

現に、今まで 何度もそう言う事があったのだ。

店で使う食材に関しては、サンジが細心の注意を払っているけれど、
案外、自分達の食事にまで 気を配ってはいられない。

だから、アトリの作った野菜や果物で、それらを使った料理が必要だった。


さて。


ジュニアが大人びた、と言うゾロの言葉にライがクスリ、と小さく笑った。

「なんだ。」

妙なところで笑う、とゾロはその小さな嘲笑の訳を聞く。

「今のところ、サンジさんの事も、ジュニア君の事も、」
「ロロノアさんより、僕の方がずっと知ってるみたいだ。」

ゾロを上目遣いに見ながら、ライはカップのコーヒーを一口すする。

その ほのかに勝ち誇ったような顔付きが ゾロの勘に触った。

「何を知ってるって?」

「ジュニアがまだまだ、ガキだって事さ。」
ライの替わりにサンジが答えた。

「つい、3日前な。家出しやがったんだよ。」

事も無げに言う、サンジの言葉にゾロは驚いて、口に運びかけていた、
パンの最後の一欠けらをポロリと皿に落した。

あの、素直なジュニアが?

「どうせ、お前がまた、理不尽な怒り方したんじゃねえのか。」
それしか、考えられない。
確かに、そろそろ、反抗期、と呼ばれる時期にさしかかって来たのかもしれないけれど、

幼い頃から 人一倍、辛抱強く、我侭や、大人の手を煩わせるような事を
一度もしていないジュニアが 店を放り出して家出するなど、
その理由がサンジになければ、考えられないことだった。

「俺がいつ、あいつに理不尽な怒り方したって?」とサンジは
論点がズレたところで 反応する。


「パンケーキの事で サムと大喧嘩したんだ。」


その日の朝食は、アトリの焼いたパンケーキだった。

「母さんのパンケーキは、俺が店を出したら絶対人気メニューになるぞ。」と
サムがジュニアに自慢した。

「パンケーキなんて、レシピどおりに作れば誰にだって
 美味く焼けるよ。」とジュニアは言い返す。

「違う。ジャムだって、手作りだし、心がこもってるだろ。」
「素人のジャムなんて、所詮、プロがもっと心を込めて作ったやつに敵うわけないよ。」


「15歳にもなって、母さん自慢はみっともないよ、サム。」と
ジュニアは サムに言い、

「母さん自慢じゃない、パンケーキの自慢をしてるンだ。」

「サンジの作ったやつだって、俺が作ったって、そう味は変わらないよ。」
「たかが、パンケーキを自慢メニューにするくらいだから、
「サムの店なんか、対した事ない」

売り言葉に買い言葉で、サムとジュニアは大喧嘩になった。
サムも、このレストランに雇われている以上、腕っ節は強い。

サンジから蹴り技を教えてもらっている者同士、
大人が寄ってたかって 引き剥がさないと 収拾がつかないほどだった。

「くだらねえことで 喧嘩するんじゃねえ!」と二人ともが
サンジに厳しく叱り飛ばされた。


「お前ら、今日一日、メシ抜きだ!」


そう言いながらも、実際、サンジがジュニアの食事を抜いた事がない。

例え、一食でも抜いた事で、飢えを感じなければならないような
惨めな想いをさせたくないからだ。

が、つい、他に罰が思い付かないらしく、誰かを叱り付けるときには
必ず、その言葉が出てくる。

そして、他の者と時間をずらして アトリがこっそり、
差し入れをする、と言う形で食事を摂らせる。



店を締め、ジュニアは空腹を抱えて 自室に戻った。
すると、机の上に 簡単な食事が置かれている。


アトリが作ってくれた物だ、とすぐに判る。


(アトリさんの作った物なんか、今日は食べたくないな)と思った。
サムとの喧嘩の鬱憤が全く晴らせていない。


サムはいいな。
今ごろ、サムもアトリの作った夜食を食べているんだろう。
食べなれた、サムにとっては世界一の味。

お母さんの味。


腹は減っているけれど、食欲が沸かない。
ベッドにコックスーツのまま、横になって天井を見た。

(父さんに会いたいな。)

ウソップの写真がベッドサイドに飾ってある。

水仙の花のような人だった、とサンジは言った。
ジュニアの母親。顔も知らない。全然覚えてない。

どんな料理を作ったんだろう。どんな味だったんだろう。
どんな声だったんだろう。

そう考えていた時、ジュニアの部屋を誰かがノックした。

「ジュニア君、食事、温め直すわ。」とアトリが
とても、優しい笑顔を浮かべて ドアを開いて顔を覗かせた。

「いいよ。」
「いらない。」

本当の母親だったら、息子が喧嘩した時も、こんな風に優しいのかな。
それとも、サンジみたいに、怒るばっかりなのかな。
アトリの、自分を気遣うような眼差しを見て、ジュニアは逆に寂しくなる。

そして、ジュニアは無愛想に答えた。

「今日はごめんね。サムには私が厳しく・・」
「もう、いいってば。」

アトリが何か言いかけた言葉をジュニアは途中で遮った。

「でも、お腹空くわよ?今、サンジさんはお風呂だから、今の内に」
「いらないんだってば!」


ジュニアは まだ、11歳だ。
言えない言葉が胸に詰って、誰にも甘えられなかった反動が
いきなり吹き出してしまっても、無理はない。

すぐに後悔した。

アトリの作ってくれた食事を乱暴にテーブルから叩き落としてしまったのだ。

生まれてはじめて、出た 我侭で、自己主張だった。

「ごめんなさい」とアトリに謝る前に、

顔を真っ赤にしたサンジに 無言で張り倒された。

蹴られるよりも、ジュニアにとっては、サンジの掌で
頬を張り飛ばされた事が辛かった。


「アトリさんに謝れ!」

サンジの声は、家中に響き渡った。

その時、赴任してきたばかりのライがリビングにいて、
暢気に出された紅茶を飲んでいて、それをソファにこぼしたほどの
大音響だった。


謝るつもりだったのに、先に謝れ、と言われたら、
却ってジュニアは素直に謝れなくなる。

心から謝るつもりだったのに、謝れ、と言われて渋々
謝ったとアトリに思われたくないからだ。

悲しいやら、頬が痛いやら、悔しいやら、ジュニアの頭の中は
グチャグチャになった。

「サ」

言葉と同時に涙がボロボロと黒い瞳から吹き出して来て、

「サンジも、アトリさんも、サムも大嫌いだ!」とだけ叫んで
そのまま、玄関から飛出した。




「・・・で?。」

ライからその話しをじっと聞いていたゾロはその先を聞く。

その先を喋っても言いものかどうか、とライは灰色の瞳を
サンジに向けた。

「どうも、ウソップに会いに行こうとしたらしくてな。」
サンジは食事を済ませ、立ち上がり、食器を片付け始めた。
ライも手馴れた様子でそれを手伝う。

「一体、何考えてんのか、俺にはさっぱりわからねえ。」
「アトリさんが そう言うもんで、ライに頼んですぐに海軍の船で
探してもらったんだ。」

別に、サンジはジュニアの母親の替わりをして来たつもりはない。
けれど、寂しいと思う暇を与えない事で、
その感情を補足出来ると思っていた。

今まで、我侭らしい我侭を言わなかった、ジュニアのはじめての
反抗に サンジも面食らった。

ジュニアが飛出していった時、一体どこへ行ったのか、
皆目 見当がつかなかったのだが、アトリはすぐにジュニアの考えを
悟り、一晩、寝ないで ジュニアを一緒に探してくれた。


「なんでウソップに?」と、ゾロはサンジに尋ねる。

「サクヤさん(ジュニアの母親)の事、聞くつもりだったのか、」
「本当のオヤジに会いたくなったのか。」
「わからんが、そう言う事だろ。」


そう言って、サンジは海に浮かぶ、船を眺める。

「俺も母親の顔も知らねえけど、確かにあの年頃には」
「普通の親子が羨ましかったな。」と誰に言うともなく、呟いた。


「さて、じゃあ俺は船に戻らないと。」とライは立ち上がる。
「真面目な海兵さんだな。毎朝、サボってここに来てる訳だ。」と
ゾロがその背中に皮肉を投げ掛けた。

ライはくるりと振り向く。

「これも任務の内です、おあいにくさま。」
「僕は、オールブルーのオーナー、サンジ氏の護衛を正式に
世界政府から 命じられてて、本当なら24時間、張り付いていてもいいんですよ。」

そう言って、ゾロに悪戯を仕掛ける少年のような目つきをして見せた。

「でも、本当に24時間張りついてると、嫌われますから。」
「それに、ロロノアさんがサンジさんの側にいるなら、」
「護衛は必要ないですしね。」


ゾロはそれを聞いて、大人しく、引き下がるのか、と思った。
が、ライはニヤリと笑って、
「明日からは、プライベートで御邪魔しますよ。」と言って、帰って行った。



「もう、あと、30分で店に行かねえと。」とサンジは
朝食の後、慌しく着替えて、身支度を整えている。

ゾロが来ていようと、いまいと、自分の生活を変える気は全くない。

「30分か。」

ゾロはリビングのソファに深く、腰を下ろして、
コックスーツ姿のサンジを眺めていた。

その視線にサンジが気がついて、目が合う。

「30分だ。」と言いながら ゾロに近づく。
「30分だろ。」ゾロは 満足そうに微笑んで、細い腰に腕を回した。


ゾロの肩に手を添えた、サンジの唇がゾロの額に降って来る。
顎を上げ、ゾロは口付けをねだるように眼を閉じる。

柔らかく、その唇がゾロのそれをついばんだ。
小さな湿った音が立つ程、軽く唇が吸われる。

それだけで ゾロの頭の芯が痺れた。


「30分だぞ。」思わず、漏れたゾロの声が 己でも驚くほど熱かった。
「もう、30分もねえよ。」答えるサンジの声も熱が篭って艶めいている。

優しすぎ、穏やか過ぎる愛撫では 満たされない。
ゾロは性急にサンジの唇を激しく愛撫した。

「バカヤロ、仕事やる気が失せるだろ。」と長い口付けの後、
乱れた息を吐きながらサンジがゾロを責める。

けれど、言葉とは裏腹に、体は既にゾロを受け入れる準備を
拒んではいなかった。

「無茶しねえよ。」

言葉を交わす時間が惜しくて、二人は御互いを高めあい、
短く、荒い息を絡ませ合って、
体を繋いだ。


サンジの喘ぎを殺す声と、服の擦れる音、濡れた結合部の音だけが
響く。


「じゃあ、夕方で大人しくしてろよな。」


きっちり30分で、でサンジは 乱れた着衣と髪を直して、
店へと出掛けて行った。


その日のランチタイムは無事に済む。

いつもどおりの忙しさ。別に不信な客もいない。

ただ、武装した海軍の船がオールブルーに到着した。

黒オリのヒナ率いる部隊のうちでも、もっとも精鋭と言われる、
ミルク少佐指揮下の総勢、30名の艦隊だ。

「本隊は明後日には オールブルーに到着します。」
「非戦闘員は非難してください。」

海軍の、詰り、世界政府の決定をミルク少佐は
告知しに来たのだ。

つまり それは、店を休め、と言う命令だ。

「冗談じゃネエ。」とサンジは突っぱねる。
今まで、どんな強暴な海賊が来ても、自力で追い払ってきた。
もちろん、店を休んだ事などない。

夜、その話しをゾロは サンジと一緒に入浴しながら聞いた。

「そんなヤバイ奴がここを狙ってるのか。」
海軍がサンジを、オールブルーを守る為にそこまでの
警備体制を敷く事など今までなかった事だ。

(いい時期に帰ってきたな。)とゾロは 安堵の溜息を漏らした。

「だからって、店を休む事はネエ。」
「どんな奴が来たって返り討ちにしてやる。」

ゾロは サンジの手で髪を洗われながら 言う。
「ここは俺にとっても大事な場所だ。」
「誰にも荒されたくねえからな。」


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