賞金首を追いかけていたら、その島のごろつきどもを一掃する事になってしまった。
「俺達も大差ねえのにな」とサンジは面映そうに笑ったが、その島の人々の好意で、
普段なら絶対に泊まろうとも思わないくらいの豪華な宿に、ログが貯まるまで滞在する事になった。

どの部屋も小さな入り江に面していて、綺麗に熱帯植物などを配置してある洒落たバルコニーからその入り江へと出られるようになっている。

「・・・なんだか気恥ずかしい部屋割りだな」
さんざん島の人々と騒いで、サンジとゾロがようやく自分達に与えられた部屋に
戻ったのは、もう星の輝きが大分、鈍くなって来た頃だった。
「・・・フン」ゾロはサンジの独り言を鼻で笑う。(何を今更)と思ったからだ。

二つの大きなベッドが設えられているけれど、今夜は一つで十分事足りる。
騒ぎ疲れた体を休める気など全くない。
もっと甘く疲れて、なんの危険もない眠りの中に二人で一緒に沈みたい。
言葉で誘わなくても、そっとゾロがサンジに手を伸ばし、その手をサンジが
振り払わなければ、それがお互いの意思を確認したと言う合図になる。

洗い立てで、上質なシーツが素肌をさらした背中にひんやりと心地よく、
覆い被さりながらゾロの唇をむさぼるサンジの皮膚の温もりが、胸の上に心地よい。

髪がほつれるのも苦にせず、すっぽりと掌に納まる形良い頭をゾロの愛撫に任せきり、
サンジは全身でゾロの体に快楽を与えるために艶かしく動く。
その度に、シーツがさわさわと幽かな音を立てた。

小さく穏やかな潮騒と、細い葉の木々の葉が海風に撫でられて鳴る葉音、
サンジがうわ言のように熱い吐息を吐いて自分の名前を呼ぶ声、
その全てがゾロに優しい。

汗ばんでもつれたままの体も、潮騒と波の音を聞くために開け放った窓から吹き込んでくる夜明け前の涼やかな風が優しく撫でるように乾かしてくれた。

いつの間に眠ってしまったのか、ゾロにはわからない。

僅かに寒さを感じて目が覚めた。
ベッドに寝転んだままでも、大きな窓からは茜色に染まった空が見える。
(・・・一時間も寝てねえな)とその空の色を見て思った。
まどろむ前、頬に当たっていた細く、向日葵色の髪の感触が消えている。
(・・・もう起きたのか?)目だけを動かして部屋の中を眺めてみても、
夕べ脱ぎ散らかした服はそのままで、身支度をしている様子はない。

サンジが自分の傍らで無防備に眠っている。その顔を見飽きるまで見て、また少しまどろむ。そんな時間が本当に貴重だからこそ、ゾロは好きだった。
無意識にその状況を期待していたのかもしれない。今、サンジが腕の中にいない、
それどころか、姿が見えない事に(・・当てが外れた)様な薄い失望感を感じて、
ゾロは深く、ベッドの中に沈みこむ。

(しかし、こんな朝っぱらから一体どこに行ったんだ?)
ゾロは寝なおそう、と思ったが一度気になるともう寝る気が失せてしまう。
刻一刻とベッドの中から見える空の色は変わってくる。見慣れている筈なのに、その静かで鮮やかで優しげな色の変化を、一人で見ているのはとても物足りない気がした。

(・・・あいつ、ホントにどこに行きやがったんだ)探しに行くつもりでゾロは
起き上がり、手早く身支度を整える。

ドアの方へ行きかけて、ゾロはふと足を止めた。
バルコニーの方から、魚が跳ねる様な水音がする。
(そういえば、昨夜・・・)ゾロは島の人々が開いてくれた宴の席で聞いた話を
唐突に思い出した。

この島の入り江には、昔々、人魚が来る事があったんだと。
そう、あの宿の高い部屋に泊まらなきゃ入れない入り江だよ。
夜明け前にその入り江で人魚を見つけ、朝陽を浴びながらその人魚とキスした者は、一生、幸運に恵まれ、望む事は全て叶うんだと。

でも、まあ、昔話で伝説さ。
もう何百年もこの島で人魚を見た者はいねえんだから。

(確か、そんな話だったが・・・まさか)
ここはグランドライン、人魚など実在しても何も驚く事はない。
だが、何百年も姿を見せなかった人魚が偶然、今朝ここにいるなんて事が有るはずもない。そう思いながらも、ゾロはバルコニーに出て人魚を探す様に、入り江を見回した。
夏がとっくに過ぎ去って、もう秋が来ようかと言う季節の冷たい微風が
ゾロを包む。

「このクソ寒いのになにやってんだ、お前」

ゾロはジャブジャブと腰まで入り江に浸かり、バルコニーに向かって歩いてくるサンジに
あきれてそう尋ねた。
「人魚を探してたんだ」と言い、サンジは入り江から上がり、鉢植えの木の枝に
引っ掛けていたシャツを手に取った。
「昨夜、歯の欠けた猟師のオッサンが言ってただろ?この入り江で人魚を見つけてどうの
こうのって」そう言いながら、濡れたままの体にシャツを羽織って、ゾロに向かって
悪戯を見つかった子供の様な顔で微笑む。



「なんだ、真に受けたのかよ」
「受けるに決まってるだろ、人魚だぜ?」

「それも、幸運の人魚だぜ、会えるモンなら会いたいじゃねえか」

ゾロが小バカにした様に言っても、逆にそんなゾロを見下すような顔付きでそう言ったが、
すぐにそんなじゃれる様な幼い表情が薄れた。
ゾロの顔から、サンジは入り江へ、そしてその先の水平線へ、さらにその先の誰も知らない
奇跡の海へと視線を移す。
サンジの背中越しにいつもと同じ早さで銀色の月が沈んでいく。
濡れた髪を伝って落ちる雫にその今夜最後の煌きが宿る。

手に触れたら、朝と夜の間の光の中に透けて消えてしまうかも知れないほど、清らかなもの。
それでも、目を離せないもの。
ふと、サンジがそんな存在に見える瞬間だった。
そして、そんな姿を見る度に息を飲み、その度に、

サンジは美しいと、今まで見た事がないくらいに眩しいと、感じる。

「・・・人魚なら」
「オールブルーの場所、知ってるかも知れねえし」

潮騒に掻き消されそうなサンジの呟きに、どんな言葉を返せばいいのかゾロには咄嗟に考え付かない。
「そうだな」と同意するのも違う。
自分の夢なら自分の力で探し出せ、と言う気持ちではなく、
そんなに簡単に見つかって欲しくないと言う想いの方がずっと強かった。
サンジ自身の力と、仲間の力、それと自分がそばにいる事、それ以外の力は必要ないとさえ
ゾロは思う。

「そんなに簡単に会える訳ねえだろ」
「会えたとしても、もし、ババアの人魚だったりオッサンの人魚だったらお前、どうするんだよ」

そう言って、茶化して、サンジの魂を自分の腕の中に取り戻す。
現実にサンジの夢が実現したら、どうやってもサンジの心を掴んではいられない。
それなら、せめて、まだ夢が叶わない今だけでも、その心を掴んでいたい、
その心をどこへも行かせたくない。

「う〜ん、ババアか、オッサンか。どっちもキスするには辛エ相手だな」とサンジは
ゾロの方へ向き直って笑った。

そして、そんな身勝手な気持ちを、サンジには知られたくなくて、ゾロは自分の表情を隠す為にサンジの体を引き寄せる。

「・・・なんだよ」
「こんな小寒い朝に泳ぐバカがいるとは誰も思わねえだろうな」
冷たいサンジの体を背中から抱き締めてゾロはそう甘えるようにサンジをなじった。

夜明け前にその入り江で人魚を見つけ、朝陽を浴びながらその人魚とキスした者は、
一生、幸運に恵まれ、望む事は全て叶うんだと。

サンジの唇に触れた時、ふと、ゾロの頭の中に漁師の言葉が蘇った。

(・・・人魚か)


尾びれがある訳でもない。水中で息が出来る訳でもない。
ただ、こんなに海の近くにいて、海に生きて、海に憧れている人間なのに、
ふと、自分の腕の中にいるサンジこそが人の姿に身をやつした人魚の様な気がして、
ゾロは、太陽が昇る前にもう一度深く口付けた。


(終わり)