夏を呼ぶ恋人

利口なのか、馬鹿なのかよく判らない恋人に手を焼く剣豪がいた。



人間として、常識的な部分とか、情緒的な部分が何処か欠落しているために生じる
そのアンバランスさが自分を惹き付けていることも分かっていはいるのだが、
未だにその扱い方がよく判らず、機嫌を損ねて大喧嘩する事が多い。


それでも、時折みせる無邪気な笑顔に誤魔化されて、何をされても結局許してしまうのだ。
見たい時に見ることができない、その笑顔に剣豪はいつも、目と心を奪われる。


何を言ったら、そんな風に笑うのか。


何をしたら、そんな風に笑うのか。


何を見たら、そんな風に笑うのか。


剣豪は今尚、その応えを見出せないままだった。





半生を海の上で過ごした恋人。

陸の上での季節を知らないという。
春夏秋冬。ただ、それだけ。
「春は風がきつい。」
「夏は暑い」
「秋は天気が不安定。」
「冬は寒い。」

春の名残も、夏の到来も、秋の訪れも、冬の兆しも。


海の上では見ることも感じる事もない、季節と季節の間にある、
曖昧な時間にしか存在しない、さまざまな美しいものを剣豪は見せてやりたくなった。


季節はもうすぐ、夏。



ゴーイングメリー号はログがたまる2週間の間、緑が美しいのどやかな自然がふんだんに残っている島に停泊していた。
海をかなりさかのぼって、透明な限りなく美しい水が絶え間なく流れる川の川岸に
碇を降ろしている。

宿代が勿体無いので、順番に船番をしている。

「ゾロ!!」


血相を変えて、船の上から港を見ていたサンジが男部屋に駆け込んできた。

「人魂だ!人魂が飛んでるぜ!!」

ハンモックに揺られて、うたた寝していたゾロがその声に瞼を重たげに開けた。

「人魂だア?」

「ああ、はじめて見た!!」
はじめて遊園地にでも連れてきてもらった子供のような顔だ。

ゾロは苦笑いをする。

「人魂なわけねえだろ。」ハンモックから降りて、サンジの側に歩み寄る。

「お前が見たのは、きっと蛍だ。」
「ホタル?なんだ、それ。」

ゾロは思わず絶句し、サンジの顔をまじまじと呆けたように眺めまわした。

「・・・なんだよ。」怪訝そうな顔でゾロの視線にサンジは眉を寄せた。

「お前、蛍も知らねえのか。光を出す、虫だ。」
ゾロに呆れたような口ぶりでいわれたサンジは少し気分を害した。

「ウミボタルなら、知ってる。」
サンジは無知を馬鹿にされているのを察して、悔しそうに自分の知っている範囲の情報を口にする。

「・・・仕方ねえ。めんどくせーけど、蛍、見に行くか。」
ゾロはサンジに蛍を見せてやりたくなった。

夏に限りなく近いが、まだ夏でない、その曖昧な時間で、清涼な水のある漆黒の闇にしか存在しないもの。

思えば、サンジがいなければ、自分だってそんな曖昧なものを
見たいなどとは思わなかっただろう。


面倒くさそうな口ぶりとは裏腹に、ゾロは一刻も早く、サンジを連れ出す気になっていた。
しかし、サンジはゾロのそんな気持を理解しない。

「面倒くせーなら、別に見に行かなくてもいいぜ。」
反抗的な態度でゾロの言葉と態度を非難する。

ゾロはそんな時のサンジの扱い方なら、充分心得ている。

「見に行くのはめんどくせーが、ただ、見に行くだけじゃねえぞ。」
煽れば、簡単に乗って来る。

「蛍狩りだ。」ゾロは口の端に明らかに挑発するような笑みを浮かべる。

「ホタルガリ?。」
煽られたのを知ってか、知らずか疑い深そうな目でゾロの言葉を繰り返す。

「どっちが多くとれるか、勝負しようぜ。」
尚もサンジの心理をくすぐってやる。

しかし、まだ誘いには乗ってこない。
「アホらしい、たかが虫だろ?」

ゾロは切り札を出す。
「・・・・不戦敗、か。」
そう言って、更に見下す。

サンジはゾロの計算どおりの行動を起す。
「おお、上等じゃねえか!!そんな虫ぐれーっ、何十匹、いや、何百だって、捕ってやるぜ!!」


第2話(真夜中の決闘)


二人は 小さな袋をそれぞれ手に持って、蛍がいそうな小さな川の支流に足を向けた。

道すがら、二人はずっとじゃれ合うような罵詈雑言をぶつけ合っていた。
「俺はちいせえ時にやったことあるから、負けねえよ。」
「馬鹿いえ、お前みて―な、筋肉だるまより、俺のほうが軽やかに捕まえられるぜ。」
「何、かける?」
「負けた方が、一日様付けで呼ぶんだ。サンジ様ってな。」
「へ、おまえ勝つつもりかよ。」
「当たり前だろ。負けるわけねえよ。」
「いいぜ、一日じゃなくて、一月でも構わねえぜ。」

「よし、上等じゃねえか!!一月、サンジ様、だぜ!!」


ゾロはだいたい、蛍がどこにいるのか見当がつく。

微かな水音が絶え間なくその空間を支配し、浅い池のような涌き水のなかに
水草がたゆたい、漆黒の闇の中に不規則に飛び交う、ほのか過ぎる光。


その景色を目にしたサンジの顔。


ゾロはそこに 視線も、心も、釘付けになる。

小さく息を飲み、蒼い瞳を覆う瞼が瞬いた。

闇の中を飛ぶ、蛍の淡い光のみに照らし出されたサンジの姿は、
ゾロの人生の中で見た事がない陰影を持つものだった。

闇か、光か。

ゾロの世界にはそれしか存在していなかった。

連れてきたのは自分だけれど、サンジと出会わなければ
こんな風景がこの世の中に存在するとは夢にも思わなかった。

サンジは蛍を見て、息を飲んだ。

ゾロはその姿を見て、息を飲んだ。


呆けたように自分を見ているゾロの視線にサンジが気がついた。

そして、何時もの様に挑戦的に笑う。

「さあ、やろうぜ。ホタルガリ。」

その言葉を合図に二人は無心に蛍を追った。


「150・・・・151・・・!!」
「152・・・匹!!」

めったやたらに飛び交う蛍を捕るのは、簡単だ。
二人は明らかに乱獲をしているが、お構いなしだ。

「てめー!!本当にそんなに捕ったのかよ!!」
ゲームオーバーは後、20分後。


相手にハッタリをかませて、混乱させるためにわざと捕った蛍の数を
口に出して数えていたが、お互い相手の取った数をちゃんと把握していない。

「お前こそ、どうなんだ。」
「そんなに沢山の数 数える頭があったとは、驚きだぜ。」

そして、勝負終了の時間がやってきた。


二人は地面に座りこんで、驚くほど明るい光を出すそれを
なんとかちゃんと数えようと格闘した。が。
袋に乱雑に放りこまれた蛍を正確に数えるのは難しい。

「・・・。俺のほうが多いぜ。」
「なんの根拠もねえ事いうな。」

結局、船に帰ってからもう一度数え直そう、ということになった。
帰路もやっぱり、二人はじゃれ合う。

本人たちは、競い合っているつもりでいるが。



誰もいない、男部屋で数を口に出しながら、二人は袋の中から一匹、一匹と
部屋に蛍を放していく。

「150・・・・151・・・」
「152・・・っあっ!!」サンジの袋の中から、勝手に数匹の蛍が闇に誘われるように
音もなく飛び立った。

反射的にゾロはその蛍を両手で潰さないように手のひらを少し膨らませた状態で、
勢い良く挟んだ。
ぽんっと乾いた音が響く。


「!!」
サンジも、殆ど同時にその蛍に手を伸ばしていた。

二人の手が重なる。

「これは俺の蛍だろーが!!!!」
サンジが息がかかるほど近い距離なのに、大声を上げる。

「今、俺が捕まえたんだから、俺のだ。」ゾロも手を広げようとしない。

「153・・・。」
「ふざけんな!!」無理矢理、ゾロの両手を掴んで開けようと爪で引っ掻いてきた。

「いで!!オイ、他のやつが逃げちまってるぞ!!」
「あ!!」
慌てて、自分の袋を押さえたが、サンジの袋の中には、もう一匹の蛍も残っていなかった。

「・・・俺の勝ちだな。」
がっくりとうなだれたサンジにゾロは勝ち誇ったように勝利宣言を下した。

「ちゃんと、呼べよ、ゾロ様ってな。」
ゾロは顔いっぱいに皮肉な笑顔を浮かべて、へたり込んだサンジに追い討ちをかけた。




「ふざけんじゃねえ!!」サンジは逆切れした。

「てめーが、余計な事しなけりゃ、俺が勝ってたんだよ、インチキまりも!!」

そんなサンジにゾロは目を細めた。
肩をすぼめて、大げさに溜息をついた。

「たかが、虫取りにそんなに熱くなるな。」
「本当にお前はガキだな。」

その言葉にますますサンジはいきり立つ。
「てめーが言い出したんだろうが!!」

ゾロは落ちついてサンジに歩み寄る。
「ああでも言わなきゃ、お前、虫取りになんかこね―だろうが。」


「なんだと?」
サンジは逆切れした顔のまま、ゾロの言葉を短く聞き返す。

「ちょっと、黙ってみてろ。」

ゾロはサンジの肩に手を置いて、床に座らせる。
自分はその真後ろに腰を降ろした。



波の音だけが聞こえる。



明かりを灯さない、暗い部屋の中におびただしい光の乱舞。


不規則な強弱のリズムで踊る儚い命の輝きに二人はいつしか言葉を忘れたように
黙って見惚れていた。


サンジの喉が小さく上下し、息を飲むのが判る。


「・・・・すげえ。」小さく、サンジがつぶやいた。

「・・だろ。」
ゾロはゆっくりとサンジの体を包み込んだ。


サンジの頬に一匹の蛍が誘われたように飛び寄ってきた。
その部分だけが鮮やかな色彩を闇の中に浮かび上がらせた。

ゾロはそれを指で軽くはじく。

代わりにそこに唇で触れた。相変らず、少し冷たくて、心地よい。

サンジは黙ってゾロの方に少し顔を向けた。
その顎に指を添え、ゾロはサンジの唇に自分の口を押しつけた。

触れて、離れて、また、触れる。
微妙で、ほのかで、不規則な。
まるで、この光に合わせたような接吻を二人は長い間、楽しんだ。



蛍が光を出すのは、求愛の印だという。
二人が捕まえてきた蛍の群れは、二人にもそのエネルギーを分け与えたのだろうか。


長い、長い、口付けの後、
ゾロはほのかな光の中で、穏やかにサンジの体を愛撫する。

波の音と、押さえきれない吐息がゾロを昂ぶらせた。

サンジがゾロの名を呼ぶ。
ゾロは壊れない程度のギリギリの力加減でサンジを抱きしめた。








「狩り勝負のケリは・・・・。また、今度だ。」
ゾロは瞳に笑みを浮かべて黙って頷いた。
ゾロは寝物語に、蛍の一生をなんとなく知っている限りの事だけサンジに話した。



「逃がしてやろうぜ。」
行為の後も、尚も二人の熱を煽るように瞬いている光をみつめてサンジがそう言った。
あまりに儚いこの恋人たちは、夏を呼び寄せた後、その後の季節を知ることはない。


サンジはそれを憐れんだのだろうか。


二人は男部屋の扉を開けて、蛍を外へ追いたてた。

「・・・今度は何で勝負する?」
甲板でまだ飛び立たず、そこに澱むように舞う蛍を見ながら、サンジ派ゾロに悪戯っぽく笑いかける。

「・・・なんでもいいぜ。お前から挑んでくるなら、どんな事でも受けてたってやる。」


その言葉にまたサンジが薄く笑う。
「・・・上等だぜ。クソ野郎。」



曖昧な季節はすぐに過ぎ去っていく。
その儚い時間をつかの間二人で過ごせた事にゾロは満足した。



(これからも、)
いろんな物を見せてやるよ。

春の名残も。
夏の到来も。
秋の訪れも。
冬の兆しも。


ずっと、いつまでも一緒に。


冷たい川の水の上を渡って吹く風が寝不足の体に心地よい。
日が昇れば、また、汗ばむほどの熱さになるだろうが、




今はまだ、蛍は夏を呼んでいる。


(終り)