水平線の向こうには、まだ、夕日の名残の、燃えるような茜色が見える。
それでも、真上を見上げれば、顔を出したばかりの大きな半月が波に
金色の光りを投げていた。

そして、星も濃紺の空に少しづつ瞬きはじめる。

サンジは、昼間の太陽の熱に温められた、僅かに傾斜して海へと続く温かな砂の上に腰を下ろして、優しい波の立つ海を、

そこで涼を取る為に海に身を浸していたゾロを眺めていた。

(なんでこいつなんだ。)ととても幸せな感覚に包まれる心の中で自問自答してみる。

優しい言葉がある訳じゃなく、柔らかな肉体がある訳じゃない。
それでも、こうやって、少し離れた場所で見つめていると、驚くほど
自分の心が素直にゾロに惹かれている事を自覚する。

どこがどう好きだ、と自分だって言えない。
ただ、波に洗われて濡れている分厚い胸板も、広い肩幅も、自分にはないもので、

月と星の光、それを受けた波の照り返しを受けたその体は、いつまでも
見つめていたいと思うほど綺麗だと思った。





他の誰かだと絶対にそんな風には思わない。

ゾロの肉体を綺麗だと思うのは、その中に入っている魂が放つ光りがあるからだと、
サンジはそんな風に考えた。

(光りか。)自分の答えにぴったりと当て嵌まる言葉を思い付いて、サンジは
胸の中が尻の下の砂の温もりよりも少し、温かくなってそれが可笑しくて、
口元が綻んだ。

別々の場所で生まれて、別々の場所で育って、別々の夢を追い駆けて、
交差した時間の中で、こんな風にゾロの存在を大切に想う様になった、

静かな海の音とそれを邪魔しないほどの微風の中で、サンジは今現在の自分の中の
想いを反芻する。

きっと、普通の恋人同士ならもっと素直に「好きだ」と何度でも言えるだろう。
誰よりも大事で、心から尊敬して、失いたくない、別々の道を歩いていく日が来ても、
何も変わらないでいられると自信を持って言える。

ただ、単純な「好きだ」と言う言葉以上の感情は確かに胸の内にあっても、
それを簡単に想いのままに口に出してしまったら、それがなんだかとても軽薄で、
却って頼りないもののように思えてしまうから、口に出せない。

(でも、)サンジは空に輝く二つの光を見上げた。
俺は、お前がイイ、とゾロに聞こえない様に口に出した。独り言でさえ、
「好きだ」と言えない自分の意気地の無さにもまた、一人で微かに笑った。

息がかかるほど側にいるのも悪くはない。
でも、こうやって、少し離れた場所から、ゾロの濡れた髪や、自分よりも日に焼けたような肌の色を見ていると、側にいる時よりももっと自分の心が見えてくる。

意地を張っても、それが伝わらない距離。
だからこそ、素直な自分の心の中を余計な意地などで自分を誤魔化さないで
ゾロを想う、本当の気持ちを見つめられる。

そして、サンジは無意識に立ち上がった。

膨らんだ愛しい想いを抱えた体は、ゾロを見つめているだけでは物足りなくなる。
手で、耳で、目で、唇で、ゾロに触れたい。

そう素直に思えるほど、サンジは今、ゾロの事だけを考えていた。
月と星と、波と、それぞれが放つ光と、周りに誰もいない事が、サンジから
いつもの虚勢や意地を忘れさせる。

「やめとけ、チョッパーに怒られるぞ。」とサンジが服を着たまま波打ち際まで
歩いて、すぐに太股までの深さまで海に入ったところで、ゾロが止めた。

「三日前まで死にそうな熱で唸ってた病人が」
「三日前の事なんて忘れた。」
ゾロが止めるのを聞かずに、サンジはゾロのすぐ側まで波を掻いて近付く。

「お前があんまり気持ち良さそうに泳ぐからだ。」とサンジはじゃれる様に
そう憎まれ口を叩いた。

「お前、いい。」とサンジは真っ直ぐにゾロを見て、笑いながらそう言った。
「何が」とゾロは不思議そうに答える。

水の中でゾロの掌がサンジの身体を支えた。

「何がって、なにもかも、がだ。」とサンジはまた、笑いながら答える。
「何言ってやがる、」

緑色の髪を伝って雫が額を濡らしている。腰を支えている手も、ただ、添えているだけなのに、そこから温もりが沁み込んでくるような気がする。

「腐るほど心配ばっかりさせて悪イな。」とサンジは照れ臭いのをなんとか、
笑いで誤魔化し、ゾロの首に腕を回した。

「なんだ、今更。」とゾロはますます怪訝な顔をする。
「俺は悪イ奴だ。」そう言って、塩辛い味のするゾロの唇に軽く触れた。

「お前に気苦労ばっかさせて、悪イ奴だ、俺は。」とサンジがゾロの耳元で
囁くと、「なんだよ、急に。薄気味悪イ。」とゾロは慌ててサンジの顔を見ようと
体を捻った。

その時には、もう、サンジはゾロから引いて行く波に体を預けて、静かにまた、距離を置く。



「ゾロ、俺、」お前が世界で一番、好きだ、と言い掛けてサンジは水に潜った。

言えねえな、やっぱり。

簡単な言葉、それを言えば、ゾロを喜ばせ、驚かせる事が出来る一石二鳥の
魔法なのに、サンジはそれが口に出来ない自分の気の小ささが可笑しくて、
水中で泡を吐きながら笑った。
口になど出さなくても、十分伝わっているから、と言うのは言い訳だと
判っていた。ゾロが言わないから、自分も言わないと言うのも言い訳だ。

サンジは浮き上がってゾロを見た。
離れて見つめるゾロの姿もイイが、触れて、温かいゾロを感じるのはもっと好きだと
また、離れた場所で思った。

星も月も、その光りには太陽のような温かさはない。
けれども、なぜ、真夏でも、真冬でも、ゾロの側にいるとその光が
温かいモノのように感じる。
そんな事をサンジは腰まで海に浸かりながら考えて、また、空を見上げた。

「いい加減にしろよ。」
ゾロは腕を伸ばして、波に逆らわないで、漂うサンジの体を追い駆ける。
すぐに捕まえると、抱き抱える様にして、波を割って浜に向かって歩き出した。
「病み上がりの癖にこんな夜の海で暢気に泳いで何が心配ばっかりさせて悪イ、だ。」
「言ってる事とやってる事がバラバラじゃねえか。」

何時もなら、自分の好き勝手が出来ないとそれだけで腹が立つ。
なのに、今夜は不思議とサンジの腹は立たなかった。

まるで、二人三脚をするように波打ち際まで歩き、それから、ゾロはサンジを
砂浜に押し付ける様に座らせる。
「火を焚くから待ってろ。」とゾロは言って、側から離れようとした。

こういう感じが、人に"甘えたい"と言う気持ちだとサンジは初めて知る。
もっと側にいて、心地良い温度で触れて、離れないでいて欲しい。

押し殺す事も隠す事もない、そんな感情が座ったままのサンジの瞳から滲んで、
ゾロを呼び止める。

ゾロは屈んで、サンジの唇をゆっくりと塞いだ。
合わせた唇は冷たいのに、サンジの舌先を弄ぶゾロの舌はほっとするように温かい。





「これ以上、煽るな。」
ゾロは唇が離れた途端、その体温を移したような吐息を吐いた。
それでも、お互いがお互いの温もりがもっと欲しくて、その腕はお互いの
体を引寄せる。

「悪イ。」サンジはゾロの肩に頭を乗せて笑いながら答える。
「そう、素直に謝るな、それが薄気味悪イっつってんだ。」とゾロはなんとなく、
素直過ぎるサンジを持て余している様で、そんな気持ちが声に現れている。

魔法の言葉など言わなくても、ほんのすこしだけ素直に振舞うだけで、
ゾロを驚かせて、喜ばせる事が出来るのだ、とサンジは

月と星と波の光りに照らされた夜に少し利口になった。

(終り)