「さて・・・じゃ、残り二時間と数十分、どうする?」
「酒も、料理もねえが」

サンジはゾロの胸に手を添え、やんわり通し戻しながらそう言って微笑む。

息が掛かるほど、顔を寄せてゾロはサンジの顔を見つめる。
離れた日と何も変わっていない。鼻の形も、目の形も、皮膚の艶も。
けれど、何故、今、柔らかな陽光が降り注ぐこの桜の木の下のサンジは、
こんなに、何よりもかけがえなく美しく見えるのだろう。

瞬きするのさえ、惜しいと思うくらいだ。
愛しさが、春の風に煽られて掻きたてられるのか、何度口付けても、足りない気がした。

サンジの長い髪が、春の風に乱れる。
その髪の長さは、離れている時間と、寂しさに堪えた夜の数をゾロに教えていた。

「・・・酒も料理も今はなくてもいい」
今、目に映っているもの、手に触れられるものが、ゾロが一番欲しいと望んでいたモノだ。
お前がここにいて、俺を見ている。それだけでいい、と言葉にはせずに
ゾロはサンジを見つめる眼差しの中にその言葉を篭めた。





サンジが風に目を細めて、ゾロの静かな言葉に瞼で頷く。
そして、照れ隠しなのか、からかうように「・・・じゃ、昼寝でもするか」言って、
さらに桜の森の奥へと目をやった。

「どうせなら、海が見える場所がいい」
そう言って、サンジは風が吹く早さと同じくらいの動きで、ゆったりと歩き始めた。ゾロもすぐにその後を追う。
「これから、嫌って程、海を見るのに?」今度はゾロがからかうと、
「・・・落ち着くんだよ、穏やかな海を見てると・・・」サンジは僅かに顔を傾けて
ゾロを振り返り、目だけで微笑んだ。

自分を見ているサンジのその眼差しには、愛しさが滲んでいる。
きっと、誰にもこんな顔は見せない。恋人だけに向ける、一番自然で、一番美しい表情だと、思い上がりではなく、ゾロはそう思っている。

道は徐々に下り坂になっていて、二人はいつしか砂浜が見える海岸に辿り着いた。
「・・・あそこに似てるな」ゾロはその風景を見て、思わず呟く。

かつて、サンジが早朝にゾロを誘い、二人だけで桜を見た、あのひなびた漁村の風景にそっくりだった。
「・・・ホントだな」サンジも思いがけない偶然に驚いたようで、少し眼が大きく見開かれている。それから、満足そうにくしゃり、と顔を歪めて笑った。
「昼寝しながら、花見をするにはおあつらえ向きの場所じゃねえか」

サンジは海岸の流木に凭れて、腰を下ろした。
右へ顔を向ければ、突き出た崖の上に根を生やした細い桜の木が自生していて、
満開の花を咲かせているのが見える。

サンジが胡坐をかくように腰を下ろすと、ゾロは遠慮なくその膝を枕にして横になる。
桜の香りと、潮風の匂いを胸いっぱいに吸い込み、
背中には、太陽に温められた砂の感触を感じ、目は、澄み切った雲ひとつない空と
サンジを見上げる。

一体、何時の間に、こんなに自然に振舞えるようになったのだろう。
指を絡めあう事、唇に触れる事、髪に触れる事、その一つ一つに戸惑い、欲しがって、
受け入れられた喜びを重ねて、いつの間にか、ここまで来た。
その幸せをゾロは(・・・忘れちゃいけねえ)と噛み締めた。

「・・・くすぐってえよ」

ゾロの髪を弄ぶサンジの指をゾロは思わず、柔かく包む。
膝枕をしていると、サンジはいつも、ゾロの髪を指で摘んで引っ張ったり、
髪の感触を指先に覚えこませようとするかの様に、一本づつを摘んでは離し、
また摘んでは離す、・・・と言う独特の梳き方をする。
ゾロはそれがいつも、くすぐったくて堪らない。
サンジがじゃれて来るのが、楽しくて、嬉しくて、暫くは我慢するが、それも数十秒も
持たない。つい、こんな風にサンジの手を握って、その戯れを止めてしまう。

掴んだ手を、自分の目の前に翳してみる。
細い指が、自分の顔に影を作った。
ゾロは、サンジの手を自分の鼻に押し付けてみる。
「・・・なにやってんだ」サンジが含み笑いをしながら、
ゾロのその行動を詰る。少し、照れ臭くなったのかも知れない。
だが、ゾロは構う事無く、目を閉じて答えた。
「桜の花びら、握ってただろ。桜の匂いがする」

サンジの手が、ゾロの鼻をキュ、と軽く摘んで、また髪に戻る。

「・・・嬉しいか?」サンジはゾロの顔を覗き込んでそう尋ねてきた。
「どっちが?ここで会えたことか、それとも、・・・しばらく、一緒にいられる事か」

ゾロは、サンジの様に自分の気持ちを言葉で取り繕ったりはしない。
サンジの曖昧な質問に、ゾロは具体的に聞き返した。
「・・・俺が聞いてるんだよ。今のこの状況が嬉しいのかどうかって」
サンジはそう不服げに言って口を尖らせるので、ゾロは可笑しくなり、
「・・・これ以上ねえくらいに満足してる・・・、歌の一つでも歌ってもいいくらいだ」と本音で答える。
「・・・そっか。俺もだ」

そう言って、サンジはその場所から見える桜に目を写した。
「昼寝は止めだ」ゾロはつい、そう言って起き上がる。
「ああ?なんだ、昼寝は止めか」サンジは驚いて、桜を眺めいた眼をゾロに戻した。
「ああ、時間が勿体無エからな」

そう言って、ゾロはサンジをじっと見た。
思った事をそのまま言うのも、悪くはない。
だが、あまりにも浮かれた言葉を口にするには、大人になりすぎた。

そして、そんな言葉を使えば、持て余しそうな嬉しさも愛しさも、幸せも、
その価値がとても安っぽくなりそうで、本当にその思いを伝えるのなら、
言葉を使わず、心から心へと流れ込む様な、そんな感覚で伝えた方がいい、と
長い年月の間にゾロは学んで知っている。

離れて、そして再会するたびに、サンジは美しくなる。
その過程をゾロは知らない。共に過ごせる時間の中で、少しでもその過程を側で
見ていられるのなら、時間などいくら有っても足りない。

離れて、再会するたびに、サンジはゾロに優しくなる。
それは言動でも、表情でもない。
サンジの体、指が、皮膚が、指先が、瞳が、ゾロに優しく、ゾロに心地よい温もりと柔らかさと、安らぎを与えてくれる。
それを全身で受け止める時間も、いくら有っても足りない。

瞬きする時間さえ惜しいと思うのに、眠ってなどいられない。

「・・・やっぱり、お前も相当、欲が深いな」
「これからそんな時間、いくらでもあるのに・・・」
サンジはゾロの言いたい事を汲み取ってくれたようで、そう言って、また笑った。

麗しい時間ほど、あっという間に早く過ぎていく。
二人が眺めていた、崖の上の桜の花は、きっと、三日も経てば、花はもうすっかり
散ってしまうだろう。

二人は、サンジが乗る予定の船が待つ港へと向った。

「お前、荷物それだけかよ。それでよく一人旅が出来るな」
「刀さえあればどうにだってなるからな」
そんな雑談を交しながら、二人がいよいよ、船に乗り込もう、とした時だった。

「・・・あの、・・・・あなたは、ロロノア・ゾロ氏では?」
サンジの荷物を運んでいた船員が、ゾロの顔を見てそう尋ねてきた。
「・・・ああ、そうだが」怪訝に思いながらも、ゾロは答えると、
その船員は、作業を止めて、気軽にゾロに声を掛けた事が急に気恥ずかしくなったのか、
「すいません、さっき、俺が飲んでた店で、ロロノア・ゾロを探してるって人達を
見掛けて、それで・・・」と言って口ごもった。

「俺を探してる?どんなヤツだった」
「え・・・はい、それが・・・」

何故、ゾロは聞き返してしまったのか。
そして、何故、それをサンジに聞かせてしまったのか。

後になって、後悔しても、もう遅かった。
船員は言った。

「なんでも、あなたに助けを求めて、ずっとあなたを追い駆けて来たとか・・・」
「海軍のおエライ人の落としだねって男が海賊になって、その人たちの島で、もう乱暴狼藉の限りを尽くして、毎日、誰が殺されるか、毎日、生きた心地のしないとか、言ってました」
「皆、身なりはボロボロで、でも、必死にあなたを探していましたよ」

「・・・噂をずっと辿って、海にど素人のヤツらが命賭けて、お前を追い駆けてきたってワケだ」

ゾロが何も答えないうちに、サンジがそう呟いた。

「そいつら、今、どこにいるんだ?どこに行けば、会える?」
「おいっ!」

自分が何も決断していないのに、サンジが先に船員へ質問をし始めたのをゾロは
思わず止める。
「ええと・・・確か・・・」だが、船員は、一軒の酒場の名前を口にした。

船員が荷物を船に運び込んだのを見送るかのように、二人は暫く黙って、
その場に立ち尽くす。

(・・・ツイてねえ)話を聞いた以上、放っては置けない。
ゾロの腹はすぐに決まっていた。だが、さっきまで思い描いていたサンジとの
時間は、諦めなければならない。また、いつ、会えるのか分からない別離が唐突に
訪れた事に、ゾロの心が揺れた。

離れたくない。心はそう叫んでいる。
だが、剣士としての自分は、もう、行くべき道を見つけてしまった。

「・・・行ってやれよ。ああいう状況じゃ、海軍はアテにならねえ」
「だから、お前に頼ってきたんだ」

その言葉は、繋いでいたと思っていた手を、サンジの方から離したのと同じだった。
現実には手など繋いでいないのに、ゾロの手は、少し凍える。
苦し紛れの、我侭だと分かっていても、足掻かずにはいられなかった。
「・・・お前が一緒だったら・・・手っ取り早く片付くかも知れない」
喉から絞り出した声を、「見苦しい事言うな」と、サンジは突っぱねた。
「俺はもう海賊じゃねえっつっただろ。今のお前と一緒に行っても、足手まといになるだけだ」
だが、いつものように、きつい口調ではない。
込み上げてくる寂しさや、やるせなさを堪え、
命がけの戦場には行くな、さっきのように穏やかなで幸せな時間を共にすごそう、と
引き止めたがる本当の気持ちに耐えて搾り出す、深い、静かな声だった。

行かなければ、絶対に後悔する。
行かせなければ、絶対に後悔する。

時間も距離もどんなに離れても、生きていける。
それほどの強い絆を持ち続けるために、今は、離れなければならない。

今はどんなに辛くても、寂しくても、これから先の未来を、一緒に生きて行く為に。

「・・・もうじき、この船は出る。その前に、いつもみたいに俺がお前を見送ってやるよ」
サンジはゾロを真っ直ぐに見つめてそう言った。もう、何一つ言い返すことが出来ない。「・・・ああ」と答える以外に、ゾロが出来る事は何もなかった。

ピー・・・と、あと10分の後に船が出る、と客を急かす合図の汽笛が鳴る。

「港まで、花びらが飛んでくるんだな」
古びた板を渡しただけの簡素な桟橋の上にも、数枚、桜の花びらが舞い落ちていた。
その一枚をサンジは身をかがめて拾い上げる。

そして、海風にその桜の花びらを乗せて、飛ばした。

見送る、と言われたのに、サンジに背中を向ける事が出来ず、ゾロはその場から
動く事が出来ない。
サンジを見つめているのすら、辛い。
いっそ、このたった数時間の出来事が全部、(・・・夢だった方がまだマシだ)と
思った。

だが、これ以上、女々しい姿をサンジに見せられない。

「その髪が・・・お前の背中の傷を越す頃に、必ず帰る」
それだけ言って、ゾロはサンジに背を向けた。

海からの風がゾロの背中から吹いてくる。
春の太陽の温もりを孕んだ風は柔かく、サンジの腕の様に、ゾロを包み込む。

行くな、とは言いたくない
でも、出来るなら、このまま、一緒にいたかった

ゾロの心に聞こえないはずのサンジの声が響いてくる。

(俺もだ。俺も、お前とこのまま、一緒にいたかった)その気持ちがせめて、サンジに
伝わるように、とゾロは一度だけ、振り向いた。

駆け戻れば、一度だけでも抱き締める事が出来る距離だ。
だが、ゾロの足は動けない。
この両腕で、サンジの温もりを抱き込んでしまえば、きっと離せなくなる。
それが分かっているだけに、ゾロはただ振り向いて、サンジを見つめる事しか出来ない。
そのサンジを見つめる眼差しの中に、自分の気持ちのありったけを篭めた。

ポケットに手を突っ込んで、サンジはゾロを見つめている。
ゾロしか知らない、あの微笑をほのかに目元に浮かべて。

「ゾロ、」
「俺は、いつも同じ場所でお前を待ってる」
「約束どおり、・・・ちゃんと帰って来い。・・・待ってるから」

サンジの言葉が、ゾロの心を強く揺らした。

(・・・待ってるなんて・・・そんな事、今まで言った事あったか・・・?)

けれど、その言葉でゾロは前へ躊躇いなく踏み出せる。
待っている、と言う約束が、こんなに自分の心を奮い立たせる事を、ゾロは初めて知った。

今度会う時、きっと花色の風が吹くこの場所で見た以上に、サンジはきっと
美しくなっている。
会えない寂しさも、不安も、ゾロを信じる強さに変えて、その強さがサンジを
磨くのなら、そのサンジを失望させる事のない男であり続けたい。
そうゾロは思い、前を向いて歩き出す。

二人の距離が少しづつ、隔たっていく。
お互いが選び取った場所へと、それぞれが進んでいく。

花色の風は、二人の別れを静かにそっと見守っていた。




最後まで読んで下って、有難うございました。

桜なんて、北海道で見られるくらいの時期なんですが、どうしてもネタにしたかった
曲なんで、満足満足。

サンジの挿絵を描くのに、アングルを考えすぎて実は結構、時間を食ってしまったりした
作品でした。



2005.05.20     戻る