第四章 「秋色葡萄は恋の味」

第一話 「解決」

ちょうど、サンジが生贄を捌く為の祭壇で、眠りに落ちた頃の事だ。

真昼間だと言うのに、ゾロはミーノ氏の別荘にやって来た。
コビーに踏み込まれ、応戦する事もなく、窓の外へ飛び出してしまい、刀をサンジの部屋の屋根裏に忘れてしまったからだ。

奇跡的にも、サンジが絡むとゾロは不思議と道を覚える。
誰を伴う事もなく、たった一人でちゃんと別荘まで辿り着き、そして滞りなく忍び込んで、
サンジの部屋の屋根裏に潜り込んだ。

(…妙だ…)
屋敷内に人の気配がない。少なくても、執事と、庭師、料理人、それとサンジがいる筈だ。
それなのに、いくら気配を探っても、誰の気配も感じない。

ゾロは、まず置きっぱなしにしてしまっていた刀を掴み、それからサンジの部屋に降り立った。隣の部屋に、グーラに叩きのめされた上、頑丈な縄でぐるぐる巻きにされたヘルメッポが気を失って放置されている事など、ゾロが知る由もない。

(…仕事中かもしれねえが…。それにしても、物音一つしねえなんて…)
何気なく、ゾロは窓の外へと眼を向ける。ふと、物置小屋の方へと意識が向いた。
胸騒ぎ、とか虫の知らせ、と言う感覚だった。
(…そういえば、あの薄気味悪い人影も、…あっちへ行ってたな…)
幸い、別荘の中には誰もいない。躊躇う理由は何もない。
ゾロは音が立つのも気にもせず、窓を開けて、庭に飛び降りる。

そのまま、葡萄畑を突っ切って、畑の中にポツンと立っている物置小屋へと走った。
昼下がりの穏やかな陽光が差し込むその小屋の中に、ゾロは佇む。
誰もいない。雑多なものが、雑然と置かれているだけだ。そんな、何事も無さそうな空間なのに、ゾロの神経が妙に刺激される。

(…ここに何かあるのか…?)
ゾロは手当たり次第、その辺りに積み上げられている荷物を手で払い落とした。
そうして、ふと、床に目を止める。荷物が落ちた床の一部が、全く違う音を立てたのだ。
その部分を更に良く見ると、床板の模様が僅かに周りと違う。そこだけ、簡単に開閉出来そうなつくりに見えた。
そこを足で踏んでみる。すると、床板が跳ね上がり、地下へと続く階段が顕れた。

* **

サンジは、ミーノ氏の一日の行動をそれとなくコビーから聞き出し、それらの情報はゾロを通じて、ナミに伝えられている。
予め、ミーノ氏の行動範囲が分かっていれば、カバンを掠め取るのはそう難しい事ではなかった。昼食を取る為に執務室から出て、いきつけの料理屋に入っていく時を狙い、ナミはミーノ氏からカバンを奪った。それは、サンジが意識を失って、水に晒されている時でもあり、ゾロがその祭壇へと続く階段を見つけた時でもあった。

カバンを奪い、護衛の海兵を振り切り、ナミは物陰に逃げ込み、カバンの中を探す。
「…あった」思わず、ナミは「赤の小箱」を手に取り、にんまりする。
「…やっぱり、サンジ君が言ったとおりだわ」と呟いて、蓋をパクン、と開いた。
「…ふうん。煙草入れとして使ってたのか…」中には、葉巻がびっしりと並んでいる。
そして、上蓋には、細かく、美しく彫刻された薄い板が嵌められている。その二重になっている蓋部分を外した。「青の小箱」はこの部分が既に壊れて、箱を開けた途端に地図が出てきたけれど、「赤の小箱」はまだその細工が生きていて、しっかりと地図は隠されたままになっていた。

「…これさえあれば、後は用はないわ」地図だけを抜き取り、ナミは「赤の小箱」は元通りにカバンにねじ込む。そして、カバンを街中の目に付くところにワザと放置し、その場を離れた。

***

料理屋でミーノ氏のカバンを盗んだ女をコビーは追った。
だが、その女の逃げ足は驚くほど早く、盗まれたカバンを取り返すどころか、その女を捕まえる事も出来ず、街中で見失ってしまった。
途方に暮れたけれど、どうしようもない。仕方なく、ミーノ氏の護衛に戻りかけたが、
カバンは街角に放置されていて、すぐに見つける事が出来た。
「…良かった。とにかく、中を確認しなきゃ…」と、コビーは放り出されていたカバンを拾い、中を確認する。
重要な機密文書などは全く無事で、高価な煙草入れも無事だった。
が。コビーはその書類の中に、見覚えのある封筒と便箋を見つけた。
「…これは…」

この島に来てすぐに、役人に見せられた、ミーノ氏宛ての脅迫状。
コビーがつまみ出した封筒も便箋も、それが書かれていた封筒と便箋にそっくり、…いや、それがその封筒と便箋そのものだ。(…白紙だ。いや…?)

太陽の光にコビーはその便箋を透かして見た。
はっきりと筆圧の跡が残っている。それは、「…次はミーノ、お前を殺す」と書かれていた。
(…脅迫状の文面だ。これは…じゃあ、あの脅迫状はミーノ氏が自分で…?)

「…どう言う事だ?メイドが何人も消えて、…脅迫状は、自作自演で…?」とカバンを拾い上げたままの格好で、コビーは思わず口に出して呟く。

犯人は、自分ではなく、外部の者だ。その脅迫状にはそんな主張が込められている。
何故だか、コビーはそんな気がした。
こんな簡単な事を、この国の保安機関は見抜けなかったと言うのだろうか。
そこまで考えて、コビーはこの国の思惑にやっと気付いた。

「…この国は知ってたんだ…。脅迫状が、ミーノ氏の自作自演だって事…」
コビーは愕然と呟く。

世界政府と未だに繋がってるかも知れないミーノ氏を自国の司法で裁けば、後々どんな災厄を招くかわからない。それを恐れ、ミーノ氏を守って欲しい、と表向きの理由をつけて、
世界政府に海軍を要請した。そうすれば、ミーノ氏の身辺を海軍士官が警護すれば、不審な行動や物証が自ずと浮き彫りになってくる。
海軍士官のコビー達がクソ真面目に、その事を上司に報告し、海軍の名においてミーノ氏を告発したら、ミーノ氏は世界政府の法で裁かれる事になる。モイキリ国は、それを狙っていたのだ。何度も内偵任務をこなして来た経験で、コビーはそう確信した。

「結局、僕らは、まんまとモイキリ国の思惑に乗せられていたって事か…」
「…ミーノ氏を告発するにも、こんな白紙の便箋だけじゃ証拠にならない」とヘルメッポは拳を握り締めた。ぐずぐずしていたら、カールも危ない。

(…とにかく、この事実をヘルメッポにも伝えなきゃ…っ!)
もう、ミーノ氏の身辺警護をする必要などない。彼に害を為そうとする者など、最初からいなかったのだから。

コビーは、ミーノ氏の元には戻らず、カバンを持ったまま、別荘に向かった。

* **

ゾロは、薄暗い階段を降りていく。
物置小屋の板張りの床の下に設えた階段なのに、ゾロが一段一段踏みしめて降りる階段は、立派な石づくりで、(…何か遺跡の中にでも入って行くみてえだな…)と、思うほどその場にそぐわないモノだ。
下へと進むに連れ、微かに水音が聞えてくる。何も光源のない地下なのだから、真っ暗な筈なのに、地下からうっすらと青い光も見えて来た。

階段が終わると、狭い通路が現れた。それも、壁も床も、全てつるつるに磨き上げられた真っ黒な石で出来ている。
この場所には、決して日が射さない。ここには闇夜しかない。
そんな薄ら寒さを感じさせる場所だ。ゾロの足が自然に早くなる。
足を進めるほどに、さっきから微かに感じていた胸騒ぎがさらに強くなってくる。

扉も何もなく、いきなり通路は広い空間へ繋がった。
両方の壁には、妖しい光を放つ蝋燭が灯されているが、やはり暗くて何もかもが見えると言う状態ではない。

長い階段を降り、さらに暗い通路を通ってきたおかげで、ゾロの目も闇に慣れていた。
その闇を透かして、ゾロは眼を凝らした。ひっきりなしに聞えていた水音にも耳を済ます。

「…あ…?!」
中央に、何か浴槽の様なモノがある。それに気がついた瞬間、ゾロの眼はサンジを捉えた。

両手を鎖で縛られ、水に晒されながら、眼を閉じていて動かない。
ゾロが入って来た気配を感じている様子もない。

「…おい!」
駆け寄って、ゾロは水に濡れるのも全く気にせずにまずは鎖を解き、サンジを抱き上げた。
体に纏わりついた薄い布も、温い水をしっとりと含んでいて重たい。

一体、何があったのか、ゾロには全く分からない。
昨夜、ミーノ氏の護衛だとか言う海兵に、サンジとの逢瀬を邪魔されて、ゾロが知っているのはそれだけだ。

それから、サンジがヘルメッポに薬をかがされて乱暴されかかった事も、
若い女の内臓を食べた後剥製にする、と言う怪奇な習慣の為に、こうして水に浸されて、
逃げない様に拉致されている、と言う事も、ゾロは何一つ知らない。

事情を聞こうにも、サンジはぐったりとゾロの腕の中で気を失ったままだ。
いくら揺すっても大声で名前を呼んでも、一向に眼を覚まさない。

(…なんだ、この痣…)
サンジの体のあちこちについた、赤い痣を見て、ゾロの胸に抉られた様な痛みが走った。
それは虫刺されでも、打撲でもない。自分もかつて、サンジの知らないうちにその体にそっと独占欲の痕を残した事がある。だから、わかった。

(…こいつ、誰かに…なにかされたな…っ)

やたらとサンジに馴れ馴れしいあの執事か、それとも護衛の海兵のどちらか。
ゾロの頭にカっと血が昇った。その時。

キイ…イ…ンと、サンジが嵌めている腕輪が、高い金属音を立てる。
それは、まるでサンジに触れている男の心が荒く波立ったのを察知したかの様だ。
音だけでなく、ロビンが、「眼みたいで、薄気味悪い」と言った、あの模様が何かを呼ぶ様に妖しく点滅している。

だが、耳障りでも、不気味でも、今はそんな事を気にしている時ではない。
(…っとにかく、一刻も早く叩き起こして、この痣の事を問い詰めなきゃ、頭の血管がブチ切れちまう…っ)
誰に対して、こんなにも腹が立つのか、今のゾロにはわからない。

とにかく、まずはこんな不気味な、冷え冷えとしたところよりも、さっさと陽の当たる場所に連れて行きたくて、サンジを横抱きに抱え上げる。
サンジの事にばかり気を取られていたゾロは、壁に掛けられている女の剥製にも全く気が付かなかった。

黒光りする石に囲まれた通路歩きながらも、ゾロの腸は煮えくり返っていた。
いくら可憐な少女の姿になったとは言え、易々と男の手に落ちる程、サンジは弱くない。
もちろん、自分から誘ったとは、思ってはいないが、それでも、サンジの油断が招いた事だ、と言う腹はある。
けれど、自分の腕の中で脱力しきって、眼を瞑ったままの姿を見ていると、決してサンジを責めてはいけない、と言う事もちゃんと分かっている。
けれど、助けに来たのが、たまたま自分だったから良かったものの、もしもルフィだったら、やっぱりこんな風にルフィの腕の中でぐったりと体を預けていただろう。
そう思うと、また訳もなく腹が立って来る。

そして、元来た道筋を辿り、物置小屋へと続く階段を上る。
あまりの素早さに、腕輪の共鳴を聞いて駆けつけてきたグーラとも顔を合わすことなく、
ゾロは別荘から脱出する事が出来た。

その後、別荘に戻ってきたコビーとも当然、会う筈がない。

それから、コビーがヘルメッポを助け出した事も、自作自演の脅迫状と、地下の女性達の剥製が決定的な証拠となり、執事のグーラとモイキリ国の軍事参謀、ミーノ氏が世界政府に告発された事も、ゾロが知る由もない。

* **

サンジを助け出し、宝の地図を手に入れ、海軍の二人は任務を全うした。
だが、この話はそれで終わりにはならない。

ミーノ氏の別荘から船に帰り着くまで、ゾロは物置小屋にあった大きな布でサンジを包み、
抱き抱えていた。その間、ずっとサンジの体は柔かく、暖かかった。

船に帰り着いた時も、まだ意識は戻ってはいなかったけれど、チョッパーに見せれば、
すぐに目を覚ます。当たり前の様にそう思っていた。

チョッパーもそう思っていただろう。
だが、現実は違った。

「サンジ…?」
余りにも反応がないので、チョッパーはサンジの脈を取ろうとその手を取った。
男部屋のソファに寝かされたサンジの顔は、いつもと代わりない、静かな寝顔だ。
血色も決して悪くない。だが、脈を取るチョッパーの顔色が真っ青になった。

「ど…どうしたんだよ」ウソップが恐る恐る、チョッパーの顔を覗き込む。
「…いや、…そんなバカな…」何も答えず、慌しくチョッパーは聴診器を取り出し、サンジの胸に当てる。聞き取れる筈の音が聞えない。そんな顔をしている。

「…どうしたんだ、チョッパー?何か…おかしいのか」
側で見ていたゾロも、急に不安になった。
「…脈がない…。心臓が動いてない…」自分の言葉なのに、信じられない、と言う顔でチョッパーは愕然とそう呟いた。

そこにいた誰もが耳を疑う。
脈がない?心臓が動いてない?「…嘘だろ…?」と言う言葉しか喉をついて出てこない。

「…こんな筈ないんだ、死後硬直も出てない、体温も下がってない…!でも、心臓が動いてない、瞳孔も開いてる…そんな事、絶対、…有り得ない…!在り得ない事なんだ!」

叫ぶようなチョッパーの言葉に、その場の空気が凍て付く。

「シゴコウチョクって…どう言う事だよ…。それじゃ、まるで、こいつはもう死んでるって言ってるみたいじゃねえか…」

何故、そんな恐ろしい言葉が口から勝手に出て行くのか、ゾロには自分でもわからない。
眠っているようにしか見えないサンジの口元に手を翳しても、そこから呼吸の欠片さえ拾えなかった。それなのに、その肌の弾力も色も、全く褪せてはいない。



心臓が動いていない、呼吸をしていない。
そう言われても、実際に触れて確認しなければ、ただ、穏やかに眠っている、としか見えない。

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