第ニ章 「標的」
第一話 「心配御無用」
ミーノの屋敷で海兵が一人、眠れない夜を過ごしている時から、一月ほど時間は遡る。
* **
サンジの体は、一向に元に戻る気配がない。
何か微細な変化があった時、それを見落とさないようにと、毎日血液や尿などを採取したり朝昼晩と体温や血圧を測ったりしてくれていた。
ところが、余りにも何も変化がないので、いつの間にかそれが三日おきになり、七日おきになり、…遂にチョッパーもそんな事を調べても無駄だと思ったのか、いつの間にか、何も調べなくなった。
(…自然に任すしかないって事か…)
別に、見放された訳でもないし、多分、諦められた訳でもない。
が、それでも、当面は元の体に戻る術はない、と言う事だろう。
何も言われていないのに、勝手にサンジはそう解釈し、ここ数日、少し気落ちしている。
心配され、労わられると気が滅入るし、心配されなくなったら見放されたと落ち込んでしまう。体の雌雄が逆転し、さらに若返る、と言う奇怪な変化をしてから、自分でもわかるくらいにサンジは感情が不安定だ。そんな自分にも腹が立ったり、悲しくなったりする。とにかく、これ以上ない程鬱憤が溜まっていた。それも今、こうして穏やかに航海している日々、溜まり続けている。
そんな折。小さな港町で、ナミは古びた地図を古物商から手に入れてきた。
葉巻か何かを入れるために作られたらしい、片手に乗せられるほど小さな銀製の小物入れを買ったのだが、それは蓋に、小さな青い宝石がちりばめられ、とても凝った造りになっている。
それをサンジは実際に手にとって見た。表を見たり、裏を返してみたりしながら、
「…とても、古物商で買える品物じゃないね。細工も細かいし、純銀製だし、宝石も全部本物だ。骨董品って言うより、十分宝飾品の類だよ」と言うと、ナミは嬉しげに
「でしょ?これ、たったの5千ベリーだったの。破格でしょ?絶対盗品だと思うけど」
「他所の島で売ったら、100倍の値段でも売り捌けるわ」とホクホクしている。
サンジは何の気なにし、パクン、と蓋を開けた。
その小物入れの中に、古びた地図が入っていた。
ただ、残念ながら半分千切れていて、宝の隠し場所らしい印は見えるけれど、その島の名前がわからない。
そして、その地図の謂れなどを色々と調べてうちに、この小物入れは、「青の小箱」と呼ばれて、ミーノと言う男から盗賊が盗んだモノだと分かった。
そして、「青の小物」と対になる色違いの小物入れ「赤い小箱」を、ミーノが今でも持っている事も突き止めた。
この二枚に千切れた地図に書かれた文字を読みとって、
「…200年ほど前に、滅んだ国の隠し財宝のありかを示す地図、」とロビンは解析した。
その莫大な財宝を手に入れる為には、何が何でもミーノが持っているもう一つの「赤い小箱」が必要だ。その中には千切れた地図の片割れが今も入っていて、ミーノ氏はその「赤い小箱」を葉巻入れとして使い、肌身離さず持ち歩いていると言う噂もある。
麦わらの一味は、その地図を手に入れる為に、ミーノ氏に近付こうと計画を練った。
* **
そう言った経緯で、麦わらの一味は「モイキリ国」にやって来た。
当初、「屋敷に押し込んで、ミーノってオッサンから直接「赤の小箱」を奪えばいいじゃねえか」とゾロとルフィは主張したが、ナミは「バカね。騒ぎを大きくすると、今まであまり人の口に立ってなかったこのお宝の話が、あっという間に広がっちゃうじゃない。それに折角地図を手に入れても、海軍に追い回されてちゃ、ゆっくり探せないわ。誰にも知られないうちに地図を手に入れて、誰にも気付かれない様に探し出して、全部、あたし達が頂くのよ」と首を振った。
「まずは、ミーノ氏が持ち歩いている「赤の小箱」をこっそりと盗むのよ」
「…誰かが、ミーノ氏の屋敷内に入り込めないかしら」
どんな手を使うか、をラウンジで話し合っている時、ロビンがちらりとサンジを見た。
「例え身元が不確かでも、コックさんの腕ならどんなに警戒が厳しい場所でも簡単に入り込める筈よ」だが、サンジと目が合った途端、「…でも、今回はその手は使えそうにないわね…」と苦笑した。
「…そんな事ないよ、」中身が変わっていないのに、以前は出来て、今は出来ない、と言われると例えロビンの言葉でも、反論したくなる。
戦闘力が下がってしまっている今、何か出来る事があるなら、多少の無理はしても、どうにかして仲間の役に立ちたい。自分が足手まといだとは絶対に思いたくない。
サンジは自分が拗ねた様な顔をしているのも自覚出来ずに、「…料理人がダメって言うなら、使用人でだって化けれるよ」とロビンに言い返した。
「…じゃ、コックさん。メイドさんになれる?」とロビンに聞き返されて、サンジはあまり深く考えずに、「メイド?…簡単だよ、掃除とか家事をやればいいんだろ?出来るよ」と答える。
「そう。じゃあ、明日、私と航海士さん、コックさんの三人でメイドになれるかどうか、調べて見ましょう」
翌日、全く繋がりなどないと装う為に、三人はそれぞれバラバラにミーノ氏の本宅に訪れた。だが、最初に訪れたサンジがいきなり採用されてしまい、ナミもロビンも門前払いを食らった。
「…まあ、募集は18歳未満って事だったもんね。ロビンは仕方ないとして私まで門前払いされるとは思わなかったわ」とナミは、苦笑いをしている。
「…どんな面接だったの、コックさん?」
「…えっと…」
船に帰ってから、三人はラウンジでサンジが煎れたお茶を飲み、おしゃべりに興じる。
サンジの姿形が自分より幼く愛らしくなった所為か、二人はまるで妹を扱う様にサンジと接し、男性としてあまり意識しなくなってきた様だ。
(これはこれで嬉しいけど…俺はやっぱり男として頼りにされてえんだけどな…)と二人に気付かれないように、そっと小さくため息をつく。
「…ええとね、執事のグーラさんって人がいて、その人の奥さんがミーノ氏の専属看護婦でもあって…」サンジは、空になっていたナミのカップに温かい紅茶を注ぎながら、
どう端的に話せばいいかを考えた。
* **
サンジは、何かたくさんの書類が整然と並んでいる、あまり日当たりの良くない小さな部屋に通された。
白髪まじりの髪を綺麗に結い上げた細面の初老の女性がサンジの真正面に、ピンと背筋を伸ばして座っている。
丸い縁の眼鏡の奥に見える細い目は、サンジを人間ではなく、何か値踏みでもする様な目つきで、不躾なほど、サンジの体をマジマジと見ている。
(…魔女みてえなオバさんだな…)とサンジはその真正面に立って、彼女の言葉を待った。
「…あなた、お名前は?お幾つ?」「名前は、…カールと言います。歳は16…だと、思います。天涯孤独なので正確に自分の誕生日を知らないものですから」
気後れする事無く、サンジはハキハキと答える。
真っ黒なワンピースを身に着けたグーラ夫人は、立ち上がってサンジの側に近寄ってきた。
そして、肌の艶でも見ているのか、息が掛かりそうな程に顔を寄せ、それから、サンジの手を取った。
「…綺麗な手をしているわね…」暫く手を眺めてから、サンジの手を離し、それから、グーラ夫人はサンジの胸の膨らみにそっと手を添えた。
(…ひ…!)男性の急所を女性にいきなり触られたのと同じくらいにサンジはビックリする。
「…初潮は幾つの時?」「え…、えと、えと、それは…」
(ショチョウ…?ショチョウって…なんだ…?)
意味がわからず、サンジはグーラ夫人の質問に答えられない。
意味がわからないのだから、何故、メイドを採用するのにそんな質問が必要なのか、それを考える余裕もなくなる。
「ま、いいでしょう。これはとても重要な質問です。正直にお答えなさい」
そう、前置きしてからグーラ夫人は、ズバリと「男性経験はおあり?」と尋ねてきた。
* **
「男性経験?それで、なんて答えたの?」興味深深、と言った顔のナミにそう尋ねられ、
「…そりゃ…正直に答えましたよ」そう言って、二人の前に出来上がったばかりのケーキを乗せた皿を並べる。
「…それから、あの…ホントにその経験があるかないかを、その…」
だんだん説明しづらくなって、サンジの声が小さくなる。
その時の自分の格好を思い出すと、今でもサンジは顔が熱くなってしまう。
(下着脱がされて、診察台の上に寝転がされて、股を覗かれたなんて絶対エ言えねえ…)
どうにか話題を逸らしたい、と考えていると妙な沈黙が三人の間に流れた。
「…処女膜でも調べられた?」
「…えッ!」紅茶を啜りながら、サンジと顔を合わせずに言ったロビンの言葉に、サンジは顔から火が出そうになり、思わず、手に持っていたポットを落としそうになった。
「…メイドを雇うのに、どうしてそんな事まで調べる必要があるのかしら…?」とロビンは首を捻る。だが、ナミは「処女じゃないと採用しないのかしら。へんなの」
「ま、いいじゃない。お宝を手に入れるのには、なんの関係もない事だもん」と、全く興味無さそうだ。
「…採用になったって事は、サンジ君はまだ綺麗な体なんだ?」
「…あ、う…うん。そ、そうなのかな…?」
ナミのからかうような視線を直視出来ず、また、真っ赤になっているだろう顔を見られるのが恥ずかしくて、サンジはナミから目を逸らす。
(なんとか、この話を終わらせなきゃ…!)と考え、
「あ、そ、そうだ。ナミさん、これ見て」
右手の袖をめくって二人の間にニュ、と突き出した。
「何それ?」
手首にはまっている腕輪を見せて、やっとナミの興味が処女膜から離れる。
ロビンも、不思議そうに身を乗り出して来た。
「貰ったんだ。悪い男から女の子を守る、お守りなんだって」「…ちょっと見せて」
そう言って、ロビンがその腕輪を取り外そうと手を伸ばす。
「…取れないんだ。手枷みたいになってて。ほら、南京錠みたい鍵がついてるだろ?」
そう言って、サンジはロビンの目の前に腕輪を翳した。
「…ホントだわ。切らない限り、取れないじゃない。それにしても…」
ロビンもナミも、サンジの腕輪をしっかりと観察する様に見たり触ったりして、顔を見合わせた。
「…この紋様、まるで目みたい。なんだか、薄気味悪いわ。この薄気味悪い感じ、どこかで見た気がするんだけど…」
「ロビンこれ、見て。この宝石も…ガラスじゃないわ。ちゃんとした宝石よ」
「ただの腕輪にしては凝った造りだし、…安物じゃないわよ、これも」
* **
「まだ年端も行かないお嬢さんの体を隅々まで調べさせてもらったお詫びと、身の回りの品を揃える為のお金です」と、給料とは別にサンジはグーラ夫人から20万ベリーほど貰った。
身の回りを整え、いよいよ明日からたった一人で、標的の懐に潜入する。
身元がバレたところで殺される様な事はないが、それでも海賊だと分かれば、海軍に引き渡されてしまう。そうなると、宝探しどころではなくなる。
「サンジ、ちょっと、渡してえものがあるんだ」
夕食を取りながら、どうやって連絡をつけるか、などと細かい事を打ち合わせしていたが、
それも大よそ済んだ時、ウソップが小さな袋をテーブルの上に乗せた。
「…なんだ、それ」「お前専用の武器だ」
そう言って、ウソップは袋から小さな銃を取り出した。
「この前、寄った島で買ったんだ。照準が狂ってたけど、それもちゃんと直してある」
「軽いし、装填も簡単で凄く扱いやすいんだ。お前にちょうどいいと思って」
そう言って差し出された銃をサンジは一応、手に取った。
確かに、手に馴染みはいい。よく磨き上げられていて、使い勝手は良さそうだ。
「…いらねえ。気持ちだけ貰っとく」そう言って、サンジは銃を置いた。
「…丸腰で行くのかよ?なんかあったらどうするんだ」と言うウソップの言葉にサンジはカチン、と来た。ウソップに気遣われた事が癪に障ったのではない。
弱いのだから武器くらい持っていけ、と言われた気がしたのだ。
「今までだって、どんな状況だって、俺ぁ、丸腰だった。たかがメイド奉公するのに銃なんか持って行けるか」
「今と前じゃ、…状況が違うだろうが?わかってんだろ」
前みたいな蹴りは出せないって。
その言葉だけは、ウソップは飲み込んだ。それがサンジには分かる。
武器を作ってくれたのも、余計な言葉を飲み込んだのも、ウソップは親切で、心配して、労わってしてくれた事だ。悪気があっての事など何一つない。
何気ない言葉一つですら、サンジが傷つき、憤り、悲しむ事を知っている。
だが、サンジはそれを素直に喜べない。
労われる事、心配される事、怪我はしないかと仲間を不安にさせる事、その全部が今のサンジには、「お前は弱い」と言われたのと同じ気がして、気に障る。
(どこまでもナメやがって…!)俺は何も変ってないのに…!
そうなると、ますます腹が立った。
「頼んでねえだろ、銃を用意してくれなんて!余計な事すんな!」
男同士なら、それでつかみ合いの喧嘩へと持ち込めた。
けれど、今は違う。刺激すればするほど、サンジが猛り立つ、とウソップは
「…わかったよ、悪かった」とあっさりと引き下がってしまう。
それがまた、まともに相手をされていない気がして、更に頭に来る。
「何イ…?!本気で悪いなんてちっとも思ってねえ癖に、口先だけで謝るな!」
それだけを言って、サンジはラウンジから飛び出した。
誰も宥めには来ない。宥めに来て欲しくないから、それはそれで構わない。
けれどそうやって飛び出した後、ラウンジではきっと「荒れ狂ってるから、鎮まるまでそっとしておこう、」と仲間がため息をついているのも、サンジは知っている。
それがまた、居た堪れなかった。
朝になったら、ケロリとした顔をしてさえいればいい。
そうすれば、誰もその事には一切触れず、そっとしてくれる。
* **
ただ、ゾロだけは、そんなサンジに最後まで付き合ってくれる。
そんなゾロに甘えたいと言う気持ちまで抑えるのにも疲れてきて、最近では、もう抵抗が無くなって来た。
宥める訳でもなく、慰める訳でもなく、当たり前に夜食を食べ、当たり前に差しさわりのない話をし、当たり前に口付けし、当たり前に手を握り、当たり前に体を寄せ合う。
いつもの様に、倉庫に逃げ込んでいたサンジに寄り添い、
「…言いてえ事を我慢して黙ってるより、ああやって暴れた方がてめえらしくていい」と
ゾロはウソップが作ってくれた銃を弄びながら、笑っている。
「…ま、自分に何が出来て、何が出来ないか、…そんなの人に言われなくてもてめえが一番良く分かってるだろ。だから、俺は別に心配はしてねえよ」
「当たり前だ。これくらいの事で心配されてたまるか」
ゾロの膝に凭れているだけで、何か温かいモノに包まれた気がして、気持ちが落ち着いてくる。
そうして、夜が明けた。
* **
「…俺、おかしな格好してる?」
昼前、サンジは一人でグーラの本宅に向かっていた。
それをナミは物陰から尾行し、様子を窺っている。
サンジは、振り返って、引き返し、ナミにそう声を掛けた。
「どうしたのよ?」
「すれ違うヤツが、ヤケにジロジロ見るから、なんか変なのかなって思って」
「俺、一回も鏡見てきてないんだ。顔に何かついてる?」
男の姿だった時、サンジは自分の姿を鏡に映さない日はなかった。
だが、この少女の姿になってからと言うもの、自分の姿を直視するのが嫌で、余程の事がない限り、
鏡は見ない。
船を降りて、港を抜け、街を歩いていると、どうも男といわず、女といわず、サンジの顔をジロジロと見ては、目が合うと目を逸らす。それどうにも、気持ち悪くて、気になって仕方がない。
襟元を直しながら、サンジはナミを見上げて答えを待った。
「…そりゃ…カワイイからよ」とナミはクスっ…と笑ってそう言う。
「支度金を給料とは別に20万ベリーも貰えて、こんな高そうな服まで用意してくれるなって…
よっぽどメイドのなり手がいないのね」
「頑張ってね。連絡、待ってるから」
ポン、とナミに肩をたたかれて、サンジは思わず苦笑する。
そして、「うん、…じゃあ、行ってくる」と言い、手を振り、その街角でナミと別れた。
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