「秋色葡萄は恋の味」


第一章 「極秘任務」




「…全く!俺は、じき、軍曹になる男だぞ!」

この島に来るまで、ヘルメッポは一体、何度その言葉を吐いただろう。
(…100回は軽く超えてるかな…)そんな事を考えながら、コビーはもう相槌も打たない。
ただ、黙って腕を組み、目的地まで運んでくれるこの島の役人が用意してくれた馬車に揺られて、その車窓から外を眺めている。

グランドラインのある海域に位置するこの島は、今、ちょうど秋を迎えていて、空は良く晴れ、風も爽やかで過ごしやすい。
辺ぴな田舎島ではあるけれど、これでも、いくつのかの島から成る国として世界政府から認められたれっきとした、「モイキリ国」と言う名の国家だ。
そして、今、コビーとヘルメッポは、ある男の別荘へと向かっている。
彼の名前は、ミーノ。もちろん、彼を私的に訪問するのではない。

「…こんな田舎島の、島役人の護衛だと?そんな任務、新兵にでもやらせとけばいいんだ」「海軍本部の軍曹となるべきこのヘルメッポ様がやる様な任務じゃない!!」
「…ミーノ氏は、島役人じゃないですよ、軍事参謀。国家の重要人物です」

それも、かつては海戦の天才と呼ばれ、退役するまで、ただの一度も敗北を喫する事無く、海軍本部の大佐にまで昇進した人物だ。齢、50歳をいくつか過ぎている筈で、今は軍事参謀としてこの国の軍事を取り仕切っている。

「それでも、本宅には殆ど帰らないで、別荘に飲み友達を大勢連れてきて毎晩飲み明かしてるそうです。睡眠時間が毎日、3時間程度らしいですよ」
「…毎晩飲み明かすぅ?50過ぎてるのにか?…」
「俺達は、そのタフな飲ベエ親父に四六時中くっついて、身辺警護をするのかよ…」
「そんなの、この国の保安官にでもやらせればいいだろ…めんどせえ…」
ヘルメッポはコビーがそう話しても納得できないのか、深く、長く、ため息をついた。

そのやるせない気持ちも、分からなくもない。
そもそも、ヘルメッポの言うとおり、こんな仕事はモイキリ国がやるべき事だ。
世界政府の、しかも海軍本部の人間が出張る仕事ではない。
第一、陸の上での一個人の身辺警護など、海軍の兵士として鍛えられてきたコビーやヘルメッポには余りにも畑違いで、全く勝手が違う。
それでも、命令が下った以上、その命令には従わなければならない。
そして、忠実にその任に就き、失敗なく、滞りなく任務を全うしなければならない。
全ては、「海軍将校になる」と言う夢を叶える為だ。手抜きや、怠惰はどんな失敗を招くかわからない。
ミーノ氏の別荘も近付いてきた様だし、(…そろそろ、やる気を出して貰わないと)と、
腰を上げるつもりで、コビーは身を乗り出す。

「…ミーノ氏の別荘で働いてた女性が数人、立て続けに行方不明になってるって聞いたでしょ?」
「その上、ミーノ氏には何通も差出人不明の、気味の悪い脅迫状が届いている…」
「次はミーノ氏を殺すって言う、その脅迫状も保安官から見せて貰ったでしょ?」
「だから、なんだよ」
同じ事を何度も言うのも、いい加減、コビーも面倒になってきていて、口調が投げやりになって来た。

ヘルメッポは、そんなコビーの態度を咎めもせず、不満げに顔を歪ませている。
轍の深いところに車輪がはまったのか、ガタガタと物音がし、少し馬車が揺れて傾いた。
膝が触れるほど狭い馬車に押し込まれている二人の体もゆらゆらと揺れる。
それで一旦、会話は中断したが、コビーは傾きが直るまで待って、話を進めた。

「…ミーノ氏は、今や、この国にとって大物政治家です。そんな人を狙う奴から、ミーノ氏を守るのは、この国の役人じゃ荷が重いって事じゃないですか」
「だから、世界政府に依頼したんです。一国家の重要人物をたった二人で守るんです」
「そんな任務に、僕達二人が選ばれた。名誉な事じゃないですか」
「犯人を捕まえたりしたら、昇進出来るかも知れない」
「だから、いつまでもグダグダ言わないで、少しは気合を入れて下さいよ」

そう言うと、ヘルメッポは「そうだな、」とは言ったが、また、退屈そうに鼻からため息を漏らした。

* **

「ご苦労様です。私は、執事のグーラと申します」
昼を少し過ぎ、夕方まではまだ時間のある時分に、二人を乗せた馬車は、目的地である別荘に着いた。二人を出迎えたのは、白髪の上品そうな老人だった。

馬車がくぐった門からはかなり奥まったところに、綺麗に、そして整然と整えられた庭が開けた。その中央には、古代遺跡を模して造られた荘厳な雰囲気の噴水があり、その向こう側に、こじんまりとした、真っ白な壁の家が建っているのが見える。外から見たところ、二階建てではあるが、さして部屋数は無さそうだ。
(…別宅だからかな…?案外、小さいな)とコビーは思った。

ところが、一旦、表玄関から中に招き入れられて驚いた。
「なんだ、これ…」とヘルメッポは呆然と目を見張っている。
(…一国の参謀になるとこんな贅沢な暮らしが出来るのか…)とコビーも驚いた。
この家具から調度品、花瓶などちょっとしたものから、照明に至るまで全てが豪奢で、目が眩みそうになるほど贅沢に設えられている。
壁に掛けられている絵などは、庶民の家が一軒軽く買えてしまうぐらいはするかも知れない。

「…今夜も、旦那様はお客様をお連れになってご帰宅されます」
「接待する女性は、外から呼びます」
「メイドでは…上流階級の殿方のお相手など、とても勤まりませんのでね」
そう言って、グーラは少し下卑た意味深な微笑を目元に浮かべた。

その怪しげな笑みを見て、(…飲兵衛ってだけじゃなくて、エロ親父でもあるみたいだな)と、会った事もないミーノと言う男をコビーは勝手に想像する。
若い女性をホステスとして呼び、この屋敷に泊まらせた招待客に対して、料理と酒だけではなく、ベッドの中でも接待させるのだろう。

執事のグーラに案内されて、二人は屋敷の中を歩き回る。
客をもてなす部屋だけでも、大小五つもあり、どの部屋もとにかく、豪華だ。
二階は客の為の寝室があり、どの部屋にもそれぞれ風呂がついている。
外から見れば二階建てだが、実は屋根裏の隅には住み込みのメイド用の部屋がいくつか
あった。客用の部屋に比べれば、ミジメなほどに狭く、天井も低くて、粗末だ。それでも、とても小さなバスタブが一つ一つの部屋に備え付けられいる。

「以前は、五人ほどメイドを雇っていたのですが、悪い噂が流れていて、どんなに高い給金を払うと言っても使ってくれと言ってくる者がいなくて、ホントに困っています」
「お二人は、こちらのメイド用の部屋を一つづつ、お使い下さい。表向きは執事見習いと言う事で…」
「わかりました。なるべく、誰にも警戒されない様、振舞いますよ。ところで、グーラさん以外にここで働いている人は何人いますか?」
コビーは毅然とそう尋ねた。
人の警護などした事はないが、一応、物慣れた風を装わないと、不安を煽ってしまう。

「お抱えのコックが一人と、メイドが一人、それと庭師です」
「ご紹介しますので、どうぞ、こちらへ」
そう言って、グーラは再び、軋む階段を降りて行く。
急で狭い階段の出口は、ドアになっていて、そこを開けると、ちょうど廊下の端に出る。

「おい、コビー」グーラの後ろを歩きながら、並んで歩いていたヘルメッポがそっと小声で「…ここのメイドってどんな娘だろうな?」と囁いてきた。
「美人だといいなぁ…」と言うのに対して、コビーは「…僕には関係ないです」と、素っ気無く答える。

「お前、まだあの子の事、忘れられないのか?」と、小バカにした様な口調で言うヘルメッポに対して、
「…一度、好きになった人を、どうにもならないからとか、忘れたいからとか言って、手当たり次第に他の女の子と付き合っては捨ててる人に口を出される筋合いはないです」
そう答えながら、コビーは普段は忘れている甘酸っぱい胸の痛みを思い出した。

(…カールさん…どうしてるかな…)

ふと、瞼を閉じてみる。すぐに真っ白な雪が脳裏に浮かんだ。
そして、その真っ白な景色の中、あざやかに赤いコートを着た、可憐で勇ましい初恋の
少女の姿が浮かび上がってくる。

すぐに目を開いても、一度蓋を開けて開いてしまった思い出の詰まった箱からは、次々とあざやかに中の宝物が心の中に飛び出してきて、自分ではもう止められない。

自分は弱いと、好きな女の子の前で泣いてしまった事もコビーは忘れられない。

どんなに言葉遣いが悪くても、好きだった。
敵味方である海賊だと知った今でも、やっぱり好きだ。
一緒にいたのは本当に短い時間だったのに、誰かを心から好きになる甘い恋心を全部奪われて、
持ち逃げされたかと思うくらいに、たった一人、カールだけを大好きなままでいる。

交わした言葉、全部を覚えている訳ではないけれど、忘れたくても忘れられない言葉も
たくさんある。

「本当はすごく、こわかったんだ。でも、」
「君が死んじゃうと思ったら飛出しちゃった。ごめん。」

その時のカールの声、表情を思い出す度、胸が甘く疼く。

「…彼女に一回でも会えたら、…今度こそ、好きだって言いますよ」
「それから先どうするかを考えるのは、ただの妄想でしかないですから」
「せめて、あなたが好きですって言うくらいは、今の僕なら絶対出来ます」

カールが好きだ、と言っておいて、すぐに他の女の子にちょっかいを出して、だらしない女性関係を続けているヘルメッポに、コビーは厳しい口調でそう言った。

ヘルメッポの口から、カール、と言う言葉が出るのさえ、コビーは純粋な恋心をからかわれた気がして許せない。

「…はっ…」だが、ヘルメッポはそんなコビーの気持ちを鼻で嘲笑う。
「そんな事だから、お前は童貞なんだ。いいか?もし、再会しても、あっちは海賊女なんだぞ?」
「お前がそんなに想ってても、今頃、絶対とんでもないアバズレになってるって」

そんな事を話していると、いつの間にか外に出ていた。
噴水のある庭ではなく、屋敷の裏手だ。表側の庭と違って、こちらは素朴な、ちょっとした田園風景が広がっている。
「裏庭には、色々と果物や野菜を植えています。今、ちょうど、メイドもコックも多分、
庭の方に…」と、グーラは足早に歩いていく。

背の低い葡萄の木が植えられた一角に、小さな背中が見えた。
「ああ、やっぱりここにいました。当家のメイドです」とグーラはそう言って二人を振りかえる。

「あの髪の色…」コビーは思わず、そう呟いた。
向日葵色の髪の色、抱き締めたら折れそうな華奢な背格好。
それを見て、コビーの足も、呼吸も止まる。
同時に、ヘルメッポの足も止まった。ただ、二人の心臓の鼓動だけが早くなる。
「嘘だろ…」瞬きが出来ない。

早く、振り向いて欲しいのに、メイドは葡萄の品定めに夢中なのか、
全くコビーとヘルメッポの視線に気がつかない。

「…葡萄はよく熟れてるかね?」グーラが、やけに優しげにそのメイドに話しかける。

秋風が葡萄畑に吹きぬける。乾いた葉っぱがカサカサと鳴った。
耳も、目も、体に備えられている、何かを感じる器官、全部が目の前のメイドに向いている。
そんな感覚で、コビーは息を詰めて、メイドが振り向くのを待った。

「…ムッシュ、グーラ…その人達は?」




振り返った、真冬の青空と同じ色の目が不思議そうに自分を見ている。
実際には、ヘルメッポも見ているのだろうが、その時のコビーにはそうとしか思えなかった。
その声、その顔、ずっと忘れられなかった、たった一度でもいいから会いたいと願い続けて、思い続けていた、カールが目の前にいる。

熱く熱された血液が、全身を駆け巡る。喉に何かが痞えて、声が上手く出ない。
落ち着きなく、手が勝手に戦慄く。

まるで、早く、目の前のカールを抱き締めたい、とでも体が叫んでいる様に。

戻る     続く