「夢の足跡」番外編。


光りが消えた。

そこにいた、サンジはもういない。

黒い服を来たゾロは、まるで夢を見ていたかのような錯覚に囚われた。

だが。

この空間には、確かに 懐かしく愛しい人の口に何時も咥えられていた煙草の臭いが
仄かに香る。


(・・・・ああ、夢じゃねえ。)

そして、自分は彼に叫んでいた事を思い出す。

「きっと、未来は変えられる。お前に新しい未来を」
「共に夢をかなえる未来を生きてくれ。」


彼が新しい未来を生きてくれたところで、サンジが自分の側に帰ってくるわけではない。

ゾロは今更ながら、激しく後悔した。
やはり、いなくなって見ればサンジがサンジである事に変わりがなかった事に
気がついた。

当たり前だ。

なぜなら、過去からやってきた彼に心惹かれたのだ。
その気持ちに抗うのが辛かったのだ。

そして、自分にそんな思いをさせる人間は、未来永劫、サンジしかいないのだ。


「サンジ」と言う人間にどうしようもなく魂を奪われ、そして彼は
2度も自分の心を握りこんだまま、永遠に触れられない遠いところへ行ってしまった。


過去が変っても、今の自分が置かれているこの運命が変ることはないのだろう。
それならば、いっそ彼には会わない方が良かったのかもしれない。

既に彼の温もりが去った寝床に潜りこみ、ゾロは悲しみだけに満たされた心を
持て余しながら、何時の間にか まどろんだ。


ゾロ。


ゾロ。


ここだ。


おい、大剣豪。


お前の目は節穴か。


ゾロ。


どこか、遠いところからサンジの声が聞こえる。

ああ、自分は夢を見ている、とゾロは視界一面真っ白な空間に佇んでいる世界の中で
自覚した。


ここだ、ゾロ。


霧の中から、声が聞こえる。


思わず、その方向へ顔を向ける。

ゆっくりと霧が晴れ、蒼い空と蒼い海と白い砂浜がそこにあった。

そして。

蒼いストライプシャツを着た、愛しい人が笑いながら、自分の名を呼んでいる。

夢だ。
これは夢なんだ。

そう思っていても、駆け出さずにはいられなかった。
そして、抱きしめずにはいられなかった。


抱きしめた感覚が確かにある。
僅かに香る、汗の臭い。
タバコの臭い。

そして、自分の背に回された腕の圧力。

夢にしてはやけにリアルだった。

(夢じゃねえのか・・・?それとも、俺も死んだのか・・?)
それでもいい、とゾロは思った。

「死んだんじゃねえよ、バカ。」
自分の心を見透かしたように、腕の中でサンジが笑った。


「俺が帰ってきたんだよ。なんでかわからねえけど。」


「どういうことだ・・・?」ゾロはサンジを抱きしめたまま、尋ねた。

だが、それ以上話せない。
もう、胸が一杯で、このまま時が止まればいい、と思った。

サンジはゾロを抱く手に力を込めてきた。
「ほら。ちゃんと感じるだろ、俺が生きてるって事。」
胸と胸を合わせれば、そこには鼓動さえ感じた。

そして、温かかった。

夢なのか、現実なのか、ゾロには判らなくなって来た。
夢なら、覚めないで欲しい。ずっと、この夢の中にいてもいい、と思った。

「ダメだろ、お前は俺の夢を継いでくれたんじゃねえのか。」
何も話さなくても、サンジにはゾロの心が判ってしまうようだった。

自分の声で話したい、と思った。
だが、言葉が出てこない。
ただ、ただ、腕に力を込めてサンジを抱きしめる以外に出来なかった。

サンジは、何も言わないゾロの口にそっと唇を寄せてきた。

重ねた唇の感触も温度も、未だに忘れられなかった物だった。

「もう、哀しむなよ。俺は何時でもここにいる。」
サンジは唇を離して、ゾロへ真っ直ぐな視線を向けてきた。

その蒼い瞳を見た時、ゾロの瞳に突然涙が溢れた。

二人が運命に引き裂かれた日、サンジの瞳は薄く開いたまま、光を宿さなくなった。
その澱んだ蒼が痛々しくて、自分の掌で永遠に閉じてしまった。
その時のことを思い出したのだ。

「・・・ここって、ここは一体どこなんだ。」
ゾロは零れ落ちた涙を拭う事もせず、サンジに尋ねた。


「お前の夢の中さ。」サンジは即答した。

「お前が望めば、何時でも会える。昼でも、夜でも、俺は何時でもお前の側にいる。」
「ずっと、お前のそばにいる。」
「お前をずっと見てる。」サンジは、よどみなく答える。

自分が望んだ夢を見ているのだろうか、とゾロは思った。
それなら、それで構わない。

「お前は、俺の心の中で生きてるって事か。」ゾロは呟いた。

サンジはその言葉を聞いて微笑んだが、何も言わなかった。

「俺はただ、体が無くなっただけって事だ。」サンジはそう言って体を離した。

「だから、お前が俺の夢を叶えてくれるまでずっと守ってやる。」
サンジがそう言うと、はっきりとしていた風景が霞みはじめた。

霧が流れていくように、海も、空も、サンジの姿も白くかき消していく。

また、引き離されてしまう、とゾロは思った。
「もう、離れたくねえっサンジっ。」必死で声を振り絞り、
霞んでいくサンジに届くように声を限りに叫んだ。

「サンジっ」


「お前はまた、俺を置いて行くのかっ」

静かに、やさしい声がゾロの耳に届いた。
風に乗って運ばれてきたような、不思議な響きだった。
その神秘的なサンジの声は


「もう、どこへも行かねえよ。」


「側にいるから安心しろ。」



それでも、ゾロはサンジの名を叫んだ。
涙が溢れて止まらなかった。


自分の声で、ハッと目が覚めた。
頬に幾筋も涙の跡がある。


(・・・・夢・・・・?)

ゾロは両手を眺めてみた。
サンジの細い体を抱いた感触が確かに感じられた。
熱い鼓動も、冷たく滑らかな唇の感触も。

夢にしては余りにも生々しい。
しばらく、呆然とジッと自分の中に残るサンジの感触を思い出していた。

ふと、ゾロは視界の端で、窓辺のカーテンが風も無いのに、僅かに揺れたのを捉えた。

そして、そこに視線を向けた。


やさしい笑顔を浮かべてそこに佇んでいるような姿が見えたような気がした。

「・・・そこにいるのか、サンジ・・・・?」

ゾロは、思わず、感じた気配に声をかけてみる。

答えは無い。

だが、ゾロは確かに感じたその気配に向けて微笑んだ。
「お前はそこで、俺を見てるんだな・・・。」


体は無く、声も無い。

だが、ゾロは確かに自分の側にいるサンジの気配を感じ取った。

それは、幽霊とか、亡霊とかそう言うものではなく、ただ、サンジの魂が
ゾロの魂にだけ触れるような、そんな存在らしかった。

「お前が側にいてくれるなら、これ以上哀しむ事はねえな。」
ゾロはその影に向かって語り掛けた。


体が無くても、言葉を交わさなくても、想いは変らない。

この不思議な現象は、きっと過去から来た彼を巻きこんだ時間の歪みの産物かもしれない。

ゾロはそう思った。

夢の中でサンジに触れ、言葉を交わすことが出来、
おきている時はサンジの気配を感じる事が出来るのだ。

彼には感謝しなくてはならない。


ゾロは今度夢の中のサンジに過去から来た彼のことを話してやろう、と思った。


その日から、大剣豪ロロノア・ゾロは黒い服を脱ぎ捨てた。
「海賊狩り」と呼ばれていた、あの頃の服を身につけたのだった。

もう、「喪服」を着る意味がないのだから。


恋しい人は、何時でも側にいるのだから。

魂の行方