一口、口に含んだその雫は、少し温かい水そのものだった。
何口かまた無意識に啜って、それが喉を通過した時、ゾロは「はっ」と我に返る。

(俺はナニやってんだ)
サンジの汗を舐めて、喉を潤すなど、(正気の沙汰じゃねえ)、と思った。

叩き起こして、どうにか水を飲ませたいのに、余程眠いのかサンジは朦朧としている様で、
揺さぶっても、頬を叩いても目を覚まさない。

(これだけ無防備で、俺に体を預けきってるって事は、)
(俺に何もかも許すって事じゃねえのか?)
さっき、頭の中で(どうにかしないと、破裂しちまうぞ)と言ったあの声の、
何かが、またゾロの頭の中で小声でそう囁いた。

(・・・この状態が、そうなのか?)とゾロは、自分の声に似たその頭の中の声に
恐る恐るそう尋ねてみる。

(ホントに辛いとして、この意地っ張りがお前の腕の中で大人しく寝てると思うか?)

どこか欲望むき出しに聞こえるその声は、ゾロにそう尋ねてくる。
(いや・・・ホントに辛エなら、余計に俺に縋ってくる事はねえな)とゾロは
バカ正直にその欲望の声に答える。

(その意地っ張りが、こんなに素直に体を預けてるんだぜ?)
(嫌なら、這ってでもお前の側から離れようとするヤツが、だ)
欲望の声はゾロにそうそそのかす。

ゾロはその欲望の声を否定せず、耳を傾け、思わずその意見に頷いてしまう。
(そうだな・・・)

熱が高い訳でもなく、ただ汗を垂れ流して眠たがっているだけだ。
ゾロがしたい事をするのに、なんの支障もない、といえなくも無い。
これが最初の一回目でなければ、きっとなんの躊躇いも迷いもなく、ゾロは自分の欲望の声に従っていただろう。

もし、サンジが寝ぼけているこの状態で、コトを進めたらどうなるのか。
ゾロは欲望の声に一度耳を塞いで考えてみる。

もし、さっきの様にサンジの首筋を伝う雫を唇で掬い、ただ、不器用に抱いている腕を
解いて、掌でサンジの濡れた皮膚を自分の愛撫したい様に淫らに撫で回したら、
サンジはどんな反応をするのだろう。

ゾロの脳裏にその時の映像が浮かび上がる。
重たげな瞼を開いて、サンジはきっと自分を見る。
細く見開かれた目が、ゾロを見上げる。その目には、軽蔑と怯えと、戸惑いの光が宿っている。そして、次の瞬間、その光はゾロの心を罪悪感で塗りつぶす。
そんなゾロをサンジは同情を篭めた目で見て、観念したかの様にまた眼を瞑る。

(ダメだ・・・)
サンジに蔑まれ、拒絶されるくらいなら、どんなに肉体的に辛くても堪えるべきだ。
そうゾロは思い直す。すると、(意気地が無エ、)と欲望の声がゾロを罵倒する。
(やかましい。俺は俺のしたい様に、したい時にヤる)
(俺が、こんなに迷ってるって事は、今はヤる時じゃねえって事だ)
ゾロはそう言って、欲望の声を黙らせた。

(水を飲ませねえと・・・)
サンジを抱いているゾロの腕も、もうぐっしょりと濡れ、床にまでその水が滴り落ちて、
床に染みを作っている。
コップに二杯飲ませたけれど、もうそれ以上の水分はもうとっくにサンジの体から流れ出てしまっている筈だ。

「くそ・・・意地でも飲ませてやるからな」
ゾロは自分を励ますつもりでそう呟いた。
起こしても起きず、それでも水を飲ませたいなら、方法は一つしかない。

ゾロはコップの水を自分の口に含んだ。
ほんの僅かに開かれているサンジの唇を数秒、じっと見つめる。

まだ、接触していないのに、体が覚えている感覚をゾロは自分の唇に感じた。

体温を分け合うようにして掌を重ね、そこから染み込んで来る温もりで心臓が熱くなる。
柔かく、優しい熱で温められた血液が全身を駆け巡り、その心地よさが幸せで、
それを伝える言葉の代わりに唇を重ねる。
その瞬間に、体の中に甘く痺れる様な感覚が走る。

まだ唇を触れてもいないのに、ゾロはその感覚を思い出してしまった。

口移しで水を飲ませて、(それで済むか・・・?)とまた自問自答する。
そして、またすぐに自分を励ます。
(済むに決まってる)ゾロはぐっと一気にコップの中の水を自分の頬一杯に含んだ。

そして、サンジをもう一度、抱きなおす。
唇を押し当てて、ゆっくり、ゆっくり口に含んだ水をサンジの喉が詰らない様に注ぎ込んでいく。
目を閉じると、本当に接吻している気になってしまうので、ゾロは目を開け、
眠っているサンジの顔を、閉じているなだらかなサンジの瞼や、睫毛の生え際を見つめた。

サンジの喉が小さく「・・・コクン」と上下して、水を飲み込む。
ゾロの頬を膨らませていた水は、半分程減った。
水を飲み下して、サンジの表情が僅かに和む。

その表情を見て、
(・・・こいつ、ちゃんと俺だって分ってるんだろうな)とふと、ゾロは怪訝に思った。
もしも、自分ではなく、ウソップやルフィに、こんな風に口移しで水を飲ませてもらったとしても、やっぱり、こんな風に安心しきった顔をするのか。

そう思った時だった。
「・・・このマリモ水、美味エな」
サンジが眼を瞑ったまま、楽しい夢を見た、寝言の様な声で言う言葉にゾロの
心と体はギュウ、と刺激される。
思わず、半分だけ残っていた口の中の水をゴクリと飲み干してしまった。

「・・・てめ・・・、いつか、この貸しは返してもらうからな」
こんなにサンジを傷つけまいとして、我慢に我慢を重ねているのに、サンジは
そんな事、全く感じてもいない。
それが恨めしくて、ゾロは思わずそう呻いていた。

汗を拭い、水を飲ませるために抱き起こし、また寝かせて、汗を拭う。
その都度、強烈な性欲を掻き立てられ、その度に欲望と戦った。

日が暮れて、サンジの発汗も大分少なくなり、代わりに少しづつ、体温が上がり始める。
体の中の変調を修正する為に、ゆるやかな微熱が出てきたのかも知れない。
(腹が減ったな・・・)そう思ったけれど、まさか起こしてメシを作れ、とも言えず、
ゾロはまだ目を瞑ったままのサンジの顔を見ていた。
サンジの汗が引いていくのと比例して、自分の中のあの、制御しづらい欲望も薄れていく。

サンジの瞼が僅かに震えた。
それを見た途端、ゾロの腹が情けない、カエルの鼾の様な音を立てる。

その音でサンジははっきりと目を覚ました。
「・・・腹、減ってんのか」とサンジに聞かれ、ゾロは平然を出来る限り装い、
「まあな。でも、まだ辛抱できる」と答える。
「それより、・・・どうなんだよ。気分は」ゾロがそう尋ねるとサンジは起き上がりながら、
「・・・まあ、なんとなく熱っぽい気もするが、じきに下がるだろ・・・」と答えた。

どことなく、サンジは気恥ずかしそうにしているが、それは、裸に近い格好をしているからなのか、それとも、自分が寝惚けていた時の事をなんとなく覚えているからなのか、
ゾロには分らない。
だが、とりあえず、いつもと代わりない調子で言葉が交わせる状況に、
思わず、「・・・ふう・・・」と安堵のため息が漏れた。

サンジは自分の荷物から気だるげに服を出し、それを身に着ける。
大量の汗を流した所為で、眠っていたとは言え、相当疲れているのが見て取れた。
「メシはまだいい。もう少し、横になってろ」

そう言っても、こんなに腹を鳴らしていたら、サンジはゾロの食事を作ろうとする。
それが分っていても、ゾロはもう少し、サンジと二人きりで、濃厚な性欲の空気が薄れて、
程よく甘い空気が漂っているこの男部屋にいたくて、無駄を承知でそう言って
サンジを引き止めた。

まるで、風呂上りで逆上せた様な顔をして、サンジはゾロの顔を見る。
ほんの数秒、じっとゾロの顔を見て、そして驚いた事に「・・・そうする」と言って、
ソファに腰を下ろした。

ゾロに言いたい事がある。けれど、どうもそれを口に出すのが照れ臭い。
サンジの落ち着きのない目や、妙に少ない口数、それから、ゾロと同じにこの男部屋から
出たくないのか、なんとなく歯切れの悪い行動が、サンジのそんな気持ちをゾロに物語っていた。

「マリモ水、飲むか」ゾロはそう言ってサンジに軽口を叩く。
不器用で、意地っ張りが災いし、本当に言いたい言葉を言えずに困惑しているサンジが無性に愛しい。
今、軽口を叩いた自分のこの口調も、サンジを見る眼差しも、誰にも与えた事がないくらい、温かで穏やかだとゾロは自覚出来る。

サンジは何も答えず、突っ立っているゾロを見上げた。
その顔は、サンジらしくない、必死でどこか切羽詰った表情だった。
自分の言葉一つで、今まで築いてきたモノを壊し、
これから築いていくモノの形を作ってしまう。
その一声を出すのが怖いのか、唇は引き結ばれたままだ。

(こいつ、ホントにアホだな)
サンジのその顔を見た途端、ゾロの腹の中からは、優しい笑いが込み上げてきて、
思わず心の中でそう呟いていた。

どんなに隠そうとしても、無駄だ。
今のゾロには、言葉に出さなくても、サンジの表情でその心の中を、見通すことが出来る。

大事だと想える相手を大事に腕に抱いて、その体温の記憶が体に残っている間だけ、
その相手の心を見通す力を得る事が出来るのかも知れない。

(あれだけの我慢と辛抱、これくらいの報酬がなきゃ、割に合わねえよな)
そう言って、サンジの必死な顔を隠してやるつもりで、小さな頭を引き寄せて、
胸に押し付けてやった。
それも嫌がる筈なのに、サンジはゾロの腰に腕を回し、黙ったまま、じっとその胸に顔を押し付けている。

ゾロは、サンジに言葉ではなく行動で、サンジを大切に想っているかを伝える事が出来た。
それをサンジは幸せだと思い、そう思える事をゾロに伝えたいと思っている。
だが、「ありがとう」と言う感謝の言葉も、ゾロの気持ちがとても「嬉しい」と想う気持ちも素直に口に出せず、ゾロの体を抱き締めているだけだ。
(ま、気長にやるしかねえな)そう思いながら、ゾロはサンジの髪を撫でた。

得体の知れない熱い、淫らな空気に巻かれて、欲望のままサンジを抱いてしまっていたら、
「俺のものだ」と言うように、サンジが自分の体を抱き締める事は絶対になかったとゾロは思う。

サンジの手を傷つけた棘のある、あの野菜はこの島の特産物で、
葉の汁をほんの微量を肌に染み込ませただけで、肌がしっとりと濡れる作用を発揮する。
体の水分を強引に皮膚から染み出させる、と言う激しい肉体の反応に伴う痛みや不快感を
緩和する為に、その汁には微量の睡眠作用のある成分も含むよう、品種改良もされていた。

その肌を濡らす水分には、雄を刺激する成分も分泌され、水分が蒸発していく際、
その雄の性欲を刺激する成分も一緒に揮発する。

サンジは葉を毟っている間にその汁の、かなりの量が手や指にしみこんでしまった所為で、
当然、睡眠作用も強く働き、汗も大量に流れる。
汗が大量に出れば、雄を刺激する気体も大量に分泌される。
それが男部屋を満たし、ゾロを刺激した。

だが、そんな事は、今の二人にとって本当にどうでもいい事だった。

そんな出来事のおかげで、少しだけ二人の距離が近づき、少しだけゾロは利口になる。

言葉を使わなくても、体温を感じていれば、相手の心の温度が分かる。

サンジの温もりをいつでもこうして感じていられたら、その心の中にある、
嬉しい事、幸せだと思う事、そしてきっと辛い事も、哀しい事も、いつでも全部、
見通せるような、そんな気さえした。

それはまだ、唇を重ねた回数を、まだ片手で数えられた頃の事だった。

(終わり)




最後まで読んで下さってありがとうございました。

なんとなく、「あせまみれでくったりしてるサンジ」を書きたくなって。

BGMは、二年前にアカペラで歌った歌でした。


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