唇を重ねた回数を、まだ片手で数えられる。
なんでもない出来事が、時に自分達の間には何か特別な絆があるのだと思えたり、
逆になんでもない出来事や言葉が不安になって、何もかもが心細く思えたり。
お互いが、そんな想いを抱えていた。
その癖、二人とも、それを口にも態度にも出さずにいた。
言わなくても伝わってしまう、と言う事すら知らずにいた頃だった。
「なにしゃべってるのか、全然分からねえ」
船に帰りつき、キッチンに荷物を運び込んだ途端、
サンジはそう言って、呆れたようにため息をつく。
そう言いながらも、サンジは航海に必要な食材を買って、仲間より一足先に船に帰って来た。
ログに示されたその島に着いたのは、一昨日だ。
酷い方言で、しかもかなり早口で話す為に、島民の話している言葉が半分以上よく理解できない。
買い物最中、サンジはずっとそれに辟易していた。
「日にちで言うと、おおよそ10日か。こんな草まみれの田舎島で退屈なこった」
頼まれもしないのに、サンジの買い物に付き合い、その大荷物を担いで帰って来たゾロが
キッチンでとりあえず、荷物を床に下ろしながら、大仰にため息をついた。
「・・・退屈なら、さっさと皆と合流しろよ」サンジはそう言いながら、口に銜えていた煙草に、
風でか弱い火を消されないように左手で右手を覆い隠す、見慣れた仕草で火を着けた。
そして、大きく息を吸い込み、ため息にも聞こえる細い息をふう・・・・と吐き出し、
「俺ア別に一緒にいてくれ、とは一言も言ってねえからな」と、ゾロの顔を見もせずに言う。
サンジのその言い草を聞いて、ゾロは思わず腹の中だけで(・・・ふん)鼻を鳴らす。
「てめえの指図なら意地でも荷物もちなんかするか」とだけ強がってみる。
「俺は、俺のしたい事をやってるだけだ」
そう言うと、既に床に座り込んで、ゾロが持って帰って来た荷物を解き出したサンジが
ニタニタと笑いながら椅子に腰掛けていたゾロを見上げ、
「俺の荷物持ちがか」と意地悪く聞く。
「こんな田舎島でウロウロするより、船の中で昼寝でもして、体ア鍛えてる方が有意義だって
思ったから船に帰って来た。ついでに荷物を持ってやった。それだけだ」とゾロは答える。
ゾロが船に残る、と聞いて安心したのか、嬉しかったのか、サンジの気持ちはゾロには分からない。
ただ、「船の中で昼寝して、体を鍛える」と聞いた途端、野菜を縛っていた縄を解く手の動きや、
目の輝きが晴れやかになった。
仲間は、皆、島に上陸して、それなりに楽しんでいる。
今夜は、昨日泊まった宿で過ごす、とナミが言っていた。
だから、船には誰も帰ってこない。少なくても、明日の夜までは二人きりだ。
(・・・と、言って別に・・・)
ゾロは、サンジが買い求めてきた野菜の葉っぱを器用に茎からもいで行くそのしなやかな
手つきを見ながら、漠然とこれから夜にかけてどう過ごすかを考えてみる。
(滅多にねえ機会なんだがな・・・)とゾロは思う。
誰に憚る事も無く、二人きりでいられる。
それは、ゾロにとっても、サンジにとっても、とても貴重で、大切な時間の筈だ。
その証拠に、今朝からずっと、サンジの機嫌も良く、その表情はとても和やかで、晴れやかだった。
だからこそ、一緒にいて楽しく、瑞々しい時間を持てたのに、
今以上の進展を急に求めたら、きっと、気まずい雰囲気になるに決まっている。
(こんな機会を狙い済ましてたみてえだし、物凄く飢えて、がっついてるみてえに)
サンジに思われる、蔑まれるのも、不本意だ。
いくらサンジの温もりや、肌の感触に憧れ、飢えていると言っても、
その「飢え」に気付かれたら、サンジはきっと「同情」でゾロが飢えているモノを与えようと
する。同情で与えられる様なモノをゾロは欲しいとは思わない。
サンジが与えたい、と思ってくれるまでいつまでだって待つ。
サンジは、口付けの度に、自分の腕の中で怯えたように体を強張らせ、どこか、
体が痛むのを堪える様な顔をする。
だから、ゾロはサンジの顔から、その表情が消えるまでは、抱擁と口付け以上の事はしない。
そう心に決めている。
「いてっ!」
サンジはいきなりそう悲鳴を上げて、野菜の茎を床に放り出した。
そして、右手の人差し指の背に慌てて口を押し付ける。
その野菜の茎の根元に、大きな棘があった。
それがサンジの手を傷つけたらしい。
「クソ、あの八百屋・・・こんな棘の事、なんにも言ってなかったゾ」とサンジはブツブツ
言う。ごく自然にゾロはサンジのその傷ついた手をとって、ごく自然に傷から流れる血を布で拭い、
ごく自然に、サンジはそのゾロの行動を受け入れていた。
「言ってたが、聞き取れなかったんじゃねえのか?」と言うと、サンジは「・・・そうかもな」と
忌々しそうに答えた。
それから数時間後。
サンジの体に異変が起こった。
ゾロの夕食を作った後、急に「眠い」と言い出し、その場に突っ伏して寝ようとする。
相当に強烈な眠気に襲われた様だった。
男部屋のソファの上で横になるなり、失神したのかと思うくらい早く寝入ってしまった。
それだけではない。
サンジのシャツはまるで、雨に打たれたかの様にぐっしょりと濡れている。
熱は無いが、凄まじい発汗だった。
額からも汗が滴り落ち、それを拭っても拭ってもキリがない。
呼吸は格別苦しそうではないが、びしょぬれのシャツが重たそうで、しかも冷たそうだ。
「おい、脱げ。体が冷えちまう」といって揺さぶっても、サンジは全く目を覚ましそうにない。
(一体、どうなってるんだ・・・?)とゾロは動揺した。
(とにかく・・・これだけ水分が体から流れ出たら、それだけ水分がいるはずだ)と
飲料水をサンジの側に運び込む。
「おい、起きろ」水を飲ませないと、これだけ大量の汗だ。
いずれは脱水症状を起こすか、血液の濃度が高くなりすぎて、血管が詰まってしまう。
(こりゃ・・・汗って言うより、水分そのものじゃねえか)
サンジを抱き起こし、その顔も髪も濡らしている汗を自分の手で拭ってゾロはそう思った。
なんとか、唇にコップを押し当てると、意識もないまま、サンジはそのコップを両手に
持ち、ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲み干す。
「・・・はあ・・・・」と暑そうなため息をついて、力なくカラリと床にコップを落とした。
ゾロの心臓が妙に高鳴ってくる。
心臓がドクン、と大きく鳴る度に、股間に向って熱を孕んだ血液が押し流されていくのを
はっきりと感じた。
(・・・妙だな・・・・っ!?)
サンジの体にはまるで骨が入っていないかのように頼りなく、なよやかに、自分に体全てを預けきっている。
汗で濡れたシャツをどうするか、迷いあぐんでいたはずなのに、勝手に手が動いて、サンジのシャツを剥ぎ取っていた。
平熱のまま、汗だけを体中から滴り落とすサンジの体を抱いて、ゾロは途方に暮れた。
水をどうにか飲ませようとしているだけなのに、心臓が脈打つ度に、股間の昂ぶりはますます膨らんでいく。
汗を拭う毎、サンジの吐息を聞く毎、自分の腕の中で濡れる体を持て余してサンジが体を捩る度、
ゾロの心臓と股間がドクリと鼓動を打つ。
性欲など全く感じていない筈だ。なのに、呼吸をすると、なんだか桃色に色づいた空気を吸い込んだかのように、猛烈に発情する。
自分の体の欲望だけがどんどん膨らみ、本来頭に回るべき血液が全部、股間に流れてしまったかの
様に、思考が全くまとまらない。
気が付けば、サンジの下半身を覆う着衣まですっかり剥いでいて、
どうにか下着一枚残した姿にしてしまっていた。
ならば当然、サンジはそんな格好で、無防備にゾロの腕の中にいる。
目に見えている映像は、夢に思い描いた光景なのに、どうやってシャツを脱がせ、
どうやって、こんな姿にさせたのか、ゾロはその過程を全く思い出せない。
(クソ、なんだ、こりゃっ)
一体、どうしてサンジの体からこんなに汗が出て、それを見ているだけでこんなに、
かつて感じた事も無いほど、猛烈に股間が刺激されるのか、ゾロには全く分からない。
どうにでもしてくれ、とでも言うようにサンジの体から力が全て抜けきっていて、
ゾロの腕の中で艶々と濡れながら眠っていて、自分の股間はギンギンに張り詰めていて、
今にも破裂しそうになっている。それだけは紛れもない現実だ。
下半身に回っている血液が「ここはもうイッパイだから他に回ろう」とでも言うように、
だんだんゾロの体を逆流し始める。
やがて目も熱くなり、喉も渇いてきた。きっと、目ん玉もギンギンに充血しているに違いない。
(・・・クソ、)そうなると、サンジに飲ませる為の水よりも、後から後から溢れ出てくる
サンジの体から出る水分がまた、ヤケに美味そうに見えてくる。
(・・・クソ、なんだってんだ・・・!)
「サンジから、求めてくるまでは」と決めた鉄の意思と、自分を律する事が出来る鋼の根性も、
得体の知れない雄の欲情を抑えるには役不足らしい。
欲情と、サンジを本当に大事に思う気持ちがゾロの心の中で激しく葛藤する。
サンジを抱いていると、股間は膨らむ一方で、痛くさえある。
それならソファに寝かせるなりして腕の中から離せばいいのに、それすら今のゾロには
ままならない。
我慢すればするほど、自分の心臓がドクン、ドクン、ではなく、キュウ、キュウ、と切なく軋む様な音を立てているような気さえする。
それでも、サンジの体を離せない。サンジの体から流れる汗を自分の体で受け止めたい。
自分の服がずぶ濡れになろうが、ゾロは全く構わなかった。
目を覚ましてくれたら、こんな心と体がバラバラになっている苦しさを感じなくて済む。
それに水を流れた汗の分だけたっぷり飲ませなければならない。
だから、ゾロはサンジの耳元で必死に怒鳴った。
「おい、水だ!水飲め!それから、起きろ!」
何度目かにようやくサンジの目が開く。
それでも、とても眠そうで、とにかく瞼が重たげだ。
「・・・喉が渇いた」そう言った途端、またトロトロと、眠ろうとする。
どうにか抱き起こしても、ゾロの腕の中にいると分かっているのに、嫌がりもせず、くったりと
ゾロの肩に頭を乗せて、目を閉じた。
「当たり前だ。汗まみれなんだからな、水を飲むまで寝るな!」とゾロは今、出来うる限り強気な声でまた怒鳴った。
だが、余程眠いのか、サンジは僅かに「・・・う・・・ん」と苦しそうに小さく喉を鳴らしただけで、ゾロに体を預けたまま我から動こうとはしない。
少し首を傾けたら、吹き出る汗にしっとりと濡れたサンジのうなじがゾロの目に飛び込んでくる。
一際、心臓が大きく高鳴った。
途端に股間に痛みが走り、思わずゾロは「う・・・」と呻いてしまう。
(どうにかしないと、破裂しちまうぞ)と頭の中で、酷く切迫した声で、何かが囁いた。
少し上気したサンジの首筋の皮膚が目に眩しい。そう思ったら、口の中がカラカラに乾いている事にゾロは
気付いた。
サンジの汗が一滴、ツ・・・と一滴、目の前の濡れた皮膚の上を滑り降りていくのを、
ギンギンに血走って痛む目で追う。
チュ・・・と小さな音を立てて、ゾロは無意識にその一滴を口に含んだ。
唇に、舌先に、その水分の潤いだけではなく、初めて触れるサンジの皮膚の温もりと柔かさを
感じる。頭の芯が痺れて、脳味噌が甘く揺れた。
(続く)