David Horowitz との 討論 (1)
Mark A. LeVine
HNN - History News Network [original article]
Posted on April 13, 2006
LeVine 氏は、The University of California, Irvine で、現代中近東の 歴史、文化 および イスラム研究を [専攻する] 教授であり、次の 近刊書籍の 著者である。 "Why They Don't Hate Us: Lifting the Veil on the Axis of Evil" "Overthrowing Geography: Jaffa, Tel Aviv and the struggle for Palestine, 1880-1948" 彼は また、Viggo Mortensen や Pilar Perez と ともに "Twilight of Empire: Response to Occupation" に 寄稿している。 彼は HNN blogger の 1人である。
最初、David Horowitz が 右翼知識人の 「巨人」として 著した その 新刊書 "the Professors" の中で、私を U.S.A. における 101人の 非常に危険な 教授の リストに 含めたと 聞いて、自分としては とても 気に入った。 ネオコン (the neoconservative movement) の 先達の 1人から このような名声を 受け取ることは、つまりは、名誉であった。 しかし 私の このウヌボレも、先週 彼も 参加した Mother Jones Radio (Mojo) での 討論で、彼が 実際には 私の本や 学術論文を どれも 読んでなくて、ただ 私の website と たぶん Mojo に 載ったものを 1つ2つ 精読しただけで あったことから、わずかな 迷いも なく、すぐさま 地上へと 引き戻された。 実際、彼は 本の中で 私について 現実に 「調査」をした 学生の ことさえ 知らなかった。
これは まちがいない - U.S.A. の 高等教育システムにおける 知的な、そうでなければ 政治的な 腐敗 (Horowitz は 悩んだ末、それが どちらの 腐敗かは 決めかねたが) を 暴露したことに なっている 本の 著者は、われわれの 社会の モラルの 在り方に 対し ひどい 脅迫からなる 主張を 突きつけた その教授の 業績を 読まなくては ならないとは 少しも 考えていなかった。 当然、彼が 暴露本を 製作するのに、Hantty と Colmes とで 費したのは まるまる 1週間に すぎなかった。 He's Fox's dream public intellectual. そして もちろん 彼は、これほど 多くの 教授が 彼ら自身の 業績を 積み上げていること自体、現実に 脅威であると 考えている。
彼の 夢の国から 外へと 出ると、このように 真理へと 立ち向かう 騎士を きどることは、特に 現在 パリへ 出向していて、そこで フランス人 - 実際に、重要な 政治的争点について 知的な (もし 疑問なら、後ほど 検討するとして) 議論が できる 教授を 含んだ - その 全ての 世代を 観察していると、少々 涙をさそう 態のものだ。 しかし、現実に 主要な メディアは、それについては 何も 知らないように 思える ある種の 人々の 集団について 書いている 1人の 男に 多くの 時間を 割いており、彼の本を 買うであろう 数千の 人たちには 触れることなく、David Horowitz の 心情そのものが メディアの 共有する 実態である、とでも いうように、この 何も 知らない 男のことを 人々へと 知らせるのに、何の 問題も ないようだ。
実際 Horowitz が 彼の リストで わずかに 多少とも 知っていると 思われる 2人の 人物が、Cornel West と Ward Churchill である。 私の 判断しかねる ある理由から、Horowitz は West に 対し、まるで 変質者や、子どもから キャンディを 取り上げる 人間のため とってあったような 激しい 感情を 伴った 憎しみを 抱いている。 ラジオでの 討論で Horowitz が 説明した ところに よれば、West の 大罪とは、 ここ 数十年 彼が 学術論文を 発表しなかったことに ある。 これは Horowitz の 全ての 主張と 同様、West の CV online を よく 読めば 実証できるように、明白な 虚偽である。 しかし Horowitz に とっては、この真実は、とりわけ West が 大学において "black militant" と なった 事実に 比べれば 小さなことだと 思われる。 こうして 彼は、 1人の 教授を それに 値しない 「タレント」 だと レッテルを 貼ったことを 正当化したのだ。
Churchill については、その 9.11 被災への 記述が、彼を、この 「小型の アイヒマン」 にとって、特に 与しやすい 標的とした。 そこでの 発言内容からすると、彼は Churchill が その 内面の 自由を 発言する 権利については 支持を 与えており、主だった 告発は、彼が 博士号を 取得していなかったことと、それが ethnic studies の 一部であり、はじめから 存在に 値するものではない、ということである。 Horowitz にとって、学術研究の 各分野の 多くは、過去 2世代のうちに 現れた 学問のことであり - ethnic studies、whiteness studies、African American studies、women's studies、cultural studies 等々 - は まったく 党派的であって アカデミーに 含まれる 価値は ない。 彼は どうして それを 知ったのか? 私には わからない。 彼は、そのような 判断を 下すために、これらの 分野の 学問の いくつかの 重要な その要旨を、実際 読んだのだろうか? 思うに、彼が それらについての 知識を 欠いていたのなら、(望むことなら、実際に この本を 書いた 学生たちが たぶん そうだとして) 彼は [読んでなど] なかったのだ。
しかし、なぜ? 彼は、彼らが 同類であることを 「知って」 いるので、それを 自ら 体験する 必要が ない。 そして また、そうした分野は、左翼の 陰謀によって アカデミーの 外側で 管理されているため、保守主義者が そこに 職を 得ることは 不可能だと 「知って」 いる。 では、どうして 彼は 知っているのか? なぜなら、彼は その雇用のための 委員会から 保守主義者が 排除されているという 「証拠」 を 握っているからだ。 もちろん、これは ばかげている。 しかし、人は そのことを 信用しがちであり、Horowitz が 権威としての 役割を 演じるなら、当然、彼は 正しいかのように 装われる。
(パリの 本屋に 並べられている 本から 判断してみても、どうして 彼が 多くの フランス人 教授が 外見上からも 左翼そのものであるという 事実を 説明できたのか、驚かされた。 思うのだが、Horowitz にとっては、フランスの アカデミーが U.S.A. の それに よく似て 腐敗しているのだろうか? 彼の 心のうちでは、多分、そうした 多くの 学問の 分野が、特別 彼の 軽蔑する、戦後における フランスの 批判理論から 派生してきた もので あるからだろう。 しかし、では イタリアや ドイツ あるいは イギリスの 知識層は どうなのか? なぜ 彼らも また 左翼の 学者ということに なるのか? ここでは 世界的な 陰謀が 続いているのだろうか? たぶん それは - 反キリストの 世紀を もたらしてくると 保守主義者が 信じている - World Government の 勢力からの、敬虔な ユダヤ的キリスト教徒の 学生に 正当な 教育を 受けさせなくする 重大な 陰謀の 企てでも あるのだろうか?)
実際、Horowitz の 論文は (ここでは 私の 格付けだと、論文という 言葉を 少なくとも 10% 増しで 使用している)、Salman Rushdie への Ayatolla Khomeini の 死の宣告 - 悪魔の詩 を 読まずに 発布した - を 思いださせる。 もし 彼が [読んだので] あれば、それが 反モスリムでなく、予言者を 侮辱した 人物は、物語の 終わりには 恐ろしい 最後を 遂げることを 知り、驚いたであろう。
しかし もちろん、目的は Rushdie と 彼の本 それ自体では まったく ない。ホメイニにとって、それは 彼の 政策を 押し進めるために 与えられた 機会を 使ったという 認識であった。 同様に、Horowitz にとっても、彼が 非難した 人物と その業績を 知り、あるいは 読む 必要は ない。 彼は ただ、すべての 煽動者たちが 直感的に そうするように、売れる テーマを 思いつき、彼の 情報操作に 合うよう、アカデミーの 現実 という 空想的な 読みものを 創作する、ということを 知る 必要が ある。 そのため Horowitz は、左傾化したという 学園の 2つの 例 - Berkely と Stanford - を 一般化させ、つまりは 数千の 大学の 全部、アカデミー 全体が 1つの 左翼ラディカリズムの 温床であり、それは 明らかに 現在 U.S.A. の 若者と、当然ながら、国家の安全への 脅威だと 主張する。
Stanford が Hoover Institution という 保守主義 発祥の地であることは、この際 気にしない。 現実には、その 2つの うちの 1つは、実際に 今すでに 右翼の 側へと 移行していて、そこでの 数人の 先輩である 私の 同僚からは、右翼の ひっきりない 攻撃、あるいは U.S. 政府の 監視を 伴った 恐喝の 下で、彼らが その働く場を 移すことを 要望するのも そう 遠くはない、と 伝えてきている。 しかし、たとえ この 2つの、また 数ダース以上の 学園で、進歩的学部の 数が 不均衡だと 認めたとして、その 数少ない ケースから、U.S.A. における 第2次大戦後の 教育システム全体を 一般化することが できるだろうか? では、危険な 保守主義化した 学園は どこも 存在しないのか? Liberty Baptist University あるいは Bob Jones University は どうなのか? また Army War College では?
現に 証言として、紙に 印刷する 価値はない Horowitz の 本の、タイトルに 含まれる "dangerous" という 言葉には、気が すすまなかったし 拒否できなかった、という 彼の 言い訳が ある。 その放送中に、司会の Angie Coiro は、印刷された タイトルが 彼の 断り無しに、実際には 方針として 出版社の 思いつきから つくられた、と 彼が どうして 話すのか 質問をした。 (この種の 状況では、常に 出版社や エージェントが 便利な 身代りに させられる) 彼は セキバライを 始め、うなっていたが、彼の 口からは はっきりとした 言葉は 得られなかった。 彼は、最後に、実際 何が 危険なのかを 説明することは できた。 それは、私のような 教授が、実際には 教授という 仮面を かぶった 政治的活動家であると いうことだ。 われわれは、両親が 苦労して 稼いできた 金を、国を とびこえ、大学在学中に 学生たちに 教え込むために 用いて、彼らを 本物の 反 U.S.A. 的 性格を もつ イデオロギーの 前に 曝すことで [国家の] 安全に 対する 脅威と なっている。
当然だが、Horowitz は、少なくとも 私の場合、その主張を 補強することは できない (そして このことから、その他 多くについても、この本の 大部分が、たとえば 他の 標的であった Juan Cole が 証明したように、実際 マチガイであると 仮定することが できる)。 自身 白状したように、私の いくつかの 学術論文については、何 1つ 書けなかったとして、さて 彼は どうする つもりなのか? それより むしろ、彼によって 「公職にある 知識人」 と 呼ばれる 存在への 彼の 考え方によると、私は アカデミーに その居場所が ないことに なる。 なぜなら 彼は、私の 経歴を 引用し、公職にある 知識人とは、「技術と 学問と 活動家との 混合物」 だと 主張しているからだ。
彼の 思いつきに 変わるものとして、私は 「討論番組へと 招かれ」 た。 これは いいことだと 思う、しかし Horowitz は、学者であることと 活動する 市民だと いうことの 間の その関連の 要点については、またもや、すっかり 見落としている。 そして、「左翼」 の 教授と 想像された 大多数における こうした 役割の 相互作用が いかなるものか についての 彼の 混乱に 対し、多分、この本に 関して 語ることは 多数あるだろう。
彼の 基本となる 仮説は、おそらく、左翼の 学者が その学問を 方向づけるのは 彼らの もつ 政治的意図だ、と いうことだ。 しかし 事実は、私の 知る 多くの 誰もが、まったく それとは 反対である。 進歩的な 学者は、研究者とは この地上にある 現実を 暴くという 目的を もち - 保守主義者たちは それを 引き受けることを 拒んでいる - 彼らの こうした 特定の 「課題」 を、それが 進歩的な 回答を 必要と している という (例えば、イラクでの 戦争や、あるいは 環境への 破壊を 取り上げる) 理由から 採用している。
単に 事実としても、今日の 世界は、右翼の 学者 (あるいは、こうした 問題での いわゆる 「リベラル」な - Thomas Friedman のような) - そこでは、彼は 自分の 子どもたちを 満足して 学ばせられると 想像できるが - よりも ずっと 危険であることを、Horowitz によって 発見された、こうした 学者が 描き出すように、むしろ 1つの 地獄のように 思える。 そして、はっきりと しているのは、Horowitz が われわれを とても 危険だと 仕立てあげる、あるいは そう 信じこませようとする [要因は]、彼らが いかに 現実へと 近づいて ものごとを 見ることが でき、そして そうした 現実に 基づく 説明を 提示できる という、その 2つの 能力に あるのだ。
実際、フランスから U.S.A. の 人間を 見て、こちらでは 学生、労働組合、知識人 それに 暴力団 thugs の 予備軍 (彼らは フランスで "casseur" と 呼ばれる) が 連帯し、柔軟性を もった 働く場の 拡大のため、雇用主が 26才 以下の 労働者を 簡便に 解雇するという、[U.S.A. から 見ると] かなり 控えめな 要求は 直ちに 撤回させたが、私には、彼に なにか 憂慮することが あるか どうか については、確信が ない。
こうした 理由に、左翼は、フランスの 労働法を 今日、その修正を 阻止するには 十分 強固であっても、neoliberal globalization の 急襲に 対する 緩慢な 譲歩 [を見ると]、それは ダムの 亀裂を 指で 塞ぐより、ずっと 小さな 勝利だと いうことが ある。 これは 多くの 観点からも 明らかであり、そのうち 2つが 特に 目につく。 1つは、国への 移民の 流入 (最近では 中国人が 一番 多く、以前は ユダヤ人の 経営で あった 繊維業や その他の 小規模な 商売を 急速に 引き継いでいる) が 定常化しており、[移民たちは] 少なくとも 現在、フランス社会で 確固とした 位置を 占めておらず、そのため そこでの 利害関係も わずかしか もてないと いうことがある。 しかし、私の 観点からの 話題のほうを 多く とりあげるとして、私が 滞在する 場所に 隣接した the bohemian 11th arrondissement の 中ほどに クライスラーの 販売店が あり、U.S.A. では どこでも 好んで 運転される soccur という 別名の、ガソリンを 大量に 喰う、その 同じ SUVs を 販売する という、思えば、すてきな 商売を こちらで 営んでいる。 そして、フランスでの ガソリンは、1ガロン当たり 6ドル 相当へと 押し上げられ、U.S.A. の それの ほぼ 2倍という 高値である。