ゼミ巡検
巨椋池(おぐらいけ)
観月橋を渡ってしばらく行くと、このような坂がある。巨椋池があった頃、ちょうどこの辺りが池の畔であった。この坂を下った所はかつての池の中である。この坂は巨椋池(小椋池)の名残といえる。
巨椋池は、かつて京都府に存在した池。かつては平等院付近から男山(八幡市)にかけての宇治川流域一帯(宇治市、伏見区、久御山町)に広大な湿地帯が存在していたが、土砂の自然堆積と古墳時代からの段階的な干拓により消滅した。
豊臣秀吉の伏見城築城に伴う宇治川の改修で築かれた堤防により、槇島や向島が干拓された。
1933年(昭和8年)から食糧増産のため8年がかりで周囲16km、約800haが干拓(巨椋池干拓地)され、巨椋池は消滅した。