長良川と鵜飼
昔の鵜飼の環境
長良川の鵜飼は岐阜市から上流の関市までの間で、途切れることなく行われていたといわれている。また、かがり火に使う松明の薪は近くの山林に生えている松を切り出して調達していた。松だけでは足りない時は、松以外の若い木を切り出して使っていた。
今の鵜飼の環境
長良川の鵜飼は1300年以上の歴史を誇り、いまなおその伝統が守られている。その伝統の1つに「世襲制」がある。他にも、鵜飼の船や道具などにも今なお受け継がれる伝統を見る事ができる。長良川全体で行われていた鵜飼も、川の流れが変わったり鮎が減少したりする中で、岐阜市と関市小瀬の2カ所になった。
小瀬鵜飼に使われる船は、鵜匠が乗る鵜船も観覧用の屋形船も、一切モーターなどの機械類は使われていない。灯りも鵜船のかがり火と屋形船の提灯だけである。鵜飼は夜暗くなって、岩陰で寝静まった鮎を、かがり火と船べりをたたく音で驚かせて、急に動きだしたところを、鵜が捕まえるしくみである。かがり火に使う松明の薪は、昔は近くの山林から松を切り出してそれに当てていたが、今では輸入品を購入することが多いようである。水の中の動きは鵜よりも鮎の方が速いが、鮎は川をさかのぼる習性があるため、上流側で待ち構えていることで鵜飼漁ができる。小瀬鵜飼で使われている鵜は、茨城県日立市で捕獲される海鵜である。海鵜は絶滅危惧種のため、捕獲数が制限されているので思うように鵜を入荷できないそうである。川漁に海鳥を使う理由について、小瀬の3人の鵜匠のうち最年長の岩佐昌秋さんは、「海鵜の方が大きくて強いからです。強くて丈夫な鳥でないと、魚は捕れないんですよ。強い鳥は20年ぐらい使える」といっている。
『宮内庁式部職鵜匠』となっている人は、現在関市で3人、岐阜市で6人となっている。長良川にはこの鵜匠だけしか漁のできない区間があり、長良では占津、関・美濃では立花がそれに当たる。ここで漁をした鮎の内、1軒につき40匹を宮内庁に献上するしきたりになっている。
参考資料
小瀬鵜飼の鵜匠さんの話(岩佐さん)
小瀬鵜飼のパンフレット(関市観光課)
岐阜県観光レクリエーション動態調査結果書(岐阜県農林商工部交流産業課)2000年