奈良の文化財
古都奈良の文化財
自由研究のコーナー
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興福寺(こうふくじ)
文化財
木心乾漆四天王立像(国宝)

 他の諸仏より古く、平安時代ごく初期の像である。元来、興福寺内のどこの堂に所属していたものか不明。

南円堂(重文)
 弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748年)、その前年に没した藤原房前の追善のため、夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであった。堂は西国三十三箇所の九番札所として参詣人が絶えないが、堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである。(2002年秋に特別開扉が行われたことがある)

木造不空羂索観音坐像(国宝)
 運慶の父である康慶一門の作で、文治5年(1189年)に完成。坐像で高さ336cmの巨像である。

木造四天王立像(国宝)
 鎌倉時代の作。この四天王像は南円堂本尊の不空羂索観音像と同様、運慶の父・康慶一門の作であると長らく信じられていた。しかし、20世紀後半の研究の進展により、現在中金堂(仮金堂)に安置されている四天王像が、元の南円堂にあった康慶作の像であることが分かっている。また、現・南円堂の四天王像は他の堂から移されたものである。

三重塔三重塔(国宝)
 康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建された。現在の塔は治承4年(1180年)の大火後まもなく再建された鎌倉建築である。

西金堂跡
 天平6年(734年)、光明皇后が母・橘三千代の一周忌に際し、釈迦三尊を安置する堂として創建した。江戸時代の享保2年(1717年)の火災による焼失後はついに再建されなかった。

大湯屋(重文)
 五重塔の東方に建つ。五重塔と同じく応永33年(1426年)頃の再建。

菩提院大御堂
 五重塔の南、三条通りを渡ったところにひっそりと建つ、興福寺の子院である。現在の堂は天正8年(1580年)の再建で、本尊阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。

国宝館
 旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設で、1959年に完成した。鉄筋コンクリート造だが、外観は旧・食堂を模した寺院建築風である。食堂は1874年(明治7年)、廃仏毀釈のあおりで興福寺が荒廃していた時代に取り壊されている。内部にはもと食堂本尊の千手観音の巨像(高さ5.2m)が中央に安置され、仏像をはじめとする多くの寺宝が展示されている。

乾漆八部衆立像(国宝)
 奈良時代の作。もと西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つ。五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われている。中でも三面六臂(手が6本)の阿修羅像が著名である。緊那羅像は奈良国立博物館に寄託。

乾漆十大弟子立像(国宝)
 奈良時代の作。八部衆像とともに、西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つである。当然ながら制作当初は10体の群像であったが、4体は失われ、舎利弗(しゃりほつ)、目?連(もくけんれん)、須菩提(すぼだい)、富楼那(ふるな)、迦旋延(かせんえん)、羅?羅(らごら)の6体のみが現存する。舎利弗、目?連は奈良国立博物館に寄託。

銅造仏頭(国宝)
 奈良時代の作で、頭部のみ残っているが、白鳳文化を代表する作品。旧山田寺仏頭とも。元来、飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊薬師三尊像の中尊像の頭部で、 東金堂にあったが、室町時代の火災で頭部だけがかろうじて焼け残った。この頭部は新しく作った本尊像の台座内に納められ、長らく人目にふれず、1937年(昭和12年)に再発見された。この時には他に、珍しい銀製の仏像の腕(重文)も発見されている。

木造仏頭(重文)
 廃絶した西金堂の旧本尊・釈迦如来像の頭部。鎌倉時代。頭部のほかに両手の一部、光背を飾っていた飛天像と化仏(けぶつ、小型の仏像)も残っている。

木造金剛力士立像(国宝)
 元は西金堂安置。鎌倉時代。

木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)
 元は西金堂安置。大きな燈篭を天燈鬼は肩にかつぎ、龍燈鬼は頭上で支える。架空の存在を写実的かつユーモラスに表現した、鎌倉期彫刻の傑作である。龍燈鬼像は運慶の子息である康弁の作で、天燈鬼も同人か周辺の仏師の作と考えられている。

木造法相六祖坐像(国宝)
 運慶の父・康慶一門の作。玄賓(げんぴん)、行賀、玄ム(げんぼう)、神叡、常騰、善珠という、法相宗の6名の高僧の肖像。南円堂の本尊の周囲に安置されていた。行賀像は奈良国立博物館に寄託。

木造千手観音立像(国宝)
 元は食堂(じきどう)本尊。現在は、食堂跡地に建つ国宝館の中央に安置される。高さ5.2mの巨像で、鎌倉時代の寛喜元年(1299年)頃に作られた。

板彫十二神将像(国宝)
 平安時代の作。日本では珍しく板に浮き彫りにした仏像である。現在は剥落しているが、もとは彩色されていた。12面完存している。

金銅燈籠(国宝)
 南円堂前に立っていた銅製の燈籠で、現在は国宝館に展示されている。平安時代初期の弘仁7年(816年)の銘があり、紀年銘のある燈籠としては日本最古のものである。火袋の文字は当代の書道史の遺品としても貴重。

梵鐘(国宝)
 奈良時代、神亀4年(727年)の銘がある。制作年の分かる梵鐘としては、妙心寺鐘(698年)に次いで、日本で2番目に古い。
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