奈良の文化財
古都奈良の文化財
自由研究のコーナー
前のページ
興福寺(こうふくじ)
文化財
木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(重文)

 像高3.6メートルの巨像。現在は中金堂本尊釈迦如来像の両脇に安置されるが、本来は廃絶した西金堂本尊・釈迦如来像の脇侍として、鎌倉時代の建仁2年(1202年)造立されたもの。

木造四天王立像(重文)
 もと南円堂にあったもの。鎌倉時代、運慶の父・康慶一門の作。

東金堂(国宝)
 神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建である。室町時代の建築であるが、規模、形式ともに天平時代の堂に準じている。堂内には以下の諸仏を安置する。

銅造薬師三尊像(重文)
 中尊は応永18年(1411年)の火災後の再興像で室町時代の作。脇侍の日光・月光(がっこう)菩薩像は応永の火災の際に救出されたもので、奈良時代の作である。

木造維摩居士(ゆいまこじ)坐像(国宝)
 本尊薬師如来の向かって左に安置。鎌倉時代、建久7年(1196年)、定慶(じょうけい)の作。維摩は仏教経典に登場する伝説上の人物であるが、実在の老人のようにリアルに表現されている。

木造文殊菩薩坐像(国宝)
 本尊薬師如来の向かって右に安置され、上記維摩居士像と対を成す。作者は不明だが、維摩像と同じ頃、定慶の手になるものと推定される。「維摩経」に説かれる文殊と維摩の問答の場面を表現したものである。

木造四天王立像(国宝)
 堂内四隅に安置。堂内の他の像より古く、平安時代前期の重厚な作風の像。

木造十二神将立像(国宝)
 薬師如来を守護する12の眷属の像。鎌倉時代、建永2年(1207年)頃の作。各像のダイナミックな姿勢と12体の個性を彫り分けた群像表現が見所である。

五重塔(国宝)
 天平2年(730年)に光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.8m、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。

北円堂北円堂(国宝)
 養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。

木造弥勒仏坐像(国宝)
 晩年の運慶が一門の仏師を率いて建暦2年(1212年)頃に完成したもの。

木造法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像
 弥勒仏の脇侍像だが、制作年代は室町時代に下る。

木造無著・世親立像(国宝)
 無著・世親の兄弟は5世紀頃のインドで活動した唯識教学の祖で、興福寺が属する法相宗では尊ばれている。本尊弥勒像と同じ頃、運慶一門の作。鎌倉時代のリアリズム彫刻の頂点をなす作品、日本の肖像彫刻の最高傑作の1つとして高い評価を得ている。
次のページ