萬福寺の門・宝殿
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参考資料:宇治市の観光案内
総門
 寛文元年(1661年)の建立。瓦屋根の中央部分を高く、左右の部分を低く、段差を設けているのは中国風で、日本の一般的な社寺建築には見かけない形式である。屋根上左右に乗る魚のようなものは鯱(しゃち)ではなく、摩伽羅(まから)という想像上の生物でヒレの代わりに足が生えている。

三門
 延宝6年(1678年)の建立。三間三戸二重門である。「三間三戸」は門の正面柱間が3間で、3間すべてが通路になっているものを指す(日本の禅宗寺院の三門は一般的には「五間三戸」である)。
天王殿
寛文8年(1668年)の建立。一重入母屋造。日本の黄檗宗以外の寺院ではこの位置(本堂の手前)にこのような堂を置くことは珍しい。内部には弥勒菩薩像(日本の一般的な弥勒像とは全く異なり、太鼓腹の布袋像である)を安置する。この像は来日していた明の仏師・范道生の作である。他に韋駄天像、四天王像を安置するがいずれも中国風の様式でつくられている。

大雄宝殿
 寛文8年(1668年)の建立。入母屋造。2階建てに見えるが、建築的には一重裳階(もこし)付きである。日本の他の寺院の「本堂」「仏殿」にあたる建物である。本尊釈迦三尊像(脇侍は阿難と迦葉)、十八羅漢像を安置する。建物の前には白砂を敷いた「月台」がある。

法堂
 寛文2年(1662年)の建立。一重入母屋造。

松隠堂
 三門をくぐった参道の左側(北側)の一画。開山堂、舎利殿、客殿などの建物が建つ。隠元が2世の木庵に住職を譲った後の隠居所として居住したところである。寛文3年(1663年)、隠元に帰依するある夫人から屋敷を寄付され、萬福寺に移築して「松隠堂」と称したことに始まる。隠元の死後は開山塔院(墓所)となっている。