キトラ古墳の壁画
キトラ古墳
参考資料:日本の歴史、日本の時代史
石槨・壁画
 石槨は凝灰岩切石が組み合わされて造られている。
 内部の大きさは幅約1m、長約2.6m、高さ約1.3mである。
 内部は漆が塗られ、東西南北の壁の中央に四神の青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれている。四方の四神が描かれた壁の下にそれぞれ三体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれているとされているが、北壁・玄武の「子(ね)」東壁・青龍の「寅(とら)」西壁・白虎の「戌(いぬ)」南壁・朱雀の「午(うま)」など六体の発見に留まっている。その時代の中国や朝鮮半島では獣頭人身を象った浮き彫りや土人形が埋葬された墓が発見されており、そういった共通性からキトラ古墳は高句麗や新羅などの文化的影響を受けていたと考えられている。しかし、2005年になって南壁・朱雀で発見された「午」の衣装が朱雀と同じ朱色であったことから、中国や朝鮮の墓では見られない四神と十二支象を塗り分けて描くという日本独自の特色が確認された。

 また、天井には星座や赤道など本格的な天文図が描かれ、太陽や月も描かれていた。中国や朝鮮などに残っている最古の天文地図は11世紀や12世紀のものであるから、現存する天文図のなかでは世界最古ではないかと注目をされている。



壁画の保存
 石室内が湿気のためにカビが発生し、壁画が変質していく為、はぎ取って保存する事が行われている。
 現在、古墳一帯は国営飛鳥歴史公園の一部として整備が進められている。2004年8月、損傷の激しい壁画の一部が修復のためはぎ取られた。
 北壁に描かれていた十二支の子、高さ21cm、幅16cm、厚さ5mm程度の漆喰を、2005年11月15日に文化庁が剥ぎ取った。子は十二支像の中では寅、午に次いで顔が比較的よく確認できる画であるという。今後は子の真上にある玄武を剥ぎ取り、さらに、東壁の寅も剥ぎ取る予定。
 北壁の蛇と亀が絡み合った玄武、縦20cm、横28cmの漆喰を2005年11月30日に文化庁が剥ぎ取った。これで、東壁の青龍、西壁の白虎、北壁の玄武が剥ぎ取られ、四神のうち残ったのは南壁の朱雀だけとなった。



飛鳥巡検(白虎展)