キトラ古墳
飛鳥巡検(白虎展)
参考資料:日本の歴史、日本の時代史
古墳の年代
 発見された壁画などから、キトラより後に作られた高松塚古墳ほど唐の文化的影響を色濃く残していないことから、遣唐使が日本に帰国する704年以前の7世紀末〜8世紀初め頃に造られた古墳であると見られている。

被葬者
 キトラ古墳に埋葬されている人物の特定には諸説あるが、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られている。また、キトラ古墳では金象眼が出土したことから、銀装の金具が出土した高松塚古墳の埋葬者よりも身分や地位の低い人物が埋葬されていると推測される。しかし、誰が埋葬されているか明確に解明されていない。

 直木孝次郎は、被葬者は右大臣の阿部御主人(あべのみうし)であったと主張している。その根拠として、古墳周辺の一帯が「阿部山」という名前の地名であることを上げている。故岸俊男などもその蓋然性が極めて高いと考え支持している。阿部御主人は『続日本紀』『公卿補任』に大宝三年(703)4月、右大臣従二位、69歳で没するとある。

 また、天武天皇の皇子の弓削皇子であったという説もある。しかし、出土した被葬者の歯やあごの骨から40代〜60代の初老の人物と推測されており、20代という比較的若い頃に没したとされる弓削の可能性は低いと考えられている。
左奥:
キトラ古墳全景

左:北壁獣人
右:朱雀
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