結核
結核
結核、特に肺結核は労咳と呼ばれは古くから日本に多く見られる病気のひとつで、特に明治期以降国民病といわれるまでに罹患者の多い疾病であったため、近代以降の文化史につよい影響を与えている。特に明治期まではほとんど打つ手のない死病であり、若くしてこの病によって命を落とす人が少なくなかったこと、また喀血症状が古くからの「血を吐くまで苦しむ(恋や悩みに)」という言いまわしと重ねあわしてとらえられたことなどから、小説や映画のなかでは薄倖の才子佳人に特有の病気として悲劇的に描かれることが多かった。
死亡率が高かった頃は、病名「結核」はあまりにも直接的で人々の口に出しづらかった。このため学名の
tuberculosis から、医師らはカルテに "TB" と記すことが多く、またドイツ語読みが原則であったため「テーベー」と言い習わした。ここから出発して一般人も「テーベー」と呼ぶことが多かった。
なお、「ツベルクリン」は学名の「tuberculosis」に由来する。
結核は過去の病気ではない!
近年、結核菌に薬剤耐性の性質を持つ菌が確認されるようになった。中には複数の抗生物質に対する薬剤耐性を獲得している菌も確認されている。このため、厚生省(現
厚生労働省)は近年、結核の予防と適切な投薬治療を呼びかけるようになった。
日本では第二次世界大戦後、抗生物質を用いた化学療法の普及などによって激減し、戦前のあまりにもひどい侵淫振りと比較して既に過去の病気であると豪語する傾向が一時、一部の医療関係者の間で見られた。しかし、結局のところ、他の先進国に比べて突出した感染率と死亡率を維持したレベルまでしか抑制には成功しておらず、今日では逆に「結核は過去の病気ではない」というスローガンで注意の喚起が叫ばれている。
予防策として日本ではBCGが行われているが、アメリカでは行われていない。フランスなどのヨーロッパ諸国では継続して行われている国も、中止に到った国もある。BCGを行うことのメリットは、小児の結核性髄膜炎と粟粒結核の頻度を有意に減少させることにある(有効性80%)。しかし、成人の結核症を減少させるという根拠に基づいた臨床データはない(有効性50%)。いっぽうデメリットとしては、ツベルクリン反応を陽性化させてしまうため結核の診断が遅れることにある。結核菌の頻度が低い地域ではBCGを行うデメリットが大きいと思われる。BCGを中止したスウェーデン、旧東ドイツ、チェコスロバキア等では、中止後小児結核が増加した。残念ながら、結核菌への感染頻度が高い(特に家族間感染が多い)日本などの地域では今後もBCGは行われてゆくだろう。
なお、日本ではまずツベルクリン反応検査を行い、陽性反応が出た者のみにBCG接種を行う形だったが、2005年4月1日より結核予防法の改定により、ツベルクリン反応検査を行わずに全員にBCG接種を行う形になった。
治療
歴史的にはストレプトマイシン単剤が結核菌に効果があったようだが、現在は耐性獲得の危険があるため、単剤での治療は行わない。投薬には複数の抗生物質や薬剤が使われ、厚生労働省が結核治療有効と認めている薬剤だけでも22種類にのぼる。(アメリカ・ヨーロッパでは国によって24種類、26種類の薬剤の効能が認められている)
医療現場では、一般的な投薬治療の場合、イソニアジド(INH)、リファンピシン(RFP)、ピラジナミド(PZA)、エタンブトール
(EB)(またはストレプトマイシン(SM))の4剤併用療法を行うべきであると考えられている。ただし、これらにはそれぞれ副作用が知られているため、注意しつつ投与する必要がある。結核菌はこのそれぞれの薬物に耐性をもつものが存在するが、イソニアジドおよびリファンピシンの二者に耐性をもつ菌は多剤耐性結核菌と呼ばれ、治療に困難を伴う場合がある。また、完治した後も通院を続ける必要がある場合もある。結核を発症した場合、6〜9ヶ月の投薬療法と経過観察(薬剤耐性菌の出現の有無などの観察を定期健診などで確認することなど)が一般的である。治療を正確に完了した場合、再発率は5%未満である。しかし、治療中断により結核菌に耐性ができ、集団感染することが問題となっている。その為、確実な薬の服用を目指したDOTS(直接監視下短期化学療法)の実施拡大が求められている。
肺結核は空気感染(飛沫感染)を示すため、排菌のある結核患者は結核予防法により結核病棟への入院が義務づけられている。医療従事者はN95マスクを装着する必要がある。患者の搬送は最低限にすべきであるが、どうしても必要な場合、患者に通常のマスク、医療従事者にN95マスクを装着し、窓を開けるなど換気に留意する必要がある。
エビデンス
根拠に基づいた医療あるいはエビデンスに基づく医療(EBM:Evidence-based
Medicine)とは、医療に科学的手法を取り入れようとする運動のひとつである。医療行為における治療法の選択などにあたっては、理論や経験や権威者の判断ではなく、確固とした疫学的証拠に基づき、科学的に最良の判断をすべきであるという考え方を最大の特徴とする。
1990年代初めにアメリカから始まったこの動きは、治療法の選択などについての正当性は、厳格にコントロールされた実験結果で示すべきであるという議論の高まりから、日本を含む諸外国でもみられるようになった。
このEBMは、通常行われている診療行為自体を批判的な立場に立って見直すものである。最も大きな特徴としては、権威や個人の経験によらないのみならず、生化学的、あるいは生理学的な研究によって得られた知識や説明すらも重視せず、無作為的な大規模実験の結果を「根拠」として最重視することにある。
このように、EBMに言う最も有効な「根拠」とは、実際の臨床試験による最終成績の改善という証拠のことである。何らかの結果を説明するための単なる「理由づけ」や、実験室での結果、単なる症例報告といった程度のものは、EBMにおける「根拠」としては、はるかに低い位置にランクされる。臨床実験は適切に症例を集め、適切にデザインし、適切に運用したものであることが求められる。
なお、医療従事者の間では敢えて誤解を招きやすい「根拠」の語は使わず、「エビデンス」と外来語の表記のままに言うことが多い。
文学部地理学科 山田裕士