平等院の文化財
参考文献:平等院の指定文化財
国宝指定物件は以下のとおり。
鳳凰堂:伽藍
木造阿弥陀如来坐像
雲中供養菩薩像51躯
鳳凰堂壁扉画(へきひが)14面
金銅鳳凰1対
木造天蓋
本尊阿弥陀如来像の頭上に吊られた木造透かし彫りの天蓋で、像とは別個に、彫刻部門の国宝に指定されている。
梵鐘
仏師定朝の確証ある唯一の遺作。定朝は和様彫刻様式の大成者。また寄木造技法の完成者として日本彫刻史上名高い仏師である。彼の都風の優美な作風は、「仏の本様」と言われて、平安時代の貴族にもてはやされ、以後の仏師はもっぱら定朝様(よう)の模倣に走った。しかし、定朝が制作した法成寺(藤原道長が建てた寺)などの仏像はことごとく失われ、晩年の作品である平等院像は、彼の作風を具体的に知ることのできる唯一の遺品として、きわめて貴重なものである。
鳳凰堂中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像。飛雲に乗り、阿弥陀如来とともに来迎する菩薩像を表わしたもので、琴、笛、琵琶、太鼓などの楽器を奏する像が多い。全部で52体あるが、うち51体が国宝に指定されている(指定外の1体は、国宝指定後に堂外から発見されたものと言われている)。本尊阿弥陀如来像と同様、天喜元年(1053年)の作とされるが、補修はかなり多く、頭部が明治時代の修理で補作されているもの、像全体が鎌倉時代の補作であるものが各数体ある。当初全部で何体あったのかは定かでない。
中堂の扉10面、壁4面は、国宝建造物の一部であるとともに、そこに描かれた絵は絵画部門の国宝にも指定されている。主な主題は九品来迎図である。これらの絵は剥落がはげしく、画面には江戸時代末期の落書きも目立つが、堂、本尊とともに、平安時代後期の貴重な遺品である。なお、堂正面と側面のオリジナルの扉は取り外して宝物館に収められており、代わりに復元模写の扉がはめられている。また、東側正面中央の2面の扉は、もっとも消耗が激しかったためか、江戸時代の寛文10年(1670年)の修理の際に取りかえた新しい扉になっており、国宝の14面には含まれない「附(つけたり)指定」となっている。
と鳳凰堂の屋根上にあったもので、宝物館に収蔵されている(現在、屋根上にある鳳凰は複製)。高さ約2.3メートルもあり、くちばしから尾羽に至るまで精巧に作られている。工芸品部門の国宝に指定されている。
鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定される。全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した、他に例を見ない鐘である。神護寺、園城寺(三井寺)の鐘とともに、「天下の三名鐘」に数えられている。
記念物指定は以下のとおり。
平等院庭園(1922年(大正11年)3月8日に史跡・名勝として指定)