飛十夜

第七夜


雪煙が、辺り一帯とオレを囲んで、視界をゼロにさせていた。粉と気体の二相系を保ったその風は、だんだんと透き通っていき、やがて凍った家々をオレの目の前に現れさせた。ここは、氷河の国だった。
オレは歩いていない。オレは立ち止まっていた。この場所を通り過ぎるのではない。この場所の中に「滞在」していたのだ。
その場所の意味をかみしめさせられるのだ。
それは、現実的(リアル)な風景だった。いや風景じゃない。「モノ」は、そこにある。目でみるだけ、通り過ぎるだけの無関心な、無感動な、無意味なものじゃない。すぐとなりに存在している。手で触れれば、家の壁の冷たい感触が確かに伝わってきた。
「何してるの、飛影?」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには----------
知らない、誰かがいた。
微笑んで、そこに立っている誰かがいた。
オレは、壁から手を離して、そいつと向き合った。
風に吹かれているオレの黒髪が、目の前でひらひらしていた。
「何で、オレはこんなところにいる?」
オレは、聞いているのか独り言なのか、その中間ぐらいの声の大きさで問うた。
「それは、飛影の家がここだからでしょう?」
そいつは答えた。
オレは少し動揺した。
「オレの、いえ、だと?」
「ええ」
これが?
この、冷たいかべの家が?
オレの家だと?
するとまたそいつは言った。
「まだまだ日は暮れないわよ。もう少し外で遊んできたら?」
「………」
場の空気が悪くて、仕方なしに、オレは歩き始めた。軒の下から外へ出ると、空は結構明るかった。
「あ、ついでに迎えに行ってあげてよね」
そいつは後ろで手を振っていた。
町は幽かな白い煙に包まれていた。それでも、雪はあまり積もっておらず、道はただ凍っているだけだった。町は静かな様子だったが、時々家と家の間で、小さい子供が何人か集まって、毬(まり)つきやゴムとびなんかをして楽しんでいた。
「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ」
そんな声が、オレの耳に入ってくる。オレは時々立ち止まって、横からそんな子供達を眺めていたが、しばらく見てからオレはなにもなかったかのように歩きだした。
すると、どんっ、という音もした。
「きゃ、ごめんなさい!」
下を見ると、小さい娘が、オレの横をすり抜けて走り始めるところだった。
「まてー!」
という声もして、もう一人の子供が、またオレの横をすり抜けて、娘の後を追っていった。”おにごっこ”というやつなんだろうが、
「………」
誰もオレのことを不思議に思わなかった。何故だ。オレだけこんな、黒い服を着ているというのに。
するとまた、家の横から、ひそひそ声が聞こえてくる。
「またですってよ」
「やーねぇ」
「なんで下界の連中は、こうも野蛮なのかしら」
俗に言う井戸端会議というやつか。内容は陳腐なものなのに、やたら話が長引き盛り上がるらしい。こんなものは人間界の雑学だが、いつ聞いてもオレにはなんの関係もない話だ。くだらん。
やがてオレは、家々の間から、城の裏角にある原っぱに出た。といっても、草の一本も生えていない、荒涼とした空き地のようなところだったが。
……。
やけにすっきりしたところだな、と思った。なにか、あるべきものがないような気がした。
そこに、あるべきものは。
そうか。
墓か。
母親の、墓だ。
城の裏角。そこには墓標もなければ棺桶もない。ただの広場だった。
荒涼とした広場に居たのは、
少女だった。
雪菜だった。
白い風に包まれて、それでいて辺りが十分に見渡せる場所に、雪菜は座っていた。
「どうしたんだ」
オレは近づいて話しかけた。
「兎さんがいたの」
雪菜は、泣きそうな顔をこちらへ向けて立ち上がった。その胸には、小さな兎が抱きかかえられていた。
また…。こいつの動物好きが始まったか。
「なんだお前、まさか連れて帰りたいとか言うんじゃないだろうな」
「だって、ケガしてるんだもん。こんなところにおいていったら、この子凍えてしまうわ」
「居るだけで凍えてしまうような所にもともと動物は住もうとせん。おいていけ。さっさと帰るぞ」
「でも!でも!一日だけ!この子たすけたいの!連れて帰れないのなら、私今日家に帰らない」
「勝手なことを言ってるんじゃない。そんなことを言うなら、ずっとそこに居るがいい」
そう言って、オレは踵を返して町の方へと歩き始めた。
………。
…………。
…。
くそっ。
少しだけ、オレは振り向いた。雪菜は意固地にそこに座り込んだままだ。
「風邪弾くぞ…」
「あら、居るだけで凍えるような所に、もともと動物は住もうとしないんでしょう?」
雪菜は微笑んでこちらを向く。
「……」
貴様な…。
ここでまたさっきみたいな泣きそうな顔だったなら、ほっぺたでも引っぱたいて引きずってやろうかと思っていたのだが。
こいつにこういう顔をされると、
オレは勝てる気がせん。
「いいから、早く帰るぞ」
「いいんですか?」
「それ以上喋らなければな」
オレは再び歩き始めた。だだだだっと駆けてくる雪菜の足音が聞こえ、そして笑顔でオレの横に並んだ。それは喋るなと言ったが故の、無言の奴の感謝の言葉だったのだろうが。
「母さんにはお前から言うんだぞ」
雪菜はこくこくと頷いた。
大事そうに兎を抱きかかえて。
ああ、全くうざったい。こんなモノに興味をひかれる雪菜の気が知れん。
再び、オレ達は氷河の国の町中を歩いた。変わらず子供達は遊んでいたが、さっきよりも、空が僅かに暗くなっている気がした。
さっき居た家の方へ歩くオレに、雪菜の足も淀みなくついてくる。やはりオレの家はあそこなのか。
「ん?飛影、どうかしたの?」
と、雪菜が言った。
オレを呼び捨てにして。
「あ」
「え?」
そうか、そういえばオレ達は同い年だったんだなと、今初めて知ったかのように思い出していた。
「今、喋ったな」
「え!まだ駄目なの?いつまで駄目って期間言ってなかったじゃない」
「そんなもの、家に着くまでに決まっているだろう」
「えぇー、いえ、駄目です。私ここから走っていきますから」
そう言って、雪菜は子兎を抱えたまま、いきなり家へ向かって駆けだした。
「っ、こら雪菜!」
そして、オレも、さっきの子供の”おにごっこ”さながら、雪菜の後を追って、もう馴染んだ道を駆けていった。
ふと空を見上げると、白い粉を含んだ雪煙も、オレ達と一緒に空を走っているところだった。
オレは、どこからかこの国に入ってきたのではない。もとからここにいたんだ。
と、そのことに気付いて。オレはすぐにこのことを忘れた。この夢を見たことを忘れた。だからオレは、目が覚めても、このことが夢だったのだという、虚無感に襲われることはなかった。

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