祭壇の灯

第19章
【再会(1)】



「飛影!」
部屋から出てきた飛影を待ちかまえていた霙は、焦るように、忘れないようにという感じで飛影に駆け寄った。飛影は霙の顔を見た。その顔は、奇妙なことに少し嬉しそうだった。
「はいっ、プレゼント!」
霙はその右拳を開いた。
霙の手の中にあったのは、金色の鎖付きの、懐中時計だった。蓋付きであり、霙はそれをかぱと開いて、文字盤の3の横にある「11/29」という数字を指す。
「これが今日の日付。忘れないでよ。これを持っていたら一体今日が何日で、何時間経ってしまったのかわかる」
「……」
「意識を失っても、気絶しても、帰れなくなっても、ね」
「頂いておく」
素っ気なく飛影は答えた。
「して、これからどこへ行くつもりじゃ?」
廊下の向こうからコエンマが歩いてきながら言った。右に屋敷。左に夜の石灯籠。いかにも幽霊でも出そうな雰囲気の所だったが、
そこには、妖怪と、元妖怪と、霊界の長が揃って居た。
三人は円陣になって畳の上に座った。深夜、そうして彼らは、最後の作戦会議を始めた。



「とりあえず、魔界への入り口を開け。出来るだろうな」
「まあな。じゃが…。魔界への穴は、霊界が急遽調べたところ、何者かの力が加わってほとんど封鎖されてしまっていてな…。開けることができたのは、ほんの一箇所だけなのだ」
「へぇ、それじゃ、まるで誘いだね」
霙が言った。
「どこらへんに通じてる穴だ」
「癌陀羅だ」
「っ何!」
飛影が叫んだ。
「癌陀羅への通路だけが、唯一封鎖されておらんのじゃ」
「………」
「?何でそんなに顔色悪くするんだ?どこなのさ癌陀羅って」
「黄泉の住んでる所だ。黄泉のことは知っているだろうな。…奴は生きているのか?」
「さぁな。そんな情報は入っとらんが、魔界との通信は完全に途絶えてしまっとるんでな。何も分からないんじゃ。煙鬼からの連絡が切れて魔界が孤立したのが四日前のことだ」
「ほう」
飛影は頭の中で計算していた。
一体、自分が魔界を離れてから、どれくらいの日時が経ったのか詳しくはわからなかったけど、その四日前というのが、あの日------仲間と、ちりぢりばらばらにされた日だと勝手に彼は確信した。
「悪いが…。今回は霊界は何も手助できない。厳選したあの攻撃隊が一瞬にして消えてしまったところを見てしまったら、ワシからはもう、何もできることがないのじゃ」
コエンマは、まだ無念のようだった。
「別に貴様らの助けなぞいらん。ただ、魔界への穴だけは開いてもらう。その準備だけはしてくるんだ」
「分かった。なんとかしてみよう」
そこで、霙が口を挟んだ。
「ねぇ…。私も行くよ、魔界に」
「何!?」
コエンマは驚いて霙の顔を見た。
だが、飛影は微動だにせず、視線の向きも変えずに霙に応えた。
「好きにしろ」
「うん。ありがと」
コエンマは、ただ一人でたじろいでいた。
「なっ…、おっ御主、飛影が一体どんな所へ行こうとしているのか、分かっておるのかっ!?」
「分かってるさ。故郷に帰るんだろ」
霙はこともなげに答えた。
「身投げでもするつもりなのか!?付いていっても、飛影の枷になるだけだ!飛影と一緒に行ったところで、御主は何の戦力にもなるまい!」
「へぇー…。 じゃああんた、今この場で、私と戦ってみるかい?」
霙はふっと顔を起こして、コエンマの目を見た。そして、俄に白い髪を、畳の上にだらだらだらだら伸ばし始めた。
「…っ!!」
「やめろ霙。コエンマ貴様もだ。こいつは唯一、あいつの手の内を分かっている奴だぞ」
「それに、私も帰るところがなくなったからね。断られる理由がないってもんさ…」
飛影と霙は、コエンマの知らない内に、一緒に魔界に行くことを合意していたようだった。
「…わ、かった。じゃが、帰りはどうするのだ?」
コエンマは落ち着きを取り戻して言った。
「そんなの、いらない心配だよ」
霙が答えた。
「別に、私は人間界に帰って来れなくたっていいよ。あの憎たらしい女に、一矢報いられたらそれでいい」
「オレも、二度とこっちに来られなくなったって、かまわん」
何をすればそれでいい、かは、飛影は、言わなかった。
彼の目的は、ほぼ皆無になってしまっていたからだった。
雪菜を消されなくするため、ということだけじゃなかった。
一体自分が、何のために魔界に赴こうとしているのか、何のために氷鳥の罠にはまろうとしているのか、飛影には分かっていなかった。
自分は、”ひとり”だったから。
なにからもはなれて、独立して、孤立して、何を影響することもなく、何の影響を受けることもなく、ただ”自分の意志”だけで、動いていたから。それだけしか、飛影を動かすものはなかった。
でも、その意志は今どこに向かおうとしているのか。
何のために飛影の体を異次元へ向かわせようとしているのか。
飛影の”こころ”は、それを分かっていなかった。
志向が、定まっていなかったのだ。
流れるままに、運命のままに、彼の体は時間軸にそって自動的に移動しているように見えた。
まるで、何の意思も持たずに、川の流れに浮いている緑の葉のように。
自分の意思を見つけぬままに、飛影は魔界に流れようとしていた。
幸運にも……。
仲間がいたこと。にも、気付かずに。

 

人間界の時刻------飛影の懐中時計の時刻で、十一月三十日午前三時になる頃、霊界の者達が、ずらりと並んで人間界に集合していた。
「今現在、魔界の空気を異世界に漏らすことは危なすぎる。悪いが、貴様らが通ったら、直ちに穴は閉じさせてもらうぞ」
一人がそう飛影に言ったが、飛影も霙も、その男の発言をさらりと無視して霊界の者達と向き合っていた。
「早く通ってあげるから早くやりな」
と霙が言った。
霊界の者達は、やや不服そうな顔をしながらも、通路の作成に取りかかった。
「運が良ければ、帰りも開けてやる」
コエンマが飛影に向かって言った。
飛影は黙って、ただ着々と進む作成の様子を見ていた。
そして、誰もが、穴が安定期に入ったと判断できるような状態になった時、飛影は、助走もなく計算もなく後退もなく台詞もなく留別もなく回想もなく考えもなく未練もないかのように、一度穴を睨んでから、ただ一足踏んで、
魔界の穴に、もじどおり、とび込んでいった。
ただ、
きえていった。
続けて、霙も、
「雪菜ちゃんによろしく」
とコエンマに告げてから、穴に向かって一直線に飛び込んでいった。
それからたった20秒後に。
魔界は、人間界と霊界から切り離され、完全に孤立する形となった。
こうして飛影は、だんだん閉じられた世界へと、封じ込められてゆくこととなったのだった。


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

二人は、大地に立っていた。後ろの穴が急速に収縮していくのが背中で感じられた。
魔界の風は、変わらず吹いていた。
二人の目の前数百メートル向こうに、黒々とした癌陀羅の建物が見えた。
「あれが癌陀羅だ」
と飛影が言った。
「これから、どうするの?あいつの誘いに乗ってあの街に向かうの?それとも、いきなりあいつのいる所に行くの?あいつの場所は分かってるんだろ?」
「………」
「考えなし?時間がないってのに」
「黙れ」
「………」
「……」
魔界は、黙っていると静かだった。風は吹いているけれど、今は昔のように、雷が鳴ることさえ、なかった。
氷鳥が、すべての世界の空を支配しているのだろうか。
全ての裁きを、氷鳥がしているのだろうか。
「…行くぞ」
「どこに?」
「……癌陀羅だ」
「罠にはまるんだね」
「誰かいるなら、情報が欲しいからな」
「いないと思うよ。氷鳥がそんなミスするわけないと思うけどな。誰かいても、たとえ黄泉って奴がいても、…多分目の前でまた消される」
霙がいぶかしげに言った。
「もはや、あいつは魔界だろうと人間界だろうと霊界だろうと、どんな世界だろうとメスを入れることができる。どこに誰がいたって、裁きを下せる。あんたがどこにいたって、あいつはあんたを消せる、はずだろ」
「………」
「だから、そう簡単にどうでもよくなっちゃいけないよ」
「………」
何故だ、と飛影は思った。
自分は、
ひとりになってしまったのだから、
どうなろうと、べつにかまわないのに。
その時。
二人は、癌陀羅に、一筋の太い線が走るのを見た。
二人とも、刹那目を見張った。
癌陀羅は一瞬白く輝き、そして次の瞬間には、高いビルの上半分ほどが、粉々になって下に降り積もっていく最中の場面になった。
何のつもりなのかも分からないまま、二人は少ししてから癌陀羅に走っていった。街が崩れてゆく音だけが、また彼らのまわりに響いていた。その時初めて音がしたのだった。
もう何度目なんだ。何度、こんなことを見せられればいいんだ。飛影はもう飽きたかのように、もう疲れたかのように心の中でそう叫んだ。
すると、二人が走ったその後の道に、スパークの一団がバリバリと音を立てて現れ、挑発するかのように、二人を凄いスピードで追いかけてきたのだった。
「ちっ!」
氷鳥の笑い声に似たけたたましい音が、遊んでいるかのようにジグザグにしかし素早く、二人を追ってきていた。
それは、本当に、挑発でしかない。
当てるつもりなどないのだろうが、
彼らが止まれば命じるつもりなのだろう。
わざとスピードをギリギリ速めに合わせて、
彼らが走ることをやめることを許さない。
走り終わるまで、彼らが終わることを許さない。
いつでも私は、お前を消せるのだよと。
言っているようにしか、思えない。
だが。
二人は、癌陀羅に着くより前に、魔界の大地に留まることができたのだった。
地を這って追いかけてくるスパークを、一瞬の内に広がった緑色の光の膜が覆った。二人はその時前を向いて走っていたが、暫くしてから振り返った時に、スパークがただ緑の球体になり収縮し消えていったのに気づき、思わず足を止めてしまった。
その時、その行為を認めた他のスパークの固まりが四方八方から二人の方に飛んできた。
「!!」と、飛影は覚悟したが、その直後、二人は自分たちの視界の彩度が一瞬ダウンするのを感じた。そしてスパークの固まりは、彼らの目の前一メートルほど向こうで弾けて散ったのだった。
かくして、彼らは無事で済んだ。
不思議しか、なかった。
「……!?」

「飛影先輩ッ!」
その刹那、彼の背後から、なつかしい声が聞こえた。



飛影が振り向くと、あの時の格好のままで、こちらに一生懸命駆けてくる月架と、その後ろから気怠そうな足取りで歩いてくる、我隠の姿が見えた。
「つき…か……?に…、…我隠!?」
飛影の前に到着すると、月架はまた、息を切らせて、あの笑顔を広げて、飛影に微笑みかけた。
「お久しぶりです、お疲れさまです、飛影先輩!!」






 


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