祭壇の灯

その1
【不可思議(1)】



最近、飛影は一人でいるとき、不思議な気持ちにかられることがあった。
稲妻が鳴り響き、魔界の平原を横切り、妖怪達の街から離れ、ひとり森へ向かう日。
森の中の木の上だけは、なぜか他の世界と全く違い、静かな時間が存在する。そして、飛影がその空間に入った時、彼はあるものをていねいにとりだし、その思いに浸る。
蒼く光る氷泪石を眺める。二つ並べて見比べる。同じ光で同じ色。その鈍い光が、飛影の心を奪っていった。
これらの創造主のことを思うと、飛影はなぜか妙な気分になる。彼の母・氷菜のことである。彼女は二人の子供と二つの石を残して命を絶ってしまっていた。何故そんなことをしたのだろう。本来なら、長い長い寿命を持っていたはずなのに。
彼の記憶によると、この蒼い石は、彼女の涙によってできたものらしい。 なみだ…? と、飛影はつぶやいた。
涙とはなんだろう。人間どもや雪菜がそれを流していたところを見たことがある。だが、あれは一体なんなんだ?
どうやら、感情が高ぶると自然に眼から出てくるものらしい。だが、飛影は、そんなものを自らの眼から流したことなど、いちどもなかった。
試しに、飛影は木の上で立ち上がり、ぐっと眼に力を入れてみた。しかしいくらやっても、涙らしき液体は、にじみ出てきさえもしない。そう簡単には出せないものなのだろうか。それとも、彼は涙腺というものさえ、その眼にもっていないのだろうか。
飛影はまた座り込んだ。彼は、彼には出すことができない涙のかたまりを、二つぐっとその手に握りしめた。
そうして彼は、不可思議な世界に、無意識のうちに入っていくのである。


 
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「最近はよくパトロールに来ているそうだな」
仕事が終わって、夜に家に尋ねてきた飛影に、躯が軽く声をかけた。
「パトロールはうんざりだとか言ってたくせに、一体どういう風の吹き回しだ?」
飛影は答えなかった。
「また何かあったのか?」
躯は、なぜか妙に機嫌が良さそうである。
「ない。そんなことを貴様にいいに来たわけではない」
彼女は、飛影が、なぜか少しいらついているように見えた。
「で、今日の用件はなんだ。オレは明日からしばらく暇だ、別に手合わせしてやってもいいぜ」
躯は本当に上機嫌である。なぜか彼女は最近楽しそうで、昔の傷だらけだった頃の自分など、忘れてしまったかように明るかった。だが、飛影はいつも相変わらずだった。躯のところへはじめて尋ねてきた時と同じ顔で、すっと楽しいことも、悲しいこともなさそうな顔で魔界に居た。それが彼にとっての”普通”だったからだ。
だが最近、彼女は、飛影の顔に,少しばかり陰がかかっているような感じがしていた。
躯は、その微妙な彼の変化を見逃してはいなかった。今はそっとしておこうと思い深くは追求しなかったが。
飛影は目線を斜め下に向けると、独り言のようにつぶやいた。
「今晩泊めろ」
「っえ?」
躯はとっさに、その感情がわずかに込められた言葉を聞き直した。ただ単にそう言われただけではわけがわからない。
「部屋を借りたいのだ」
飛影は、喉の奥から押し出すと言うほどでもないが、なんとなく言うのが辛そうだった。
ーーー何があったのだろう。
「なぜだ?貴様の寝床が焼かれでもしたのか?」
躯は不思議そうな顔で飛影を眺めた。飛影はいつもは、魔界の森の木の上で就寝していた。彼はそこが一番落ち着くのだろうと躯は理解していたし、彼も実際気に入っていたようだ。
だが、今日はなんだ? 彼は本来、そんなことを言うような奴ではなかった。あまりに突然である。一体何があったんだ?
「訳は聞くな。今日は…、外には行きたくないのさ」
そういうと、飛影はその部屋から出ていった。さっさとその場を去りたかったのか、ドアを閉めると早足で向こうへ駆けていく音がした。
「……」
躯はいかにも不思議そうに、飛影が閉めたドアを眺めていた。
その部屋にある小さな窓の外では 暗い空が大地をすっぽりと覆っていた。淡い光が躯の陰惨な横顔を照らし、魔物達の鳴き声をたまにその魔界の気の中に響かせていた…。
飛影は広い躯の家の構造を知り尽くしていた。迷路のように長い廊下をひたひた歩き、適当な空き部屋を見つけると、手際よくそこに入っていった。
彼のことが気になった躯は、こっそり彼の後を付けてきていた。
躯は飛影が入っていった部屋のドアに耳をつけた。
静かである。
全く生物の気配が感じられないくらいに。
だが、たまに耳につくように、「うう」とうなるような声が聞こえてきた。この声は飛影が出しているのだろうか。なにとなく悲しい声である。
いきなり 「泊めろ」と言い出し、さっさと部屋に入り、生き物の気配を漂わせない、今夜の、飛影。
ーーーー飛影に、一体何があったんだ…?


 
と、そのとき、部屋の奥で突如轟音が鳴り響いた。ドアが振動するほどの凄い勢いで漏れだしたその音に驚いた躯は、驚きのためとっさにそのドアを開けてしまった。
開けて見たその部屋はがらんとしており、轟音が鳴ったはずなのに、妙に”静かな”部屋だった。
「躯…」
飛影はソファに座り、こちらの方を振り返っていた。
どうやらその轟音の音源は、部屋の中からではないようだった。その部屋よりももっと向こう、ちょうど飛影の前にある、大きな窓の向こうの光景だった。
飛影はその光景を眺めていたのだろうか。
「飛…影……?」
飛影のところに近寄り、そのそばに座った躯も、彼と同じように窓の向こうの光景を眺めた。そして愕然とした。
いつも飛影が寝床としている森が、大きい真っ赤な炎の海に包まれて、魔界の空いっぱいにゆらゆらと揺れていたのである。
飛影は、大きく開いた眼以外は全くの無表情で、その光景を微動だにせずじっと眺めていた。



「…飛影、…お前が…やったのか……?」
いや…違う。飛影がやったのではない。…それだけは確かだ。
躯は飛影の横顔をのぞきこんだ。きらきらと燃える森の炎が、彼の横顔と眼にてかてかと映っていた。
飛影はただ、窓の向こうの光景に釘付けになっている。全く微動だにしない様子だ。
躯は今の状況を素早く整理しようと必死だった。
ーーーー今夜、森が焼かれることを知っていたのか? それで 身の安全を確保するため、オレのところに泊まりに来たのか?
躯は飛影と一緒に座って、窓の外の異世界の様子を映画を見るかのように眺めていた。森は燃える。燃える。燃えて灰となりて、くらい夜空に舞い上がってゆく……。
それからしばらくし、ここにずっといても埒があかないと思った躯は自分の部屋に戻ったが、飛影は構わずずっと映画を見続けた。この夜、躯には、それが心配で仕方なかった。
森はそのま一晩燃え続け、次の日の昼に、森全てを焼いてようやく赤い炎が消えた。そこに残ったのは灰の山と、焼けた木の枝と、黒く変色した地面だけだった。
躯が火が消えたのに気付き、彼女が飛影の部屋に行くと、もうすでに、そこはもぬけの殻になっていた。
光が大きな窓から差し込み、その部屋に穏やかな午後が訪れていた。


 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

「今晩泊めろ」
「は?」
蔵馬は、あまりに唐突なその言葉を聞き返した。
夜中に机に向かっている最中に、彼がいきなり尋ねてくるのはいつものことだったが、泊めろとまで言われるのははじめてのことだったのだ。
「何故ですか?あなたは人間界では、公園で寝泊まりしてるんじゃないんですか?あ、失礼しました」
蔵馬は余裕でにっと微笑んだ。
「魔界に帰らないんですか。こちらには何の用で」
「…魔界には行けんのだ」
「なぜ」
蔵馬は素直に聞いた。
「いちいち聞き返すな。とりあえず泊めろ」
飛影は何が何でも自分の意見を押し通そうとした。
「いや…。無理ですよ。オレの家には家族がいますし。躯の家にでも泊めてもらっては?」
蔵馬は困った顔で飛影を見た。自分には自分の事情があると飛影に言っているようだった。
「…言ったろう。オレは今日は魔界には戻れんのだ!」
飛影はなぜかいらいらしていて、そのまま窓の外に飛んでいってしまった。
「あ!ちょっと飛影…!」
蔵馬は何故怒られたのかわからなかった。ただ夜の闇にとけ込んでいく、彼の小さな黒い影を見つめていた。
蔵馬には疑問符がいくつも浮かんでいた。
ーーーーなんで飛影は怒ったのだろう?
魔界には戻れないって…?魔界で何かあったのか?…明日…躯にでも電話してみるか。躯なら、なんらかの事情は知っているはすだから…。
そんな風に考えをまとめて、蔵馬は再び机に向かった。彼には、就寝するにはまだしばらく時間がかかりそうな仕事が残っていた。

まもなくその町一帯に雨が降り出した。たちまちやかましい音になり、雷も鳴った。
蔵馬はペンを止め、椅子から立ち上がり窓の方に近寄った。外は豪雨である。町の様子は全く見えず、彼の顔が窓ガラスに薄暗く映った。
とそのとき、空に雷の道筋が見えた。まもなく凄まじい音が響いた。落ちたところは結構近いようだ。
雷が見えたところの少し下で、ちらちらと何か光っているものがある。火事か!?住宅に落ちたのか?
蔵馬は傘を持ち、もう眠っている家族を起こさないようにそっと家を出た。
雨の音だけが響く夜の街をバシャバシャと歩き、さっき雷が落ちたらしきところへ暗い路地をたどり向かった。
「なっ!?」
角を曲がり、まさに雷が落ちたところに着いた蔵馬は驚き口を開けてそれを見上げた。
そこは公園だった。だが、そこはすでに”公園”らしき公園ではなかった。そこでは木という木が、豪雨にも関わらず全て真っ赤に燃え上がり、少し派手なクリスマスツリーのごとく輝いて公園を囲んでいたのだ。
なぜか周りの住宅や遊具には炎は移ってはおらず、周りに生えている木々だけが雷を受けて燃えていたのだ。
夜中だというのに、公園には野次馬がたくさん集まっていて、不思議なかたちになって燃えている炎を花火でも見るかのようにただじっと眺めていた。蔵馬もしばらくは、その不思議な光景に心を奪われていた。
だが蔵馬は、その群衆から離れたところを歩く黒い影を見逃さなかった。
背丈、雰囲気からして、あれはどう見ても
「飛影!」
黒い影はふっと蔵馬の方に振り返った。暗くて顔は見えなかったが、木の炎に照らされて目が光っているのだけは確認できた。
蔵馬は彼のところに行こうと、群衆の波を一生懸命かきわけて脱出したが、そのときにはもうその影はいなかった。
相変わらずやかましく豪雨が降っていたが、蔵馬にはその音は全く聞こえていなかった。
背後の炎に照らされた人気のない暗いアスファルトの道を、ただ彼は呆然と眺めていた。






 


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