その1
「こんな雪もあるのだな…」
飛影はそうぽつりとつぶやいた。
波がうち砕く崖の下、テトラポットのそのうえに、白くて粗い雪のかたまり、それを見て飛影は言った。
隣りに立っている雪菜も、じっと黙って、その粗い雪を見ていた。
粗い雪と雪の間に、小さな草がいくつか生えていた。そして次の瞬間に、その草はまわりの雪とともに白い水泡に飲まれていった。
当然のように。
二月下旬、雪菜は墓参りに出かけた。
まわりの雪がとけたのを見て、ふと思いつき、それからすぐ桑原に言って、一人で早々と出かけていった。桑原も知っている者の墓だった。
だが、墓参りと言っても、氷河の国の母の墓ではなかった。幻海の墓でもなかった。雪菜が向かった先は、人間界の一般的な霊園だった。
雪菜は、その中にあった一つの墓の前に行った。菊の花を供え、水をかけ、それから無心に手を合わせた。
「…お久しぶりです…あれから何年経ったでしょう……あの時から…。私は元気です……」
ぽつりぽつりとそんなことをつぶやいて、それからまた、雪菜はすっくと立ち上がり、早々と出ていった。
雪菜が霊園の出口近くまで行くと、一体いつからそこにいたのか、出口になんと飛影が立っていた。
突如現れた飛影を見て、雪菜は目をぱちくりさせた。
「墓参りか」
「あ、はい」
新しい菊の花が供えられた墓を、飛影はじっと見つめた。
飛影もこれが、誰の墓であるかを知っていた。
「盆の季節でもないのに。よく一人で遠出なんかできたな」
「ええ。和真さん達にはちゃんと言っておきましたから。飛影さんはここに、何のご用事だったんですか?」
雪菜が話しかけると、すっと飛影は目をそらし、すたすたと霊園を出ていった。
「あっ!待ってください。あなたにお話ししたいことがあるんです」
雪菜と飛影はそのまま黙って歩いて、海を見下ろす崖に来た。天気が悪く、波が崖に何度も打ち付けられていた。風がしきりに海から吹きあっがてくる。
崖の上の雪はもうとけていたが、崖の下に山積みにされたテトラポットの上には、まだ少し白い雪がへばりついていた。
その雪は陸地に降るさらさらとしたものではなく、ざくざくと不規則にかたまったものであった。
氷河の国でもあまり見かけない、粗く汚れた雪だった。
「こんな雪もあるのだな」
その雪を見下ろしながら飛影は言った。
雪菜はずっと黙りこくったままである。
「…何か言ったらどうなんだ。用があると言ったのはお前だろう」
雪菜は、飛影の言葉にぴくりと反応した。そして、なにか決心したかのように、顔を上げてまっすぐに飛影を見た。
「あ、あの、飛影さん。私の兄は、見つかりましたか…?」
飛影は眉一つ動かさず、雪菜の目を見つめた。
ぎらぎらとした真剣な目だ。雪菜のこんな目を見るのは初めてだった。
「氷泪石は…」
と雪菜が言いかけると、飛影はひゅっと雪菜に氷泪石を投げた。
「それは返す」
飛影は波を見つめ、それでいて雪菜に聞こえるくらいの声で言った。
「……なぜですか?兄は…」
「お前の兄は死んでいた。だから返す」
飛影は波を見つめながら、感情を入れずに言った。…その言葉で、雪菜がどんながっかりした顔をするか、見たくなかった。ずっと前からこう言うと決めていたのに。数秒間、波が岩をうち砕く音だけが、そこに響いていた。
「飛影さん…それは違います」
予想しなかった言葉に飛影は振り返った。雪菜はにこりと笑っている。
「兄は生きています。あなたは、きっと変なうわさを聞いて、惑わされたんです」
「なぜそう言い切れる」
飛影は軽く、雪菜を睨んでみた。
「…なんとなくわかるんです。兄は…生きていると」
飛影はやはり眉一つ動かさず雪菜を見据えた。目が輝いている。今の雪菜は自信に満ちていた。何を言っても無駄だと思った。
「飛影さん、兄を捜してくれて、どうもありがとうございました。これからは、やはりきちんと自分で見つけに行きます」
そういうと、雪菜はくるりと後ろをむいて、すたすたと歩いていった。
雪菜と飛影の間に、涼しい潮風が流れていった。
まだ近くにいる雪菜の後ろ姿を見て、飛影はゆっくり目を閉じた。
…これでいい…。あいつがあきらめきれんのなら、それはそれで仕方のないことだろう…。
そう思いながら、ふと飛影は、心地よい風が吹いてくる、崖の下にもう一度目をやった。
その瞬間、海の中にただならぬ妖気を感じた飛影は、立ち去ろうとする雪菜に思いきり叫んだ。
「逃げろ雪菜!!」
波が崖を乗り越えて、そして間もなくまわりの草と一緒に、白い泡が二人を飲み込んでいった。
その2
白い水泡は、そのまま崖を下って海に戻っていった。二人を飲み込んだまま。
(油断した…!オレなら雪菜を抱いて素早くよけることぐらいできたのに…!)
飛影と雪菜は、波の中で息を止めながら、互いを見失わないように手を握りあっていた。
やがて波が深く海の底まで潜ると、水泡のかたまりは生き物の形に変形していった。
(やはり妖怪か!)
飛影は剣を抜いた。
「貴公…飛影だな……なぜ氷女などと一緒にいる…」
波の中でいかめしい声が響いた。
「貴様は何者だ!なぜオレ達を飲み込んだ!」
と飛影は叫んだつもりであったが、水中なので声がうまく出せなかった。
がむしゃらに剣を振ってもみたが、相手が水なので効果は全くなかった。
さらに波は深く潜っていく。ほとんど日光の届かない所まで来てしまった。
飛影はだんだん頭を締め付けられるような圧力を感じてきていた。早く脱出しないと危険である。
雪菜はずいぶん水圧に参っているようで、頭をかかえて、必死に飛影にしがみついていた。
「雪菜、離れていろ。オレをぎりぎり見失わない所まで離れろ」
飛影は、なんとか雪菜に聞こえるように話した。
「え?飛影さん、何故ですか?」
「早くしろ!!頭がつぶれるぞ!」
その声にびくっとした雪菜は、頭を抑えて、おそるおそる飛影から離れた。
その刹那、飛影の剣に黒い炎が猛った。波の妖怪が炎を感じて悲鳴を上げた。
「邪王炎殺剣!!」
水に対抗するには炎が最適。
炎に弱い雪菜は、熱さと痛さの中で、必死に飛影を見失わないようにしていた。
案の定、剣の周りの水はどんどん蒸発していき、上に向かって高く空気の柱ができた。波の妖怪の体に穴が空いたのだ。
炎を消すのと雪菜を抱えるのとを同時に行い、飛影は空気の柱を通り波の妖怪の中から脱出した。
なんとか水面までたどり着き、二人とも同時に息をはいた。空は曇っていて、波は大きくゆらゆらと揺れていた。
そしてその中で特に大きい波が、狂ったように再び二人の上にかぶさってきた。穴をあけられたため我を忘れて襲ってくる。さっき飛影が切ったところに、丸い渦潮ができていた。
波の妖怪をよけるため、飛影は再び海に潜った。だが雪菜は飛影の後ろにいたため一瞬遅れて、悲鳴と同時に波の中に取り込まれてしまった。
「雪菜!!」
飛影は素早く海に潜り、深く沈んでゆく波の妖怪を追いかけた。だが水中では、到底波には追いつくことはできない。
一生懸命口をさえて息を止めている雪菜が見える。
飛影は拳に炎をたぎらせ、そしてその拳を思い切り水面上にあげた。
「邪王炎殺煉獄焦!!」
言うと同時に拳をぐんと下に向けた。下に向かって空気の柱がのび、その柱は、波の妖怪を直撃した。波の妖怪に、再び大きな渦潮の穴ができた。
波の中で恐ろしい悲鳴が響いた。耳を押さえながら、飛影は必死に雪菜の服をつかんでUターンした。
水面に向かって昇っていく飛影達を、怒り狂った波の渦潮がぐんと追いかけた。
それはものすごいスピードで、渦潮は瞬く間に、飛影の左腕に直撃しきつくからみついた。
「ぐっ!」
渦潮に捕まると同時に、飛影は腕がちぎれるような痛みを感じた。
だが飛影はそれを素早く制し、雪菜がそばにいるのにも関わらず、煉獄焦をもう一度波の妖怪に向かって撃った。
再び悲鳴が響き、深海で爆発が起こった。その衝撃で二人は水上に押し上げられ、どっとテトラポットの上に落下した。
悲鳴が消えた。
海は静まりかえり、ほんの少しの泡も立たなくなった。
びしょぬれになってしまったので、仕方なく飛影は、雪菜を桑原の家の近くまで送ってやった。
「飛影さん…本当にどうもありがとうございました。助けて頂いて…」
飛影は何も言わず、いつもの様にひゅっと消えた。
雪菜は数秒そのまま立っていたが、またくるりと後ろを向いて、家の中に入っていった。
その後、飛影は魔界に戻り、移動要塞百足の中の一室に入りドアを閉めた。
椅子に腰掛けて、フンと言ってから、ぼんやり天井を眺めた。
「…なんだったんだ、あの妖怪は…」
飛影はどうもあの妖怪が気になっていた。いきなり自分と雪菜を飲み込んだので、無我夢中になり殺してしまったが、果たして殺して良かったのだろうか?
何故あの波は、突然自分たちを飲み込んだのか。崖を乗り越え、まわりの草や雪とともに。
「……草!?」
崖の上の、飛影たちが立っていた所の近くには、同じ種類の草がたくさん生えていた。
その草に、白い小さな花がいくつか咲いていたのを、飛影は今はっきりと思いだした。
「確か、名は……」
そうつぶやいた次の瞬間、飛影は椅子から転げ落ちていた。
突如飛影の左腕に激痛が走ったのだ。波の妖怪の渦潮がからみついたところである。
そしてその痛みはぎりぎりと強くなっていき、飛影を苦しめていった。
飛影は必死に左腕をおさえ、こらえようとしていたが、決してそれは半端な痛みではなかった。
ついに声をあげてしまい、その声を聞いたムクロの部下達が、たくさん部屋に駆け込んできた。
その妖怪達をかきわけて押し入ってきたムクロは、鎮痛剤を持ってくるよう部下二、三人に言いつけ、床に転がる飛影の元へ素早く駆けつけた。
「飛影!どうしたんだ!!」
ムクロが必死に飛影を呼んだ。
飛影はうなりながら部屋中を転がっていった。ムクロがそれに何とか追いつき、飛影の左腕をがっしと掴んだ。
「ガッ!」
捕まえた瞬間彼の左腕が力強く暴れ出した。しかしムクロは絶対に放すまいと、飛影の左腕に翻弄されながらもしっかり腕を握っていた。
「!!」
ムクロは飛影の左腕から、明らかに飛影のものではない「気」を感じた。
そしてその気は飛影の腕を媒体とし、飛影の妖力を取り込んで、部屋にいる妖怪達に向かっていきなり妖気弾を撃ってきた。
それはものすごい威力で、天井や壁を壊しつつ、確実に妖怪達を狙ってくる。
それを見た妖怪達は叫び声を上げて、いそいで部屋から逃げていった。中には妖気弾を喰らって即死した者もいた。
飛影はまるで左腕だけ何かに支配されたようだった。
「これは鎮痛剤だけじゃ抑えきれん!!誰か忌呪帯法の包帯を持ってこい!」
次々と放たれる妖気弾をよけながら、ムクロは逃げまどう妖怪達に必死に命令した。
「飛影!聞こえるかっ!返事をしろ!」
だが飛影は激痛の中で、妖力を蝕まれながら、とっくに意識を失ってしまっていた。
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