施設名 : 椿の湯 (入浴日:2005.3.20).
日本三古泉の一つ、道後温泉の歴史は古い。それも伝承でなく、日本書紀・万葉集・源氏物語などの古書にその名が登場している。時代が下って明治時代には、文豪・夏目漱石がここを愛して止まなかった。
現代の道後温泉は、拡大した松山市の中心部に呑み込まれ、部屋数が100室前後の巨大旅館・ホテルが狭い地域に立ち並ぶ都市型大温泉地である。
ふだん宿泊する旅館は、山腹とか谷間(たにあい)の渓流沿い等、自然豊かな立地がほとんどだけに、両側2車線の交通量が多いビル街を通っての温泉地到着には戸惑った。しかし、松山市内では他の都市と違って心安らぐ風景に接することが出来る。
路面電車が市内を走っていることだ。我々の世代には郷愁を呼び起こし、今の時代、環境にやさしい交通機関を再認識させてくれる。
もう一つが、道後温泉のシンボルであり、国の重要文化財である道後温泉本館だ。明治27年に建設された3層楼の力強くどっしりとした入母屋造りの建築で、周囲の巨大な旅館・ホテルや商店街の中で、一際風格を誇っている。
道後温泉は中四国を代表する大温泉地であり、巨大な旅館・ホテルが建ち並ぶ。
国の重要文化財である道後温泉本館は、明治27年に建設された3層楼の力強くどっしりとした入母屋造りの建築で、周囲の旅館街・ビル街の中で、一際風格を誇っている。
道後温泉の外湯には、道後温泉本館以外に、あまり知られていないが地元の人が入浴する椿の湯がある。お互いに徒歩2〜3分の距離にあるので、温泉好きな方はぜひはしごをしていただきたい。
道後温泉がある松山市と縁(ゆかり)のある文学者が2人いる。東京帝国大学で同級であった近代俳句の父・正岡子規と文豪・夏目漱石である。正岡子規は青春時代の18歳まで松山市に在住し育った。
一方の夏目漱石は、大学卒業後、明治28年4月からたった1年余、愛媛県尋常中学校(松山中学校)の英語科教師として在住したに過ぎない。従がって、正岡子規の方が、遥かに松山市との関係が深い。
午後4時に宿泊するホテル古湧園に到着、旅館の風呂に入浴せず、なにはさておいても入らなければならない道後温泉本館に向かった。複雑な入浴料金体系とシステムに、入浴前に汗をかいたが、どうやら浸かることができた。
次にここから徒歩で数分の椿の湯に向かった。道後温泉本館が木造の入母屋造りに対して、こちらは堂々たる蔵を感じさせるコンクリート造りだ。土・日・祝日やハイシーズンには順番待ちという本館を嫌って、地元の人はこちらにやって来るという。
内部に入ると広い吹き抜けのロビーがあって、何もかも近代的だ。
しかし、さすがに風呂は貫禄があった。一度に30人は入れる大きな湯船は御影石造り、中央に大きな湯口があってそこから流れ出る湯は滅菌されているものの、掛け流しだ。これぞ道後の外湯と感嘆しつつ、やや熱めの湯にしばし浸かった。、
尚、シャンプー類は置いてないので持参か、ここで購入しなければならない。
重要文化財の道後温泉本館:明治27年に建設された3層楼の力強くどっしりとした入母屋造りの建築だ。
椿の湯。左上の窓からは温泉に落ちた椿の花が流れ落ちる様が描かれている。
データは変更されている可能性もあります。事前にご確認ください。
住 所 |
愛媛県松山市道後湯之町19−22 |
電 話 |
089−935−6586 |
交通機関 |
松山自動車道松山ICから約10km JR松山駅から伊予鉄道城南線道後温泉行きで約25分道後温泉駅下車
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施 設(日帰り) |
休憩室
駐車場は無いので、少し離れたホテル椿館の奥にある温泉組合の無料駐車場を利用。 |
宿 泊 |
無し
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泉 質 |
アルカリ性単純温泉 |
適応症 |
不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照) |
入浴時間(外来) |
6時30分〜23時
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定休日 |
無休 |
入浴料金 |
大人300円 |
入浴施設 |
内風呂男女各1 |
浴室備品 |
ドライヤーのみ。シャンプー類は持参。 |
観光スポット |
松山城・愛媛県美術館・松山市立子規記念博物館・子規堂・道後温泉散策 |
お土産・食事 |
道後温泉本館周囲に土産物屋・食事処多数 |
近くの温泉 |
道後温泉旅館立ち寄り湯・道後温泉本館・奥道後温泉・権現温泉・たかの子温泉 |
松山市HP
旅館協同組合HP |
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/
http://www.dogo.or.jp/ |
雑記帳 |
松山ゆかりの文人、夏目漱石と正岡子規の名前を初めて知ったのは小学6年生のとき。 収集していた文化人切手にこの2人の肖像が描かれていた。当時、最も効果だった文化人切手は西周(にし あなめ)だったが、今もそうだろうか?
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