湯田温泉・西村屋 (山口県)
住 所 山口市湯田温泉4丁目1−30
電 話 083−922−0250
交通機関 中国自動車道小郡ICから約6km
JR山口線湯田温泉駅から徒歩10分
施 設(日帰り) 食事付き昼食のみ入浴可(個室利用)、売店、駐車場30台
宿 泊 30室 宿泊料金:平日・オフシーズン・2人利用で@11,500円〜(変動するので下記旅館HP参照)
泉 質 単純温泉
湯は自家源泉と湯田ミックス泉の混合泉
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間
(日帰り)
入浴のみは不可。昼食付き入浴は12〜15時 夕食付き入浴は18時〜21時  
定休日 不定休
入浴料金 昼食付き4,500円〜(4人以上 要予約)
入浴施設 内湯男女各1 露天風呂男女各1
浴室備品
(食事付き))
タオル、バスタオル、シャンプー、ボディソープ、ドライヤー
観光スポット 瑠璃光寺、ザビエル記念望台、中原中也記念館、秋吉台・秋芳洞、津和野、萩
お土産・食事 温泉街周辺
近くの温泉 朝倉温泉、湯の口温泉
山口市HP
旅館組合HP
西村屋HP
http://www.city.yamaguchi.yamaguchi.jp/
http://www.axis.or.jp/~yuda/
http://www.yuda-nishimuraya.co.jp/
雑記帳 湯田温泉には温泉付きのビジネスホテルが多い。都市部温泉地の生きる道の一つの手段なのだろうか
九州11泊の旅、自宅から九州にダイレクトに入るには、走行距離が600kmを超えるため、中継ポイントとして広島県・山口県の温泉地を物色した。最終的に翌日の九州入りが楽で、歴史や文学との縁が深く、近くに国宝・瑠璃光寺がある山口県湯田温泉を選択した。
所在地 : 山口市
室町時代初期、幕府から周防・長門・石見の守護を任ぜられた豪族・大内弘世は、京都への憧れが強く、京都盆地に似ている山口に政庁を置き、町を縦横に区画し、区域に大路・小路とか都らしい名前をつけた。
また、祇園社・北野天満宮などを勧請し、京言葉を普及させた。

室町中期、応仁の乱によって、多くの公家・学者や芸能人等が山口にやって来た。こうして、山口は約200年間、大内義隆が重臣・陶晴賢に謀殺されるまで、薫り高い文化都市として栄え、「西の京」と称せられた。

町が再び注目されたのは、江戸末期だった。
長州藩が不便な萩から山口に政庁を移し、以後防長二州の政治の中心地として明治維新の震源地となり、近代日本成立に重要な役割を果たした。
大内文化の代表建築である国宝・瑠璃光寺。湯田温泉から北へ5kmにあり、大内盛見が兄・義弘の菩提をとむらうために建立した。無料で観光できる。
施設名 : 西村屋 (宿泊日:2005.4.2)
温泉名 :湯田温泉
長門湯本温泉とともに山口県を代表する温泉地である。現在は山口市市域に完全に組み入れられ、車両の往来が激しく、コンクリートの中層ビルが建ち並ぶ県道204号線沿いに、30軒弱の温泉宿泊施設(温泉利用のビジネスホテルなどを含む)が点在している。緑や自然の土が無く、連れて行った愛犬の散歩が困る環境だった。

田温泉は、明治の元勲・井上馨の生誕地、また倒幕の原動力となった三条実美ら公家の亡命地でもあった。
大きな旅館が建ち並ぶ湯田温泉に合って、広大な敷地を持つ純和風旅館、創業330年の松田屋ホテルは、坂本竜馬・西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文らが集まって倒幕の密議を行い、ここの家族湯「維新の湯」に入浴したという。歴史好きの自分としては、ぜひここに宿泊したかったが、料金が高いため断念した。


街中にある湯田温泉だが、7つの源泉から湧き出る一日の湯量が合2,000トンと比較的豊富で、そのうえ平均温度が66℃という高温泉は、山口県ではここだけである。
尚、公共浴場はなくなってしまったが、温泉を使用する銭湯の他、日帰り入浴施設として、「ユラリ」と「温泉の森」の二つがある。
宿泊した日は、折からの温泉祭りに当たり、高田公園には大きな足湯が設けられていた。
明治39年開業の西村屋は、大きな旅館が多い湯田温泉にあって、県道から一歩奥の路地にひっそりと建っている。
青春の心を歌い憂愁の詩人と言われた中原中也は湯田で生まれ、ここ西村屋で結婚式を挙げた。
また、5・7・5に囚われず、季語無しの俳句で有名な種田山頭火も、出家後この地に住み、ここの湯に浸かりに来ていた。若かりし頃、文学青年だったので、もちろんこの2人の詩人を承知したいたが、詩・俳句を軟弱な文学と蔑視していたため、ろくに二人の作品を読んでいない。
西村屋の建物は、エントランスの狭い印象とは違い、敷地が奥に伸びていて、ロビー・喫茶コーナーや売店がある1階部分は結構広い。
案内された部屋は、同じ1階の奥まった和室。1階の部屋に宿泊したのは今回が初めてで、下駄を履いて内庭に出られるのが珍しかった。


夕食は部屋で取る。
出された夕食はごく標準的な旅館の料理であるが、やや地味過ぎる料理・盛り付けで、さあ食べるぞ!と心が浮き立つ気持ちにはなりにくい。海に近いので瀬戸内の魚介を期待したが、冷凍の細いカニの脚には失望した。


夏だとチャンコ鍋、冬は鶏のソップ炊きが供されるが、これはここの旅館と大相撲の時津風部屋とが姻戚関係にあるからだ。(鶏はいつも二本足で立って、決して手を付かないので、相撲取りには縁起がいい食べ物、という話には笑えた。)
ここのお嬢さんが時津風部屋の(元)大関豊山に嫁いだそうで、そのとき、結納の品を持参したのが、後日、総理となった田中角栄、媒酌人が佐藤栄作(山口県出身・・まさか現役の首相時代ではないだろうが)だったそうで、政治家とはたいへんな仕事をするもんだと妙に感心した。


風呂は男女別の内湯と露天風呂がある。
内湯は壁が大理石、床は石板、円形の浴槽はタイル張りで、いまどき見かけないかなりの年代物だったが、掛け流しが何よりのご馳走だった。真新しい小さな檜(多分?)の露天風呂は、時代の要請のためにむりやり造ったのだろう。内湯とのアンバランスが面白かった。

BT付きの宿泊料金は、旅行券を利用したのでJTB経由の予約、その上、土曜日だったので少し割高になって@16,950円だった。
正面玄関。駐車場は少し離れた場所にもある。
部屋から撮影した内庭
真新しい露天風呂。
夕食の一部。家庭的な料理だった。
データは変更されている可能性もあります。事前にご確認ください
土曜日・2人1室利用 1人16,950円(税込み)