篭坊(かごぼう)温泉・渓山荘 (兵庫県)
所在地:篠山市


篠山市は幾重にも連なる山々に囲まれた兵庫県山中の小都市であるが、関西人でここに行っていない人を見つけるのは難しいだろう。
町の中心には、篠山城の見事な城郭が残っている。徳川家康が、篠山を西国を治めるための要衝の地として築城を命令したものだ。姫路城主、池田輝政を普請奉行に、当代一の築城者、藤堂高虎に縄張りを担当させた。
その後、篠山は京の文化を受けながら、山里丹波の都として栄えた。妻入り商家郡やお徒士町武家屋敷郡などの城下町の家並み探訪、丹波焼きの鑑賞。それに、松茸、黒豆、丹波栗、牡丹鍋など、四季折々の山の幸の魅力も、多くの人を惹きつける理由だ。
また、古くから丹波篠山地方は酒造りの町として知られ、最盛期には5,000以上の人々が灘をはじめ、全国各地、さらに遠く中国・満州まで酒造りに出かけていた。
:温泉名:篭坊温泉
住 所 篠山市後川新田222
電 話 079−556−2271
交通機関 舞鶴若狭自動車道丹南篠山口ICから国道373・173号線県道601県号線などで約20km
JR宝塚線三田駅から神姫バス篭坊行バスで1時間10分終点下車(日曜運休)
施 設(日帰り) 特になし、駐車場(10台)
宿 泊 9室(BTなし) 13,000円〜
泉 質 炭酸泉
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間 9時〜18時30分(予約不要) 
定休日 不定休
入浴料金 大人800円 
入浴施設 内湯男女各1、露天風呂男女各1、貸切内湯1
浴室備品 シャンプー、ボデイソープ、ドライヤー
観光スポット るり渓、篠山市
お土産・食事 当施設内で食事は不可、若干の土産物を売っている。近所に食事処・土産物なし。
近くの温泉 湯の花温泉、るり渓温泉、汐の湯温泉今田薬師温泉、武田尾温泉
篠山市HP
http://www.city.sasayama.hyogo.jp/
雑記帳 大阪の渋滞を避けて、生駒から京奈和有料道路、国道1号線、京都縦貫自動車道を利用してやってきた。途中、るり渓の横を通過して日帰り温泉施設の「るり渓温泉」に立ち寄った。るり渓谷は篭坊温泉から20分ほどの距離にあり、国の名勝指定地である。通天湖からの清流が「るり渓12勝」と呼ばれる渓流の絶景をつくりだす。その一つの「鳴瀑」は、滝の裏側が空洞になっていて、水の落ちる音が絶妙な響きになり、「日本の音風景100選」に選ばれている。
施設名:渓山荘 (入浴:2004.1.30)
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羽束川を跨ぐ小さな橋を渡って、旅館の敷地内に車を止める。玄関の引き戸を開けると、4畳半ほどの手狭な空間に受付があって、横には土産物が並べられている。誰もいないので、小さなソファに座って指名手配の犯人写真を眺めていると、ご主人と思しき男性が2階から下りて来た。立ち寄り湯を請うと、「今日は2階の風呂を使ってください」と言われた。800円を払って浴室に向かう。
内湯は2人、詰めれば3人が入れるほどの小さな浴槽、底に丸みのある黒石が敷き詰められ、かなり深い。お尻をつけると顔の半分まで沈む。ドアを開けた向こうには、御影石の大きな一枚岩をくりぬいた露天風呂がドカンと設置されていた。風呂の縁に置かれた愛嬌ある石彫りは、最初は蛙かと思ったが、よく見ると河童にも見えてきた、
ここの湯は、もともとは茶褐色半透明、鉄さび臭と聞いていたが、入浴した湯は無色透明、無味、無臭。ここらへんの事情はご主人に聞きそびれた。

国道173号線から県道に入り、一週間前に降った雪が北側の日陰に残る道を進んでいくと、丹波特有の低い山々が連なる谷間、深い渓谷でもなくごく普通の山村風景の中に篭坊温泉があった。平家落ち武者の伝説が残るこの温泉は、かっては、有馬温泉と名声を二分していた湯治場だったそうだ。今は木造の小さな旅館が数軒、武庫川支流羽束川に沿って、時の流れに置き忘れられたようにひっそりと佇んでいる。
なんとも懐かしい日本の原風景だ。

また、川べりに湧く源泉から採取した炭酸ガスは、アサヒビールの前身の一つ、帝国鉱泉がサイダー(後の三ツ矢サイダー)の原料として使われていた、というエピソードもネット上で拝見した。
この川に沿って数軒の旅館が点在
指名手配の顔写真が貼ってあった。
花崗岩をくりぬいた湯舟。置かれた彫り物は河童か蛙か。
小さくて深い風呂
前に川、背に山、懐かしい風景だ。
閑話休題
東京・青山通りの由来

このページを見てくれた元勤務先の同僚OOIさんから、管理者が知らなかった情報を寄せてくれました。「篠山藩を統治した青山氏の分家が住んでいた屋敷が、現在の港区青山にあった。現在の町名はそこから由来する。」というものでした。東京育ちの私が知りませんでした。
さっそく調べましたところ、その通りでした。


篠山藩は徳川家康の実子・松平康重を初代城主とし、松平氏3家が8代、青山氏が6代にわたり藩政を執り、約260年間続きました。

青山氏の先祖は現在の群馬県出身、青山忠成が家康の小姓として仕え、青山の地を与えられました。
その後、長男忠俊の本家筋が青山の北側、弟の分家筋が南側に居住。
後に、長男・忠俊の子孫は天明5年(1785年)丹波篠山藩主となって移ってきました。

現在の青山はブランドのアパレル系の店が軒を連ね、、オープンテラスのカフェがあったり、外人のモデルがウインドショッピングしていたりする、東京で一番のお洒落な大人の街になっています。