所在地南河内郡太子町


一時、古代史に耽溺した私には、太子町は馴染みの町だった。ここには聖徳太子廟を祀る叡福寺や皇子と縁の用命天皇・推古天皇の御陵、小野妹子の墓があって、この地を電車、バスを乗り継いで歩いたからだ。
戦後、天皇家の歴史を研究、語ることがタブーでなくなって、大和王朝と争った河内王朝、継体天皇血統交代説等様々な学説が発表されている。
太子町が所在する南河内は、河内王朝の中心部であった。。古代、生駒山で区切られた北側の河内を「近つ飛鳥」、反対側の明日香村あたりを「遠つ飛鳥」と呼び、河内王朝の「中心は河内」の地理的感覚がうかがえる。(太子町には「大阪府立近つ博物館がある)
推古天皇が整備した日本で最も古い官道、竹内街道は太子町を抜けて大和に通じていたが、今は国道166線がほぼこれに沿って走っていて、太子温泉に入浴後、この国道を帰路に取った。二上山の南側の麓、竹内峠を通過したとき、一瞬だが遠くに大和盆地を一望、聖徳太子の遣隋使としてここを通過した小野妹子を思い起こした。
温泉名:太子温泉
住 所 南河内郡太子町山田1131
電 話 0721−98−4126
交通機関 西名阪自動車道・柏原ICから国道16号線等で約8km
近鉄南大阪線上ノ太子駅又は近鉄大阪線国分駅から送迎バス
施 設(立ち寄り レストラン、喫茶、休憩室(個室多数)、大広間、ロビー、駐車場(150台) 
宿 泊 9室 1泊2食付13,860円(税サ込み
泉 質 単純温泉(低張性弱アルカリ性低温泉)泉温27度
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間 8時〜22時  
定休日 第3水曜日(温泉雑誌に記載、パンフレットには記載無し、要確認)
入浴料金 大人1,000円 小人(3才〜小学生)700円
休日は大人1,300円 小人800円
入浴施設 内湯男女各1、露天風呂男女各1、露天風呂(檜風呂2、檜寝湯3)
浴室備品 シャンプー、ボデイソープ、ロッカー、ドライヤー
観光スポット 叡福寺(聖徳太子廟),屯鶴峰、観光みかん園
お土産・食事 食事は太子温泉内で(近所にレストラン等無し)
近くの温泉 高田温泉(奈良県)、神の牧温泉、一乃湯温泉
太子町HP
http://www.town.taishi.osaka.jp/
雑記帳 聖徳太子(574年〜622年)
用明天皇の第二皇子、聖徳太子の名は死後、仏教を交流したことを称えて「聖徳」の名が与えられたもので、本来の名称としては「厩戸皇子(うまやどのみこ)」
「上宮王(うえのみやのおおきみ)」「豊聡耳尊(とよのみのみこと)」の三つがある。
これらの名前の由来はぞれぞれあるが、「厩戸皇子」は、イエス・キリストの出生伝承が影響している、という説を主張する有力学者もいる。「聖母マリアはキリストを馬屋(厩)で生んだ」という伝承は、ヨーロッパ・西域・中国経由で、8世紀はじめの日本書紀が書かれる頃には」日本に入ってきた。この可能性は否定できないので、学会でも完全無視はされていないようだ。聖徳太子は、伯母の推古天皇の摂政として、冠位12階を定め、十七条憲法を制定した。また、小野妹子を隋へ派遣し国交を開き、仏教興隆に尽力し、「三経義疏」を著わし、法隆寺・四天王寺を建立するなど多くの業績を残した。
日本の歴史上、もっとも広く国民に知られた人物であろう。
施設名:太子温泉 (最終入浴:2002・12.11)
太子温泉 (大阪府
データは変更されている可能性もあります。事前にご確認ください。
最初の入浴が2001年10月、次が2002年12月、その間に露天風呂を改修したのだろうか。以前のメモと比べて露天風呂の形と数(2→3)が変わっていた。内湯はここの温泉のシンボル、高さ2メートルくらいの岩石から温泉が出る設計になっていて、それが温泉成分の付着で茶色系の奇怪な形態になっている。露天風呂は小さな渓流を望む三つの中小の檜風呂。湯はごく薄い茶色、弱アルカリ性で若干のヌメリ感が残り、女性には喜ばれる泉質だ。最初に来たときは、ボディシャンプーがなくて使いまわしの石鹸が置いてあり不潔感を持ったが、今回はそれが改善されていた。しかし、隣の人とぶつかるほどの洗い場の狭さは変わっていなかった。建物の流麗な外部と比較して、内部は雑然としているが、何故か心落ち着く温泉である。
太子温泉は二上山(にじょうさん・ふたかみやま)の西側の麓、周囲にみかんとぶどう園が点在する低丘陵地帯にある。私の場合、自宅から郡山経由で国道25号線に乗り、法隆寺の前を通って太子温泉に向かうので、まさに聖徳太子縁の二つの地を結ぶルートをドライブすることになる。
温泉掘削はどんなふうに行うのかネットで調査していたとき、柏原市の地質調査・ボーリング会社のHPで、平成13年6月、太子温泉、1000メートルボーリングの実績を掲載していた。源泉枯渇はどこでも日常的に起きており、ここでもそのためか、あるいは湯量を増やすために新たな温泉掘削を行ったのだろう。

一部