駅前振興会館にある浴場
駅前のアーケード
熱海駅前温泉浴場は、巨大な宿・ホテルが建ち並ぶ大温泉地・熱海に、まだこんな共同浴場が残ってるのか!と驚く素朴な施設だ。
熱海市は伊豆半島の東側付け根に位置し、神奈川県と境を接している。
市域の大部分が丘陵地帯で、住宅や別荘も高台に建つところが多く、海岸線からすぐに坂道となる。
地域的には、熱海・来宮駅エリア、湯河原駅エリア、伊豆多賀・網代駅エリアに分けられ、すべての地区で温泉が湧いている。
いずれの地域も山で隔てられており、国道135号線(渋滞多し)を経由して向かう(伊豆スカイラインの利用も可能)。
姉妹都市を結んでいる別府温泉と並んで二大温泉地である熱海温泉は、東京の奥座敷として団体旅行や慰安旅行のメッカとして戦後栄えた。
しかしバブル崩壊後、過剰投資や個人・家族・女性などの小グループ客への対応が遅れて急速に凋落し、旅館の倒産が相次いだ。
それでも年間350万人が訪れる大温泉地であり、近年の不況や原油高によって近場の熱海が見直され、観光客が若干増加傾向にあるようだ。
団体客受け入れのため、温泉を乱開発し、宿の大型化を進めてきた熱海はこの変化に対応できすに急速に凋落し、旅館・ホテルが次々に廃業、廃墟と化した建物が目につくようになった。
このことは2004年1月に日帰り施設「日航亭大湯」に立ち寄った際に実感した。
しかし、この度(2009年1月)、熱海に宿泊し温泉街を歩いたが、外部資本が入ってリゾートマンションや安価なB&Bホテルに営業形態を変えた所を多く見かけ、少なくとも表通りに廃墟の旅館はほとんど無くなっていた。
その上、旅館・ホテルの対応がようやく整い、海岸線に遊歩道などが設けられるなど環境整備が進み、また、折からの不況や原油高などから旅行の「安近短」傾向によって、首都圏に近い熱海が見直されてきており、最悪の時期から脱しつつあるような印象を持った。
住 所 | 静岡県熱海市田原本町8-16 熱海駅前振興会館1F |
電 話 | 0557-81-3417 |
交通機関 | 小田原厚木道路石橋ICから真鶴道路、熱海ビーチラインで約25km JR東海道線熱海駅から徒歩2~3分 |
施 設 | 休憩室(有料)、湯上り処、駐車場無し |
宿 泊 | 不可 |
泉 質 | ナトリウム・カルシウムー塩化物温泉(泉温74.2℃ pH7.1) |
適応症 | 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照) |
入浴時間 | 14時~21時 |
定休日 | 毎週水曜日 |
入浴料金 | 大人 500円 |
入浴施設 | 内湯男女各1 |
浴室備品 | シャンプー・ボデイソープ無し ロッカー有 |
観光スポット | お宮の松、金色夜叉像、熱海サンデッキ、熱海サンビーチ、錦ヶ浦、熱海城、起雲閣、湯前神社、MOA美術館、戸田幸四郎絵本美術館、、中山晋平記念館、熱海梅園、 |
お土産・食事 | 両方とも温泉街各所で。(特産品は干物) |
近くの温泉 | 伊豆山温泉・網代温泉・多賀温泉・湯河原温泉・宇佐美温泉・伊東温泉・箱根温泉郷 |
熱海市HP 観光協会HP |
http://www.city.atami.shizuoka.jp/ http://www.ataminews.gr.jp/ |
雑記帳 | 我々の年代ならば、熱海と言えば尾崎紅葉の「金色夜叉」、そして「♪熱海の海岸散歩する貫一・お宮♪」を思い起こす。 しかし、この本は明治時代の作品、実際に読んだ方はどのくらいおられるだろうか? 私も読んでいない一人だ。 |
現在の宿・ホテル数は、旅館組合のホームページによれば60軒となっている。
料金帯もかなり幅が広くなっていて、予算・旅行の目的に応じて幅広い宿選びが出来るようになっている。
熱海では高度成長期に宿の大型化が進み、一方でボーリングによる乱開発によって温泉の枯渇が進み、湯量は必ずしも豊富とは言えなくかけ流しの宿は非常に少ない。
今回、その中でかけ流しの老舗の宿「古屋旅館(追って掲載)」に宿泊し、同じくかけ流しの日帰り施設「日航亭大湯(2回目)」と「熱海駅前温泉浴場」に立ち寄った。
熱海近くには、高台にあり静かな温泉地として、また「走水源泉」で知られた伊豆山(いずさん)温泉、海水浴場がある多賀温泉や漁港の網代温泉など、小さくて素朴な温泉地がある。
また、神奈川県側が主な湯河原温泉の一部が熱海市側にもある。
さすがに枝振りの良い2代目のお宮の松。
シンプルなタイル張りの浴室・浴槽。シャンプー類は置いていない。温度は43℃くらいで高め。
湯上り処(2階に有料の休憩場有)
熱海温泉の歴史は古く奈良時代まで遡るそうだが、もともとは阿大美と呼ばれたいた。
それが海中に温泉が湧き、海水が熱い湯になったことから「熱海」という地名になった。
江戸時代、徳川家が熱海を愛し、家康は度々この地で湯治を行い、三代家光はここに湯治御殿を造り、5代家綱や八代吉宗も熱海の温泉を献上させた。
明治時代になると多くの文人がこの地を訪れ、中でも熱海を全国に知らしめたのが尾崎紅葉の代表作(未完)で 、貫一とお宮の悲恋を描いた「金色夜叉」だ。
若い人は知らない作家・作品だが、その後も与謝野晶子・泉鏡花・川端康成・三島由紀夫などの作品でも描かれた。
熱海温泉は、1934年、東海道本線の丹那トンネルの開通とともに急速な発展を遂げ、戦後は新婚旅行のメッカとして、また全国から団体客が押し寄せ絶頂期を迎えた。
しかし、バブル崩壊後、団体客や慰安旅行が激減、さらに価値観の多様化とともに個人客や家族・小グループ・女性客などが増加し、癒しを求めた温泉地選びが主流となった。
国道135号線沿い、高層の宿・ホテル・リゾートマンションなどが建ち並ぶ熱海温泉。
熱海七湯の一つ・大湯の間欠泉(今は人工的に噴き出している。
お馴染みの「ダイヤモンドに目が眩んだお宮」が貫一に下駄で蹴られる姿。
海辺のプロームナード