施設名 : 旦過(たんが)の湯 (入浴日:2007.10.1)
データ (データは変更されている可能性もあります。お出かけ前にご確認ください。)
下諏訪町は諏訪湖のほとりにあって、古くから諏訪大社の門前町として栄えてきた。
諏訪大社は、諏訪湖の南北に二社ずつ、四ケ所に鎮座する変わった形の神社で、全国に1万余の分社を持つ諏訪信仰の総本社である。
このうち、下諏訪町には、下社秋宮・下社春宮がある。
諏訪大社は日本三大奇祭「御柱祭」でも知られる。これは7年に1度、切り出した大木を神社に運ぶ儀式で、途中、丸太の上にたくさんの人が乗って崖を勇壮に滑り落ちるので有名だ。
鎌倉時代には幕府が、戦国時代には武田家をはじめとする武将がここで武運を祈願した。
江戸時代になると、中山道と甲州道中の分岐点として、また難所の和田峠や塩尻峠を越えてきた旅人が骨休めする温泉宿場町としても大いに繁栄した。
下諏訪町を含む諏訪湖周辺は、製糸産業・精密工業が盛んだったが今は衰退気味で、最近は電子機器産業に転換しつつある。
下社秋宮の本殿。写真には写っていないが、「御柱祭」によって運ばれた2本の御柱が両側に立てられている。
諏訪湖に面する開けた地域に大型温泉旅館・ホテルが建ち並ぶ上諏訪温泉。
これに対し下諏訪温泉は、江戸時代に整備された五街道の内、東海道に次ぐ重要街道だった中山道(中仙道 日本橋ー滋賀県・草津
)と新宿を発ち下諏訪宿を終点とする甲州街道が交わっていた旧宿場町にある。
小さな木造の温泉宿と素朴な共同浴場が軒を連ね、更に諏訪大社(下社秋宮)の門前町として、今もしっとりした風情を漂わす温泉街が形成されている。
温泉好きの方には、「遊泉ハウス児湯」「旦過の湯」「新湯」「菅野温泉」「矢木温泉」「老人福祉センター」「湖畔の湯」「六峰温泉」「高木温泉」「みなみ温泉」(富部温泉は閉鎖)の10ヶ所の共同浴場巡りも楽しいだろう。
温泉も豊富で、25ヶ所の源泉からは、毎分5,100リットルの湯が湧き出し、ほとんどの旅館とすべての共同浴場の風呂が掛け流しになっている。
細い旧中山道沿いに小さな旅館が並び、とても情緒がある。
諏訪大社(下社秋宮)に向かって左側の道を数分歩くと、右手に下諏訪温泉の共同浴場で最も立派で観光客の入浴も多い「遊泉ハウス児湯」に至る。
ここを通り過ぎて更に数分、交差する旧中山道の狭い坂道を20mほど下った先右手に旦過の湯がある。モルタル塗りの簡素な建物だが、赤文字で「旦過の湯」と書かれた看板が道にせり出して懸かっているので見落とすことは無い。
駐車場は数台分ある。
今回、旦過の湯の隣に建つ鉄鉱泉旅館に宿泊したので、小雨の中、傘もささず浴衣姿に手拭・小銭・デジカメ・、メモ帳を持って向かった。
出がけに、宿の女将が笑いながら「ここで宿泊した人で、熱い方の風呂に入れた人はいないですよ」と言った。
手狭でいかにも共同浴場らしい雰囲気の入口に置かれた自動販売機に220円を入れて入場券を買い、窓口のオバサンにそれを手渡す。
6畳くらいの簡素な脱衣室から中に入ると、思ったより広いタイル張りの浴場に2つに仕切られた浴槽があった。
手前の広めの浴槽に3,4人が浸かっていたので、奥の小さな方に進み、縁に座って恐る恐る両足を中に入れた。
その瞬間、沸騰しているのでは、と思うくらいの熱さが襲い、あわてて足を抜いた。
ホンの瞬間だったのに、足首は真っ赤に染まって、ジンジンする痛みがしばらく消えなかった。聞くと48℃くらいだと言う。
隣の広めの浴槽に移動して身を沈めたが、こちらも43℃か44℃くらいに思え、1〜2分ほど浸かって飛び出したが、そのとき、隣の風呂に心地よく身を沈めている中年の男性がおり、畏敬の念に捉われた。
源泉はこの建物のすぐ裏にあり湧出温度62.5℃、pH8.3、透明なナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物温泉だ。
手前が激熱の湯舟。昔は仕切りが無かったそうだ。
旧中山道の入口にある旦過の湯
大きな赤い文字の看板が目印
受 付
木造の小さな旅館が並ぶ旧中山道
下諏訪温泉は、諏訪大社(下社秋宮)の門前町であるとともに甲州街道と中山道が交わる旧宿場町。地元の人が利用する最古の共同浴場・旦過の湯は、小さな宿が並ぶ旧中山道入口にある。