住 所 |
横浜市港北区綱島1-8-11
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電 話 |
045−531−0003 |
交通機関 |
東横線綱島駅から徒歩3分。
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施 設(立ち寄り) |
売店、軽食処、休憩室(入浴料に含まれる)、5〜6台分の専用駐車場があるようだが、確認しなかった。右手に大型の有料駐車場もある。 |
宿 泊 |
不可 |
泉 質 |
ナトリウム-炭酸水素塩泉(重曹泉) 温泉の色は黒くいわゆる黒湯。
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適応症 |
不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照) |
入浴時間 |
午前10時〜午後8時45分(休憩室利用は17時迄) |
定休日 |
年末年始 |
入浴料金 |
10時〜17時 大人800円
(この時間帯は入浴が1時間以内の場合、料金800円のうち410円が払い戻される。
18時〜20時45分 大人 600円)
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入浴施設 |
内湯男女各1 |
浴室備品 |
シャンプーのみ有り |
観光スポット |
横浜の観光スポット 自由が丘 |
お土産・食事 |
軽食可能、持込可能 |
近くの温泉 |
温泉銭湯が近くにあるようだが詳細不明 |
横浜市HP
東京園HP
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http://www.city.yokohama.jp/front/welcome.html
http://www.tsunashima.com/shops/tokyoen/ |
雑記帳 |
新婚時代、日本橋の勤め先まで1時間40分かかる、横浜市旭区の住宅公団分譲団地に4年ほど住んだ。
それから本社のある大阪に転勤、与えられた社宅が奈良市、近鉄奈良線学園前から徒歩1分の場所にあった。それから40年、娘二人は巣立ったが、夫婦は今も奈良に住んでいる。 |
東京きってのハイソ電鉄・東横線の綱島駅、私が小学生の頃はいまだ田園地帯、エビガ二を取りによく出かけた。その頃から大人の会話で綱島温泉が話題になっていたことを思い出す。
渋谷〜横浜を繋ぐ東横線。
沿線には若者の町・渋谷、山の手を代表するファッション・グルメ・ショッピングの町である代官山・自由が丘、高級住宅街の田園調布、慶応大学の日吉、そして、最先端の文化・情報を発信する横浜が終点となる。
1853年、アメリカのペリー提督が来航、その後、日米和親条約・日米修好通商条約を結び、、江戸幕府は1859年、長崎・函館とともに神奈川(横浜)を開港した。
以来、150年余、横浜は西洋文明の窓口、国際貿易港として発展、現在の横浜市は人口が350万、大阪市を抜いてわが国第2位の都市に成長した。
横浜市は、「みなとみらい21」に基づき、関内・伊勢佐木町地区と横浜駅周辺地区の2つの都心部を一体化し、都心機能を集積するプロジェクを進めている。
港北区は、明治41年にJR横浜線、大正15年に現在の東急東横線が開通したことにより、、横浜市の内陸部としてはいち早く市街化が始まり、昭和初期には、綱島温泉が賑わい、慶應義塾大学予科が日吉に移転し、東急東横線の各駅周辺で宅地開発が進んだ。
昭和39年、東海道新幹線の開通に伴って新横浜駅が開業すると、横浜駅周辺・関内・関外地区に次ぐ横浜市第二の拠点となった。
「ラジウム」の名が冠せられているが、現行の温泉法が定める「ラジウム塩・1億分の1mg以上」は含有せず、ラジウム温泉(放射能泉)ではない。
綱島温泉は、1914年(大正3年)、綱島で農業用水を得るために地下を掘ったところ、赤い水が出てきて、これを温泉に利用したのが始まりだ。当時の分析表に「ラジウムエマナチオン」の測定値があったことから「ラジウム温泉」と呼ばれるようになった。
今でも、綱島街道の脇には、「ラヂウム霊泉湧出記念碑」が立っている。
何せ大正時代から使われてきた温泉名のため固有名詞化し、看板に偽りがあっても当局も強い指導が出来ないのだろう。
綱島温泉が最も繁栄したのは、昭和初期から戦後にかけてで、幼かった私は、大人たちの会話の中で綱島温泉の名をよく耳にした。
もっとも、当時の綱島温泉は歓楽街的色彩が濃く、堂々と「綱島温泉に行ってきた」と言うのははばかれる雰囲気もあったようだ。
その後、小田急や東海道線の整備、新幹線の開通などにより、箱根・熱海・伊豆などに客を取られ、衰退して行った。
東横線綱島駅から徒歩3分、綱島街道に面した東京園。
東急・東横線の綱島駅で下車、横浜に向かって左手斜め後ろのゴチャゴチャした短い道を進むと、交通量の多い綱島街道に出る。
その交差点の反対側、黄色の大きな2階建ての建物が東京園だ。
中に入ると右手に古色蒼然とした受付があって、そこで入浴代金800円を払う。
自動発券機でなく、現金手渡しで切手くらいの小さな入場券を貰う。
(1時間未満だと後で410円が戻ってくる。また午後6時以降だと600円になる。)
ざっと見たところ、300人分位の下駄箱があり、その向こうに、座敷と椅子席の、奥がかすんで見えないくらいに大きな休憩室が広がっていて、突き当たりには売店やビール等を売っているコーナーがある。
奥まで見えない広い休憩室
カラフルな浴室入り口
脱衣所と風呂が相互にシースルー(写真は東京園HPから借用)
施設名 : 東京園 (入浴日:2006.2.22)
2階にも休憩室があり合計で4ヶ所、その他にカラオケ付の貸切の休憩室もあって、それらの総面積は半端でない。
これらの休憩室は午後5時まで利用でき、利用代金は入浴料金に含まれている。
派手な入り口を通って浴室に入ると、昔懐かしい番台があって、オバちゃんが高い所に座っていた。
風呂場は半円球を描いてガラス張り、浴室と脱衣室が相互に素通しになって見えるのが珍しい。
風呂場内は浴槽を含めてタイル張り、壁に大きな原色のタイル画が描かれていた。
浴槽は直径6〜7m位の円形、その外側にジャグジー、ジェットバス、電気風呂などのアイテムバスが繋がっている。別に加熱無しの源泉風呂と思われる小さな浴槽もある。
泉質はナトリウム−炭酸水素塩泉(旧泉名 重曹泉・源泉温度18度、pH7.9)の黒湯で、ほんの少ししっとり感があり、手を10cmほど沈めると見えなくなった。
大きな施設だが、ここは基本的には銭湯である。入浴者の年齢は、私が若造に見えてしまうほど、高齢者が多い。
モダンな横浜市域内に、こんなに庶民的な、老人に優しい憩いの場が残っているのが素晴らしい。
身も心も暖かくなってここを出た。
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