施設名 : 清水湯 (入浴日:2006.2.24)
品川区は、東京都の南東部に位置し、北は港区、渋谷区、西は目黒区、南は大田区臨海部、東は江東区に隣接している。区内は大きく分けて、品川地区、大崎地区、荏原地区、大井地区、八潮地区に分かれており、それぞれに町の雰囲気が異なる。
品川宿は江戸から出る諸街道のうち、最も重要な東海道の一番目の宿場として栄えた。
いまでも周辺には、旧東海道が江戸時代と同じ道幅でひっそりと残っている。(京浜急行の「北品川駅」〜「青物横丁駅」の南側)
また、品川は北の吉原に対して、品川は南と言われ遊興の地としても有名だった。
私が住んでいた目黒区の自宅から徒歩5分ほどの所に、東急電鉄の大井町線・目黒線(旧目蒲線)が走っていて、品川区の大井町駅(JR/大井町線)等をよく通過していたが、大きな繁華街がないこともあって、馴染みの薄い区だった。
最近、東海道新幹線が品川駅に停車するようになったが、名前にもかかわらず、駅は品川区でなく港区に所在している。
品川区には大きなショッピング街はないが、代わりに各地区に地元密着の商店街が点在している。
中でも目黒線武蔵小山駅の前から800mに渡ってのびる武蔵小山商店街(パルム)は、都内ばかりでなく、国内でも有数の規模で、本格的なアーケード商店街としては日本最初のものである。
久しぶりに歩いたアーケード街は、シャッターを閉じている店は一軒も無く、全国で報道されている商店街の衰退とは全く無縁のように見受けられた。
都内山の手地区の住民もやってくるので、洒落た店・老舗の店も多くあり、他の商店街の雰囲気とは異なる。
このアーケード街途中から左手にほんの少し外れ、駅から5〜6分の所に武蔵小山温泉がある。
地元の銭湯だった清水湯は、入浴客の減少に堪えきれず一時廃業を考えたが、乾坤一擲、温泉掘削を行ったところ、地下100m付近で湯脈に当たった。
その後、銭湯の値段で温泉に入浴できる、ということで評判を呼び、客は一時の3倍まで伸びているそうだ。
全長800mのアーケード街、あまりにも長いので前方が見通せない。
清水湯の外観は豪華・華麗な唐破風ではないが、昔ながらの銭湯造りで、入口には誇らしく「温泉」と書かれた暖簾が垂れ下がっている。
暖簾をくぐると左右に下駄箱、引き戸を開けて内部に入ると、昔ながらの番台があり、中年の女性が座っていた。
上部は高い空間、絵が書かれてはいないが格子天井、全体にレトロな雰囲気で、昔、江戸っ子だった祖父に連れて行かれた銭湯の記憶が一気に蘇る。
素朴な脱衣室で衣服を脱ぎ浴室に入ると、正面の壁一面には、スイス・レマン湖を思わせる湖と城の絵が描かれている。手前には小さな長方形の浴槽とさらにこぶりな円形浴槽が並んでいた。
湯は何れも黒湯だが、黒さはその前に入った蒲田のそれと比べて若干薄い。
手前には2列にカランが並んでいるが、銭湯なのでシャンプーなどは置いてない。
長方形の風呂には数人が入浴していたので、無人だった円形の浴槽に浸かる。
見逃してしまったが、これが熱めの浴槽。しかしこちらも江戸っ子の血が1/2混じっているので、見栄を張って頑張ったが30秒が限度、そうそうに飛び出した。わずかな入浴時間なのに、前身が茹でた蛸のように真っ赤になっていた。
「火事とけんかは江戸の華」と言うが、もう一つ江戸っ子は激熱の風呂に入ることを好んでいたらしい。
今でも、東京と大阪では銭湯の湯の温度が2度前後違うそうだ。
尚、ここでは2個100円で温泉玉子を売っているらしいが、当日は売り切れたのだろうか見かけなかった。
簡素だが昔ながらの銭湯建築。
誇らしげな「温泉」の二文字が。
湯気で煙っているが、正面にスイスの湖のような風景画。
安っぽさがかえって銭湯の雰囲気を醸し出していた。左手前が激熱の黒湯円形風呂。
さすが大東京、減ったとはいえ、都内には1000軒の銭湯があるそうだ。江戸時代から続く銭湯は3軒、戦前から昭和30年にかけて建てられた宮造りと呼ばれる芸術的な銭湯も残っている。
その中で客を呼び戻すために、大金をかけて温泉を掘削した銭湯も多い。この日、実家から東急・目黒線で数駅の武蔵小山駅、日本一のアーケード商店街の外れにある温泉銭湯で入浴した。
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