君のためにできること
花音るり         
 


―僕が再び生きて行けたのは、アナタのおかげですよ

 そう優しい瞳で自分を見つめてくれたあの人。
 綺麗な顔、綺麗な、瞳。
 新緑の瞳。
 包み込んでくれるように優しくて、そして強い。

 一度、すべてを無くして、そしてそれを忘れることなく、しかし前を歩もうと決めた人にだけ持ち得る強さ。

 目の前で、大切な人を失いかけた自分を強く励ましてくれた人。

 過去があって苦しむ、あの人。
 過去が消えてしまったから、苦しい、自分。
 抱きしめられた腕が、イタイくらい、強かった。

 腕に自分を閉じこめて、何度も何度も繰り返して告げてくれた言葉。
 たった一つの言葉なのに…受け入れられない自分がなんて弱虫なんだろう?
 でも、抱きしめられて、囁かれる瞬間は幸せ。
 その時は、必ず自分を見てくれているから…
 自分のことだけを想ってくれていると分かるから。

 けれど…永遠の続くの?
 その気持ちは、いつまでも続くの?

 消えてしまった過去の記憶。
 けれど、分かるから…

 失った過去で、自分は命より大切な人がいた。
 愛してた、その人を。

 でも、その人は……

 きっと自分は耐えられない。これ以上、弱くなりたくないから。

―悟空。僕の目を、見て

 そういって唇を重ねてくるあの人の重みが、切なくて切なくて。
 必死に、感情を隠した。心の奥に。ずっとずっと…
 自分を守るためだけに。
 隠れた。

 隠した…感情を。

 
 
  ****************************************



たまたま出かけた市場で、たまたま出会った一つの店があったから。
とても不思議でアンティークな感じが漂っていたから。何気なく入った、それだけ。

頼まれていた、買い物をして…ちょっとした好奇心だけで入ったお店。
木のイイ薫りがした。そして、ひんやりとしているのに、どこか懐かしい感じ。
 薄暗くて、そんなに気を引くようなお店でもないのに。悟空は誘われるように、からん、とドアを開けた。
 扉の向こうから小さくて聞いたこともないような、綺麗な音が溢れていた。何かを弾くような、透明な音。

「コレは、何の音?」

 床が、一歩ずつ進むたびに小さく軋む。その音も既にメロディの一部分になっているようなそんな感じ。
 色々な曲が流れていた。何度も繰り返される旋律。
 そして部屋の中央の柱には大きな、悟空が見たことのないデザインの時計が掛けられていた。

「?」

 その部屋の雰囲気の違和感に気付いて、首を傾げ、その目の前に掛かった時計をじっと見つめた。

「おや、珍しいお客さんだね」

 不意に後方から、低いけれどとても優しげな老人の声が聞こえる。
店の奥の木製安楽イスに身を委ねていた1人の男性、―店長らしき老人が、ドアの所で店内を見渡す小さな客に静かに声を掛けたのだった。
 不思議そうに辺りをきょろきょろ見る悟空を面白そうに見つめた後、老人は小さく呟いた。

「この店が、見えたのかい?」

 かき消されるくらいの小さな声だったから、それでなくても意識のほとんどが店内の珍しいコレクションに取られていた故に悟空の耳にはいることはない言葉だった。

 ひとしきり珍しそうに店内を見渡した後、悟空はたたっと走ってカウンターで自分を見守るおじいさんのところに足を進めた。

「ねえ、おじちゃん。コレ、なんだ?」

 見たこともないものから、聞いたことのない音楽と音色が聞こえる。こんな不思議なものをみたのが初めてで。
 眠るようにもたれていた老人に向かって、悟空は好奇心の光を強く宿らせた金色の瞳を彼に向けた。

「これはな、オルゴール、というものじゃよ」
「おる…ごぉる?」

 聞いたことのないものの名前に、悟空の舌もうまくまわらなくてオウム返しに返答する。

「そう、オルゴールというんじゃ。ここからずっと西の国で生まれた、ゼンマイ仕掛けのおもちゃじゃ」

 西と聞いて、悟空は自分たちが今から行くところを思い浮かべた。

「オレ、天竺にいくよ?そこにあるの?」
「いや、天竺よりもっともっと、西だ。いくつもの砂漠と平原と山を越えるところにある、ココとは全く違った国」

 悟空はその話を聞いてびっくりしてしまう。世界の西の果ては「天竺」だと思っていたから。
 素直に驚きを見せる悟空に老人は小さく笑みを浮かべると、そのイスから自分の体を起こした。

「一つ、自分の好きなオルゴールを手に取ってみなさい」

 そう言われて悟空は戸惑いながら部屋を見遣る。
 そして、ちょうどじぶんの正面の方に置かれた棚の上にある小さなこぶりのオルゴールを手に取った。
 悟空の小さな手の平にぴったりと馴染む。

「アレ?コレは音なってないじゃん?」

 少年と少女が背中合わせに寄り添う彫刻を飾りとして施した石膏細工の小さなオルゴールだった。

「オルゴールというのはな、ここにあるネジを巻いて音を出すものなんじゃ」

 別のオルゴールを手にした老人が、下の台座にあるネジをくるくるっと巻き、その後それを元の棚に乗せ直した。
 小さく、軽快な音楽が流れる。短音ではあるけれど、それゆえの弾けるような透明な音。
 悟空は自分の手の平に載せられたオルゴールに、再び視線を戻した。そして、自分を優しく見てくれる老人に上目遣いでちょっと笑った。
 その笑顔に老人は小さく頷いて、そしてそれを合図に悟空は横にちょっと突き出たネジを恐る恐る巻き始めた。最後までくるくるっと巻くと、ネジがとまる。いつの間にか、店内のオルゴール音は止まっていて、時の流れすら止まっているような静けさだった。

「手をはなしてごらん」
 その言葉に、悟空は巻いていた指をそっと離す。
 
 短調ではじまる音楽がちいさくオルゴールから流れる。とても優しくて、どことなく寂しげな曲。その曲に合わせて背を寄せ合った少年と少女が台座の上でくるくると回り始めた。
 清冽な音色と、もの悲しげな旋律が不思議に解け合っていて、空気の流れすら一瞬変わったように肌を触れていく。
 台座の上の二人は、ただ静かに二人で回っていた。互いの背中の温もりを感じながら、幸せそうに。
 初めてソレを見たときは、そう悟空は思って、いいなという感情が少しココロに溢れた。 

 リピートされる曲の旋律が、徐々にゆっくりになっていく。台座の回転と共に、オルゴールの音はふっと消えるように止まってしまう。
 奏でられていたメロディは、一瞬のうちに消えて、自分の前から何かを忘れさせるようなそんな、不思議な感覚に身を包まれる。
 悟空は、ふっと目を閉じて、その不思議な感覚を体全体で感じてしまう。そして、思い浮かべる、

―「消失」のコワサ。

 自分を、強く優しく、そしてそらすことなく見つめてくる、緑の光……

「…!」


 カタン


 静まり返った空気にアクセントのように入った物音に悟空は目を見開いた。
 さっきまでとは違った音楽が部屋を流れる。電子音に似た音色。
 柱に掛けられた小さな時計から流れたものだろう。
 悟空ははっとして窓の外を見遣った。
 そして、柱の時計をちらっとみて、小さく声をあげた。

「もぉ・・こんな時間じゃん!」

 窓から入ってくる微かな光に、紅い色が混じり始めていた。夜の準備が始まる、時間。
 手にしていた小さなオルゴールをカウンターの上に乗せると、棚に当たらない程度に手を振って、入ってきた入り口へと小走りに部屋を駆ける。

「そんなに急がずとも、まだまだ夜にはならんよ」

と少ししわがれた笑い声を伴った声が悟空の背を打つ。

「でも、オレ、もっと早く帰ってこいって言われてたんだ!!」

 悟空は入り口のドアノブに手を掛け、それを回そうとして、一瞬躊躇する。そのためらいに気付いたように老人は、悟空に向かって話しかけた。

「また、音楽が聞きに来たければ、聞きに来なさい」

 ぴくんと、肩が揺れる。
 それからくるっと振り返ると、満面に笑顔を浮かべて悟空は大きく頷いた。

「うん!」


 からんからん


 ドアにかかった大きなリーフに着いた鈴の音を店内に残し、悟空の姿はドアの外に消えていく。

 再び、静かなオルゴールが…店内に鳴り響いた。

「この店が、見える間はおいで。
 ……答えが、みつかればよいがな……」

 そう呟くと、しわのよった手でカウンターに置かれた二人の少年と少女の彫刻を優しく触れた。

 




 ドアの外に駆け出る。店内の静寂さから一転した、騒然とした人いきれ。
 悟空はドアから出る寸前に思い出して持ち上げた買い物袋を、腕に持ち直すと、元来た道を早足で駆けていく。
 自然と唇から漏れてきた、旋律のメロディがなんだかくすぐったくて、切なくて。
 少しだけメインメロディを口にした後、その音楽を心の中で再現するだけに留めて置いた。

 歌にすると、陳腐に聞こえたから。
 オルゴールの音。
 少し、ちくりと刺してくるような透明な音を。

 悟空は小さく首を横に振って、ココロを現実に戻して帰り道を急いだ。
 あの人が、きっと待っているはずの場所へ。

「今は、まだ…一緒だね」

 いつまでいれるんだろう?
 
 そんな不安を具現化するように、空の色はゆっくりと暗いものへと変化していった。



             ************************



―過去を忘れた自分は、本当に「自分」だと言えるの?
 
心を決められない自分。
そんな優柔不断な自分に、あの人は言葉をくれる。

『愛していますよ、』

 何度も聞かされた言葉なのに。真実なのに。
 どうして、怖いの?
 もう、進めないの?



 旅は滞っていた。
 それでなくとも、刺客の多さにより日数はいやがうえでもかかってしまうのだ。
 先を急ぎたい4人だが、しかしその街は門前町だった。ここら辺りでは一番大きな寺院がその街の中心部にあり、そしてその寺院からぜひとも三蔵サマの有り難い説教を聞きたいという有り難くない申し出を受けてしまったのだった。
 三蔵的には断固として反対したものの、その説法の依頼元が三仏神だという事実を突きつけられ、仕方なく3日間の説法ツアーへと駆り出されてしまったのだった。三蔵は八戒と悟浄はともかく悟空だけは連れていくといって聞かなかったが、八戒に悟空を寺院へ連れていけば悟空が傷つくことを言われてしまうという強い反対に合ってしまった。
 しかし、はっきりいってこの野獣二人の元に可愛い悟空を置いておくことを考えれば、少々の悪口ぐらい自分が守れば悟空は大丈夫だと思ったのだが。


―三蔵…大丈夫だから。オレ、八戒と…話があるから…


そう拒否されてしまったのだった。
その時の三蔵の怒りと苛立ちは沸点をも超えてしまったが、ぎゃーぎゃーわめくヒマもなく三蔵は駆り出されてしまったのだった。

 そして、悟浄は。

 二人の間の空気を読みとったのか、その姿を消した。

「3日後には帰ってくる。その時まで、悟空を泣かせたままなら…」

―悟空をいただくよ?
 
 そう、八戒に言い残したまま。





 静まり返った宿の部屋の中は。けれど…悟空から八戒への話は未だ、なされることはなかった。



 二人だけの食事。
 二人だけの空間。

 キスをして。抱き合って。
 
『愛してますよ』

 二人だけの世界なのに…

 まだ、答えられない……



 迷い込んでしまったら、二度と出られなくなる気持ちの螺旋迷路。一体いつまで?
 
八戒の腕に、指に翻弄されながら…小さな声で、名前を呼びながら。
繋がっているのに…

どうして?不安になるの?

―オレは、八戒に…何を求めてるの?

そして。

―八戒はオレに、何を求めてるの?
 


 答えが得られない苛立ち、悲しみ。
 でも、あの時。あのオルゴールを聴いて…何かを感じた。
 睦まじく背中を寄り添いあって座る少年と少女。
 くるくると回る、オルゴール。



 もう一度…聞きたかったから。

 次の日も、あの店のドアを開けた。



 ドアが開くと、そこは外の世界とは全く違った空間が存在していた。
 いくつものオルゴールの音色が混在して響いている雑多なのに、統一された世界。

「今日も、来たのかい?」

 しわがれた少し低い、既に耳に馴染んだ声が奥の方から聞こえてくる。
 悟空は小さく笑って、寂しそうに頷いた。

「…あのオルゴール、聞きたいんだ」

 少し俯き加減にそう言った悟空を、じっと瞳を細めて目に映した後、軽く息をついた。

「その棚に置いてあるから、取りなさい」

 そう言って悟空のすぐ横にある棚を指さした。
 棚いっぱいに並べられた色々なオルゴールの中から悟空は迷うことなく一つのソレを取り出す。
 少年と少女が、背中合わせに座る小さなオルゴールは悟空の手の上で、音を鳴らすための生命を与えられる。


 ゆっくりと、メロディに合わせて回る。
 ネジはゆっくり回り、音を奏でていく。
 止まれば、悟空は何を考えることもなくネジをまき直して。ただそれだけの繰り返し。
 部屋に入ってきたときは…他のオルゴール曲がなっていたのに。いつの間にかそれは止んでいて。
 ただ悟空の回したオルゴールだけがその空間で奏でられる唯一の旋律。


「気に入ったのかな?その曲が…」

 控え目に尋ねる、老人の声に悟空はゆっくり振り返る。少し笑いを含んだその声に、悟空はちょっと不機嫌に答える。

「…別に…気に入ったワケじゃないけど」
「じゃあ、どうしてそればかり聞きたがるんじゃ?」
 他にも、オルゴールの曲はたくさんあるじゃろう?
と、棚に陳列したオルゴールを見渡す。

「だって…他のは…鳴ってないし……」

 その言葉に老人はシワの入った目尻を少し下げて、今度は声を出して笑った。
 はははっと爆笑している目の前の人間に悟空はぽかんとしてしまったけれど、思考力が戻ってくると、なんだかバカにされているような気がして、ぶぅっとふくれてしまう。
 そんな悟空の様子に、くくっと笑いをこらえ、そして背中を向けてしまった悟空に優しく話しかけた。
すまんすまんと謝られても、笑い声が伴っているのであまり謝られているようにも感じなくて悟空は横を向いたままだった。
 いたずらっぽい光を消して、老人は静かに音を奏でている、そのオルゴールを見つめた。


 少し開いた小さな窓から、さわやかな風がほんの少し流れてくる。止まっていた空気が、その流れの中に翻弄され乱れる。動きが、少し加わる瞬間。


 カチカチと、ネジを巻く音、そして短音の響きで美しいメロディを奏でるオルゴール。
 回り始める彫刻。
 動き始める時間と、止まったままの心。



「この曲の名を、知っているかな」

 何度巻き続けただろうか、再びネジをまき直してそれをカウンターに置いたときに。
 そう尋ねてくる声に、悟空は首を横に振る。

「FUR ELISE」

 聞き慣れない発音の言葉に、悟空は首を傾げる。
老人は胸元から葉巻を取り出すと、マッチでそれに火を付ける。
 メンソール系の葉巻の薫りが、漂う。

「今の、なんて言ったの?」
「『FUR ELISE』…エリーゼのために」

 悟空は瞳を細める。

「それが、この曲の名前?」
「そう。この曲は、ずっと西の国で作られた曲じゃ。ある作曲家が、自分の愛した女性に捧げた曲。」

 そう言われて、悟空は再びネジを巻く。
 原曲がどんな曲なのかは分からないけれど。旋律は、とても深くてもの悲しくて…でもどこかで愛しさが溢れている。
 最初の印象と同じ。

「エリーゼって人のために作られたんだね、この曲」
「そうじゃよ…」
「だから…こんなに……」

 旋律が、一途なんだと。
 混じりけのない、純粋な強い想いがこの旋律に凝縮されている。



 柱時計が、大きく音を奏でる。
 外は、昨日と同じく、夕焼けに染まっていた。
 けれどこころなし、部屋に入ってくる光が弱い気がした。ちょっとした違和感。
 だが、その少しの違和感は老人の言葉の印象強さで
かき消されてしまう。


「お前さんには、このオルゴールが聴こえたんじゃな。」
「…?」
「他のオルゴールじゃない、その曲を選んだ。そのオルゴールを選んだ。」

 悟空は老人がいわんとするところをいまいち掴むことが出来なくて、訝しげに見つめた。
 そして、老人の深く皺の刻まれた手の上に乗せられた一つのオルゴールをみやって、目を細めた。

「…なんで?」

 悟空が選ばなかった、オルゴール。
 ネジがまかれ、そして台座がくるくるとゆっくり回り始めているのに。

「どうして…音が聞こえないの?」

 違和感。
 悟空はくるっと周りを見渡す。
 静かなはずの、店内。動くはずのない、オルゴール。
 音楽のない、オルゴール。
 ネジは巻かれているのに…ネジは回っているのに?

「ここは聴きたいモノだけが聞こえる。今、一番必要としている音楽が聞こえる。
 お前さんはこの曲を選んだ。これだけあるオルゴールから、この曲を選んだ。」


―どういう意味か、分かるかな?


 無言の問に悟空は手の平のオルゴールを見つめる。
背中を寄り添わせて座る二人。
 幸せそうだと思った。
 流れる曲は、「エリーゼのために」
 1人の人に、贈られた、大切な曲。

 どうして、オレはコレを選んだの?
 意味があるの?意味はないの?

 混乱してくる頭。
 過去の記憶のない自分。
 つらい、寂しい、怖い…なんて感情すらも忘れてしまっていれば良かったのに。
 感情なんてモノ、なければよかったのに。

 ぎゅっと持ったそのオルゴールを、老人は瞳を細めて見つめる。憐れむような、労るような、瞳の色。



 再び、柱時計から電子音が流れる。
 はっとして、外を見遣る悟空に老人は一言声を掛けた。

「そのオルゴールは、お前さんにあげるよ」
「…え?」

 時計の電子音、まるで早く出るようにと急がせるような曲調がいやに心を騒がせる。けれど、老人の言葉に一瞬気がとられる。

「これを持って、お帰り。」

悟空の手の平のうえにぎゅっとそのオルゴールを握らせると、指で入り口のドアを指し示す。

「早く出なさい。そろそろ時間だ」
「…?うん…ありがとう……」

 確かに空は黒いカーテンが掛かる直前までになっていた。八戒にも余計な心配を掛けてしまう。それでなくても朝、黙って出てきてしまったのだから。

 ドアに手を掛けて、そしてきぃっと外への世界が開かれていく。ドアの外へ踏み出す前に、悟空は小さく昨日と同じセリフを呟いた。

「明日も…来てもいい?」

 その言葉に、少し淋しげに老人は首を縦に振る。

「ああ、いつでも来ればいい。ここは、いつまでも変わらないからな」
「…変わらない?」

 変わらないものなんてないのに。
 ここだって、変わっていくだろうに。自分がこのオルゴールを手にしただけで…この世界は変化しているだろう?

「この世の中は変化して進んでいく。
 物事は変化を伴う。けれど…それは、」


―不変的なものがない、という意味じゃない。


「…え?」

 ドアの外から夜の風が悟空の体を取り巻く。どことなく火照っていた躰を、鎮めてくれるようなひんやりとした空気。

「時が進んでいるのなら、その時と共に変化していく。それでも、ずっと昔に込めた曲の中の想いは…今でも生き続けている。」

 それを感じ取ったから、自分はこの曲を選んだというのだろうか?普遍な想いが、自分にリンクしたから?

「出なさい、ここから。時を止めてしまっても…仕方がないだろう?」

 悟空は手の平のオルゴールをぎゅっと握りしめる。そして、ドアの外の光景を見遣る。
せわしなく時を過ごしていく人々、ゆっくりと時を感じている人々。彼らの姿が網膜に映る。
 ドアを閉めた瞬間、悟空の視界に入ってきたものを微かに捕らえる。
 かすかな違和感の正体。それをはっきり感じて。
 それの意味を理解して。


 明日も自分はここに来てしまうのかも知れない。…そう、思いながらドアを静かに閉めた。


 店の中央にある柱時計。
 時計の針は、まったく動いていなかった…

 時の流れに外れた、空間。
 時を重ねない空間に、変化はないから。

「変化の中にあってこその…不変が感じられるんじゃよ?」

 そう、老人は静かに呟くと、再び籐の椅子に腰を下ろし目を閉じた。