◇ ◆ ◆ ◇
十月二日。晴れ。
中秋の名月。綺麗な 満月が期待できそうです・・・・
−どうして・・・、わたしを助けるの?
目の前が赤く染まる。夕焼けよりももっと鮮明な、赤。
腕にずくんっと、痛いよりも、熱くて重くて。
・・でも、そんなことどうでもよかった。
赤一色の世界の中、唯一自分の目に映る、純白のような淡い色の少女。
そして、月の光によって、優しげな淡い色彩の光に輝き出す、見たことのない華。
透明の彼女の涙の滴は、静かに花弁へと弾けとぶ。
−・・もう、一人は・・・イヤダ
(・・・・だよ。だから、・・これあげるから・・)
自分が何かを言って、何かを彼女に渡す。
それから・・・、そう、覚えていないのは疲れてたから。
あの日、自分は確か・・・。
「椿!何度言ったら起きるの・・・?」
頭にパンチがヒット。がばっと起き上がる。そして、おそるおそる壁時計に視線を移し、・・・・そして絶句。
「なんでもっと早く起こしてくれなかったのよう!!!」
いつものパターンで、1日が始まる。
慌てて着替えると、洗面所に快速急行。
「おかーさん、今日もごはん学校で食べる!」
ああ、もう日直なのに・・・、とふうと恒例の朝のため息。
「パンだけ焼いたから、これ食べて行きなさい!」
腕時計の時間は7時20分。まあ、7時50分に着ければいいか・・と、ぱたぱたとキッチンへ急ぐ。
『今日は、中秋の満月です・・。お天気は、とてもよい秋晴れで・・』
テレビのアナウンサーの妙に明るい天気予報がラジオから流れる。
十月二日。
「おかーさん、今日中秋の名月だって!」
「へえー、そういえばこの日に名月が当たるのは、・・5年ぶりじゃない?」
かたん、と一瞬自分の何かが、音を立てたような気がして。
「・・・なんで、そんなこと、覚えてるの?」
「どうしてって、ほら、その日確か、椿が12歳のとき剣道大会初めて優勝したじゃない。でも、その後、夜遅くまで帰って来なくて、しかもそのときもらった、メダルなくしてきちゃってて・・・」
「そんなこと・・・?うそ、だって、あの日・・」
十月二日。五年前の今日。・・・あの時、自分は一人じゃなかった・・・。それに、そうだ・・・。
十月二日。誕生日。・・・誰の?
ぱりん、と何かがはじけて、隠されていたものが浮かび上がる。
いつも、思い出したかのように繰り返し見る夢。
もやにかかって、はっきりしなかった場面。話したこと、起きたこと。
ふいに 腕にかすかな痛みと、温かさを感じた。
今まで、全く気にしていなかったのに。気づかないのが、おかしいのに・・。
忘れてた?・・忘れさせられていた?
「・・お母さん、私、この腕の傷・・・・」
「ああ、それね、その日に帰って来たら、あったのよ。でもね、ケガしてるはずなのに、全くしてなかったのよ、あなた」
「・・え?」
「試合中に、足捻挫したのに、治ってたのよ」
「どういう・・」
(・・・ごめんね・・つばきちゃん・・)
涙。赤色。満月。痛み。・・花。そして・・・・
「そうそう、それからその日ね、確か女の子がね・・」
「お母さん!ごめん、学校行ってくる!!」
日直なんて、どうでもよかった。会わなくちゃいけない、彼女に。たくさん聞きたいことがあった。でも、たった一つだけ・・・。
すべてのかけらが、一つのことを鏡に映す。優しいあの子。どうして気づけなかったのだろう。
彼女のすべてが、誰に向けられていたのか。
「あ、今日多分、遅くなるから!今日、渉の・・誕生日だから」
ぱたん、と乱暴に閉めると、学校とは全く逆の方向に走りだす。
何年も一緒にいるのに、よく考えると、『誕生日』しか知らなくて・・。
でも、そう、あの場所に行けば、すべてが分かると思う。
五年前の今日。私は、あの場所で・・。
すぐ目の前、あれから、くるのはこれが最初。
この場所。
その公園の入り口を目指して、走りだす。
そこに、行けば、会える。
「危ない!!!」
誰かの叫び声。
え、っと思った瞬間。
キキキキー!
不快なブレーキ音。
ドンっと体に重い力がかかったかと思ったすぐ後、体が軽くなったようになり、
そして、意識が遠くなってゆくのを感じた。
(こんなところで、こんなことしてちゃ・・、いけないのに。)
重力に逆らえぬまま、椿のまぶたは閉じられていく。
最後、目の端で捕らえたのは、端整な顔立ちの少年、緒方譲だった。
悲鳴と叫び声。病院から近かったせいか、救急車のサイレンがあれからすぐに聞こえてきた。
そんな人々の騒ぎのにはまるで関心無さそうに、騒ぎのむこう、公園の一点を見つめる。
あきらめたような、寂しそうな表情。ぎゅっと、にぎりこぶしをつくる。
「
・・・本当に、これでいいのかい、渉」
誰に言う訳でもなくつぶやく。
朝の風がふんわりと譲の肌をかすめていった。
◇ ◆ ◆ ◇
焼け付くような痛み。重い、重い、鈍い痛み。
−どうして・・?私を、かばったの?
理由何か、なくて。ただ、体が勝手に動いた。
みていられなくて。同情じゃない。もっと、もっと、強い気持ち。
ひとりぼっちは、さみしいといって泣いていた。
うっとりとした、でも悲しそうな瞳で、『砂月華』と彼女の呼ぶ花の花弁に触れていた。
すべての記憶が、明らかになっていく。
そう、あの日は、お母さんの言うとおり、一人だった。
剣道大会で初めて優勝して、教室の先生たちと一緒に夕ごはんを兼ねてのお疲れパーティが行われていた。
その後、闇色の夜空の中、ぽっかり浮かぶ満月がまるで、自分が今日もらってきた大切な優勝メダルととても似ているような気がして、もっと、その月がよく見たくて、町の小高い丘にある公園へと椿は走りだしていた。
夜の公園は、昼の賑やかさや明るさの中の雰囲気とは全く違う姿を見せていた。
それでもこわくないと思えたのは、やはり辺りの闇を包みこむかのような月の光のせいだろうか。
握り締めていた右手の中のメダルを、ブランコに座りながらその光にかざす。
「うわぁー・・、キレイだ!」
金色のメダルが月の光を反射させて、きらきらと辺りに光の粒子を作り出す。今まで見たこともないくらいきれいで、そしてなんだか嬉しくなって、もっと光をかざそうと立ち上がる。
「・・・・あれは?」
高くかざしたメダル越しに月の光が一筋、空から伸びているかのような道を作り出しているのが見えた。淡い光りに照らされたその下は、キラキラと虹色に輝く。
椿はメダルを胸ポケットに入れると、不思議なその引力に引かれるようにその虹色の結晶へとゆっくり近づいていった。
かさかさ、と短い草を踏みながら徐々に、光の中心に近づく。もう少し、と思ったとき、ぱぁぁと白い光の粒が椿の周りを染めていく。なんとなく、暖かくすら感じた。
「わぁー・・・!きれい・・・」
同じ言葉をさっきも言った気がするけど、それとはまた違うニュアンス。
目の前、月の光を受け、透明な輝きを放つそれ
・・・・・・一本の美しい花。
何色にも、光によって微妙に変わっていく花びら。月光が降り注ぐ中、毅然とした姿勢で咲き誇っている。見たことのない花。月が見せる、幻のようで。夢の中にいるような気分になる。
つ、と自然にその花に触れようと指をのばして、首をかしげる。
その花に寄り添うかのように、少女が一人、ひざに顔をうずめるようにして小さく座っていたのだった。肩の辺りで切り揃えられた、ふわっとした癖毛。
微かに、嗚咽が聞こえてくる。
花に触れようとした腕を下げたときに微かに空気の流れが起こったのだろうか、黒髪の少女はゆっくりと顔を上げると、じっとこちらを見つめてくる。まるで映画を見ているように椿をその黒い大きな瞳に映す。
可愛らしい顔。くりっとした瞳。赤い唇と白い肌、そして黒髪。儚げな雰囲気。この白い光の中では、溶けてしまいそうで。
「ねえ、どうして泣いてるの?」
初めて、少女の瞳が揺れる。不思議そうに椿を見つめる。
「どこか、痛いの?」
戸惑いの表情で、首を傾げて椿に小さく尋ねる。
−私が・・・見えるの?
その言葉に今度は椿が首を傾げる番だった。
「・・見えるよ」
不思議に思いながらも、はっきりそう答える。
そんな椿から視線を自分の隣、虹色に輝く花へと移した。
さっきよりも、一段と輝きが増しているようで、花びらは力の限り月に向かって開き、花粉すら光の一部になっているかのようだった。
いつの間にか、月はほぼ、2人の、いや花の真上にさしかかろうとしていた。
「きれいな、花だね。名前は?」
−この花は、砂月華。
何年かに一度だけ、月がこの花の蕾を白く輝かせる一日だけ花を咲かせることができる
・・今日が、その日。
いとおしげにその花の花弁を小さな指で少女はなぞる。光がそれに絡み付き、すぅ、と吸収されるかのように消えてしまう。
「一日だけ・・?可哀想・・」
こんなに綺麗なのに、今しか輝けないなんて。しかも・・・。
−どうして?
意外そうな少女の声の響き。
−ずっとほしかったものをもらえたのだから、月砂華は幸せだよ。
それが・・・たとえ、最後だとしても。
微かに微笑んだ瞳から、涙が幾筋もほおを伝い、花びらはそれらを受け止める。
「でも、こんなに綺麗なのに。太陽の下で、咲けないんでしょ」
その言葉にきっと椿を睨みつけるように見やる。
ひどく傷ついた瞳。このまま壊れてしまうのではないか、と考え、しかし一度言ったことを訂正することもできなくて。
不意に少女は立ち上がる。背は同じくらいだろうか。しかし、正面から見つめられるその視線はとても強くて、でも、自分にまで痛いほど伝わってくる、その強さの下にあるガラスのような感情。
−・・・ずぅっと、この花を見たかったの。お母さんからお話を聞いたときから。
いつからか、この花が自分とよく似てるって思った。けどね・・・
きらっとした細長いものが、少女の左手に光る。
−違うって分かったの。だってね・・とても綺麗に咲いてる。
ちらっと砂月華を一瞥したあと、手にもつ何かを、ゆっくり正面にもっていく。
−・・砂月華は、それで幸せなんだって。月の光が、すべてを癒して包み込んでくれる。
『光』にきづいて、自分を見てくれてることに気づいた・・
大粒の涙が幾筋もほおをつたっては、消えていく。きゅっと握り締める手。
寂しくて、怖くて。ずっと、そばにいてくれるって約束した人がいなくなってしまった。どうして、私を置いて行くの?
怒り、悲しい、怖い、淋しい・・
(最後マデ 信ジテタノニ・・・)
「わっ!・・え、なに・・?」
つむじ風のように、白い光の渦が少女の体を取り巻き、髪を強くなびかせる。
「え・・ち、ちょっと!ダメだよ!」
椿は、突然沸き起こった突風に吹かれながらも、その少女の手に握られたものの正体に気づく。
小さな銀細工のナイフ。
それをどう使うかは、一目瞭然だ。
−やっぱり・・、私は、生まれてこなければ、よかったの?
ナイフを胸にあてがう。何かを祈るようにナイフを握り直す。
そのあと、ゆっくり椿に振り返って、小さく笑った。
さっきと全く違う、よどみのない透明な心を反映したかのような、澄みきった笑顔。
その瞬間、椿は自分でも信じられない力で、その少女のところへと走り寄った。
『・・ありがとう』
ナイフが振り下ろされる。
「ダメーぇ!」
ドン!
暖かい体温を椿は感じて・・そして、目の前が真っ赤に染まり始める・・・
うっすらとした意識。もう消えてしまうのが分かるけれど、どうしても言ってあげたい言葉と、渡したいものがあった。
どうしてこんなことまでしているのか、よく分からないけれど。
寂しそうに、震えている心。守ってあげたいと、思ったから。
同情じゃない、もっと深い共鳴。
(・・どうして、助けたの?)
薄れていく視界のなか、少女の手にナイフがないことを確認すると、それでほっとする。さっきの質問とは全く関係のない言葉を、最後に唇で伝える。
『椿が、ずっと・・、いっしょにいるから・・。』
名前は?
「・・水沢 渉。」
素直に名前を答える渉に、椿は胸ポケットからメダルを取り出し、渡す。
約束の、証し。手と手が触れ合う。
心地よい暖かさ。だれかに受け止められている?
何回か、ほおにも暖かいものを感じながら、椿の意識は深層へと落ちていった。
(そう・・これが、あの日起こったこと。)
忘れていたんじゃなくて。
いつからか側にいたのかとか、考えることもない。
今までの2人は全部現実で、事実。
渉のヒーリングは彼女の純粋な心。
でも、どうしても、聞きたいことがあった。そして、言いたいこと。
最後に、伝えておきたいことがあったのに・・・。
◇ ◆ ◆ ◇
(椿ちゃん・・・ありがとう)
日の光のような、鮮やかな笑顔。初めて、見た気がする、こんな渉を・・・。
(もう、大丈夫だよ。椿ちゃん、痛くないよ。私が、治してあげるから)
静かに、渉が自分に手をかざす。優しくて、温かい力。春の生命力が、自分の体を包み込む。
(最後に、椿ちゃんを守れてよかった・・。)
なんだか、心地よくて、体が軽くなるようで。椿は渉の手に自分の手を重ねた。
あたたかくて、嬉しくて。渉のこんな笑顔を見れたのが嬉しくて。
まぶたを閉じて、そして、徐々に意識を浮上させていく。
「・・・ここは・・?」
薄暗い部屋。清潔なシーツの匂い。窓には薄いカーテンが引かれている。
電灯はついていないのに、ほんのりと明るい。
窓越しの、月光。透明な空気が、その光を研ぎ澄ます。
「綺麗・・・」
ここが、病院であることを理解する。朝のことも。そして、忘れていたあのことも。
満月をもっとちゃんと見たくて、ゆっくり体を起こす。まともに車に撥ねられたのに、全く痛みもないことに気づく。
「・・・渉?・・・・あれは・・」
窓ガラス越しに、月が見える。そして、その月から、一筋の光の路。
原光景。5年前の今日。同じ風景を椿は見た。そして、そこにきっと、彼女もいると分かる。
朝、会えなくて。
でも、何か胸騒ぎがして、あわててベッドを飛び降りる。
信じられないけれど、まったくどこも痛くなくて、渉の温かさがまだ感じられる。
今いかなきゃいけない。伝えなければならない。
「・・・いかなきゃ・・」
どんどん、月は空高く上っていく。
ドアを開けようとした瞬間。後ろから、声をかけられる。
「どこへ、行くんだい?」
いつもと変わらないトーンの少し低めの声。振り返らなくても、だれか分かる。
彼女と同じ、端整な顔立ち。そして、どこか似た空気を持っている人。
「・・渉のところへ行く。」
「どこにいるか、分かっているのかい?」
こくん、と椿はうなずいた。
「それなら、こっちに来るんだ」
「・・え?」
思わず振り向いた椿の前に、握手を求めるように手を伸ばす。
「今から走って行っても、きっと間に合わない。だから、僕の手を取るんだ」
「間に合わないって・・」
「時間がない。僕の手を握って、いいというまで目を閉じて、渉のいる場所を強く求めるんだ。」
いいね、といって椿に促す。
「ありがとう・・譲君」
その言葉に少し譲は表情を緩める。
そのしぐさや雰囲気が、とても渉に似ている、そう椿は思いながら、手を重ねた。
(椿・・着いたよ。)
光の暖かい空気。柔らかな白い光。五年前とまるで一緒の光景。
(・・渉を、お願いするよ、椿)
心に直接響く譲の声に、椿はこくん、とうなずく。
足を、一歩一歩踏み出し、あの『砂月華』があるところへと歩む。
感覚で覚えている道筋。でも、確固たる自信。
それが正しいことに、少しして認識する。
「・・・砂月華」
五年前と同じ、月の光を浴びて虹色に花びらが輝く。
自らも輝くその光の粒は変わらなく透明で、とても神秘的な光景。
何者にも犯し難い、神聖な光。
あのときよりいくぶん輝きが強いのは、月があのときよりもっと高くで輝いているためなのだろうか。
そうして、その光の渦の横で、その光を全身に浴びて、花びらを見つめている少女。あのころより成長した姿、少しだけのびた癖毛の黒髪。
可愛らしさと儚さ、幻想的な雰囲気は変わらないけれど。
その表情は、あのときとは全く違ったもの。
とても、幸せそうにほほ笑むそれ。
・・でも、あのときと違うことがまだあるような気がして、不安が心に広がる。
「渉・・・」
「・・椿ちゃん、きてくれたの?」
声や笑顔はいつもの渉。
「渉が治してくれたんだね、ありがとう」
渉はとても嬉しそうに立ち上がって、椿を見つめた。
「・・椿ちゃんが、五年前私を助けて救ってくれた。ほしかった言葉を、とても自然に言ってくれた。・・それと同じことを、私も椿ちゃんを守ってあげたかったんだ。」
「・・・」
「私はあのとき、自分の魂で自分の心を殺そうとしていたんだ。とても、淋しくて、そうするしかあのときの自分には方法がなかった。
でもね、椿ちゃんが私を見つけてくれて、命懸けで私を救ってくれた。」
渉の指が、柔らかくかすかに残る椿の傷痕に触れる。
「これはね、私の代わりに傷ついてしまった場所。治してあげたいと思って、触れたら、傷が治ったの。きっと、月が力を私に預けてくれたのかもしれない。
少しの間でいいから、椿ちゃんの側にいたいと思って・・記憶を作り替えてしまった」
そこまで言って、渉はすこし、つらそうな表情で地面に視線を落とす。
ごめんなさい、と消え入るような謝罪の言葉。
「でもね、嬉しかったよ、側にいられて。自分をちゃんと見てくれる人が側にいてくれて。・・・私は、砂月華になれたんじゃないかなって」
渉のひざの辺りで白く輝く砂月華。
少しかがみこんで、渉は再び花びらに触れる。
その瞬間。
「・・・え・?」
すっと渉の指がその花びらを通り抜ける。そして、花びら自体が徐々に、光の粒子に変化していく。信じられない光景。
反対に、ますます月の光は強くなっていく。驚いてしまっている椿に、渉はくすっと笑うと、左手で上空を指し示す。
「・・・・月が」
月の光はいつの間にか真上から注ぎ始めていた。そして、今にも西へと下りていこうとするようだった。
「・・砂月華はね、自分のすべてを月に捧げて美しく輝くの。そして、それが終わった後は、花は、砂になってしまう。」
あまりにも悲しい最期に椿は、そのまだ美しく輝く花に近づき見つめる。
「・・・消えちゃうの?」
こんなに、綺麗なのに?
「消えないよ。ずっと、いつも一緒にいるの」
また次会えるって、分かっているから。
「とても、幸せなんだよ、この花。たとえ一瞬でも、心から輝いていられるから。側に一番あって欲しいものがあるから・・。
わたしも、最初分からなかったけど、椿ちゃんに会えて分かった気がする」
光の粒が花から次々に月へとのぼっていく。最期のクライマックスのようだ。
完全に花が月に帰ってしまい、砂がさらさらと地面に落ちる。
「渉・・どうして、渉まで?」
白い光が渉を包んでいく。ぽぉ、と輝く渉はほとんど消えそうで・・。
「なんで・・。」
−あの日、月が私の願いをきいてくれた。椿ちゃんの側にいたいって。そしたら、ヒーリングの力を授けてくれたの。そして、次の砂月華が咲く時に、迎えに来るって・・。
ふわっと、渉の体が浮かび上がる。
「やだよ・・渉!」
椿は駆け寄り、渉の腕をとろうとする。でもその指には透明の光の粒が絡み付くだけ。どうしてだか分からなくて。記憶は全部戻ったんだからまた、始めればいい。
渉は、砂月華じゃない。
−椿ちゃん、私、あのときの椿ちゃんの言葉嬉しかったの。
『見えるよ・・』
−私にとって、椿ちゃんは太陽でも月でもなくて、私そのものだったんだ。
(ウマレテキテ ヨカッタ)
ぽろぽろと、椿の瞳から涙がこぼれる。
何か伝えたいことがあって、ここに来たのに。
涙がすべてを流していくように感じる。
嗚咽をあげて、椿はその場にしゃがみこむ。
少しして、目の前に何かが差し出される。
「これは・・・」
にっこりほほ笑みながら、愛しそうにそれを渉は椿に渡す。
忘れられないもの。・・金色の優勝メダル。
−これは、私の存在そのものだった。
・・あのとき、椿ちゃんは私に、心からの想いをこれに込めて私の存在をつなぎ止めてくれた。
五年ぶりのメダルとの再会。優しい気持ちが、メダルを通して自分の心を包んでくれる。
−今度は、私の番だよ。ずっと、椿ちゃんの側にいたいから、側にいさせてね。
徐々に、渉の姿は光にかき消されていく。
今言わないと、すべてが砂になってしまう気がした。
ぬけがらじゃない、本当の渉に伝えたいと思った。
視界が涙に揺れていく。伝えたかったことが素直に出てくる。
「渉!・・私と一緒にいられて、幸せだった?」
渉にどうしても尋ねたかったこと。そして・・・
椿は、涙をキュッと拭うと、にっこりと笑って渉に手を振る。
「私はね、渉!渉と一緒に過ごせて、とても幸せだったよ!」
それを伝えたときにはほとんど、何も見えなかったけれど。
その光が一瞬、瞬いて、まるで渉がうなずいて、笑いかけたように椿には感じたのだった。
すっとすべてが幻だったように、消えていく。
そこは見慣れた公園の中で。空には、少し傾きつつある満月が闇夜を優しく照らし出していた。
足元には、白い砂が少し。
ほとんど変化のない世界の中、確実に何かが存在してそして、生まれ変わるために消えていく。
「・・椿、ありがとう」
「・・・私こそ、譲君のおかげだよ」
譲の体も、薄く光を帯びている。
「渉の言ってた、お迎えって、譲君だったんだね」
その椿の言葉に譲は苦笑いをする。
「椿はやっぱりすごいね。」
褒めているんだかなんだかわからない反応に、椿もくすくすっと笑いをもらす。
「・・僕はね、渉の双子の兄なんだ。二卵性だから似てないけどね」
「やっぱりね、雰囲気がとても似てる・・」
「僕らの両親はね、子供に全く愛情を注いでくれない人だった。いつも、言われたよ、『生まれてこなければ よかったのに』って」
淡々と自分たちのの事を語る。椿はただ静かに聞いていた。
「でも、僕は渉がいればそれでよかったから、別に気にしないでいられた。でもね、渉は違った。自分の心の中に、もう一つの世界を創り出してしまった。自己防衛本能だね。『砂月華』は彼女の心のよりどころだった。そして、砂月華が彼女のすべての思いの結晶になっていたんだ。」
じゃあ、あれは彼女の心が創り出した幻影だったのか?
「ずっと、僕が側にいてあげれればよかったんだけど、無理だったんだ・・。
養子に出されてね。その後、だんだん、渉は壊れていった。そして、あの日、母が自殺した。・・最期まで、彼女は僕たちをみてくれなかった・・・」
「それで、あの日・・・」
でも、それじゃあ、渉は生きているんじゃないのか?
そう無言で問いかける椿に気づいたのか、譲はかぶりをふる。
「椿の見た渉は、渉の世界の『渉』の姿。月の力が、渉に与えられたんだろうね。そして、椿はそこへ偶然やってきた。そして・・・」
渉の心を助けてくれた・・・・・。
「・・・・渉は、母親に銀のナイフで殺されたんだ」
◇ ◆ ◆ ◇
ブランコの音がきしむ。その上に座りながら、手元に残った優勝メダルを見つめる。あのあと、譲はもう帰らなければ、と闇に溶けるように消えていった。
「・・・ぼくのこの力も、きっと月が貸してくれたものかもしれない。
きっと、もう使えないよ」
っていうより、使いたくないけど、といって優しく笑う姿に渉が重なる。
「・・ありがとう、椿」
(ありがとう、椿ちゃん)
にっこり笑って、椿は譲を見送る。また、会えたらいいねと。
手の中の硬質のメダル。月の光にかざしてみる。
あのときと同じ。綺麗な光。
椿の想いと渉の想いがつまったメダル。小さくても、広くて深い。
渉は、あれでよかったといってた。ヒーリングの優しい浄化の力。
「渉、また会えたらいいね・・」
十月二日 月の滴の下で・・・。
〈END〉 |