法隆寺-(3/15)

金堂(1/3)

西暦586年、聖徳太子の父君である用明(ようめい)天皇が自身の病気の平癒を願って,寺と仏像を造ることを誓いましたが、翌年に願いを果たさぬまま逝去されました。用明天皇の妹君である推古(すいこ)天皇と聖徳太子は、亡き天皇の願いを果たすため、推古15年(607)に寺とその本尊である「薬師如来(やくしにょらい)」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩(いかるが)寺とも呼ばれています)であると伝えられています。
しかし、日本書紀によれば、天智9年(670)に寺は焼失し、和銅4年(711)に再建されたとされています。法隆寺は、当初、用明天皇の為に創建されましたが、この再建を機にして、法隆寺は聖徳太子信仰の寺と変わってきました。

金堂 (国宝)