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前東京都杉並区長「山田宏」氏 基調講演

平成28年2月7日(日)
会場: 奈良商工会議所大ホール

前杉並区長の山田宏氏は、杉並区長を11年間務められ、その間で財政再建と教育改革を実践され、多くの問題解決をされ様々な成功をおさめられた首長であります。そこで、奈良市の抱える状況とも類似しております事から、講演を頂き、奈良市の問題解決の参考に成ればと企画されました。
当日は市民約240人が参加され、立ち見がでていました。又奈良県、奈良市選出の国会議員の堀井巌参議、前衆議院の小林茂樹氏等も来賓参加されていました。
講演記録メモをアップします。

前東京都杉並区長「山田宏」氏 基調講演

  • 演題: 「子供が増える国、誇りある日本へ」
  • 日時: 平成28年2月7日(日)
  • 会場: 奈良商工会議所大ホール
  • 主催: 奈良市議会議員植村佳史後援会
【講演記録メモ】

植村市議は、志を同じくする同志であります。奈良市は、日本の国の土台を作った地域です。しかし今その日本全体の土台が緩んでいます。奈良市から大きなうねりを作ってもらいたいと思っています。

松下幸之助さんの大仏殿再建と教育に対する懸念の話

私の母は京都市生まれで、私は東京生まれですが、本籍は山口です。山口の偉人と言えば吉田松陰先生ですが、それだけでは無く小さいころから「重源和尚」のお話を聞いています。大仏殿の再建に尽力された方です。私たちは重源和尚を思う時に奈良の大仏殿を思いおこします。1180年に平 重衡が火を起こして消失した後に、後白河天皇の命を受け再建に山口県の木を切って使いました。その事から、奈良の大仏さんと言えば、私は松下政経塾におりました頃の松下幸之助さんのお話を思い出します。その時は松下幸之助さんが御健在で、江口さんと言う秘書の方(PHPの社長)から話をききました。

秘書時代の江口さんは松下幸之助さんから、真夜中にでもよく呼び出されたそうです。有る時に松下さんは「NHKのテレビで言うとったが、大仏さんは聖武天皇の権力の象徴であると言うとった。こんな教え方をしとったら国が滅ぶで、そう言う見方もあるが、当時は疫病が流行って大変な状況やった、そこで、聖武天皇が世の中を良くしたい、なんとかしたいと願って、仏様にすがろうと願って、国民総意で作った象徴であるわけや。どうしてそういう風に教えないのかな?権力者の悪い事ばかり教えていたら、これでは子供がひんまがってしまうわな。こんなことではあかんなあ。」と教えられた事を思い出します。

日教組全盛時代の自虐的教育を受けた我らの覚醒とは

当時は植村さんも同じ時代で、1970年代小中学校だった頃は、日教組の全盛期であって、槙枝元文(30年に渡って日教組のドン、ミスター日教組と呼ばれた)が日教組の委員長をやっていた大変な時代でした。進歩的文化人と言ってマスコミ等もあおっており、我々は進んでいる。彼らは遅れていると言った傲慢な言い方であった。この方々は、例えば、12月25日はクリスマスでお祝い12/31はお寺で心を澄ます、1月1日は神社に参拝に行く。日本人の宗教はなんなのだ?このような曖昧さが日本の遅れである。そういっていた。たしかに、家には神棚もあるし、仏壇もあるし、祖母はキリスト教であったから十字架もあった。先生にそのように言われて、山田家は仏教なのか?キリスト教なのか?神道なのか?わけがわからなかった。

そこで、キリスト教の祖母が教えたくれた。「宏ちゃんねえ宗教はね、自分の魂を磨く為にあるのよ。自分の魂を磨く砥石なの鑢なのよ、人間は宗教と言う道具を使って自分の生れ出た魂を綺麗に磨いて、又、元の所に帰るの。だから色々な道具があったほうが、心がきれいになるのではないかな?日本人は器用だから、仏教で磨いたり、キリスト教で磨いたり、また神道で磨いたり、その時々に応じて自分のごつごつしている穢い魂をそうして綺麗にしてきた民族だから、本当に美しいと思わない」成るほどなあそう言うものなのだ。と思い進歩的文化人と言われる人々の意見とは違う、祖母の素朴な意見に、私はなにか胸を晴れる気分になりました。日本人に生まれて良かった。本当にそう思いました。

戊辰戦争を東西戦争と呼ぶ会津の教育に学ぶ

しかし学校では相変わらず、日本は侵略をした悪い国と教えています。テレビでもそう言います。本当にそうなのだろうか?私もそう思っていました。30才を超えた頃、東京都議会議員の時に、会津若松に視察に行きました。福島県です。私の父は山口県です。長州と会津若松は戊辰戦争で戦いました。もう百何十年もたっているのだと思って、視察が終り、夜に小さな料理屋さんで一息つきました、本当に気分がよかったものですから、そこの女将さんに、いやぁ私の出身地は山口県でしてと、言った途端に、一気に店は凍りつきました。先まであんなに愛想のよかった女将さんが、一言も口を利かなくなって、店に居づらくなって、店を追われるように出て行きました。

百何十年経っても、会津の人たちにしてみれば、山口県は仇敵なのですね。なぜこんな事に成っているのかと思い、翌日教育委員会に行って、いったい戊辰戦争の事を会津は、福島県はどう教えたのか興味をもちまして、いっぱい資料を家に持ち帰って読みました。そしたら面白い事が分かってきました。先ず、福島県会津の教育は、戊辰戦争と呼ばない、東西戦争と呼んでいます。ですから明治維新の官軍側の言葉を使わない。そして会津の当時の子供達に対して、会津は戦には負けたけど、しかし会津武士こそが、最後まで徳川家に忠義を果たした。武士道の鏡だと教えている。会津こそは、最後まで武士道を貫き通した。しかし戦は負けた。しかし会津武士は立派だった。このように教えるわけです。戦の勝ち負けと、正義が何処にあるかという事とは、違うのだよという事を、だから子供達に、誇りを失うなよという事を教えてきた。だから福島県からは、数多くの偉人が出て来ております。もちろん野口英世だけではありません、柴 五郎(陸軍大将:義和団の乱の防衛戦で賞賛を受け、欧米各国からも勲章授与が相継ぎ、『タイムズ』の記者ジョージ・アーネスト・モリソンの報道も相俟ってリュウトナンコロネル・シバ(柴中佐の意)は欧米で広く知られる最初の日本人となった)と言う、いずれ大将にはなりましたけれども、義和団の中国での大きな騒乱の時に、欧米各国から大きな評価を得た日本の駐在武官も会津出身でした。

それに比べ、我が日本国の戦後は、70年前の戦争を、太平洋戦争と言い換え、アメリカ軍の言い方に換え、大東亜戦争と追う言葉は捨て去り、さらに日本国は悪い事をした、侵略国家だったから負けて当たり前かのような言い方が、進歩的と言う風に言われる。会津の敗戦と、我が日本国の敗戦の差を見ますと、歴然たるものがあります。会津は負けたけれども、正義を貫いたのだと教える。私は日本が一方的に正しかったのだとは言いません、だけれども、喧嘩と言うのも、戦と言うのは、どちらにも言い分があるものです。日本の言い分が邪悪だったとは全く思いません。しかしですね、夫婦喧嘩でもそうです、どちらかが一方で正しくて、どちらかが一方で間違っているという事は無いです。必ずどちらにも言い分があります。どちらにも誤りがあります。国と国との戦も戦争もそうだと思います。話し合いで解決できなくなって結局、戦争になってしまう、残念ながらこう言う事であります。会津の戦後と日本の大東亜戦争の戦後、これを比べた時に、この大きな違い、ここが非常に大事だと私は思います。子供達が、背筋が伸びているか、卑屈にならないかどうかと言う違いであります。

本格的な経済回復には、日本人としての誇りや自信が必要

先日、新聞を読んでいましたら、自分の事が好きになれないと言う子供達が小学校の男子で21%、女子で33%、中学校の男子で50%、女子はなんと63%が、自分の事が好きじゃない、こう言う子供達が増えています。この数字は日本だけです。自分を肯定できない、なにか自分が生命の重さを感じない、だから自殺も多い、自分命を重く感じられないから他人の命も重く感じない。だから変な殺人も増える。全部、一緒なのです。自分の自己肯定感とか自分に誇りとか自信が持てない。それは日本の大きな問題だと私は思います。

安倍政権になって、アベノミクスは一応いろんな成果を収めています。民主党政権と比べて格段の差になりました。しかし私はまだ本格的なところまで行っていないと思います。なぜ本格的に経済が回復しないのか、なぜ本格的に日本の背骨ができてこないのかと考えてみますと、私は日本人が日本人としての誇りや自信と言う自己肯定感を、未だ持ちえていないからだと思います。もし自信や誇りが取り戻すことができれば、どんなに苦しい環境でも必ず、立ち上がる事が出来るけれども、自信や誇りを失えば、やはりどんなに恵まれた環境でも、本当に立ち上がる事ができない。ちょっと風が吹くとすぐに寒い、すぐにまいってしまう、それぐらい自信や誇りを取り戻すことは、私は経済とかいろんな部分よりも大事だと思っております。

杉並区長(市長)時代に、財政再建には教育再生が必要と確信

それは杉並区長時代に感じました。すこし杉並区長時代の事を離させて頂くと、東京都の杉並区は23区の一つで52万人の人口で、区長と区議会があり選挙で選ばれます。市長と議会みたいなものです。その口調を11年間勤めましたが、私が杉並区の区長に成ったときは、財政が火の車で、借金が2000億円近くあり、基金は殆ど0で、支出の内の94%が固定費であり、固定費は誰が区長に成っても出て行くお金です。家庭でも固定費は有りますよね、光熱費だとか必ず出て行くお金です。これが支出の94%ですから、なんにもできない。これが当時の杉並区の状況でした。自治体の場合の固定費を覚えてほしいのですが、自治体の固定費は三つありまして、一つは人件費(職員。議員等の給与)、2つめは公債費(借金の返済)、3つ目扶助費(福祉等)こう言うお金で94%が出て行きますから、残りの6%でいろいろな仕事をしなければならない、できるわけがありません。借金だけが積り積もってきます。
そのような状況であったから、財政再建には固定費を削らなければならない。皆さんだったらどれを削りますか、借金の返済は削れませんよ、福祉も国の基準だから削れません、そうすると人件費を削るしかありませんね、結果は、私は杉並区の職員4000人を10年間で3000人にまで減らしました。その結果杉並区の財政は良くなりました。942億円あった借金は、5分の1以下の180億円迄減らしました。貯金は19億円だったものが230億円まで増えました。94%の固定費は70%台迄にもなりました。ずいぶん余裕ができたものですから、借金も返済し、そしてサービスも増やしましたから、杉並区のサービスは全国No.1に成りました。
4000人の職員を3000人に減らすにあたって首を切ったのではありません。毎年定年退職者が出ます、例えば100人退職者が出ます、そこで、100人採用すると減りませんが、20人しか採用しなければ、80人職員は減ります。これを10年間繰り返して、結果1000人が減りました。職員一人雇いますと、だいたい年間1000万円ほどかかります。だから1000人減らすと100億円の人件費が減ります。もちろん職員の仕事を民間に委託しますからここで事業費と言う形で出て行きますが、だいたい60%位で済みます。それでサービスを増やしました。当時は土日も営業していました。サービスもトップクラスに成りました。
やればできるのです。スタートラインは何かと言いますと、自分の給料の削減です。就任した当日、自分の給料を15%カットして、ボーナス半分にしました。専決処分といって、本来は議会に掛けなければならないが、先ず自分の分をカットしました。ところが自分の給料を減らしたのに、区議会はカンカンで、勝手に減らすなと言うのです。なぜ自分の給料を減らすのに貴方に文句を言われなければならのかという事でしたが、私はまだ41歳の若造でしたから、意味が分からなかったのですが、実は区長の給料を減らすと、次に助役、職員とどんどん進んでいき、議員の給料削減まで行ってしまうからなのですね。杉並区では区長の給料を減らすという事は、そこまで行ってしまう伝統になっていたのです。だから反対したのですね。だけどもう勝手にやってしまったから仕方が無かった。なぜ15%を減らしたかと言えば、杉並区は15%の赤字であったからです。それから杉並区の歳出を15%カットする。1300億円の15%だから生半可ではありません。これを切りますよと言ったから、区役所中が大騒ぎになりました。絶対だめです、大変な事に成ります。役所の仕事がストップしてしまいます。みんな言っています。私は区役所に入ったことが無かったものですから、やっぱり時には素人が良いですね。しらないからできた。なまじ知っていたらできなかった。今なら怖くてできないです。当時はしらなかったから15%カットしてしまった。
4月にカットして9月に効果がでてきた。先ず高齢者から苦情の手紙が山のように来た。9月の敬老の日に高齢者に紅白の饅頭を配っていた、その楽しみにしていた紅白の饅頭をなぜ切るのか、財政再建と言うが、饅頭なんか切らずに、ぶらぶらしている職員の首を切れと言われた。それで紅白饅頭の費用は幾らあっかっているのかと聞いたら250万円だった。1300億円の250万だから、まあ微々たるものです。普通だったらお年寄りが怒っているから怖くて、来年は戻してしまうのですが、私は11年間一度も戻さなかった。
なぜかと言うと、財政再建のスタートとなりました。切られたのは饅頭だけでは無く、町会、連合会、○○連合会等全部の補助金を一律15%カットしました。医師会も15%カット、まあみんなカンカンでした。その上で1月の医師会の新年会に呼ばれて、医師会は、当時は強力な政治力を持っていた。普通ならばお医者さんと、坊主は敵に回してはならないのですが、そごうにするとすごいしっぺ返しを受けます。お医者は聴診器を持ちながら、お婆ちゃんに「今度の若い区長はダメだね・・・と言われると、うんうんとなってしまいます。」だから敵にしないのが普通でした。みんなカンカンで、私は来賓で呼ばれているのに、医師会長は「今度の区長の15%カットなんて聞いていない、経営とは切っていいものと、切ってはいけない物を仕分けして行うのが経営ではないか、一律なんて馬鹿でもできる、辞めてもらいたい」と来賓で呼んでおいて言われた。そこで怒らずにこう切り返した。「今の医師会長さんの話はその通りです。しかしそれは平時の話です。今、杉並区は危機ですよ、杉並区を船に例えると、底に穴が開いていて、そこから財政赤字と言う借金が、どんどん入ってきて、今、船が傾いているのに、俺は特等席だ、一等席だ、おれは掃除中だとか、言っていられない、船が沈んでしまうから、全員例外なく上着を脱いで、腕まくりをして、船底に来て穴を埋めましょう、私が先頭に立ちます。」とこう言ったのです。
なんかわけのわからない様子でした。その上でお年寄りだって、お饅頭を返上してくれているでしょう。ご存知ですよね!と言った。返事はしていません、怒っています。しかしですね、それを使ったために、これからの財政再建、お饅頭を元に戻せなくなってしまって、その後、皆に伝えるためには饅頭の話をするようになって「そうか杉並区は饅頭までも切らなければならないほど大変なのか?」と言う様になりました。私は15%カットしたために怒る人ばかりでしたが、区民全体にしてみれば、杉並区は結構、大丈夫じゃないのかなあと思っている人も、饅頭が無くなるほどキツイのか?と言う事で危機感を共有する事ができました。これぐらい厳しい事をやりました。
しかし厳しい事をやりながら、もう一方で、お金がたくさん出て行くのはなぜかと考えると、毎日くる区民からのいろんな苦情の手紙を読んでいると、良いものもあります。しかし、むっと思うのは、全部、今まで悪いのは区長の責任だと言わんばかりのもので、ほとんど怒っています。だから胃が痛くなるけれども、区長時代は毎日全部手紙を11年間読みました。
その中でこれはと思うものは、一般的な事で、例えば隣の犬が、吠えるから何とかしてくれとか、隣の木がはみ出して、秋になると枯葉が落ちてくるから、なんとか隣の人に言ってくれ、又道路のイチョウの木の葉っぱが落ちて汚いから掃除しろ、まあなんでもかんでも区役所に言ってきます。私にすれば自分でやれよと言いたかったのですが、それを言ってしまうと大変な事に成ってしまって、話題になってしまう。当時どこかの市役所に「何でもやる課」と言うのがあって、なんでもどうぞと言う感じですが、ダメですそんな事をやってしまうと、いくら税金があっても足りなくなります。だって犬がうるさいと、いちいち職員が行っていたら一日一万円ですよ、皆さんの税金ですよ、こんな事自分で言ってくれと言う話です。それで私は、自分でやってくださいと言いに行くと「お前にだけは言われたくない」と言われました。(笑)

いやぁ大人を説得するのは難しい、だから私はそこで、ふと、子供を立派に育てよう、そういう国にしようと思い、教育に力を入れようと思いました。良い学校を作ろう、そこにどんどんお金をつぎ込みました。

そうやって、道徳の教科書も杉並区独自で作りました。それから何よりも「歴史教科書」これは、全国で初めて扶桑社と言う歴史教科書(当時はつくる会)を選んだ、当時は日本が悪い事をしたと言う自虐的な歴史教科書ばかりだった。その点きちっとした日本の偉人達の事が掛かれている良い教科書が出てきたので選んだ、これを全国で初めて採択したのは、杉並区でした。私は子供達が、背筋が伸びるように、どんどん背筋が伸びるようにしていかないとダメだと思ったからです。それを親も子供を通じて知って行くように成り、親も子供も教育する事で、自分もモデルに成らなければいけませんから、やっぱり親も背筋が段々伸びるようになってくる、親に直接、駄目でしょうこのようにしなければと言うと、「そりゃ、あんたには言われたくない」となってしまいます。だからみんなで子供を育てましょうと言う地域に成ると、親の背骨が伸びてくる。これは財政再建と一体なのです。なぜかと言うと、いちいち木の葉が詰まるからと言って、区の職員が行っていたら1万円です。でも自分たちでやったなら1万円かからないのです。つまり段々自分たちの事は、自分たちでやろうという常識が地域で広がっていけば、無駄な税金を使わなくなる。そうしたら税金が安くなる。安い税金で良い政治ができるようになる。教育と財政はくっついている、違うものではない。

安倍政権は良い政治、過去に感謝できる子供を育てる教育が大事

私は、安倍政権は良い政治をやっていると思う、不満なのは、もっともっと教育に力を入れるべきであると思っている。そうすると何が人間で一番正しい生き方なのか、という事をみんな気づいて行く。気づいて行く事を通じて行政や政治が正されていく、経済もお金ばかりバラ撒いても経済は、良くならない。良い事ばかりでは無い、苦しい事も乗り越えて行かなければならない、その乗り越えて行くと言う力を、子供達に持ってもらわなければならない。それは何かと言うと、先言った「誇りや自信」なのです。どうやったら子供が誇りや自信を持てるのか、難しい事では無い、過去に感謝をできるように子供を育てる、過去は良かったよ、」立派だったよと教える事が一番大事である。なぜかと簡単に皆さんに申し上げれば、皆さんに、子供さんやお孫さんもおられるでしょう、この子たちをひん曲げて育てようと思えば、今日から実践してください。毎晩その子供の耳元で、先祖の悪口を言ってください「自分の曾爺さんは、本当に村で悪い奴で嫌われ者だった、婆さんはケチで、ケチで仕方が無かった、どうにもならなかった」と毎晩子供の枕もとで囁いたらどうなるか、「どうせ俺は、山田家の人間だろう、こんな血だから努力したって仕方が無い」と思うようになるに決まっています。そうすれば何か問題が怒って何が失敗で、どうせ俺はこの血筋だ、自分で努力しないで、血筋のせいにしてしまいます。そうすると。やはり「ちぇ!」ってな、ものです。もうだんだんダメです。

だけども良い先祖の話をしてあければ、もちろん先祖にもたくさんおられますから中には変わった人もおられるかもしれない、しかし良いお爺ちゃんやお婆ちゃんの話をしてあげれば、お爺ちゃんは村の福祉家で、お婆ちゃんは看護婦で多くの人を助けたのだよ、みんなから感謝されたのだよと話をしてあげれば、「ああそんなに立派な人たちがいたのだ、自分も負けないようにしなければな、少なくともこう言う人たちに泥を塗らないようにしなければ」と思うのが人間の心情です。過去を悪しざまに言ったら、どんどん子供は悪くなる、過去を良く言えば感謝ができるようになり背筋が伸びてきて、僕も私もと成ってくる。国民の教育も同じです。国民の教育も日本の国は悪い事をした悪い国だと、そればかり教えていると、なぜこんな国に生まれてしまったのか、俺はアメリカに生まれたかった、ヨーロッパに生まれりゃ良かった、中国に生まれりゃ良かったと、(これは無いか)とそういうふうになってしまいます。そうするとですよ、何百人もいたのだと思うと、街を歩いていても、へんと熱く撥ねますよ、ゴミも捨てます、落書きもします、犯罪もします、海外で万引きもします。実際に起こっている。日本の国に生まれて良かったね、すばらしい国だよと言う風に教えて行かないと、やっぱり誇りや自信は生まれてこない。

そこができてくれば、本人の背骨も助けよう、街も住みやすくなってくる。ここが、日本が一番欠けてきたところです。なんと住みにくくなってきたか、それは自分の国を、立派だよ、良い国に生まれたね、良い地域だね、こうやって教える事を大人が怠ってきたからです。その事がきちっとできるようになって来れば、私は大概の事は乗り越えて行けると思います。ここが揺らいでいると、どんなにお金をバラ撒いても、どんなになにか制度を変えても、ダメです、根幹が揺らいでいますから、ここが日本の改革のポイントだと思っています。そこを杉並区も大事にして、教育を重視にしたのです。

私は教育重視と言うのは、ブラジルを見るとわかります。ブラジルは移民も百何十年が経ちました。ブラジル移民はヨーロッパからも日本からも19世紀初めから移民を受け入れましたが、ヨーロッパの移民はジャングルを切り開いて、最初に造る公共物は教会です。では日本人移民は何を作るかと言えば小学校です。小学校を作って次の世代への教育に力を注ぎます。これが日本人なのです。ヨーロッパとは違います。そして日本語小学校の校長先生にお会いしましたけれど、先ず教える教科は百何十年間、小学校1年生に教えるのは「親孝行」です。日本の本国の方はなんとなくわからなくなってしまいましたが、ブラジルの移民の中に本当の日本があります。本当の日本はブラジルに残っています。私はそういう事を考えて、日本の再建をしていかなければならないと思っています。

少子化で経済縮小は論理、子供を増やすには政策予算をGDPの2~3%が必要

子供が減っています。子供を増やしていくためにはいろんな政策が必要だと思っています。日本の少子化は現在1.43です。一生に女性が子供を産む数が1.43人で、本当に少なくなりました。ヨーロッパも一旦下がったのですが、1.8~2.0と言うところであります。これは相当努力したのです。お金の掛け方が生半可では無い、日本は子育てなどに大体4兆円ぐらいです。ヨーロッパは大体GDPの2~3%ぐらいです。日本のGDP500兆円位だとすると、10兆円~15兆円位ですね。そうすると子供が増える、それぐらいしなければならないのです。私はやはり妊娠してから15歳くらいまでは、基本的に教育とか保育とか医療とかは、お金がかからないと言うぐらいにしないと、ダメだと思うのです。だけどお金だけでは無いのです。やっぱり立派な教育、数が増えても質が落ちたらだめです。生んでも立派な教育をしてくれると、言う日本でなければならないと思います。まあそう言った意味で、ぜひ教育に力を入れて、子供が増えて行くようにしなければいけない。

子供が少なくなるとどんどん経済が縮小します。それは経済の論理です。子供が減れば経済が縮小する。縮小して行けば民さんの会社やお店のお客様が減って行きます。減って行けば会社やお店を縮小しなければならない、新たなものに投資しようと言う意欲も無くなる、益々経済がダメになる。これから増えて行くよと成れば、投資しようと思うのですが、増えて行くよと変えなければならない、ヨーロッパはできたのです。我国もやはりやって行かなければならない。私はこれからの安倍政権の中で、最も重要なのは「子供の増える国、誇りある日本を作って行く事だと思います。でそう言った意味で、私はこのテーマ、誇りと言うものを、杉並区長時代に非常に大事にして仕事をしてまいりました。

杉並区長時代に、一番大事にした行事は成人式

それで、年間を通して一番大事にしてきた行事は、成人式です。成人式はこれから有権者になる人々です。私の子供位の年齢で、杉並公会堂で、成人式を行います。その成人式、今年もいろいろ報道されていましたけれども、まあ荒れるところもいくつもありました。杉並区は11年間私の区長の間は、一度も荒れる事はありませんでした。むしろ式典しかやってないのにシーンとなっている。それはなぜかと言うお話を最後にさせて頂きたいと思います。

成人式を国家行事なのだからきちっとやるべきだと言って杉並区で、式典だけでよろしい式典で私が15分間お話をする、それで終わりという事にします。
但し先ずは国歌斉唱をやってから、という事で、杉並区は朝日新聞の購読率が最も高いところで、国歌斉唱、国旗掲揚ダメと言う地域だったのですが、私に成って君が代の斉唱を始めます。ところが、役所の中から一番初めに反対が出て来て「区長君が代だけはやめましょう」と出てくるのです。それでなぜですかと聞くと「今の人たち歌えません」と言うのです。それで学校で教えていませんからと言うのです。今、君が代を歌えない子供達がいっぱいいるのです。そで君が代も教そわらない、だから君が代から始まると、ただでさえ荒れるのに皆が荒れまくるから、君が代はやめましょうと言ってくるのです。私は「ダメです国家行事なのですから」と言うと、次に役所がもってきた案は、成人式の日に配布する成人のしおりの裏面に、君が代の歌詞を書きましょう、そうしておくと少しは防げるでしょうと言うので、私はそれも反対しました。どこの国に国歌の歌詞カードを配る国があるのですか?ふざけるなよ、ダメですそんなのは恥です。だからもう荒れてもなんでもいいから、謳えないという事を恥だと、素で行きましょう。まぁ確かに最初、国歌斉唱は、もうむちゃくちゃ(音程も歌詞も分からない)でした。その後、区長挨拶でお祝いの言葉を申し上げますが、もう普通の事なんかやりません、一番大事にしていた式典ですから、私の子供に言う様にきちっと話しをします、もちろん紙なんか読みません、子供に話すときに紙を見て話す親はいませんからね、みんなの顔を見て話します。毎回同じ話をします。

大事な「成人式」での挨拶

「今日は本当に成人式おめでとう、良かったなあ、今日の日を迎えられて、本当にそうだと思う、今日の日を一番喜んでいるのはみんなでは無いぞ、親だよ、先ず杉並区の場合は、成人式は、その日に帰ったら、親にありがとうと言ってくれ、どんなに親がすくわれるか、20年間、君たちも子供を持てばわかるけど、小さなときに熱を出せば、おろおろ大変な事に成り、そして学校へ行って帰りが遅いときは、どこへ行ったのかと心配をして、成績が出てくると上がったの、下がったのって、もうそればかり、まぁとにかく親は心配し続け、やっと大人になってくれたと、ほっとしているのが今日だからね、帰ったら『ありがとう』の五文字、先ず感謝をできる事が成人の勇気。今日しか無いよ、言ってね、もし言うのが恥ずかしければ、紙に書いて、机の上に置いといて、どんなに親が救われるか、それができなければまだまだ子供だ、しかしね、みんな考えて、親がいて君たちが生まれているのだけど、親も又生んでくれた親がいるね、そのまた親、そのまた親と、ずうっと続いているのだけど、この人達もいるのだ、だから君たちもいるのだ、そしてそういった親たちを、先祖達を育んできた日本と言う国がある、この日本と言う国が続いて来たから、君等がいるのだ、この日本と言う国が続いていく為には、いつもいいことばかりでは無い、苦しい事も、つらい事、悲しい事、いっぱい歴史にはある。それを乗り越えてきた、たくさんの人がいる。その人たちの事を今日は、ぜひ思い出して欲しい。その人たちの一人の方の話をするから聞いてほしい。」と言って靖国神社に収められている、英霊の言の葉と言う戦死された方の遺書を読むのです。

「みんなと同じ二十歳の戦死した人の遺書を読みますから聞いてね。お父様、お母様、ただ今出撃の命令が出ました。自分は今から元気に行ってまいります。本来ならば、ご両親様にお目にかかってお別れの挨拶をするべきところでございます、そういう時間も無く、旅立つ不孝をお許しください、私のリックサックには、お酒や缶詰が入っております。いつかは家族のみなさんと食べたいと思って残しておいたものですが、そう言った機会も暇もありません、どうか皆さんで召し上がってください。それでは行って参ります。お元気で、ごきげんよう。さようなら、もっと長い遺書ですが、これを読んでいると前の方から波を打ったように静かになっていきます、いいかみんなと同じ二十歳だ、こういう人もいたのだ、こういう人が、尊い犠牲を払って今の日本があるのだ、だから今日はみんな二十歳になって乾杯する人もいるだろう、しかしその乾杯をする時には、こういう人達の事も思って、心の中でいいから一言、『ありがとう』と言って乾杯してくれ、そうしたらみんなの背中も伸びてくる」こう話して終わります。

大人が若者と真剣に向き合えば、日本は立派な国になる!
          最後のご奉公と決意し同志と共に必死に頑張る!

来賓には区議会議員の方がいっぱいいて、中には共産党もいます。中核派と言う過激派から出ている議員も杉並区だからいます。この人たちは翌日、駅に立ってビラを配って、山田宏区長は今日も、今年も特攻隊賞賛の成人式を行ったと批判をしていました。しかし私が特攻隊礼賛、戦争礼賛なんかと思っている成人は一人もいません。なぜ分かるのか、翌日からいっぱい手紙が成人からやってくるからです。「そんな人達がいる事を知らなかった、そんな人達がいた事を知らなかった自分が恥ずかしかった、自分の20年間を如何にいい加減に生きてきたかを恥ずかしく思いました。これからはその人達の分まで頑張って元気に生きて行きます、本当にいいお話をありがとうございました」みんなそうですよ、成人は、ご両親からも手紙が来ます。「突然、息子が帰ってきて、お父さんお母さん、ありがとうと言うものだからびっくり仰天しました。成人式でのお話でしたね、という事でした」私は若い人に期待しています。これだけの話でも、みんな背筋を伸ばして聞いてくれます。大人がしっかり彼らと向き合えば、日本は立派な国になるのです。私はそういう確信を持っているので、日本は必ず良くなる、だからそのためにもなんとか、私もこれから最後のご奉公で頑張りたいなと思っています。とにかく政府安倍政権の中で、立派な日本を作る時間はそう長くはありません、その間に、植村市議や会場のみなさんと一緒に「子供が増える国、誇りある日本」を創る為に頑張ってまいりましょう。ご清聴ありがとうございました。

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