奈良市議会報告

産業文教委員会

平成22年7月27日(火)
質問: 植村佳史
答弁: 福井 副市長・西崎卓哉 文化財課長・石原勉 学校教育課長

●【植村・質問-1】

1300年記念事業に関する歴史教育ということで、1点質問をさせていただきたいと思います。

去る7月17日、産経新聞社様の「土日曜日に書く」という、論説委員・石川水穂さんの書かれた記事で「不確かな"中国の恩人"顕彰」との記事が掲載されておりました。

その後、「奈良市の歴史教育はどうなのか!」という、多くの市民から質問を寄せられております。私のほうにもメールなどでたくさん参っておりました。

まず、この石川水穂論説委員の記事をですね、御紹介させていただきたいと思います。「奈良を空爆から守る?」という題名でございました。

(以下は新聞記事の引用を朗読します)

【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 不確かな"中国の恩人"顕彰
2010年07月17日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

≪奈良を空爆から守る?≫

奈良県で平城遷都1300年記念事業の一環として、先の戦争で同県の文化財を米軍の空襲から守った。とされる中国の建築家、梁思成氏(1901~72年)の銅像を奈良市内に建てる計画が中国と同県の間で進められている。

奈良県によれば、梁氏は明治時代、日本に亡命していた革命家の子として東京で生まれ、1912年に中国へ帰国した。清華大学を卒業後、米ハーバード大などで建築史を学んだ。中国国民党政府の故物保存(文化財保護)委員を務め、戦争中、奈良・京都の文化財を米軍の空襲目標から外すよう、米側に進言したとされる。

だが、この話は平成20年末、中国側から日中友好協会と薬師寺を通じて奈良県に持ち込まれ、奈良県が調べたものではない。

梁氏は戦後、中国共産党政府の全国人民代表大会(全人代)常務委員などの要職も務めた。

中国側はすでに、"古都を救った恩人"として梁氏の銅像を制作し、先月12日、北京での披露式典に、奈良県の窪田修副知事と日中友好協会の村岡久平理事長らを招いた。窪田副知事は「梁先生は奈良を守ってくれた恩人。日中友好の歴史を改めて確認できて大変感謝している」と述べた。

銅像は10月末、奈良県に寄贈され、同県文化会館の敷地内に設置される予定だ。

≪歴史学者が重大な疑義≫

これに対し、歴史学者らは中国から持ち込まれたこの"恩人"話に重大な疑問を投げかける。

麻田貞雄・同志社大名誉教授は「梁氏がいつ、どこで、米軍のどの航空部隊の指揮官に空爆中止を進言したのか、明確にされていない」として、銅像の設置に強く反対している。麻田氏は著書「両大戦間の日米関係」で吉野作造賞を受賞した日米関係史の権威だ。

麻田氏によれば、京都は当初、原爆投下の目標になっていたが、スティムソン米陸軍長官の決定で対象から外されたことがはっきりしている。奈良は空襲するだけの戦略的価値がなく、もともと米軍の空襲リストになかった。

スティムソンが京都を原爆の対象から外したことは、同志社大教授だった故オーティス・ケーリ氏らの研究で明らかにされた。ケーリ氏はスティムソンが大正15(1926)年秋に京都の都ホテルに泊まった記録や陸軍次官補だったマクロイ氏の証言などから、この事実を突き止めた。

麻田氏は「仮に、梁氏が奈良・京都の空爆中止を進言したとしても、その歴史的意義は限りなくゼロに近い」と指摘する。

日本側の記録でも、京都や奈良の空襲による被害は他府県に比べて少ない。

現代史家の秦郁彦氏も「当時、日本の文化財を空襲から守りたいと考えていた海外の専門家は何人かいたはずだ。梁氏が中国の米軍航空部隊に進言したとしても、それが日本空爆の最終決定権者であるスティムソンにどんな形で伝わったかが分からなければ、ほとんど意味はない」と話す。

≪「米の恩人」はあり得る≫

これまでも、日本の文化財を空襲から守ったという外国人の話が一部で伝えられている。その代表的な例は、米ハーバード大で東洋美術を教えていたラングドン・ウォーナー博士(1881~1955年)が奈良・京都を空襲から外すよう米当局に進言したという"ウォーナー伝説"である。

この話も確証は得られていないが、今回の"中国の恩人"話よりは信憑(しんぴょう)性が高い。

終戦直後の昭和20年11月11日付朝日新聞は「京都・奈良無疵(むきず)の裏」「『人類の宝』を守る」「米軍の陰に日本美術通」との見出しで、GHQ(連合国軍総司令部)の高官が伝えた話として、ウォーナー氏が米の「戦争地域における美術および歴史遺蹟(いせき)の保護救済に関する委員会」で、京都と奈良を空爆の目標から除外しようと献身的な努力を尽くした、と報じた。

秦氏は「ウォーナー氏がスティムソンに働きかけたことはあり得たかもしれないが、梁氏にその可能性はほとんど考えられない」と話す。麻田氏もほぼ同意見だ。

日中友好協会によると、梁氏の銅像作りは数年前、前会長の故平山郁夫氏(元東京芸大学長)と中国側の間で話し合われた。「確証はないが、日中の交流を進めるうえで悪い話ではなく、平城遷都1300年記念事業が行われる奈良県に相談した」という。

今秋、奈良県と中華社会文化発展基金会の共催で、中国からの文化の伝来と奈良を空襲から守ったという文化の保存に感謝するための「日中友好フォーラム」も、奈良市内で開催される予定だ。

奈良は多くの修学旅行生が訪れる。不確かな歴史を独り歩きさせないためにも、奈良県に再考を求めたい。(いしかわ みずほ)

このように記事が書かれていました。

そこで、この記事が出てから、多くの御意見やメールを私はいただいたわけですが、この記事に関してやはり奈良県、そして奈良市、そして特にこれを開催するのが1300年記念事業協会ですので、このまま、ああよかったなあということでは、私どもも子供たちにしっかりとしたこの奈良の誇り、奈良の歴史教育というものを、していかなければならないので、このことについて質問をさせていただきます。

奈良県は、不確かな"中国の恩人"と記事に書いてあったわけですが、梁氏の銅像を奈良市内の県文化会館に建てるとのことですが、この所管は、1300年記念事業協会とのことで、本市の市長も、副会長を務めておられます。この事業自体のことに関しては、企画環境委員会の所管でありますので、それは検討していただければ、いいのかなと思うのですが、問題は、この記事にもあったように、奈良は多くの修学旅行生が来られる。そして世界遺産学習も進めており、子供たちにこの世界遺産であるゆえんのことを教育でしっかりしていっているわけですね。そんな中で、記事にありましたように、不確かな歴史をひとり歩きさせていかないためにも、やはりしっかりと調査、検証する必要があると思います。

そこで、今日ある奈良の世界遺産を守ったのは、梁思成氏ということでなっておるわけですけれども、教育上大変重要となります。このことに関しまして、これは記念協会のことでございますので、副市長に、まず確認をさせていただきたいと思います。

この事業、梁思成氏の銅像を建立するという計画があるというのは、この新聞にはこう書かれておりますけれども、これは果たして、事実なのかどうなのかということをお聞きしたいと思います。

■【福井 副市長・答弁-1】

事実なのかどうかという御質問でお答えさせていただきたいと思います。私も実は新聞で知ったというのが、現実でございます。以上でございます。

●【植村・質問-2】

はい、ありがとうございます。私も新聞で知ったのが初めてで、恐らく、ここにおいでになっておられる委員や、理事者の方々におかれましても、そうなのじゃないかなと思います。

この記事によると、恩人説は限りなくゼロに近いことだと、こういうふうに言っておられます。歴史や文化財について所管する本市教育委員会としては、この恩人について詳しく知っているのか?認識はどのような程度あるのか?ということについて、文化財課にお聞きしたいと思います。

■【西崎卓哉 文化財課長・答弁-2】

ご指摘の梁思成氏ですが、奈良市史等に記述もなく、私も承知しておりませんでした。以上でございます。

●【植村・質問-3】

ありがとうございます。では学校教育課長お願いします。

今、突然この記事で知っただけで、文化財課としては御存じなかった。副市長も記事で初めて知られたということで、私もそうであるわけでございますが、限りなくゼロに近いということを言っておられましたけれども、学校教育課は、これをどのように認識しておられますか。

■【石原勉 学校教育課長・答弁-3】

学校教育課として、梁氏についてのどのような認識について、認識しているかについて、でございますけれども、学校教育課につきましても、現在、新聞報道の範囲の中でしか認識しておりません。以上でございます。

●【植村・質問-4】

はい。学校教育課ほうもこれに関しては詳しく知らないというようなことですね。私も、歴史のこと、近代のことに関しても少しは勉強させていただいたわけですけれども、以前からこのスティムソン長官のお話というのはよく聞いておりますし、また教えていただきました。若いとき、このスティムソン陸軍長官は、新婚旅行で京都に来ておられたとか、奈良に来ておられたとか、そういうふうな、確かかどうかわかりませんけども、そういったお話で非常に奈良や京都が好きだったというふうなことを聞いております。

さて、このような銅像が、公共施設である、文化歴史を振興する奈良県文化会館に建てば、当然、奈良市の世界遺産を守った恩人として、歴史はこう変わっていくことにもなりかねないわけですね。

そうすると、当然、本市が世界遺産学習を進める中で、元中国共産党全人代常務委員であった、この梁思成氏を、副読本や1300年の奈良の歴史遺産を守ったということで、歴史教科書等にも載せなければならないような状態もなるのではないかと危惧するわけでございますが、本教育委員会としては、事実関係をどのように今後調査し、それを子供たちに教える考えなのかお聞きしたいと思います。

■【石原勉 学校教育課長・答弁-4】

梁氏について世界遺産学習で子供たちに教える予定があるかどうかということについてでございますけれども、現在、世界遺産学習の中では、取り扱うことは考えておりません。以上でございます。

●【植村・質問-5】

世界遺産学習では、ということですが、取り扱っていく気はないということでございますけれども、調査とかは、なにもしないんですか。

■【石原勉 学校教育課長・答弁-5】

現在、調査の予定もございません。

●【植村・質問-6】

はい、ありがとうございました。今、そのような計画がないということですね。では一体この銅像には、どういう意味があるのか?というふうに思います。

先日(7月25日)の、市長と気軽にトークで、市長も1300年記念協会の副会長ということで、《奈良市の歴史教育上、私は問題があるかなと、思っておりましたら》市民の方から気軽にトークで、この銅像のことについて、聞かれて市長は、『奈良は、歴史遺産が多いので、空爆をしないように!とアメリカに進言したので、梁思成さんは平和のために貢献されたということを知っている。また梁思成さんが、奈良県がどのように最終的に意思決定をされたのかは、憶測でしゃべることはできないが、奈良にとって、日本にとって、平和が訪れるという趣旨で、取り組みをされた梁思成さんですので、今の奈良があるおかげの1つとして、感謝するのは不自然なことではないのかなと思う。また、銅像が県の施設に建てられるというのも、恐らく知事の思いもあって県の施設と考えられたのだろうと思う。この辺は、意見が分かれるところだと思いますが、私は平和の象徴として継承していくということであれば、そんなに違和感がないのかなと思っています。また、あくまで過去の歴史から学ぶことは、対立というものではなく、対話というものを通してしっかりと議論をしながら、お互いの国が、繁栄を保てるということが必要だと思いますので、そのために建設的な議論をしていくべきだと思っています。』とこのように言っておられます。

この日中友好ということに関しては、私も当然よいことだと思います。しかし、事実かどうなのかということを調べもせずに、そのまま進めるというのは、いかがなものか?と思います。

市長も『そのためには建設的な議論をしていくべきだと思います。』と、こうはっきり言っておられますね。まさにこれは本当なのかどうなのかということを建設的な議論をしていって、その上で建てるのなら建てるということをしていかなければいけないのでしょう。しかし、感謝をするのは不自然なことではないというのはわかりますが、本当にどうだったのかということが、歴史学者の秦郁彦さんも、麻田名誉教授も、ゼロに近いというふうに言っておられますので、このまま進めるというのは危険ではないのかなと、私は考えるわけでございます。

もともとこれはさっきの記事にもありましたけど、薬師寺さんを経由してということでございましたから、私はこれは、宗教法人である薬師寺さんのほうに建てられるのは、これは別に問題はないと思います。ただ、県民、市民の税金で運営されている公共施設に建てるのには、問題が多いのではないでしょうか。

大河ドラマの坂本龍馬の銅像がこう目に浮かぶわけですが。この銅像は、聞きますと、高知市浦戸、桂浜公園にあるらしいのですが、これは大正の終わりに高知県の青年たちが提唱して昭和3年には完成されたということで、最近では昭和58年に、街頭募金を多方面からされて、その寄付金で修復されて現在に至ると聞き及んでおります。

そもそも銅像というのは、郷土の誇りであって、この方は後世に伝えていかなければいけない人である。ということをするものであると思うんです。

また、奈良市でも先日の委員会でもお話しさせていただきましたけれども、棚田嘉十郎翁、そして溝辺文四郎翁は、平城宮跡を私財を投じて保存・復原した人々であるということで、やはり銅像を建立して、後世に伝えていかなければいけない、奈良市の子供たちに教えていかなければいけない、いうふうにあるわけで。

そういったものであって、顕彰会は棚田嘉十郎翁と溝辺文四郎翁の平城宮跡保存に尽くした功績をたたえるために、昭和63年7月に発足したというふうに書かれています。碑には、市民を初め多く御寄附を顕彰像の建立に当たりいただいた。像は、棚田翁が左手に平城宮跡から出土した瓦を持ち、右手で大極殿跡を指さす姿である、とこのように記されていてます。

やはり、銅像というのは、郷土の方々の意思で、建てていこうじゃないかというふうなものであって初めて値打ちが出てきて、将来に残していかなければいけないというものです。要は大勢の方々から浄財を集めてやるというのが多い話だと思います。そういった銅像を他人からプレゼントされて、建てるものではないと、私は感じております。

市長がよく言っておられる「市民的・国民的醸成」ができていない中で行うものというのはよくないというふうに私もよく答弁でお聞きするわけですけれども、まさにそうなのではないのかなと。国民的、特に奈良市民的にも醸成ができてないのではないかなというふうに思います。

日中友好はもちろん大切であります。しかし、本当に日中友好を考えるのであれば、お互いにその事実を調査、確認して、そして県民、市民が納得した上で行われければ、両国にとって結果的によい成果が生まれないのではないかなと、このように思います。

最後に、今回の、この新聞にあった「不確かな中国の恩人」顕彰像建立!は本市の歴史教育上、時期尚早で、好ましくないのではないかな?と私は考えます。

現時点でこの秋にするということをここに書いておりましたけれども、1300年記念協会にこの歴史教育を危惧するという意味からでも、記念協会に再考を、本市としましても再考を提言すべきではないかなと、考えますが、副市長のお考えはいかがでしょうか。

■【福井 副市長・答弁-6】

お答えをさせていただきたいと思います。

いずれにいたしましても、こうして今現在、戦火を免れて今や世界遺産になった。残っていることは事実ながら、我々はこの梁思成博士以外の、お話しありましたように僕らはウィリアム・ウォーナー博士と聞いておりまして、たしかこれも法隆寺も塔とかあるやと聞いております。

その辺で、事実をしっかり確認すると同時に、今の奈良があると、そのまま残っている、世界遺産になっていると、これが市の活性化にもつながる大きな材料というような観点からですね、確認をして次のステップに踏み切る。

つまりそれが本当であればやはり紹介もして、次の世代を担う子供たちにもしっかり教えていかなければならない。これは本当に間違いなく、それが事実でなければですね、ここに教育の専門家もおられますけれども、その辺をしっかりと見きわめ、確認して次の段階に進んでいきたいと、このように思っております。

●【植村・要望】

はい、ありがとうございます。

本当にそのとおりだと私も思います。やはり事実を調査もせず、あんたとこの恩人や、と言われたからといって、はい、そうですかというわけにはいきません。私も自分の家に、これはあんたとこの恩人やからプレゼントやでと言われたからといって、建てるわけには、いきません。特に公共の施設に建てるとなれば、全国や世界じゅうから来られる子供たちにも教育として紹介しなければいけないようなことになってしまったときに、これが事実かどうかわからないという中で建てていたのでは、世界じゅうからどのような言葉が浴びせられるかもわかりません。

今副市長がおっしゃっておられましたように、検証、確認、調べてですね、それからしか進んではいけないと思います。その点、きつくしっかりと要望をさせていただいて、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

後援会入会フォーム

元気な奈良を、取り戻す!5つの政策。

ボランティアスタッフ募集

目安箱

ページ先頭へ