この活動のきっかけとなった「奈良地域中国留学生学友会」の主催で行われた1998年11月15日のチャリティーコンサートのパンフレットとプログラム
1999年の募金活動と第一回訪中
パンフレットの挨拶文
ごあいさつ
今年7月から8月にかけ、中国の長江(揚子江)や松花江・嫩江流域で今世紀最大規模の洪水が発生しました。洪水がもたらした災害は、10月12日の最新統計によると、被災者は2億4千万人に上り、使者は656人また2千300万人が家や畑を失いました。
被災者の人々を支援するために、私たち奈良地域の中国留学生は、奈良県日中友好協会、なら日中友好学院の皆さんと一緒に、9月19日、20日、23日の3日間にわたって、近鉄奈良駅前で街頭募金活動を行いました。奈良市民の皆様の暖かいご支援のおかげで、全部で23万円集り、中国駐大阪総領事館を通じて被災地に送りました。
被害の大きさと比べて、私たちに出来ることは本当に小さいですが、「少しでも役に立ちたい」という気持から、前回の募金活動に引続き、今回のチャリティー・イベントを計画しました。その収益金は、洪水で被害を受けた学校の修復のために支援金として寄付する予定です。災害で校舎が破壊され勉強を中断させられた子供たちが1日も早く学校に戻れるように努力したいと思います。
最後に、今回のイベントの準備におきまして、多大なご支援をしてくださった奈良地域の各友好団体と友人の皆様に心からお礼を申上げます。また、今回の活動を通じて中日両国人民の友好関係がさらに深まることを心から願っております。
平成10年11月15日
奈良地域中国留学生学友会
蔡 愛琴(さい あいきん)
中国・南京出身。音楽大学教授である父の影響を受けて音楽に興味をもち、南京芸術大
学古箏専攻科を優秀な成績で卒業。1992年来日、古箏を通じて中国の音楽や文化の紹
介に積極的に日本全国で活躍。NHK大阪放送局、朝日テレビ・ラジオ、読売テレビなどに
出演。97年、(財)アサヒビール芸術文化財団主催アサヒビール音楽賞を受賞。98年、
(財)国際文化交流事業財団主催第9回在日留学生音楽コンクールに優勝、Asahi
Evening
News Prince を受賞。
王 文超(おう ぶんちょう)
中国西安出身。陜西省大学武術協会理事。中国武術・太極拳国家一級審判。1997
年来日、現在、奈良教育大学で体育教育について研究中。
平岡 千佳(ひらおか ちか)
1971年生れ。’85年ビクター全国縦断カラオケ選抜大会「優秀歌唱賞」受賞。87年デ
ビュー。その後、KBS京都「ワンダフルナイト」レギュラーパーソナリティー、新歌舞伎座
出演(舟木一夫ショーゲスト、鳥羽一郎・山川豊と共演など)、TBSテレビ「水戸黄門」出
演など積極的に活躍。現在OBCラジオ「チチカカ・どぼん」レギュラーパーソナリティー。
蔡 敬民(さい けいみん)
著名新竹笛(しんたけぶえ)演奏家、新竹笛発明者であり、南京芸術大学音楽教授。新
竹笛の発明で、中国教育部の「科学技術研究賞」など受賞。中国各地でリサイタルを開
き、多くのマスコミに取上げられる。中国の音楽家代表としてヨーロッパやアフリカ各国で
演奏し、高い評価を得る
★新竹笛
新竹笛は中国伝統楽器をもとに、音響学原理と音声生理学比率の見地より研究、改
良を重ねた結果、考案されたもの。竹笛の胴体に金属キーを結合するという方法で完成
された竹笛で、一種の新しい民族楽器といえる。伝統的竹笛本来の演奏方法、技法を持
ちながら十二平均律の3オクターブの音域を演奏でき、伝統的竹笛や簫、フルートといっ
た複数の音色を出すことが可能である。
シンバヤル
中国内モンゴル出身。1995年7月来日、現在大阪外国語大学大学院言語社会研究
科博士課程在学中。
モンゴルの四弦のホールと馬頭琴の演奏家である父親から影響を受けて育つ。来日
後、日本の小学生の国語のテキストにモンゴル人の馬頭琴が載っていることに感動し、
馬頭琴の演奏会や講演を開始。今まで日本各地での演奏、香煙は70回ほどに上る。
星田 都雨山(ほしだ とうざん)
都山流尺八学会大師範。大阪文化祭奨励賞、都山流本曲コンクール金賞、文部大
臣賞二度受賞、NHKTV・ラジオに出演。海外での演奏も参加。
北野 仁史(きたの ひとし)
サウンド・ウィズ・コーク最優秀ギタリスト賞受賞。
中島光一、野田淳子のバックギタリストとして、ライブツアー、アレンジ、レコーディン
グに参加。劇団でのミュージカル活動、ジャズシンガー麻生奈津子のバックバンドで
活躍。
宋 茜(ソン チェン)
中国音楽家協会会員。上海音楽大学において、声楽を専攻。コロラチュラ・ソプラ
ノとして上海を中心にリサイタルを開催。また、上海テレビ放送局ではアナウンサー
からプロデューサーまでつとめ、多くの作品を世界に紹介。日本においては、「日本
歌曲の研究」にとりくむ傍らなら教育大学大学院教育研究科修了。関西を中心にコ
ンサート、講演会などに活躍。1996年「第11回全国童謡歌唱コンクール」グランプ
リ大会において、グランプリ金賞(寛仁親王牌)を受賞。現在、なら教育大学音楽科
非常勤講師。
小野 剛蔵(おの ごうぞう)
大阪出身。’70年より、演奏活動を開始。1990年からスタートしたサロンコンサ
ート「ギターとのひととき」のシリーズは、身近な街の音楽会として、気軽に出かける
ように工夫を凝らし、多彩なゲストとのアンサンブルを通じて音楽の素晴しさを増幅
させることに成功。根強い“ひとときファン”、“小野ファン”に支えられて、1998年6
月まで32回を数えた。現在、奈良YMCA音楽事業委員。ギター・アート・グループ
役員。
段 氷(だん ひょう)
中国書道家協会雲南省分会会員。1996年4月に来日、現在奈良教育大学で
「写経について」研究中。’93年から95年、中国書道家協会主催「全国新人新作
書道篆刻作品展」、「全国中青年書道家作品展」や、中国書道界で最高レベルの
書道展「全国書道展」に入選。’97年、「対聯・『孤雲出岫、朗鏡懸空』(隷書)」は、
中国文化部・中国書道家協会・中国美術家協会主催「世界華人書画展」に入選。
’98年、「屈原・『九歌』(草書)」は、日本経済新聞社主催「産経国際展」入選。
チャリティコンサートの最後に関係者が全員舞台に上がり、涙ながらに合唱した「わが愛する中国」と「大海よ、わが故郷」のうち「大海よ、わが故郷」の日本語訳を載せておきます。
大海よ、わが故郷
幼いころ母は私に言った
海は私の故郷だと
海辺で生れ、海で育った
大海よ、おまえは私の生きるところ
風吹き、波は湧き、私をのせ四方を漂う
大海よ、おまえは母のよう
世界の果てまで行こうとも
いつも私のそばにいる
幼いころ母は私に言った
海は私の故郷だと
海辺で生れ、海で育った
大海よ、おまえは私の生きるところ
風吹き、波は湧き、私をのせ四方に漂う
大海よ、おまえは母のよう
世界の果てまで行こうとも
いつも私のそばにいる
大海よ、故郷よ、大海よ、故郷よ
わが故郷、わが故郷
(訳:神田千冬・日中学院講師)
11月15日のコンサートが終った後、奈良地域中国留学生学友会会長の戴 路媛 (たい ろえん)さんが11月27日に朝日新聞のインタビューを受け、報道されました。
冬が来る前に「母国支援を」と
奈良女子大学大学院で社会学を学ぶ中国人留学生戴 路媛さん(二五)=写真=は、県内の中国人留学生で組織する学友会の会長も務めている。先日、大洪水に見舞われた母国を支援しようと学友会で企画したチャリティーコンサートを終えて、思わず涙を見せた。
母国は今年七月、だいこうずいに見舞われ、二億人以上が被災した。未だ、テント生活を送っている被災者も多い。戴さんは「冬を迎える前に何とかしたかった」と、慌ただしかった準備期間を振返る。一五日のコンサートには約二百人が集り、在日中国人の音楽家らの演奏に聴き入った。
収益金は、被害が一番ひどかった都市の一つ、湖北省・武漢の小学校の再建費として、帰国する留学生に託して届けられるという。「最後まで見届けるのがコンサートに来てくれた人や募金してくれた人への私たちの義務だと思います」
戴さんからの手紙 ー1998年11月24日
舎川様
前略
先日は、コンサートにお越し下さって、暖かいお言葉までいただきまして、まことにありがとうございます。その時、小学校のことについて手紙をお送りすると約束いたしましたが、コンサートの後かたづけなどで忙しく、ついお返事が遅くなり、大変申訳ございませんでした。
湖北省民政庁からのFax文のコピーを同封いたしました。舎川さんは中国語を読めると思いますが、その主旨を簡単に訳させていただきます。
「(湖北省嘉魚県正郷中堡村)小学校は、洪水の中で、校舎が全部浸水し、設備が水に流されたり、壊されたりしました。校舎などの建物の修復には76.28万元(その中、校舎のみは53.73万元)、机などの購入には7.53万元、教育設備には15万元が必要である。」
今回のコンサートは、皆様のおかげで、709,303円が集りました。しかし、小学校の修復にとって足りるものではありません。もし、舎川さんがおっしゃった団体のご協力をいただければ幸いだと思います。
学友会も今後支援活動をし続けていくつもりですが、どうか、今後ともご応援を賜りますようお願い申上げます。
とりあえずお願いまで。
草々
98年11月24日
戴 路媛
1998年12月7日
活動を広げるために支援のお願いの文を作成し友人知人団体とうに配りました。第一回目のちらしです。
中国湖北省嘉魚県合正郷中堡村小学校再建支援のお願い
ご承知のとおり、今年の夏中国では今世紀最大規模の洪水が発生しました。奈良地域中国留学生学友会から得た情報(10/12の統計)では、被災者2億4千万人、死者3,656人、2千300万人が家や畑を失いました。
十一月十五日 奈良女子大学でチャリティーコンサートが開かれ、会場で中国留学生学友会会長戴さんが、湖北省嘉魚県合正郷中堡村小学校に収益金を送りたいと話されました。この地方は特に災害がひどかった地域で留学生の一人がこの地方の出身者だった関係で支援を決めたそうです。
コンサートの後で詳しい話を聞きますと、1,200万円ぐらいのお金が必要だそうです。
コンサートの最後に舞台で「我愛?・中国」の歌を出演者と留学生が斉唱した時には泣出す留学生もいました。
今なおテントで勉強している生徒たちのことを思い浮べ、カンパ金を募り届けたいと思っています。ご協力を賜りますようお願い申上げます。
学校が再建するところまでいけば“日中友好建校碑”を建立しても良いかなと考えています。
住所 奈良市西大寺国見町2−324
TEL 0742−43−7731
舎川 宏・和子
1998年12月7日
1998年12月7日
中国湖北省嘉魚県のより詳しい状況を入手するために上海外国語大学の蒋 歩青先生に手紙で問い合せをしました。
手紙の大要(原文中国語)
蒋 歩青先生
久し振りに手紙を書きますが、お変りありませんか。常常あなたとあなたの家族のことを思っております。私たちは仕事に忙しくしておりますが元気です。どうぞご安心下さい。
今年の11月15日奈良女子大学で中国大洪水被災者支援のチャリティーコンサートが開かれました。奈良地域中国学友会会長戴路媛さんがこの義捐金を中国湖北省嘉魚県合正郷中堡村小学校再建支援のために送りたいと言いました。音楽科の最後に出演者と留学生が全員舞台に上がり「わが愛する中国」を斉唱しました。この時泣出す留学生も居ました。この様子を見て私たちは義捐金募集の活動を決めました。どのくらいの金額を集められるか解りませんが精一杯の努力をするつもりです。私たちは義捐金を合正郷中堡村小学校再建支援に使いたいと思っています。私たちがこの小学校に決めた理由は戴さんの友達の一人が湖北省のこの地区の出身だったこと、この地方の被害が最もひどかったことです。
もし小学校再建が実現したら私たちは“日中友好建校の碑”を建てたいと希望しています。ところで中国政府の機関を通す事にある種の不信感を持つ人もいます。そこで私たちは下に述べることをどうしたらいいか、あなたの考えを聞かせていただきたいと思います。
@合正郷中堡村小学校再建の状況。
A学校への送金方法。
B義捐金の使用計画とその結果を募金に応じてくれた人に知らせることが出来るかどうか。
Cこの地方の人たちの生活状況をお知らせ下さい。
募金に応じてくれた人たちは裕福な人ではなく、彼らは苦しい中から捻出してしてくれました。だから、私はこの人たちに使用方法とその結果を説明する責任があると思っています。
将来、私と夫は必ずこの小学校を見に行きます。
お忙しいと思いますが私たちに出来るだけ早く返事を下さいますことをお願いします。
舎川宏・和子
1998年12月7日
蒋 歩青先生
1998年12月25日
下記の人たちの協力を得て「中国湖北省嘉魚県合正郷中堡村小学校再建支援の会」を結成することが出来2回目のちらしを作成し配布しました。(内容は12月7日と同文)
会員名
舎川 宏・舎川和子・岩村守俊・榎本悌爾・北田麻乃・新保雅子・松浦 武・森川巳三・森川久子
1999年2月8日
「中国湖北省嘉魚県合正郷中堡村小学校再建支援の会」の名前で第三回目のちらしを作成し配布しました。この時のちらし、メンバーは下記のとおりです。
中国湖北省合正郷中堡村小学校再建支援のお願い
新聞やテレビで報道されましたが、昨年夏中国で100年に一度という大洪水が発生しました。2億4千万人が被災し3,656人が亡くなりました。
湖北省嘉魚県合正郷中堡村は、特に被害がひどい地域で村の人口10万人中被災者は6万3千人余りに上っています。学校も家も水に流され、現在田畑も穀物を植えることが出来ない状態です。子供たちはようやくテントの学校で勉強しているとのことです。
奈良女子大学で行われましたチャリティーコンサートに行って、この洪水の規模の大きさと悲惨な状況を知り、中国留学生の意を受けて、せめてこの村に小学校一校(設備を含めて約1000万円)岳でも再建したいという思いで、支援カンパを募りはじめました。
どうぞ一人でも多く善意の輪を広げて下さいますようお願い致します。
4月末に書き世話人の代表数名が、それまでに集ったお金を持参し、現地を見てくる予定です。支援して下さいました方のお名前、住所等も先方の学校へお届致します。
その後、何らかの方法で現地の様子等もお知らせしたいものと考えています。
ご協力賜りますよう重ねてお願い申上げます。
中国湖北省嘉魚県合正郷中堡村小学校再建支援の会
会員名
舎川 宏・舎川和子・井尾信子・岩村守俊・榎本悌爾・鍵田節哉・北田麻乃・高 志芬・佐伯快勝
新保雅子・田中博夫・中山登志美・林 誠子・松浦 武・森川巳三・森川久子
1999年2月12日
「中国湖北省嘉魚県合正郷中堡村小学校再建支援の会」の名前で第四回目のちらしを配布しました。
ちらしの内容は2月8日と同文。メンバーは下記のとおりです。
会員名
舎川 宏・舎川和子・井尾信子・岩村守俊・榎本悌爾・鍵田節哉・北田麻乃・高 志芬・佐伯快勝
佐々木三男・新保雅子・田中博夫・土田 康・内藤伸彦・中山登志美・林 誠子・松浦 武・森川巳三
森川久子
1998年12月17日
蒋 歩青先生から問い合せた手紙の返事が届きました。以下の文面です。(原文は中国語)
舎川 宏、和子様
お手紙いただき大変嬉しく思いました。手紙にはあなた方の友情と善意のこもった、お気持と、行為が書かれてあり、深く感動しました。
今年の中国の洪水は大変多くの人の心を奪い、私の家族、各職場、学校はみんな寄付をしたり、衣服を送ったりしました。数カ月前にはテレビで特大級の洪水の実態が報道され、人々の涙をさそいました。最近になって小学生がテントで授業を受けているのが見られるようになりました。完全に修復するまでには、まだまだ長い道のりだと思います。
私は上海団委(青年の組織)に連絡をとりました。この組織は希望プロジェクト(学校に行けない子供に援助して就学させている)を長年行っています。全国各地の貧困地区に援助して建てた小学校は500校余りあり、援助した生徒の数は数えきれません。私たち家族もこのプロジェクトに加入していて、義捐金で、すでに2名の子供を、小学校を卒業させました。一人は広東山区の少数民族の男の子で、もう一人は江西山区の女の子です。私たちと彼らは連絡を取りあっています。新年を迎える時には、彼らに少しばかりの物をプレゼントします。
市団委はさらに希望プロジェクトの視察団を組み江西省に視察に行きました。数年前、勤勤と中学生、小学生の子供たちは一緒に参加して、江西へ行ったことがあります。
私はこの組織の活動はすばらしいと思いますし、信頼に値すると思います。あなた方がお知りになりたい状況について彼らは次のように言っています。
@今年の洪水はとても深刻で厳しいもので、先日嘉魚県の団委員責任者が上海市に来て希望小学校のこ とを話合いました。現地の様子はテレビや新聞で報道されているとおりです。もしご希望でしたら当地を訪 ねることもできます。支援先では義捐金を寄せる人の要望に添うとのことです。
A義捐金は代理人を通してでも良く(私又は他の留学生等)為替又は現金を手渡すと、領収書を発行し、代 理人が望めば希望プロジェクト執務室が協定にサインし、さらに現地の協定にもサインし、お金の使用状 況、プロジェクトの進み具合等詳細にお知らせすることができます。
B援助を受けた小学校の名前については義捐金を送った人の名前や職場の名前をつけることは可能です。
(この種の義捐金で建てられた小学校はすべて希望小学校と称されています。)建設後、記念碑を建てたり、 その上に名前を彫ったりすることも可能です。竣工式や事前においでになることも歓迎します。
以上、私が知り得た情報です。もし、わかりにくい点、疑問等ありましたら再度お便り下さい。ファックスでもいいです。私はできる限りのことをさせていただきます。もし留学生が帰国し、この件で働こうとするなら、私は力になりたいと思います。
最後にクリスマスおめでとうございます。お幸せをお祈り致します!
蒋 歩青
1998年12月17日
1998年12月21日
蒋 歩青先生から中堡村の続報が入りました。(原文は中国語)
舎川 宏・和子様
17日に出しました手紙は届きましたでしょうか、今日、私は再度得た情報をお知らせします。
合正郷中堡村小学校の元の名は光明小学校といい、湖北省嘉魚県牌州湾に位置しています。牌州湾の面積は訳160万平方キロメートルで人口約10万人余りです。8月の洪水では特に被害の大きかったところで、牌州湾での損失は特にひどく、堤防が剪れたところでは63,000人が被災し、被災者を救おうとして19人の人が犠牲になりました。牌州湾が決壊した後、長江に堤防を築いた時に自然に形成された多くの生活地域は水浸しになりました。10月に水が引き始め被災者は続々帰ってきましたが、無情な洪水はすべてのものを流してしまい、33メートルの大きな窪みを作り、決壊した堤防の長さは760メートルにも達しました。土壌は2メートルの深さまで砂漠化し、穀物を植えることはできません。現在、砂を窪みに入れて新たに堤防を築いています。このために必要な経費は5千万元(約7億6500万円)で、来年4月に竣工予定です。そのほかに自己救済する野菜を作ったり、家を建てたりする活動を展開しています。大堤防から200メートル離れたところに新しい村を作る計画で、人口が比較的集中するので牌州湾に19の小学校を建て、それぞれに19人の烈士の名を命名します。このようなわけで、将来、中堡村小学校の規模は拡大して6,7百人になり、そして一つの小学校には最低60万元(約918万円)必要です。中堡村等の地方にはすでに調査の人が来ていますが、今まだ資金は届いていません。このようなわけで嘉魚県の委員団を上海に派遣して支援を求めました。年末で一番忙しい時に被災地区に関心を寄せて下さった方々にお礼の気持を伝えて下さい。希望小学校が建ちましたら中日の世代の友好の橋渡しができ、小さな力を尽すことが、心からの喜びにつながると思います。新しく情報を得ましたら随時ご連絡します。
乱文乱筆をお許し下さい。
草々
蒋 歩青
1998年12月21日
1999年1月6日
蒋 歩青先生にこちらの活動状況と中堡村への同行依頼の手書を出しました。(原文は中国語)
蒋 歩青先生
新年おめでとうございます! 12月17日、21日の手紙受取りました。ありがとうございます。返事が遅くなって本当に済みません。まず私は蒋さんに電話をしようとしましたがつながりませんでした。友達が教えてくれた電話番号でもつながらず諦めました。
現在、私たちは義捐金の募集の活動を始めましたが私はこの活動は簡単でないと思っています。なぜなら私の会社の組織はすでに中国の組合に義捐金を送金していますので、私はこの組織を当てにできません。私の友達の一人が高額の援助をしてくれるはずでしたが彼女の都合がつかなくなりました。また、日本の景気が大変悪いということです。
このように環境は良くありませんが私は必ず最大の努力をして学校再建を手伝いたいと思っています。
4月の終りか5月の初めに私たちはお金を持って嘉魚県を訪問するつもりです。その時に、もしできたら、私たちと一緒に行っていただけませんか。どうでしょうか。
私は私たちの状況をできるだけ報告します。あなたが私たちを暖かく手助けして下さることに、私は衷心より感謝しています。
何事も順調でありますようにお祈り致します
舎川和子
1999年1月6日
1999年2月22日
蒋 歩青先生よりファックスがありました。(原文は中国語)この手紙の中にある蒋さんからの問いかけには3月1日にファックスで知らせました。
舎川和子様
こんにちは!手紙を早く受取っていましたが返事がまだでした。といいますのも、春節の間親戚の家へ行ったり実家へ帰ったり、また、家族旅行などで忙しくしていて家を留守にしていました。今日、白浜先生から連絡がありました。本当に済みません。
義捐金のことですが、もしあなた達が4月の終りに中国に来られるなら2日の休暇とメーデーの休みを利用して一緒に行くことができます。中国に何日滞在し、いつからいつまで、人数、義捐金の金額等が私には解りませんが、これらの状況が解った後にすぐにこちらの団委に連絡をとります。義捐金の贈呈式は必要ですか。どんな儀式を希望されますか。記念碑の建立と記念碑に刻むのはどんな文言ですか。できたら事前に具体的なものを提出できるなら私が連絡に行きます。
嘉魚県合正郷中堡村以外にどこかへ行くつもりですか。武漢までは飛行機にしますか、それとも汽車にしますか。上海に2,3日逗留できますか。等々、具体的なことをお知らせ下さい。
最後にご健康と仕事が順調であることをお祈りします。
ご主人によろしくお伝え下さい。
蒋 歩青
1999年2月22日夜
1999年3月14日
世話人の人たちに状況の報告とお願いを送付しました。
世話人の皆様へ
奈良の修二会も終りいよいよ本格的な春の訪れになります。
その後お変りございませんか。いろいろなご事情がおありにもかかわらず世話人に当っていただき感謝申上げます。
さて2月末の中間集計を別紙のとおり作成しましたのでお送りいたします。
世話人の中で舎川宏、舎川和子、中山登志美、内藤伸彦の4名が4月28日出発し、現地を訪ねる運びとなりました。帰国後、現地の様子等ご報告させていただきます。
募金は1000円でも多く持参したく、学校建設に向けて一層支援活動を進めて下さいますようお願い申上げます。
上海外国語大学の蒋 歩青さんのご紹介もあり、希望プロジェクト(中国では希望行程)を学校建設を進める予定です。中国でのスケジュールは上海から武漢経由で現地に入りますが、蒋 歩青さんに同行を依頼しているところです。併せてお金の授受が明らかになるよう現地の新聞掲載も要望しています。
嘉魚県のこの村では被災者を助けようと19名の方が犠牲になり、村は19名の烈士の名前をつけた小学校を建設したい意向です。そこで村の人たちの気持を汲んで募金の中から19名の烈士のご遺族に香典(一万円×19)をお渡しした後で、その中の一校の建設のためにお金を用意したいと考えます。蒋 歩青さんの活動費用と香典をご了承いただきますようお願いいたします。
前回お願いしました自己紹介のカードはまだ全部そろっていませんので、そろってからお送りしたいと思っております。
なお持参する募金の〆切は4月20日頃とさせていただきますので、それまでに再度支援推進をお願い申上げます。
1999年3月14日
舎川 宏、舎川和子
1999年3月15日
1999年3月1日に蒋 歩青先生に出したこちらの訪中日程とメンバーなどを知らせた手紙に対する返事が届きました。(原文は中国語)
舎川和子様
ご機嫌いかがですか。今日手紙が届きました。あなた達の計画を読んで、私はすぐに上海希望プロジェクトの事務所と連絡をとりました。答は以下の通でした。
湖北省嘉魚県牌州湾中堡小学校はすでに校舎が再建されていて授業を再開している。これはこの地区が災害がひどく復興最重点地区の一つであることによります。だから国の支援の他にも多くの義捐物資が送られました。学校は施設などのハードの面では大きな改善ができました。でも、教師の水準が低くソフトの面ではまだ不充分です。教育の効果を高めるために上海には全国貧困地区教師養成センターがあります。そこでこの建設義捐金を以下に記す中の一つに用いられてはどうか、との提案がありました。
1、全国貧困地区教師養成センター基金にして上海へ来る教師養成の旅費等に当てる。
2,雲南省で建設中の三カ所の希望小学校に贈る。
3,上海にいる貧困学生の支援に当てる。
そのほかに彼らは人出が少なく、資金も力もないので非常に遺憾ですがあなた達の旅行の手配も歓迎会もできません。また、外国の友人に招請状を発行したことがありません。義捐金は彼たちが代理で管理し有効に用います。支援してくれた職場と個人への連絡もします。とも言っています。
ビザの発行には招請状が必要になると思いますがこちらで日本語のできる添乗員いる旅行社を通せば招請状はとれます。旅行社へは私が行きます。
もし事情に何か変ったことが起っても、日程に大きな変更は無いですよね?私の考えで日程をちょっと組んでみました。参考までにどうぞ。
私は4月29日から5月1日まであなた達と一緒に行くことができます。武漢行きの飛行機の予約、汽車の切符の手配、ホテルの予約など、すべてがこちらにあちらの手配をする旅行社がないのでできません。このように不定要素が多いのでやや冒険的です。ホテルの条件も良くなく、また汽車の切符も買えるかどうかわからないのですが、もし、嘉魚県の関係者と連絡が取れれば費用も比較的少なくて済みます。前提条件として私が連絡がつけられた時ですが、今日も嘉魚県に電話連絡を入れましたが誰も出ませんでした。
4月28日及び5月2日3日の上海のホテルは問題ありません。計画がはっきりすれば私が上海外国語大学へ行って2部屋予約しておきます。
私は引き続き連絡の取れていない嘉魚県の関係者と連絡をとるようにします。連絡が取れ次第あなたに新しい状況を報告します。
3つの方法を参考までにお知らせしました。
すべてが順調に運ぶことを祈っています。
草々
蒋 歩青
3月9日夜
1999年3月16日
蒋 歩青先生の手紙に対して、すぐに以下のような手紙を書いて送りました。(原文は中国語)
蒋 歩青先生
3月9日付の手紙読みました。ご協力に感謝します。今、私はとまどいを感じております。というのは、今回私たちの募金活動は大洪水の被災者、合正郷中堡村小学校の再建のためのものでした。それで、そのほかの目的、先生の養成基金、雲南省希望小学校の建設などに流用することはできません。
募金の金額はだんだん多くなってきています。現在150万円になりました。私たちはこのお金を中堡村小学校の教育設備、椅子や机などに使いたいと考えます。
それから私たちの旅行は「上海春秋旅行社」の王純さんを通して手配を依頼しようと思いますが良いでしょうか。1994年に私たちはカシュガル、ホータンなどへ行きましたがその時彼女が手配してくれました。私は彼女はたいへん有能な人だと思いますし、彼女の夫もまた復旦大学の教授です。どうぞ彼女に私たちの状況をお知らせ下さい。彼女は必ず私たちに協力してくれると思います。まず、私たちの招請状を発行して貰ってください。
私は仕事がたいへん忙しくわずかの時間を作って領事館へ行き手続きをします。私たちの希望の旅行日程は以下の通りです。
4月28日 大阪から上海 12:55発14:30着 (上海外大2部屋予約お願いします。)
4月29日 (午前中は蒋さん授業のため)午後武漢へ飛行機で
4月30日 午前、マイクロバスで中堡村へ
5月1日 景徳鎮
5月2日 午前に飛行機で景徳鎮を出発して上海へ
以後は中山さんの会社がすべて手配してくれます。
4月29日から5月1日の私たちと蒋先生の飛行機、ホテルのなどの予約をお願いします。蒋先生の費用は私たちが負担します。
1999年3月25日
蒋 歩青先生宛にFax(原文は中国語)
蒋先生;こんにちは
あなたからのお手紙をまだ受け取っていません。
昨日、私はあなたに中国国内の旅行の手配は必要ないと申しましたが、今日、私は航空券は中国旅行社を通じて買うより安いと知りました。そこで、あなたを煩わせて大変恐縮ですが航空券を購入していただきたいのです。
4月29日 上海(PM2:25)→武漢 全部で5人分 そのうちの一人は蒋 歩青先生です。
5月2日 武漢(AM9:50)→上海 4名分 (あなたは1日早く上海に帰られるのでしょう?)
項目 | 収入 | 支出 | 残 |
支援者からのカンパ | 2、226、500 | ||
預金利子 | 32 | ||
学校再建 | 2、000、000 | ||
烈士弔慰金 | 190、000 | ||
蒋 歩青先生旅費 | 31、500 | ||
計 | 2、226、532 | 2、221、500 | 5,032 |
舎川 宏、舎川和子 ,中山登志美、内藤伸彦
1999年5月18日