一人の青年がスタントマンを経て、
世界各地を放浪の旅に出た。
お金がなくなると、道端で空手の型を見せて旅費を稼いだ。
現地のパフォーマーと技の交換しているうちに芸を磨き、
本物のストリートパフォーマーとして感性を得る。
パントマイム、ジャグリングから綱渡りまで幅広い。
帰国後、イベント・プロディーサーとして
日本中を歩き回った。
福祉施設の慰問公演や、地方の町や村で、
アーティストを集めて『地域おこし』的
なイベントを手がける。
しかし、イベントというのはしょせん一過性。
本質的にはプロデュースするなら
リアルな空間(ハード)が必要と痛感。
そこから、町並みや生活自体まで
根本から創造することを思った。
そうした末、たどり着いたのが大阪・中崎町。
大都市の中心部に存在しながら、
戦前と戦後のニオイを今も濃く残す中崎町。
「消えつつある日本のコミュニティーの姿を掘り起こそう」
と自分の理念にピッタリの土地であると衝撃を受けた。
最初たった一人で、一軒の築100年廃墟同然の
空屋再生を始めたJUNさん。
必要な材料はすべてリサイクル品で調達し、
業者の力を借りずにすべて自力で作業を始めた。
その作業自体が、一種の"パフォーマンス"
として道行く人々の目に止まった。
次第に、地域住民や通りすがりの人が誰彼なしに
『手伝いましょうか』と集まってきた。
結果、合計1,129人の仲間が自然に集まり
2001年7月26日のオープンを果たした。
「Salon de AmanTO」(天人)=アマントの誕生である。
※天人はAManTO。
AManTO は A Man to 〜
エスペラント語で『愛される人』
英語で『celestial being (天の人)』
日本語で『天下人』 そこに訪れた人はすべて
天下人になる場所。
再生された空家は、主宰者のJUN氏曰く、
全世代が集う公園を実験の場を目指す。
その言葉どおりサロンとして蘇り、
カフェ、フリースペース、
教室、 FM放送局、ギャラリー、イベントホールと
様々な顔を見せつつ、多種多様のジャンルのアーティスト、
クリエイター、パフォーマーたち
そして地域の子供からお年寄り、
外国からの来訪者と今も続人が集う
約束の地へと変貌。
多くのアーティストによるパフォーマンスや
参加者自身が自力でカリキュラムを設定する
"完全自己完結型"の文化教室などが
毎日何かが公演されている。
人と地域の深い関わり方を体現する空間づくりを、
この中崎町を発信基地として、
物質ではない"シンプルでより良い暮し
"実践の場を全国展開に広げている。
現在、他地域のプロデュースや、
雑誌の出版など新しい価値観の創造を
すべく多角的に活動。
各界の注目を集め続けている。
◆関西交流大学特別編集
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