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《白昼夢》


 白い壁、白い天井、白いベッド、白衣。   白い顔。


                               嫌気がする。  
……
                  
「薬が効いているようだね」
 白衣が私に語りかける。私は無視して外を見る。
 窓など在りはしないけれど。



 確かに薬は効いているようだ。あれほど狂暴だったのに、兆候すら感じない。だから余計に腹ただしい。たかだか薬でよくなる程度なのか。感情なんてのは。
「名前は言えるかい?」
 りん、そういう名前。カタカナでも漢字でもなく。ひらがなでりん。
 鈴、倫、凛  輪。どんな意味を選ぶかは りん しだい。そんなことを言う親だった。
「いくつか質問するよ」
 つまらない、くだらない。
 なぜこんな事をしなければ。
   外に奴らがいなければいいのに。

 中三
                              14歳
                    覚えてない
                        42キロ
     ……聞くな
          帰宅部
中の上程度
                   三人ぐらし
                                 共働き
「君の両親は死んだよ」
 痩せこけた頬に 握った拳がめりこんだ。


  椅子に腕をくくられた。  外の奴らめ。
「君は思い出さないといけない」
 椅子を蹴飛ばして 自分もこける。 痛い 殴った手首も地味に痛い。
 白衣がおびえた目で外を見ている。    いい気味だ。    
 頬も紫色にじくじくしている。        満足などできないが。
 白衣がこちらと目を合わせようとしない。プリントばっかり見てやがる。
「君の家は  日の深夜  時には消灯していた」
 きこえないきこえないだまれやかましうるさい。
「そして強盗に襲われて、ご両親を殺害された」
 あ〜あ  。
「……辛かったね」
    
         
               …………
                  「?」
                  近づいた顔をめいっぱい蹴飛ばす。
                  細っこい足でも痛いだろ。こっちは痛くない。


 床をのたうつ白衣の代わりに、外の男がまた私をくくりに来た。全然動けない。

 いい加減飽きた。
 やる事は知ってる、状況もわかる。
 無視するのが私の最良だけれど、誰もわかっては頂けない。
「無理に思い出さなくてもいい。辛い記憶だからね」
 まだいうか。
「上には悪いけど……犯人探しなんて他の人に任せればいい」
 聖人でなければ殺しているところだ。
 私はいつから聖人になった。 たぶん椅子にくくられてからだ。神様だって磔だから殴らないのだ。
 矛盾だらけの問答を繰り返し繰り返し。
 いいよ、付き合うから。
「……では順を追って説明するよ。
 偉そうに。
「深夜十二時頃、強盗は包丁の様なもので武装して、窓を割って侵入した。あちこち物色して、そこでそれを聞きつけた君のお母さん、  さんにリビングで遭遇して、乱闘になった」
 母さん。気が強いから討って出たはずだ。討って出たって、武士みたいだけど。
「君のお父上、  さんが騒ぎを聞きつけて駆けつけて、今度は、  さんと乱闘になった。その間に……腹部を刺された奥さんが声を上げて二階の君に知らせた。――君はトイレに鍵をかけて立て篭もり、携帯で警察を呼んだ」
 それらを覚えてない。という訳だ。
「どうだい、何か思い出した?」
…………
「徐々にでいいんだ、何か手がかりさえあれば思い出せるはずだから」
 へえ。
「そうだね、何か質問してみるといいよ」
 記憶喪失って難儀よね。
「……警察が来た時には強盗は逃げていた。リビングにはご両親の死体とそこに座っていた君だけ……そして君は、その事実を忘れてしまったんだ」
 この茶番はいつまで続くのだろう。
 プリント読んでいる? 忘れた割に随分詳しいようね。
「ああ、乱闘の跡から判断したんじゃないかな」
 そう。
 膝に落とされたプリントは わたしの目には真っ白にしか映らず、何も読み取れはしない。
 両親が。死んだ。わたしには純粋に悲しむほど幼くなく 礼を言うにしてもまだ若すぎる。
 無防備な時期に死なれて、実感がわかない、不幸な死。別れの告げ方すらわからない。
 父は。
「争った末に頭部を、お父さんが持っていたゴルフパターで殴られた。外傷はその一撃だけで……即死だったそうだよ」
 理不尽な状況に眩暈がする。いえ、これは殺意?
 首が痛い、手を使えないからってなぜプリントをこんな見かたしなければならない。
 もういいや、見ない。どうせ何も書いて無いのだ。
 外の奴ら 証言がいるのだと言うけど、わたし言わなくても今ので十分そうじゃない。ほっといてくれればいいのに。
 母は。
「女性は……強いね。  さんが無残に殺されたと言うのに殴りかかって……けど……やっぱり、頭部をただの一撃だけで……勇敢だった」
 で、それを見送った トイレに立て篭もって と。
「君も勇敢だった」
 携帯かけただけなのに  ねえ。
「いや、それは……」
 警察はどうしてトイレに立て篭もったと思ったんだろ。リビングに座ってたのにね。
「なぜ    ……だろうね」
 自分の部屋に篭ればいいじゃない。私ならそうするっておかしな言い方?
「それは……」
 おや、いい難そうじゃない? 記憶が戻るためでしょう。
「君は……ちょうどそのとき帰ってきたんだ   ……たぶん 家を抜け出して。
 二階には、居なかった。お母さんが必死で叫んだというのに。
 だから……君はそれに罪悪感を感じて自分の罪を隠すように」
 そうきたか。
 なぜだろう こいつの言葉を初めて冷静に聞けた気がする。多分罪悪感のおかげだ。
 彼我不明の怒りが萎える感じ。今なら、思い出してもよさそうだ。
「たしかに君の罪悪感と二人の死は確かに重く圧し掛かる事実になるだろう。でも
      」もういい。あとはこちらが質問するだけだし。「
 なんだい? 何でも聞いてくれ。僕は君の力になりたい」
 そう、
 じゃあ遠慮なく。


 わたしはきっぱりとこう言った。
「なぜ、母さんが二階に向かって叫んだって知ってるのよ」
 「なぜ私が朝帰りしたって知ってるの。わたしが記憶喪失なのに、誰が喋ってくれるのかしら、そんな事」
 畳み掛けるような私の問答。
「あ……ああ、そうだね――」
 戸惑う白衣。
「パターが凶器? そうね。じゃあなんで包丁なんて凶器があったの知っているのよ。切り傷なんてなかったのに」
「あ……ああ・・・」
「まるで見てきた様な物の言い方よねえ。何でかしら」
「そ・・・れは」
 頭を抑え……いや掻き毟り、眼を虚ろにして訊いているのかわからない返答。
「おかしいわよねえ。あの時、ウチにいたのって父さんに母さんに、私に――」
「や……メ」
「強盗犯だけじゃない。まだわからないの?」

「記憶喪失なのは……あんたの方よ」

「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
 首を絞めようと近寄る白衣の男。
 縛られていたわたしは迫るひょろい男を蹴っ飛ばす。
 白い壁と椅子以外、何も無い部屋を転げ回る男。すぐさま室外から刑事たちがやってきて男を取り押さえた。
 白衣は足をばたつかせ口から泡を吐いて暴れまわるが、両腕を掴む屈強な刑事たちはそれをものともしなかった。
 室内から退場する――強盗犯。
「やれやれ、間一髪だったな」
「遅い、わたしじゃなかったら首を締められてたわ」
 わたしは三十路過ぎのいかつい男に文句をたれた。
「君じゃなかったらこんなことしないよ……まったく、荒療治にも程がある」
「上手くいったじゃない、これで公判に間に合うわよ」
 憮然として、言ってやる。
――キレた元精神科医が、強盗をした挙句に、バットで後ろから殴られ記憶障害を起こした。そいつは自分が強盗したと言う事実を忘れ、あまつさえわたしを患者と勘違いするという愚考をしたのだ。
 バットで殴ったのはもちろんわたしだ。両親を殺した時点で、こいつは既にどこかおかしかった。
「言っとくけど、わたしは乗り気じゃなかったわよ。どうせ……死刑でしょうし」
「そうか」
 煙草を咥えながら、ゆるく縛っていたロープを解く刑事。
 騒がしい犯人の声ももう届かず、わたしは白い壁だけの部屋でぼんやりと立ち尽くす。
 俯いて、その手先を眺め、
 ボソッと、
「……ごめん、お母さん、お父さん」
 そう呟く。
「ん? 何か言ったか」
 解き終わったロープを持ち上げて、撤収の準備に掛かる刑事。
 縛られた手首は跡も残っていない。
 ぎゅっと、その手首を握り締めてわたしは、
「何でもない」
 白紙のプリントを丸め、ポケットに入れた。


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