トモダチと午前3時の冒険。





「やっすい出会いと、やっすい関係〜始まりはそんなモノぉ〜♪」
「もっと腰振れ宮城ー」
「〜♪って、なんでアンタにんなサービスしねーといけねーんだよ…」

 大音量のメロディーが支配する密閉された空間で。
 背が低く斜に構えた雰囲気を持つ少年はマイクを唇から離して、
ソファーに足ごと乗せてふんぞり返っている青年に嫌そうに視線を向けた。

 青年は余計な脂肪などまるで付いていない体躯に小作りで整った顔を
乗せ、その姿はなかなか人目を引く出で立ちであったがその凛々しい眉と
目つきが鋭く尖っているのは頂けなかった。

「あーもーやめやめ。たぁく、なんでこの男と2人きりでこんなだだっ広い
空間にいるんだか…」
「てめぇが女連れてくるっつって呼び出したんだろうが!お前ツメ甘ぇから
こーやってイイ感じになる前に逃げられんだよ!」
「三井サンだって!!大学のテニスサークルのコと合コン出来るってゆうから
俺もクラスのコ連れてきたんスよ!?なのになんだよ!いかめしい男ばっか
だったじゃんよ!!」
「俺はテニサーのダチとは言ったがテニサーの女の子とは言ってませんー!
だからそっちに期待したんじゃねーか…」
「屁理屈言うんじゃねー!そっちが男ばっかだったから俺のダチもクラスの
女の子も逃げ出したんだよ!!」

 


 ある夏の日の夜―――
 2人きりのカラオケボックス、しかも団体用のパーティルームでいきなり
始まった喧騒の顛末はこうである。
 昨年、湘北高校のバスケ部を共に風靡したPG宮城リョータとSG三井寿は
現在それぞれ高3・大1になった。昨年まで後輩だった宮城が学校では先輩と
呼ばれるようになり、逆に最上級生だった三井は大学というカテゴリのなかでは
もっとも下級生にあたるという新鮮な構図。
 たまたま電車の時刻がかち合い久しぶりに会った二人は、つもる話も思い出話も
すっ飛ばして飢えた獣の如く女の話に喰らいついた。

「おっす久しぶりだな宮城。おめぇ彩子とはどーなんだよ」
「…どーでもいいでしょ。あんたこそ大学ではどーなんすか…」
「…バスケ部の隣りのボックスは相撲部とラグビー部だ…」
「災難っすね…それは…」

 戦慄に少年のような小柄な身体を震わせる宮城の肩をひょろ長い長身の三井は
抱き寄せて、悪戯っぽく耳に囁く。
「だからよ。今度合コンやろうぜ合コン。もうテニスサークルのダチとは話ついて
んだ」
 だったらそのテニスサークルの女の子と付き合えばいいのに…と宮城は怪訝に
眉をひそめる。
「やだよ。俺アヤちゃんがいるもん」
「バカヤロウ。てめぇが彩子にすげなくされんのは、てめぇに経験っつーもんが
足りねえからだ。純粋に想うだけじゃダメなんだよ!だから修行の一環だと思って
他の奴ともお付き合いしてみろって」
「そ、そういうもんスかぁ?」
 自分の恋愛遍歴のイケてなさを宮城は反芻し、三井の甘言に早くも篭絡されかける。
宮城の自信なさげな返答に三井はにやりと唇を歪めて満足し、そしてトドメを刺した。

「お前は控えめなんだよこと彩子にとっちゃあ。だから強引にいく方法をだな。
掴み取れ。俺がチャンスをやるから」
「うー…じゃあ行くだけ行ってみようかな・・・」

 下げたショルダーバッグの紐を握り締め、宮城がまだ躊躇いがちにそれでも頷くのを
見て、三井は軽く指を鳴らして破顔した。
「決まり!じゃあてめぇの方でも女の子集めろよな。んで集まったらケータイに連絡
入れろよ」
「ええっ!?俺も連れてこなきゃなんないワケ?」
「ったりめーだろバカ。ギブ&テイクだ。大学生は結構出会いが少ないんだぜ?」

 そう言って意味もなく薄手のシャツを着込んだ薄い胸を反らせて威張る三井に、
 じゃあ合コンなんて計画たてんなよ・・・と宮城は思いつつも、ふと気づいて顔を上げた。

「あ…そういや俺三井サンのケータイなんて知らねぇすよ…」
「あら?そうだっけか?…ああそういや俺も知らねぇや」

 浅い色のジーンズから、ストラップの2,3付いたシルバーの携帯電話を取り出す
三井を宮城は眺め、そういやストラップじゃらじゃら付ける奴って浮気性なんだっけ、
と友人に聞いた知識をぼんやり思い出した。

「これ。俺の番号。登録したらよワンコしな」
 最新型なのか、広いディスプレイに映る11桁の番号を宮城は自分の携帯に登録しつつ
なんとなく呟いた。
「何か意外。俺、三井サンの携帯番号知らなかったんだな…」
「ああ。あの時代は毎日会ってたから連絡取る必要もなかっただろうが」
 ただ繰り返す日々を同じように歩んでいた。
 そして今日偶然出会わなければきっと輝かしい思い出と共に消えていた。
 そのことが、自分をこんなにも空虚な気持ちにさせるのはなんでだ?
 宮城は登録を終えると、通話ボタンに指をかけ押し込んだ。
「お。来た来た」
 三井が明るい声で自分の携帯電話をプッシュし出すのを見て、宮城はその
変わらない雰囲気にひそりと安堵した。
 よかった。彼が中学生のときのように、彼を傷つけるものが何もなくて。

「これで連絡取れるじゃん。よかったな」
 三井は屈託なく笑った。高校の時よりも明るく笑うようになったと宮城は思った。
 三井の“よかった”は何がよかったのか宮城にはわからなかったが、彼の
その笑顔は確かに宮城にとって“よかった”

「じゃあな!また!」
「ええ。気をつけて」
 今日ここで出会ったときと同じようにあっさりと別れ、ホームの階段を下りていく
三井を視線で見送った後、宮城はまだ手の中に在るディスプレイを見る。
「…何も、知らなかったんじゃねぇか」
 連絡の手段も屈託なく笑う彼も。
 呟いた後自然に漏れた笑みは、どういう意味があったのか宮城自身さえもわからなかった。

 ただ、自分はバスケする三井しか知らなかったことを実感する。
鋭いパスやシュートや必死なディフェンスや。あの熱狂のさなかに共にいたその事実だけ
で十分だったのに。ふと会えばそれ以上のことが気になる。

「ま、そんなもんかな」
 しかし宮城はいつもの軽い口調で疑問を片付けて、滑り込んできたお目当ての電車と
流れる人ごみに意識を引き戻した。
 人の波に車内に押し込まれて陣取った奥の扉前を通して、そして再び彼を見る。
 これも偶然なのか、向かいのホームに停車する電車の中、ちょうど宮城の正面の同じ位置に
三井がいた。宮城は無意識に目の前のはめ込みの窓を人差し指で弾いた。
大学の教科書なのか、カバーの掛けられた書籍に視線を落としていた三井が顔を上げ、
奇跡のように宮城を見つめる。静かな大人びた眼差しが宮城だけを。
 この距離に慣れていないからか、宮城は心臓が深く脈打つのを確かに感じた。

「―――」
 三井の形よい唇が言葉を紡いだようだったがそれは聞きとれなかった。
 三井の姿が水平にスライドして攫われる。こっちの電車が発車したのだと、宮城は
ようやく現実に思考が引き戻されたような気がした。夢の中にいたわけでもあるまいに。
 何故か緊張したように落ち着きの無い鼓動を諌めるように手のひらで押さえこむと、
宮城は三井について一応の結論を打ち出した。
 
 最初からいなければ痛くも痒くもないが、その存在を感じてしまったら気になる。
 
 宮城は彼ともう一度会うべく、合コンに来てくれそうなクラスメートの電話帳を開いた。


 


 そうだ。彼がとても、気になる。
 いつのまにか宮城からマイクを奪い取りモンパチを熱唱している先輩を見遣りながら、
宮城はウーロン茶を煽った。
この部屋はこんなに広いのに、なんでこんなにも息苦しく喉が渇くのだろう。

「冷めてんなよー。余計サブいぞ宮城。野郎2人ってだけでもう氷河期なのに」
「…別に冷めてるわけじゃねぇっすよ」

 曲の間奏の合間にわざわざマイクで声を通して文句を言う先輩に、宮城ももう一つの
マイクで気だるそうに返答する。
 やがて三井が歌い終わって、しばしの静寂がもたらされた。だだっ広いボックスは
他の部屋と少し隔離されているせいか余計な雑音は全く聞こえず、曲が終ると本当に
寂しいほど2人きりだということを思い知らされる。
 でも決して嫌な感覚ではない。宮城にとっては。

「ま。せっかく2人いるんだからよ。なんかコラボろうぜ。あ、俺前からケツメイシの
『トモダチ』やりたかったんだよ。てめぇも知ってるだろ?交互に回そうぜ」

 三井は曲目リストを凄い勢いで捲くりつつ早口で捲くし立てると、宮城の了解も聞かずに
リモコンをテレビに向けた。
「…三井サン結構元気ねー」
「あぁ?」
 機会が指定された音楽をサーチしている間、宮城は何の気なしに思ったことを口にしてみた。
三井が少し双眸を見開き、意味の無い単語を呟く。
「いや、もっとヘコんでると思ったから…女の子いなくて」
「過ぎたことをうだうだやんのはもう高校でヤメにしたんだよ俺は。今と先が楽しければいい
じゃねぇか」
「今楽しいのかよ…」
「?楽しくないって言うのかよ」
 幼い表情をさらして宮城を見つめる両眼は、あの頃の記憶のままだった。
 シンセサイザーのイントロが流れ出す。優しい音楽が少し切ない。歌詞も切なかったな
と少し思い出した。
 
「楽しいってゆうか嬉しいぜ。またお前と会えて」

 はっと顔を上げた宮城の前で、三井はテレビに流れる歌詞を追い始めた。
 曲になれているのか、優雅に旋律を紡ぎだす深い声に部屋中が支配される。
 それは宮城という意志をもった有機物さえそうだったのかもしれないが、彼は
複雑な気持ちを紛れさせるようにマイクに唇を近づけた。伊達にワカモノはやっていない。

「見たままの物を信じた そして笑った―――」
 嬉しいと言ってくれた、アンタをそのまま信じてもいいのか。
「あの頃のダチ 街から離れても変わらず―――」
 離れても変わってないと、忘れてないと思っていいのか。

 流暢に三井の声に合わせて歌詞をなぞる宮城に、三井はふっと笑って質のいい声を
更に響かせた。観客はいないが確かにこれは“ライブ”だった。
 生の鼓動が共鳴する。2人きりの空間に。

 トモダチとはなんだろうか。歌いつつ宮城は考えた。俺たちはなんなんだろうか。
大学が遠いのか、稀にしか母校の部活に顔を出さない先輩でしかなかった三井と、
こうして一つの曲を創り出しているのは何故だろうか。
ただ、思えば自分たちはいつも2人で一つのものを作り上げていたのだ。
 あのなじみの匂いの体育館に記憶を馳せる。

「ヘイ!!パスパス宮城!!」
「はいよっ」

 きゅきゅっと木製の床をシューズで踏み鳴らし、床を振動させる褐色のボールを
宮城はバウンドさせて背後に放った。自由になったボールを絶妙のタイミングで走りこんで
きた三井が奪って、軽やかなドリブルでゴール前に運ぶ。
「桜木君!三井さん止めて!!」
「任せろ桑田!!くらえミッチー!!」
 このゲームでは敵となったチームメイトの声に三井はにやりと口角を吊り上げ、
正面に腰を落として構える後輩の桜木花道にそのまま突っ込んだ。
「!?」
「いくかっ!?」
「させねぇ!!」
 それぞれの思惑が交差して、オフェンスの三井はレイアップシュートに、ディフェンスの
桜木はブロックに高くジャンプする。桜木の長い腕が天を指しているのに対し、三井の
腕はボールを持ったまま上がることは無かった。
「あーっ!!」
 桜木は三井のフェイクに気づいたが時すでに遅し。
跳躍した三井の斜め下にボールはこぼれ、それを茶色い髪の小柄な2年生が素早くキャッチ
する。その手をすばやくドリブルに切り替え、重力に抗えない桜木の背後を縫って、
今度は宮城が跳んだ。そしてボールは宮城の手を離れ、更に上を行く。
 赤いフープを一回転し、その中に吸い込まれた球体が地に落ちるまで眺めて、
この得点を“創った”三井と宮城は頭上で互いの手のひらを合わせて笑った。
「ナイスプレイ!!」
 彼らに賞賛を送ったチームメイトの一言が、彼らの関係を如実に表していた。
「すっげぇガードコンビだな全く」


 
 ―――遠く どこに 居るだろうか 友は
 届く ほどに 声上げた 「ここだ」

 あの日はもうすでに遠く。会わなければどこにいたのかも知らなかった。

 高いパートも難なくこなす三井の声質に宮城は改めて感嘆する。
 ラップは歌詞が長い。疲れてきた。それでも。

 ―――だれ かれと 別れ重ね それぞれと 与え離れ
 未知の日に向かって 走り出す道のり

 宮城はただ歌った。この歌詞のように、別れても笑いあえる関係ならいい。
 コンビと呼ばれた俺たちの関係をアンタが忘れていなければいい。

 ―――いつか話せよ また会ったなら
 すべて話せよ また会ったなら―――

 “また”がまたあったならいい。宮城は歌った。
 思った。言った。

「…別れたくねぇな…」

 それは、盛り上がる音階にかき消された。



「宮城巧ぇじゃねーの。練習してた?」
「いや、でもこの曲けっこ好きでしたよ。アルバム持ってるし今度貸しましょうか?」
「え?マジ?」

 アウトローをリモコン操作で消して。
 三井が器用にテーブルを跨ぎ、宮城の座るソファーの隣りにすとんと腰を落とした。
びっくりするほど距離がなく、自然三井のジーンズをつけていてもなお細い太腿が宮城の
それに密着する。宮城の開く曲目リストの一点を横から指差し、至近距離で囁いた。
片手にはジンジャエール。指先は“ケツメイシ”の項。
「なぁどの曲入ってんの?「夕日」けっこう好き」
「あ、ああ入ってるっすよ。俺は「旅」好きっすね」
「あーなんだっけ。CMのやつだろ?俺たちは今この場所から走り出す〜てやつ?」
「そうそ。それそれ」
 普通に会話しつつも落ち着かない。この距離じゃまるで・・・宮城はその先の単語を
考えたくなくて思考を三井の姿から逸らそうとした。半分寝かかるように寄りかかる
三井の頭の位置は、宮城に旋毛が見えるほど低く、鼻梁も鎖骨も通り越してシャツの隙間
から見える胸元は、同性でも意識せずにはいられなかった。
 やはり合コンはちゃんとすべきだった。接触にはあまりにも縁が無い。

「トモダチで思い出した。お前今日何で来た?」
 突然脈絡の無い台詞を吐いた三井をきょとんと宮城は見つめる。
 この場合の“何”は交通手段を意味しているのだろう。
「電車っすけど・・・ってああー!!ひょっとして終電ない!!?」
 携帯電話をウエストポーチから慌てて引っ張り出すと、その液晶文字はとうに日の代わ
りを告げていて、宮城は一瞬気が遠くなった。
「あーやっぱな。駅前だもんな」
 蒼白でうろたえる宮城をキヒヒと笑いながら三井は見て、まだ密着したまま宮城の眼前に
じゃらんと金属の何かをぶらつかせた。

「な、なんすか?」
「わかんねぇ?」

 近すぎるそれに焦点を合わせ、宮城はようやく納得した。父親も同じようなものを
持っている。
「鍵…車の」
「正ー解。部活引退してから春の間に取ったのよ。いい先輩を持ったろてめぇ」
 彼の得意げな台詞に被って、設置されている電話が鳴った。どうやらもうすぐ時間らしい。
 三井の魂胆は車とは別のところにもあるらしい。そう言えば「トモダチ」で思い出した。
と言っていたか。
「それでよ。ちょっと付き合って欲しい所があんだよ。どうよ?」
「どうよって言われてもどこなんすかそれは」
「言ったら来てくれなそうでヤなんだよ」
「なんスかそれは…」
 
 でもどうせ今から帰ってもいつ帰っても、親に叱られるのは同じように思えた。
とりあえず今からでもメールだけは打っておこう。
 宮城は「ゴメン」と3文字だけを電波に乗せると、三井に向かってかつてのいつもの
ようにクセのある笑みを浮かべた。
「いいでしょう。付き合いますよ」 
  


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