supReme ふと気付くと息苦しい程の静寂だけが横たわっていた。 何もない空間で、恐ろしいほど綺麗な相貌をした少年が三井に向かって手を差し出した。 禍々しい暗闇になお黒くそよぐ暗色の髪に、誘われるように伸ばした細い指先を取る確かな感触。仮面のように無表情な彼は、三井の素直な仕草に僅かだけ怜悧な唇を緩めると、もう片方の手の先、長い人差し指でもって三井の視線を思うがままに誘導した。 美貌の少年が指差したのは空間の一点―――「R」の文字。 壁に刻まれているのでもなく、シールで貼り付けられているのでもなく、その赤い文字は暗闇に鈍く浮いていた。無論それに距離感なども無く。 薄い唇が感情など知らないとでも言うように機械的に告げる。 「読める?三井サン」 この「R」を読めるかと聞いているのだろうか?バカにするなよと、三井は怒鳴りたかったがこの単なるローマ字の裏に含まれているかもしれない意味までは三井も読めなかったので、眉を寄せると不満げな声を漏らすだけにとどめた。 「アール?これがなんだってんだよ・・・流川」 そう、この少年の名前は確かに流川なのだ。三井は嫌という程彼を知り、そして彼も同じ人類の中では三井を知る最たる者だったろう。なのにまるでその存在を否定するかのように無機質な声に苛立って、三井は応えないまま微動だにしない流川を睨みつけた。 と、ふいに前触れもなく流川は唇を開いて呟いた。現実感を伴わない透明な美貌からは何も読み取ることは出来ない。ただ、少年の声だけが脳裏に響いて消えることはなかった。 「R・・・階層表示のてっぺんです。これ以上はどこにもない」 瞬間―――ただ闇が広がるだけだった空間は四方を壁に囲まれたエレベーターに変わり、ポォンと小気味良い音を立てると猛スピードで重力に引かれ急降下を始めた。逆らえない圧力に三井の意識が屈する直前、視界に焼きついたのはRの階数表示と流川の引き結ばれた唇だけだった。 「あ・・・」 自分のものか疑わしいほどに掠れ、喉から漏れた声に三井はかっと目を見開いた。視界が捕らえたのはシミ一つないグレーの天井で、それは元からグレーなのかまだ暗い時間帯のせいでグレーに見えるのか判別つきにくかったが、確かに三井の表層意識はそれを見知ったものであると訴えかけていた。徐々に浮上していく全ての感覚が、体中のあらゆる器官に様々な信号を送っている。 「あぁ・・・」 もう一度掠れた声を出して、三井はようやく自分がここにいる経緯を思い出した。片方の手で額を覆い、その中の脳は痩せた身体の様々な異常や不調にも明確に理由付けることができる。乾いた喉から出る自分の声がヤケにいやらしく感じて、三井はなるべく大きく呼吸しないようにベッドに横たわる自身の位置を変え、あるいは長い足をシーツの上で組替えて、主に下半身から伝導する痛覚と違和感をやり過ごした。 裸の足に当たる衣擦れの感触は、部位によっては気持ちよいものであるが時々濡れた感触が肌にある部分に滑っては張り付いて気持ち悪い。またその部分がとてもデリケートな部分に直結するところとあっては、すでに数時間前に崩壊したプライドでさえも、破片が勝手に頬に熱を散らした。 「たまんねぇ・・・誰かなんとか・・・嘘だと言ってくれ・・・」 気だるい仕草で今度は両手で頭を抱え込むと、つられて動いた細い足の付け根から粘着質の何かが滴り落ちる気配がして、三井はよりいっそう腕の中に小さい頭部を沈めるしかなかった。目を閉じると、感覚は一気に最も熱を持った器官に集約され、生々しさに耐え切れずまた目を見開く。それでもいつまでもベッドの上でくたばっているわけにもいかねぇのだろうと、三井は観念して自らの下腹部、そしてその更に奥を羞恥を耐えながら指先で触れた。たっぷり潤みを持つ太腿の間の熱を掬い取り、まだ熱いような気がするとんでもない使い方をされた部分から滴っていた指に絡まる液体を目の前に翳した。そして後悔した。 「げぇ・・・」 人差し指と中指の間を橋渡しする白い液体に僅かに混ざる血の色。それがサイアクなコントラストであることと、この物質が明らかに2人の人間によって作られたものだということにうんざりして三井が更にへこんだところで、薄暗い部屋の扉が開いた。三井が嫌という程至近距離で見た長身の男の姿が堂々とした存在感を誇示していた。 まさかこんなことになるはずではなかったのだというのは、三井の勝手な考えだ。“恋人”になってしまったのなら、自分の一部はもう自分のものだけではなくなる。触れたいと思われるなら、いつもではなくとも望みのままに触れさせ、心も身体も一定の距離で共有せねばならない。片思いでなく、恋人と名がつくものになったのなら。2人の他人には平等に、愛し愛される権利が発生する。その形はなんであれ、そこにつきまとう感情が確かに相手に対する“好意”なら、何処かで彼は譲歩して諦め、そして受け入れるしかなかったのは明白であった。 「先輩・・・三井さんとスゲェことをやってみてぇ・・・」 空前絶後の告白をする場合に人気のない屋上を選んだところは、朴念仁の後輩にしては気の利いたはからいだった。それでも、その形良い唇からこぼれ出た告白は何のオブラートにも包まれていなかったが。 「スゲェことね・・・やっぱあっち方面の、こう、凄いことかよ?」 同級生の友人と猥談する時には何のためらいもなく発せられるヒワイな単語がどうしても言えず、三井はコンクリートの壁にもたれかかると学ランの肩を少し震わせた。太陽が頂点にあり、風も今はやんでいるのでさほど感じなかったが紛れもなくもう冬なのだ。そう長くはこんなところにいることはできない。 「そう・・・三井先輩を抱きたいッス」 「そうか・・・俺がお前を抱くんじゃダメなのか?」 やはり直接的な感情をぶつけられるのが痛くて、三井は視線を合わせることのないままできもしないことを呟いてみた。流川の長い髪が風もないのに横に揺れて。 「俺から求めたから・・・最後まで俺が」 三井を求めることの責任を取りたいということだろうか?思いを通わせあってからは別に三井が流川のアプローチに嫌悪感を抱くことはなかった。ただ、さすがに女子のように街中をエスコートされるのだけは耐えがたかったので、表面上は仲のよい先輩後輩を演じさせてもらったのだが。それでも後ろをついてくる図体のでかい後輩が確かに愛しくて、三井は過去を思い出し僅かに微笑を形作った。 「最後っていつまでだよ・・・」 「そういう意味の最後じゃねー。告って、付き合って、キスして・・・そしてセックスする。それが愛情表現の最後。後はそれの繰り返し」 わかるようでわかりにくい言葉だった。流川の抑揚のない声で呟かれたそれは。長身の美少年は黙って三井の前に身長差を意識させるように立ちはだかり、先輩の冷えた手の甲に自分の手のひらを重ねた。 「あんたと一度、最後までやりてぇ。これ以上どこにもないほどの感覚を味わって、そんでそれを忘れたくねぇ・・・」 「お、俺はそんな大したもんじゃねーよきっと・・・」 澄んだ黒い双眸に一生分の感情を嗅ぎ取り、三井は慌てて流川の手を振り解いた。三井はこの関係に「最後」があってもそれを否定するつもりは毛頭なかったのだ。成長の楽しみもない男の身体と可愛げのない性格。自分ならこういう人間と付き合うのは一瞬だけでもごめんこうむる。しかし流川の目に映る自分は、三井自身が思う「自分」とは全く異なった存在で、それでいつか流川が幻滅するのが怖くて仕方がなかった。その程度には三井も流川を想っていた。だから今流川が話していることは恐怖だ。裸になって触れ合ったら、無意識にでもさらけ出すことになるのだから。いつか見たレイプもののAVを思いだし、その中で身体を割られる女優のよがる顔を自身に重ね合わせ、三井は心底うんざりした。流川に無防備な泣き顔を見せるのは、最低の出会いの時で十分だ。 「先輩・・・キス」 ふいに流川が突風に紛れそうな声で言ったので、三井はうつむいた顔を上げ、秀麗な眉を寄せて「あぁ?」と返すしか出来なかった。流川が低い姿勢からもう一度言ったので、三井も意味を理解して少し躊躇ってから目の前の細いあごに指をかけて唇をつけた。少し冷たい感触がした後に熱の塊が口内に入ってくる瞬間がたまらない。饒舌には程遠い唇の内部が、自分にはこんなに雄弁に語る・・・ 「ん・・・む・・・」 酸素を取り込もうと三井は必要以上に唇を開いたが、いつも以上に執拗な流川の攻めに合いあっけなく抵抗は封じられた。苦しさに眉間に皺が寄り、目元に赤味が浮くのを客観的に感じる。 ―――変な話をしてたせいか、妙に盛ってやがんの。ちくしょ、息できねぇ・・・ クールな外見からは想像も付かない粘着質な行為から何とか逃れようと、三井はコンクリートに持たせかけた背をずるずると滑らせてタイルに腰を下ろし、小ぶりな頭を支えてしまう流川の大きな手から逃れるように首を振った。それで流川の薄い唇は離れたが、その可愛げのない部分は今度は三井の筋の浮いた首筋をターゲットに定め、間断無く噛み付いた。 「でっ・・・!」 色気の無い悲鳴が自然に空気に昇華する。今度からカッターシャツは一番上までボタンを留めるべきかと場違いなことを考えてしまい、その後に今自分が置かれている立場に背筋を冷や汗がしたたった。―――喰われる。 「やめろよてめぇ!嫌だっつってることをすんじゃねぇ!」 「“嫌だ”とは今はじめて聞いた」 「それを言う余裕も与えなかったんだろうがテメェが!!」 キスマークを付けられた感覚の残る首筋を片手でカバーし、三井は相変らず感情の読めない少年に向かって好対照なほど憤慨していた。流川がそれに恐れることなど無いと一番良く知っているのに。流川は影のように滑らかに三井から離れると濡れた唇を拭った。 「あんたとキスすると、冷静になれなくなんのがいやだ・・・」 まだ冷たいコンクリートパネルに座り込んだまま、流川がぼそりと言った。若い表情に浮かぶのは自己嫌悪の色か。誰よりバスケットボールに愛された指でくしゃりと長い前髪を握り潰すと、広い額と整った鼻梁が露になる。 「嫌なことをして悪かった・・・でも触れるのを許して欲しい」 そう素直に謝られると・・・今更何も言うことは出来なくなる。いや、謝罪ではないか。立派に殺し文句だ。素で、なんの含みも無く目の前に表現されてしまうから性質が悪い。その証拠に三井の端正な面は不機嫌さと照れを含んだ形容しがたい表情を作らざるを得なかった。 「今みてーなキスと・・・セックスと。何が違うってんだ。俺の身体にはお前を喜ばすようなもんなんてついてねーから、触れても得るものは一緒だろ・・・」 「違う。三井さんがキスもセックスも俺たちの間では同じだと思ってるなら、何であんたはかたくなに拒否しますか」 自分の発言の揚げ足を取る流川に三井はかっと頬に朱色を走らせた。 「あんなぁ!そんなの一緒ならどっちでも・・・」 「それはアンタが一緒だと思ってるだけで、俺の考えは全然違うッス。きっとまだ知らないアンタを俺は見るし、アンタも俺をより深くわかる・・・」 流川のいいたいことはわかる気もするし、三井も流川の表情をできるだけ引き出して見てみたいと思う欲求はあった、しかし――― 「恋人なら全てさらけ出さなきゃいけないのかよ!」 「・・・」 三井の叫びに流川は額に斜め上に通った眉をくいと上げた。初めて変化らしい表情の変化。流川は僅か思案すると、彼にしては珍しくおずおずと三井のそばに寄り添った。 「全ては手に入れられるはずもない・・・あんたの可能性も表情も無限だろうから。だから今俺の全てでもって引き出せる表情くらいは欲しいと思ったんス」 流川が全力と言うほどの力を自分にかけてくれるのは、照れくさいながらも誇らしいことだと三井は思う。譲れないものがこの胸にあったとしても。 「俺は嫌だ・・・お前の下で喘いだり痛がったりすんのは見せたくねぇ・・・」 弱音を吐いてもてめぇはなんなく俺を奪ってしまうんだろう。 問答をはじめたときから何となく自分の敗北を読めてしまっていた。バスケもそうだが、三井はゲームの展開を読むのが巧い。だからそれを覆す手段が無いと知ると、もうそこでドロップアウトを認めざるを得ない。 泣き出しそうな三井の両腕を取って、首を振りながら流川は緩く細い身体を抱きしめた。 「みっともないとか・・・そういうことを考えてんなら許さねぇ・・・きっと、見たことも無いあんたの表情は、これ以上ないくらいにキレーだ」 「んなこと言われても嬉しくねぇ・・・」 三井は流川の腕の中で、力なく呟くと諦めたように肩を落とした。 この行為の最中は。 男でも、女でも、ガキでも、そしてどんなに鉄面皮な無感動野郎でも、生意気で自信家な不良上がりの青年でも、等しくぎらぎらした目をする。 見知った後輩以外誰もいない家屋の一室、NBAの選手のポスターとオーディオ機器以外は目を引くものもないそこは、これから始まる饗宴など知る由も無くしんと静まり返っている。 流川によって促された三井は、白一色に映えるベッドに引き締まった腰を預けた。 普段室内競技に励んでいるせいかやけに肌が白く見える。 流川は風呂上りに先輩に無理やり身に付けさせた自分の寝間着から覗く胸元に目を奪われた。片時も奪われたままの視線を離さず、誘われるようにして三井の隣りに腰掛ける流川は、その鉄面皮の下で今まで味わったことも無い緊張と不安そして期待に苛まれていた。 後輩の無遠慮な視線に晒されている三井は咎めるようにぎろりと凶悪な視線を向ける。 「流川・・・ジロジロ見るんじゃねぇ。気持ち悪ぃ・・・」 「俺のものを見て何が悪いんすか」 全く表情を動かさず、さも当然といったように三井の所有を告げる流川に、三井は目を伏せ眉間の皺を人差し指で揉んだ。 「・・・今の俺ん中にてめぇの所有物があるとすれば、この寝間着だけだ」 「それが今から抱かれる奴の台詞ですか先輩」 「抱か・・・ッ」 直接的な表現に、三井は立ち上がるまでには行かないにしても、流川から十分に距離を置く位置まで尻でずり下がった。この男のテリトリーに入ってから、何一つ自分に有利に展開が運んだためしが無い。 部活後、誘拐同然に自転車で連れ去られ、玄関で押し倒されそれを膝蹴りで回避して、風呂まで一緒に入ってこようとする流川を宥めすかすのにどれだけの労力がいったことか! 学ランのままでユニフォームなどの入ったスポーツバッグとともに浴室に幽閉され、タオルとパジャマだけ渡されてぼそりと一言、 「抱きやすいように、よく汗を流せ」 ときたものだ。バスケ部の練習後だけあってシャワーを借りられるのはあり難かったが、その主の目的が三井には大いに不服だった。結果、また不毛な押し問答と暴力の応酬が繰り広げられることになる。 廊下と脱衣室を隔てるドア前で後輩と先輩は約5分言い争い、口達者な三井が流川にドアを開けさせるのに成功しそのまま逃げ切ろうとするのを、瞬発力に自信のあるバスケ部の新星がタックルで押し留めた。三井は顔面から床に撃沈し鼻血を出し、血みどろのカッターシャツとともに結局シャワーを浴びる羽目になった。 「他人の家で全裸になると、落ち着かねぇのは何故だろう・・・」 頭上からしたたかに冷水を浴びつつなんとか鼻血を塞き止めた三井は、今度は温水を浴び上気した身体を滑る水滴をそのまま塗りこめるように手のひらを沿わした。筋張った腕をせわしく辿るそれが強張って静止したのは、浴室と脱衣所を隔てる一枚の向こうから陰気な声が聞こえたからだ。 「三井サン・・・入っていい?」 一応疑問形ではあるものの、明らかにそれは欲望を滾らせ三井に否定を許す響きではない。微かな衣擦れの音までが届いてきて三井は大いに焦った。 「よくねぇ!来んじゃねぇ!デリカシーってもんがねぇのかてめぇ!!マジ来んなよ!?」 叫んでから三井はタイルに膝を着きたくなるほど後悔した。扉の向こうのバカは気付いていないだろうが、この台詞では自分がコマされる側だと認めたようなものだ。 三井の決して多くない女性経験の中でのマナーとして、コトの前のシャワーはオンナの最終身だしなみチェックだというのがある。それにずけずけ押し入ろうと言うのは男として野暮というものだ。男なら一足先にベッドで枕相手に「彼女に負担のかからない体重移動のしかた」でもシミュレーションしていた方が遥かにいぶし銀だ。多分。 ―――ガラ。 それをこの鉄仮面は… 「先輩の言うことを聞けぇええええ!!」 堂々と前も隠さずに侵入してきた後輩に、三井寿は遠慮なくシャワーのノズルを向けた。 ―――そう。 風呂場でのアレといい、こいつにはデリカシーが欠落している。ボキャブラリーも貧相だ。おまけに反省の色も先輩に対する敬意もない。何で俺、惚れたんだ? 「以前オンナとヤったときも俺は一緒に入らなかった!我慢した。我慢したんだ!」 自慢にならないことを暴露する三井に流川はやれやれとでも言いたげに肩を竦める。 「今ごろ風呂の話っすか?意外とセオリーどおりの男なんだな・・・」 「意外とってなんでだ!?」 結局―――水浸しになった脱衣所は元通りになるまで、2人がかりで雑巾掛けをしても30分を要した。 三井は部活後の重労働に不憫なほど腹を空かし、流川は四つんばいで雑巾がけに励む先輩の揺れる腰や、衣服の隙間から覗く肌に一人悶々とした思いを抱いていた。 結局食事もとらず、かといって性交にもつれ込むでもなく、微妙な2人の未成年は舞い戻った流川の部屋のベットの上であぐらをかきながら、リリックバトルよろしくお互いをこき下ろしあっていた。 全くいつもと変化無い。むしろ悪化している・・・ 流川も三井も全く同じことを脳裏に浮かべ、そしてお互いが相手を憎からず想っている事を思い出し、やや不満の残る顔で同時に押し黙った。 流川がこんなに饒舌に喋ることなど三井の前以外ではありえないのだ。 三井がなんとか年上の威厳でもって流川を制止する側に回るのも同様に。 これを特別と言わずしてなんと呼ぶのか。 「・・・流川。腹減った。なんかねぇの?腹鳴るよ?」 三井があぐらを解いて、片膝だけ立てて壁にもたれかかると、流川は軽く視線を合わせ無言で立ち上がった。鉄壁の美貌のせいか何をしても言っても冷たく映るその態度に、三井は「まさかこいつ俺の体力極限まですり減らした上でヤリ潰す気じゃねぇだろうな」と不穏な考えを抱く。 自室の扉の向こうに消えた流川が、数分して大ぶりの深皿を片手で抱え戻って来たときは、三井は思わず歓声を上げた。 「グッジョブ流川!愛してるぜ!」 社交辞令にも流川は純粋に反応する。ベッド脇のサイドボードにドリンクのボトルを置き、流川はまんざらでもなさげに我儘な恋人に冷蔵庫から引っ張り出してきた食料を差し出した。 「食え」 「あぁ?遠慮なく食うに決まって―――」 まさに生肉でも貪る気マンマンだった三井は、ロクに皿の中身も見ずに手を伸ばして初めてその形に触れた。視線を促した先にあるのは流川の天然ボケが炸裂したという代物ではない。別に“通常の状態”で見る分には何も怪しいことなどない。 だがしかし。 「流川・・・このラインナップに何か思うところはねぇのか・・・?」 きゅうり、なす、いちご、ぶどう、ちぇりー、もも、めろん――― 「?何が」 パパイヤ、マンゴー、バナナ、アボガド、パイナップル以上。 「・・・いや、いいんだ。忘れてくれ・・・」 三井は額に手を当てると自嘲の笑みを漏らした。鋭角的な頬に少々赤みが散っている。 この状況でこの品揃えでほんの少しヒワイな想像をしても俺は間違っちゃいないですよね安西先生。もしわざとだったらこのガキのこめかみ、親指で思い切り突いても許されますよね。 流川はすでにバナナを剥いて幸せそうにパクついている。それを見て、きゅうりと茄子を何故丸のまま持ってくるのかと問い詰めたい衝動を辛うじて抑え三井は桃を手に取った。 「なー流川、なんでこんな見舞い品みたく持ってくんだよ。パインとか無理だし」 「知ったこっちゃねー。台所にあるの適当に持ってきた。あんたが言うから」 「生意気なガキめ。殴るぞ」 夜着で果実を貪っていると、客観的に見ると本当に入院患者になったようだと三井は思った。実際自分にはその経験がある。病的に白い寝台の上で一人で蜜柑を食っていた。たった一人で。 今、隣りには確かに人の息遣いが在り、空間の全てを共有している。憎まれ口を叩きながらも心地よい空気に確かに安らぐ自分がいて、三井は軽く笑みを形作ると皮を剥いた桃にかじりついた。 食事のシーンにまで官能を感じるようになったら末期だ。流川は目を伏せ反芻する。バナナを食みながらもきゅうりを齧りながらも、流川の視線は不意をつくように三井の一挙一動を拾っていた。例えば自分に毒づく時の幼く見える表情と、高くなる声だとか、思考に落ちているときの 無防備だが知性が垣間見える表情だとか、何を思ってか緩くアーチを描く紅玉の唇とか。その唇に滴る甘い芳香を放つ果汁とか。連鎖はパスのように広がっていき、バスケでも無いくせに自分を走らせる。そしてバスケとは全く異なった次元で、この人を頂点に据えたいのだった。俺は。 「三井サン・・・」 意識して色気を滲ませ呟いて。果肉を咀嚼するのに夢中になっている三井の唇を流川は塞ぎにかかる。ディフェンスに倣うように両の手の間に三井の身体をすっぽり納め、そのまま背中の骨を指先で確かめるように添わせる。 「んう・・・」 鼻にかかった弱い声が若い征服欲を煽り、同時に桃の甘い味と香りが凶暴な熱を中和した。それでもまだ、全然治まりはしないのだけど。 深く深く、パズルのように濡れた唇を合わせ、年下の少年から舌先を口腔に差し入れる。 「―――ぅ」 三井の眉間にきゅっと皺が寄り、きつく閉じた眦から朱に染まっていくのを確認した流川も、うっとりと目を伏せ巧みに三井の舌と声を絡め取っていく。桃の果肉はもうそこに残ってはいなかったが、ムード造りには上々のスタートだ。 流川は軽く舌先を出したまま唇の交接を解くと、自分にしか聞こえない声で“ティップオフ”と呟いた。 next> |