『 サイアクの始まり 』 #4 




  俺と三井サンに関して。

  仲良くなれたらいいと思ったんだ本当。
  俺には兄弟がいないので良くわかんねーけど、きっといたらあの人みたいな感じだと思う。
  大人気なく花道達とふざけ合うところが手のかかる弟のようで、それでもいざと言う時頼れる強さが
  少し年上の兄がいるような錯覚をさせた。

  四角いコートの中でしょっちゅう憎まれ口を叩きあいながらも、俺のパスからあの人が
  綺麗なシュートを決めると、例えようが無いほどの喜びと誇らしさを乗せて、彼の細長い腕と
  ハイタッチを交わす。
  それだけで、“仲間”になれた。

  バスケがこんなにも楽しい。
  楽しい。
  すげー楽しい。

  
  (・・・ミッチーが泣いてたから・・・)
  (きっと生きるのが辛ぇ・・・)

  (・・・宮城、今、楽しいか?)

 
  ・・・アンタは今、楽しい?  



  
act:4 2年間


  
  「宮城ぃー。今日は三井先輩来ねーの?」
   女子から借りた手鏡を睨んでピアスの調整をしている中迫が、同じくしかめっ面で手鏡を
  睨みつけている俺に間延びした声を掛けてきた。
  机の上に散ったバンドエイドのクズを掻き集めながらだるそうに応答する。
  「・・・もう来ねーよ。あの人もヒマじゃねーんだから」
  「おー酷ぇ顔ー。痛そー」
   鏡から俺の顔に視線を動かし返答と全く関係ない感想を述べると、長身の親友は学校の
  安普請な椅子をギッときしませ窮屈そうに伸びをした。
  「そっかー来ねーのかぁ。俺ファンになっちまったのにー。朝待ってる女子も多かったみたいだぜー?」
   ・・・もうあの人の話題はこりごりだと思いつつも、俺は鏡面を凝視したまま、何げなく聞いてみた。
  「ファンって・・・三井サンのどこがいいんだよ?」
   三井サンが聞いていたなら激怒しそうなその質問に、中迫は椅子の背もたれを揺らしつつ
  虚空に視線を彷徨わせ、やがて思いついたようににやりと唇を歪めた。
  「どこがって・・・何か可愛いじゃん?先輩て感じしなくて。弟みてー」
   三井サンを・・・年上の男を“可愛い”と形容する友人の感性は理解し難かったが、
  弟みたいというのは少しはわかる。あの人外見にそぐわずガキっぽいし。しかし―――
  「でもあの人結構縦の関係こだわるっぽいぜ・・・事あるごとに『俺は先輩だ』って主張するし」
  「そりゃー実際先輩なんだし口では何とでも言えるだろ。でも雰囲気がそれに比例してねーつーかさ、
  柔らかいんだよな。俺部活で先輩に声掛ける時やっぱ多少は気兼ねしちまうけど、三井先輩は
  何か話しやすそー」
   中迫は耳たぶに光るシルバーリングの金具を弄りつつ、軽い口調で俺の意見を否定した。
  
  「昨日のお前ら1年の奴らも含めてさ、見てて思ったんだけどー。何か先輩後輩っつーより、
  同年代の友達っぽかったね。弁当届ける程仲良かったりさー。それってあるイミ理想じゃん?
  いや、弁当はともかくとして」
   確かに・・・そういうところもある。とは言っても三井サンとはまだ1日こっきりしか共に
  部活に出ていないが。
  俺や花道の馴れ馴れしい口調にいい顔はしないものの、どこかで許している。
  それが良い事か悪い事かは別として、それを中迫のように好印象と取る者もいて当然だろう。
   そして中迫が俺と三井サンの関係を邪推していないと判っただけでも、この質問の成果は上々だ。
  なのに・・・
  「・・・つまり中迫は三井サンのそーゆーとこが好きだと?」
   バンドエイドの包装紙を指先で意味無く裂きながら確認する。彼が頷いて肯定したのを
  視界の端に収めて続けて言った。
  
  「・・・じゃあお前、三井サンと寝れる?」
  「・・・あ?」

   聞いてすぐ後悔した。こだわってるの俺の方みたいじゃん。ひょっとして全然終われてない・・・?
  






  「ショーホクー!!ファイッ!!お疲れっしたー!!」
  『したぁーっ』
   
   驚くほど何も無く(当社比)今日の学校生活が終わった。練習の終わり円陣を組んで、
  密林の王者のようなキャプテンの怒号を聞くのが何故か心地よい。
  汗を吸い込んだシャツすらそんなに不快では無かった。
   それは隣りのこの男の接し方によるところが大きいだろう。
  三井寿。
  もう何度この名を心中で繰り返したか。
  とうの本人はすでに割り切っているらしく、今日の朝方までの波乱を微塵も感じさせず、
  後輩達を叱咤するのに奔走していた。その注意は言い方キツめなことを除外すれば結構的を射た
  アドバイスで、彼の中3までのキャリアを偲ばせる。
  そして時には俺と三井サンの意見の食い違いから罵り合いを展開したことも。
  秘めた殊勝さの欠片も伺わせず、俺の胸倉を掴みあげ唾を飛ばすこの人に、負けじと反論しつつも
  内心では安堵している自分がいた。
   ―――きっとこういう風に口汚く喧嘩してても、この関係は上手くやっていける・・・
   そう思うと、胸の痛みが僅かに和らいでいった。

  「・・・フリースローはリング奥見ながら打つもんだっつってんのによー・・・」 
  「・・・いや、手前でしょ。手前。奥なんて狙ったら力みすぎて外れますって」
  「手前だったらまずリングに当たるか、最悪エアボールになるだろうがバカヤロウ・・・」
  「だから、手前で距離取ってそれよりちょっと遠くに飛ばす感じに打ったら・・・」

   体育館の床の継ぎ目を同じ速度で平行になぞりながら、先程の口論の続きを展開する。
  緊張した面持ちで、いつ大喧嘩が勃発するかとハラハラしているらしいヤスや桑田や石井には
  悪かったが、この持論だけは譲れなかった。(何となく)
   3日前の事件の償いの一端とでもいわんばかりに、練習後のモップがけを率先してする
  三井サンには感心もしたが、すれ違って横に並んだかと思えば陰険な事を言う。
  本当に今朝までのことは遠い“過去”になったのだと実感した。

  「さっきから何を口論しているのだね君たち?」
  「終わったス・・・」
   2人の1年生問題児がモップを引きずり、お互いの間に微妙に距離を置いて俺たちの周囲に集ってきた。
  「ああ花道いいトコに。フリースローの狙い方でだな、この人が間違ったこと言ってっから・・・」
  「おい宮城てめぇ!お前の方が間違ってんじゃねーか!奥だってんだろ!!」
   すかさず花道に同意を求めようとしたら、速攻三井サンからの罵声が飛ぶ。
  「・・・ぬ?“ふりーすろー”とは何だね?」
  『話にならねぇ!!流川!!』
   一拍おいて初心者丸出しな発言をした花道から、俺と三井サンは同時に矛先を流川に変更した
  (後に花道にフリースローを教授しなかったことを後悔するハメになるのだが・・・)
  その勢いに彼の鉄仮面が一瞬動揺の色を宿す。
  「何すか・・・?」
  「だぁら、フリースローんときリングの奥見て打つか、手前見て狙うかって話。奥だよなぁ?流川・・・」
  「ゆ、誘導ははズルいっすよ!!手前だろう?流川!」
   親しげに流川の肩に腕を回して囁く三井サンに対抗意識がピークに達し、負けじと流川に詰め寄る。
  花道は仲間はずれが不服なのか膨れ面でモップに顎を乗せ、そして流川は思案の貌で
  一瞬眉を寄せたかと思うと―――
  
  「・・・わからねぇ・・・打てば大体入るし・・・考えたことねぇ・・・」
  『・・・こいつムカつく・・・』

   この時ばかりは三井サンと俺の思考は見事なシンクロ率を記録した。


  

  「木暮サン・・・?」
  「ああ宮城。お疲れさん」
   体育館の鍵を教官室に返却し部室棟に荷物を取りに戻って来た時には、もう外界は宵闇に包まれ
  街灯がそれを優しく照らし出していた。とうに他の部員は帰宅したはずなのに蛍光灯が点るバスケ部の
  部室に足を踏み入れると、夏仕様の制服を着込みボストンを足元に置いた副主将が、配置されていた
  机の上にノートを広げていた。
  「木暮サン宿題っすか?こんなトコで・・・」
   彼の仕草に興味を覚え聞いてみると、木暮サンは柔和な表情を更に優しく崩した。
  「違うよ。クラブノートつけてたんだ。部の日誌みたいなもの。もう帰るよ」
  「へぇ〜そんなモノあったんすね。ちょっと見せてもらっていいすか?」
  「ああ」
   木暮サンは視線を上質紙に落としたまま応えると、最後にさらっとシャーペンを走らせ俺に
  ノートを閉じて渡した。
  「俺の私見とか入ってて、ちょっと読みづらいとこあるかもしれないけど・・・」
  「いいっすよ全然」
  「じゃあ目を通したら、この机の中入れておいてくれ。他には誰も読まないだろうし・・・」
   先輩の雰囲気につられるよう、俺も表情を緩めてノートを受け取る。中迫は三井サンの雰囲気を
  柔らかいと言っていたが、木暮サンの方が全然柔らかいし話しやすかった。
  やっぱり友人の感性は何一つ理解できない。
   が、話し易いにしても木暮サンに無意識に敬語を使ってしまうのは、やっぱり俺が気兼ね
  しているのだろうか?
  「じゃあ俺は帰るよ。鍵お願いしていいかな?宮城は自転車だったよね」
   思考の淵に落ち込んでいた俺を、木暮サンの声が現実へ浮上させた。突かれたように顔を上げ
  返事をする。
  「あ、俺も帰りますから鍵は任せて下さい。後、今日は徒歩と電車で帰るんで・・・」
  「え?三井と自転車並走させて来たんじゃないのか?どうしたんだ一体?朝練来なくて赤木にも
  怒られてたし・・・」
  「まぁその・・・色々あって・・・」
   当然、素直に「三井サンのチャリに2ケツして来ました。しかもセクハラして事故りました」
  と告白するのは憚られ、俺はクラブノートの適当なページに顔を伏せたまま言葉を濁した。
  木暮サンは特に追及はせずに部室の出入り口に手を掛けると振り返る。
  「そう言えば最近自転車の盗難が相次いでいるらしいってプリント配られてたし、徒歩の方が
  賢明なのかもな。宮城も気をつけろよ。ガレージでも開けっ放しにしておくと鍵こじ開けられて、
  持ち出されるらしいから・・・」
  「あはは・・・悪質っすねぇ・・・」
   もちろん「まさしくそんな目に遭いました」と言えるはずも無く、げんなりしているうちに、木暮サンは
  爽やかに手を振って廊下に消えて行った。

   遠ざかって行く足音を聴覚の端で捕らえつつ、冷たいコンクリートの壁に背を凭せ掛ける。
  手に握り締めたまま、結局一行も目を通せていなかったクラブノートにようやく意識を遣った。
  木暮サンらしい清冽な文字がそこかしこに浮かんでいる。
   内容はバスケの戦術を模索・推敲した記録のようであり、安西先生のアドバイスや練習のメニュー
  を記したメモ帳のようであり、バスケ部の日常を綴った日記でもあった。
  異なる筆跡のページが混ざっているのは、赤木のダンナとアヤちゃんも時々記入しているからだろう。
  充実した内容に、もっと他の奴らにも見せればいいのにと思った。
   ―――あるページで手が止まる。ほんの数行の、隅の方の走り書き。

  『5月1×日(日) 晴れ 
   先日大変な事件があった。けれど正義の味方が助けてくれたので、公にはならなかった。
   そしてかつての仲間が戻って来てくれた。素晴らしいシューターだ。きっと力になってくれる。
   俺たちの夢が走り出す音が聞こえる。今年こそ全国制覇だ!なぁ?赤木』

   本当は誰に見せるつもりも無かったのだろう。キャプテンと副キャプテンの信頼関係を伺わせる、
  そんな文章だった。

  『頑張ろうぜ。きっとバスケがもっと楽しくなる』

   その下、僅かに空いた空間に、シャーペンで書かれてすぐ消されたような跡があった。
  少し気になって目を凝らし、紙の窪みを指で辿る。木暮サンでもダンナでもアヤちゃんでもない筆跡。
  比べるまでも無いカナクギ文字。

  「オレ・・・も・・・それが・・・夢・・だ」

   かろうじてそう読み取れた瞬間。わかってしまった。彼がどんな気持ちでそれを書いたか。
   声に出して呟いた瞬間から、何かがこみ上げてたまらない。
   
   なんでアンタ、ここにいなかった?2年間もどこ走ってたんだよ・・・

  「俺も、それが、夢だ・・・」

   もう一度無人の部室の空気にそれを吐き出したそこから、俺の道標も完成した。
   叶えるなら、今しかない。苦しいだろう。辛いだろう。
   でも彼と、彼らと共になら、楽しいだろう、きっと。
   





   太陽はすでに地平線の彼方、続いて僅かな群青すらも漆黒に引きずられようとしているそんな時刻。
   今朝方記憶の隅に残した風景は全く別の世界に変貌し、街灯の下に伸びる自分の影さえ気味悪く
   思えた。
   その分身を引き連れて歩き、やがて灯りさえ月以外になくなる。
   疲れた。腹が減った。メシ食って、風呂入って、テレビ見て、ゆっくり寝たい。
   なのに、何でこんなところにいるんだろう・・・?帰るための駅は全く逆方向。

  「ねぇ三井サン・・・」

   上から改めて見下ろすと本当に急斜面な土手だった。しかも夜、
   遥か下方を流れる河川が一層不気味で。
   俺たちの怪我が掠り傷で済んだのは不幸中の幸いといえる。
   できれば苦い思い出を忘却の泉に沈める為に2度と来たくはなかったが。

  「・・・宮城?」

   フレームやサドル、ハンドルがおかしな方向に曲がりチェーンが外れた自転車と、
  ペンチやドライバーやハンマーが詰め込まれた道具箱。そのそばにしゃがみ込むナイキのタオルを
  頭に巻いた三井サンが、月さえ霞む印象的な両眼に俺の姿を納め、名を唇に乗せた。
   
   俺は緑の芝を踏みつけ身軽に土手を降り、あの人の横に並ぶ。近くで見ると月明かりのせいもあり
  青白い肌に、細かい傷と鉄錆のような汚れが浮いている。
  キャプテンを心配させたテープの巻かれた手も汚れにまみれていた。
  「不器用なんすね。まだ直らない?」
  「うるせぇバカ。整備士でもねぇのにこんなん直せるか!」
   からかうとすぐ切れて、八つ当たりの矛先を俺に向けてきた。正体の知れない金属片が
  同時に飛んでくる。
   それを避けつつ、俺はクスクス漏れる笑いを噛み殺した。
  「何が可笑しい!!」
  「いやぁ、アンタ可愛いわやっぱ。バカで。俺のボセイホンノー挫けそうスよ?」
  「何が母性本能だ!オトコにそんなもんあるか!」
   キレルポイントが微妙に違うのも可笑しくて俺は腹を抱えて笑った。三井サンは肩を怒らせて
  憤懣やる方ない表情で俺を睨みつけている。おっと、遊んでいる間はない。本題に入らなくては。
  「アンタを助けるために来たんすよ。貸して」
   長い指に握られているペンチをひょいとスティールし、三井サンの隣り、自転車の本体部分に
  跨るようにしゃがみ込んだ。
  その無惨なボディを検分するように指を這わす。
  「助けるって・・・てめぇ直せんのかよ?」
   小さい頭を俺の肩口から覗かせ、怪訝な表情で問うてくる三井サンを横目で見遣ると、
  俺は唇を吊り上げた。
  「まーかせて♪俺アヤちゃんのパソコンも直したことあるし。楽勝っすよ」
  「・・・・・・パソコンと自転車は構造からして激しく違うんじゃねぇのか・・・?」
   ますます胡散臭げに歪められる三井サンの表情をシャットダウンして、
  俺はハンマーと六角レンチを握り締めた。

  「・・・道具が悪いンすね。どーぐが」
  「てめぇ宮城・・・ふざけてんのか?」
   先輩の制裁(万力)を一身に受けつつ、俺は冷や汗を垂らしながらますますハチャメチャになった
  自転車(の残骸)を見下ろし肩を竦めた。フレームを曲げようと、ハンマーで四方八方から打撃を加えた
  のが拙かったのかもしれない。
  「拙かったのかもじゃねェよ!拙いんだよ!どうしてくれんだコレ俺のじゃねーのに・・・」
   俺の心中を呼んだかのように罵声を畳み掛けてくる三井サンに、何とか言い訳をひねり出す。
  「技術の授業の道具一式なんかでアンタが直そうとしてるから悪・・・ってアンタのじゃないワケ?
  このチャリ・・・」
   はたと気付き、じゃあ誰のだと瞳で質問する俺に、三井サンは傷の残る顎を心持ち反らせて
  フンと鼻で笑った。
  「徳男のだ。俺はこんなダセーママチャリ嫌だっつったんだけどよ・・・電車は金かかるし・・・」
  「はぁ・・・?じゃあアンタのチャリとか原チャは?持ってねェの?」
  「持ってたはずなんだがな・・・今はあいつらが知ってるかもな・・・」 
   瞬時に上方へ逸らされた三井サンの視線の行方を、反射的に俺も追った。そして眩しさと、
  疑問に目を細める。
   静寂に包まれていた土手を突然無数の光線が照らし出し、同時に複数の若い男の声がしたので。
   謎の光線はパッと見数を把握できないほどの原チャが放っているものだと、目が慣れてすぐわかった。

  「んなとこに人がいると思ったら三井だぜ!!ほら、鉄ンとこの!!」
  「マジ?やべーじゃん、チクられたらどーすんだよ?」
  「そりゃーおめぇ、チクれねぇようにするしかねーべ?先手必勝でよ!!」

   ガラシャツとカーゴパンツをだらしなく着こなし腰に幾重にも鍵の無数に揺れる鎖を巻きつけている
  4、5人の男達は、何故か人数以上の自転車と原チャを引き連れ、歩道から俺たちを見下ろしていた。
  彼らの下卑た笑みとタバコ臭と不穏な会話に背中に嫌悪感が走り抜ける。
  隣りをうかがうと、三井サンも剣呑な光をその瞳に宿し彼らをねめつけていた。

  「てめぇらか・・・人の乗りモン盗んでバラして、闇で売ってんのは。まだ抜けてなかったのか?」
   
   三井サンはついぞ聞いたことのない、ぞくりとするような低い声音で呟いた。

  「だったらどーなんよ?てめぇらみてーな喧嘩専門のヤンキーなんて今時ハヤんねーんだよ!」

   不良に流行りも何もないだろうと俺は心中で突っ込みを入れたのだが、それよりも本能が知らせる
  危険信号を察知して一刻も早くこの場から去りたいとそれだけに意識は集中していた。
  安全が手に入るなら、俺のマウンテンバイク位くれてやってもいい。どうせ夏が終わったら原チャ買う。
   それよりも数日後には予選があるのだ。指の一本でも負傷することは出来ない。夢の為には。
   そしてこれ以上安西先生に迷惑を掛けることも出来ない。
   三井サンもどうやら盗られたクチらしいが・・・わかってるでしょ?ねぇ。

  「そーいやマジやべーよ。こいつに俺らの身元割れてんじゃん!サツにチクられたら・・・」
   自転車ドロの一人が少し慌てたように隣りの男に訴えるのを、三井サンは依然黙って見ていた。
  三井サンも花道も、本当の“敵”相手には獣さながらの冷徹な牙を剥く。それが俺は不安で仕方がない。
  「だからここで腕の一本でも折って戒めるのよ。恐怖をたっぷり教えときゃあ逆らう気も失せる」
   男達はにやにや笑いながら傾斜を下り始めた。獲物を前にじっくり観察するハイエナのように
  その動きは緩慢だった。
  「やべーよ三井サン・・・どーする?」
   腕一本でも俺たちにとっては命に等しい。悪い汗が額を伝い、首元に不快をもたらした。
  「もう少し待て、宮城」
  「待てって!今なら俺たちならまだ逃げきれる!アンタまた問題起こす気か!?」
   場不相応な三井サンの落ち着き様に、俺は苛立ち小声で毒づいた。三井サンの滑らかな肌にも
  汗の珠が浮いている。
  仲間でなかったら一発殴ってやりたいところだ。綺麗なその顔に“俺が”またアザつけてやる。

   何も解決法が見つからないまま、男達がどんどん俺たちに近づいて来るのに構える。
  俺たちの筋肉の付き方とは明らかに違う腕の隆起。太い指にはめている鋭角的な銀の指輪に
  殴られたらさぞかし痛いだろうと想像して鬱になった。
   ―――しょうがねぇ・・・いざという時は俺だけでも・・・逃げてケーサツに・・・
   酷薄な結論を俺の脳内が弾き出し、それでもそれに苦々しい思いを抱くくらいの良心はあった。
   でも三井サンが・・・あんたがワケわかんねーから。いつもいつも。

   しかし―――
  「今だ。駆け上がれ宮城。あいつらの外、スペースが出来たから抜け。できんだろ?」
   三井サンは殆ど唇を動かさず俺だけに聞こえるように確かにそう言った。
  静かなその声は不思議と説得力に満ち、俺を安心させた。駆け上がった後どうするのかなんて、
  聞かなくても良かった。
  「・・・誰に言ってんすか?俺短距離陸上の奴より速いんすよ?」
  「知るかよバカヤロウ」
   やっと三井サンが俺の知っている表情で笑ったのを確認すると、俺は地を蹴った。
  同時に、いや、1テンポ遅れて男達も駆け出したが、俺はもう暴力に恐怖することも無く
  一瞬ですり抜け、彼らの背後の坂を登りきろうとしていた。
  「なっ!?速ぇ!!」
   お前らが遅いんだよ。俺に対する評価は誰でもそう言うけどな。
  そして男達が俺に気を取られた瞬間、三井サンが何故か男達の間を縫うようなルートでこちらに
  ダッシュをかけてきた。危ねぇだろ!!殴られたらどーすんだオイ!!
   叫ぶより先に、何故か聴覚が働いた。
   チャリ。
   微かな金属音。それは一人の男の腰のチェーンが弾かれた音だった。
  その先を細長い指が捉え、華奢な鎖の輪にかかるある物を無造作に引きちぎった。
  かろうじて俺の動体視力が認識したのはそれだけ。
   一瞬先には三井サンは一番手前のホンダのスクータを引き起こし、
  素早く手の中の―“鍵”を差し込むと夜のしじまにエンジン音を轟かせた。
  長い足で座席を跨ぐと、俺に向かって手を突き出す。強烈な既視感―――
   
  「何してんだ!!早く来やがれ!!」
   日光ではなく月光が照らし出す、それは異質な空間だったけれども。
   俺は全く今朝と同じ行動を取った。彼の腕の感触も、腕を回したその腰の細さも、あたり前だが
  同じモノで俺の体内をかき乱した。反動で声が震える。本当は何が言いたかったんだろう?

  「・・・アンタなんか嫌いだ・・・こんなに近くにいていっつも俺の手を引いて・・・」
   (アンタ無しで歩けなくなったらどうしてくれるんスか)
   台詞と裏腹に、三井サンの引き締まった腰を強く抱きしめる。俺のものだとでも主張するように。
  「黙ってろ」 
   硬質な口調でそれだけ告げると、三井サンはハンドルのグリップを回した。

   2人乗りの原チャが走り出すのとほぼ同時に、どこに潜んでいたのか5人6人どころではない
  ガラの悪い男達が俺たちを捕らえようと踊りかかってきた。
  徒競走で逃走していたらいずれ人数に負けていただろう。が、俺でも機械の足には敵わねぇっつのに、
  タバコに器官侵されまくっているあんたらに捕まえられるわけがないだろ。
   見る間にむさ苦しい集団は夜の闇に同一化されていった・・・   
  


  「憐憫から嫌いへ・・・って昇格だよなぁ?」
   20分弱、追っ手に付かれないよう市内の目立たぬ路地を蛇行走行した後、
  不意に三井サンが原チャの速度を落とし何気なく呟いた。
  俺は意味が理解できず、間抜けな表情をするしかない。そして天啓の如く思い至った。
  「あんた気付いて・・・」

   フラッシュバックする、つい一日前の昼休み見た背中。去っていくそれに心がどこかで嘆いていた。
   
  「嫌でもわかるって・・・」
   彼が何故か幸せそうに唇を緩めたのが、カーブを曲がる時少しだけ見えた。   

   映る色彩は変わる事は無く、それでも俺たちは変わった?いや多分俺が・・・
   どうしろっつーんだよ。マジやばいって・・・三井サンは綺麗だろうがちょっと可愛かろうが男なんだぞ?

  

  (ふぅん。三井先輩とねぇ・・・)

   

   今朝方交わした悪友との問答の続きが、何故かこの時になって再生された。

  (寝るってやっぱ、アレだろ?男でもどっちが上とかあんの?てゆーかギャグだろ?マジ?)
   どっちでもいいだろが。まぁ・・・突っ込むモンはあるんだし、最終的には・・・どうこうするんじゃねぇの?
  (何照れてんだよお前。オッカシー!・・・ああでもそーいや兄貴に聞いた事あるな。男同士のやり方)
   何だそれ?どーやるんだよ・・・ 

   悪友はそこで何故か真剣な表情になり、静謐な瞳で俺を捕らえた。

  (お前には出来ねーよ。きっとできねー)
   あぁ?別に俺がやるわけじゃねぇっつの!
  (いや・・・セックスはできるな。俺と三井先輩でもぶっちゃけ俺とお前でも)
   だぁら何言ってんだ・・・気色悪ぃな・・・
  (黙って聞け・・・身体はできるんだよ。男なんだから。アレと穴さえありゃ誰とでも出来る)
   マジかよ・・・それ極端すぎねぇ?
  (でも真理じゃんよ。つーかお前さ。身体繋げんのを最終段階として見てねぇか?)
   ・・・別に。
  (そーじゃねぇんだよなきっと。いやよくワカンネーけどそれが終わりじゃないだろ)

  
   友達はにやりと、あの人そっくりの表情で笑った。ギターを操る指で自分の胸を指す。 
  (心を)
  

  (何よりココを繋げねーと。なんか寂しいじゃん?そっから始まるんだよ。全て)
   
   俺にはそれが、できないと?

   
   でも三井サン。
   ―――多分いつか、そう遠くない日。俺はアンタにサシで言いたいことが出来そうな気がする。
   今ではまだ早いだろう。それとももう全て遅いのだろうか?

  「ねぇ三井サン!」
   
   周囲の景色もゆっくり流れるほどにスクーターの速度は低下していた。
  ・・・そう言えばこの人免許持ってんのか?
  いや、持ってても持ってなくても2ケツが警察とかに見つかったらやばいんじゃないのか?
   言うべき事を一瞬のうちに俺は忘れ、三井サンの肩口からおそるおそる伺う。
  そこで三井サンの顔色が微妙に悪いのに気が付いた。月光の青白さとはまた違う。
  そして顰められた眉と苦しげな息遣い。

  「み、三井サン・・・?」

   尋常じゃないその様子に声が上ずる。三井サンは汗の浮いた顔を苦い笑みに染めて、
  ふっと息を吐いた。

  「さっきヤロウから鍵パクった瞬間に思い切り腹殴られた。悪ィ。ゲンカイ」
  「!!??」

   いうやいなや三井サンは上半身をがくっと伏せ、うめきながら片手で脇腹に手をやる。
  もちろん原チャのバランスは目に見えて狂いだした。
  俺は突然の出来事に思考が追いつかず、脳味噌を漂白された状態で呆然としていた。
   ―――って、白くなっている場合じゃないだろが!!俺が何とかしなければ・・・
  
  「みみみ三井サーン!!!!?起きっ・・・」

   意識が戻り、慌てて三井サンを抱き起こそうとした瞬間―――
  原チャの後輪が勢い良く跳ね、俺たちは本日2度目空を舞うこととなった。
  ああ、受身とらなきゃ・・・



   
   
  act:4 2年間/了  final:act “WISH”に続く