『 サイアクの始まり 』 #5 




  俺と三井サンに関して。共有するものなんてこれからも無いと勝手に思っていた。

  痛みを抱えた身体を引きずって歩くことが、こんなにも辛いなんて。
  疼く傷口に意識を持っていかれ、巧く集中が紡げない。
  思い通りに動かない軋む身体に焦燥だけが募る。
  何より全ての痛みから逃げ出すことへの希望が俺を誘惑した。  

 
  アンタも2年前、これらと戦ったの?


  グレて周囲を傷つけたことへの言い訳にはならないだろう。
  でもこの“痛み”はきっと体験したものにしかわからない。
  アンタと同じモノを共有できて良かった・・・でもわかりたくなかった。


  どんどん、逃げる口実が無くなっていっちまうよ。


  
  
final:act “WISH”


  
  「三井サンッ・・・!!」

   宙に投げ出された細身の身体を全力で引き寄せ両腕に抱きしめる。
  その長身は俺の腕には余ったがこれ以上どうしようもなかった。
   咄嗟の判断で空中で行動できたのはここまでで、後は成す術もなくそのまま
  三井サンの下敷きになって背中から地面に叩きつけられる。
  「―――ッあ・・・!!」
   コンクリートの衝撃に、瞬間呼吸が奪われた。息が詰まって声が出ない。
  しかしその苦しさは決して不快ではなかったろう。この腕の中の温もりに俺は殆ど
  集中していたから。
   強かに地面に打ちつけられてから1テンポ遅れて、スクーターが地面を滑走し
  道路脇のゴミの山に突っ込むのが視界を掠めた。
   三井サンが、身を呈して奪ってきた逃亡手段。
  「ご苦労さん・・・」
   まだ痛みに悲鳴をあげる仰向けの身体に三井サンを乗せたまま、低いエンジン音
  を空気に伝導させるそれに唇の動きだけで呟いた。
   それからゆるりと彼を俺の上から冷えた地面の上へと横たえる。
  「三井サン・・・大丈夫すか?」
   大丈夫じゃなさそうな相手にもこう聞いてしまうのはもはや条件反射だ。
   誰から見ても三井サンは気を失っていた。
   バスケ部乱入事件から間を置かず次々増えた傷跡と、目を伏せ青褪めた顔が痛々しい。
   取り合えず先程のヤンキーにやられたらしい彼の傷の具合が心配で、俺は軋む身体
  を起こすと今度は逆に三井サンの太股を跨ぎ馬乗りの体制になった。
   薄汚れたカッターシャツのボタンに手をやり、ゆっくりとそれをはだける。
  他人の着替えなどついぞしたことがないので、緊張して指先が震えた。
  慣れていないからだと、そういうことにしておきたい。他の理由があるなんて思い
  たくない。電球が切れかけた街灯に浮かび上がる三井サンの半裸体を素早く検分し、
  みぞおちの少し上辺りに広がる青紫の痕跡を視界に留めると溜息を吐いた。
  「・・・急所近いじゃん・・・」
   傷に触れないようそれでもそこに手を翳し、さてどうしたものかと逡巡する。
   流石に16cmも背が高い男を病院まで引きずっていくのには俺の体格では無理
  があったし、俺もどこか痛めているようで辛い。
   左足の定期治療以外でこの人を医者に罹らせるのも教師陣の目に付きそうで憚られる。
   打撲傷なら湿布のようなもので冷やしておけばある程度は治療できるかもしれない。  
  
   とにかく薬局を探しに、三井サンをしばし置いて立とうとした瞬間、耳を打った
  足音に反射的に振り返った。
   そのまま硬直する。

  「・・・こいつぁ・・・三井じゃねぇか・・・ん?何でこんなとこに?」

   聞き取りにくく、掠れた低い声。ボサボサの長髪にタンクトップ。色褪せた
  ジーンズに包まれた足は実用的な筋肉をつけている事が遠目にもわかった。
  そしてこの男に自分が何をされたかも知ってる。
   たしかこういう名だった。

  「鉄男・・・」

   ああ本当にツイてねぇ・・・神様仏様ジョーダン様この俺に力を与えて下さい。
   俺はぱっと見無表情でタバコをふかしている鉄男を睨みつけたまま、素早く三井サン
  を抱え上げると、そのまま背負い体力と腕力と脚力を総動員して逃げ出した。


   

   が、人生そう巧くも行かないわけで・・・屈強な成人男子からケガニンをおぶった
  ケガニンが逃げ切れるはずも無く、瞬く間に眼前に立ちはだかられる。喧嘩のプロの
  瞳は自分の疑問に応えるまで帰さない・・・と雄弁に語っていて俺は戦慄した。
   俺は苦い思いで、促す鉄男の背中に三井サンを預けると、無精髭の浮いた顎で進行
  方向を示唆する彼に黙ってついて行った。

   連れられた先は倒壊寸前と表現させてもらっても差し支えないほどボロいアパートで、
  錆で赤茶けた鉄製階段の下はゴミやら何やらの掃き溜めと化していた。独特の臭気が嗅覚
  を刺激し、こんな不衛生な場所に怪我人を運び込むのかと俺は非難の色を滲ませた視線で
  鉄男を射る。そして瞬時に鉄男の肩口に頭を伏せた三井サンをやりきれない思いで見た。
   ―――こんなトコに帰したくなかった。と。
   年齢不詳の男は視線だけで俺をある部屋に入るよう促すと、自分もそれに続いて
  アパートの一室へと足を踏み入れた。多分彼の根城なのだろう8畳ほどしかないそこは、
  思ったよりも閑散としていて生活臭が感じられなかった。鉄男は三井サンを決して丁寧
  とは言えない扱いで畳の床に放置すると、暗い部屋の中手探りで埃っぽい白熱灯を灯した。

  「・・・で、どういうこった?てめぇと三井のそれ、打撲傷だろ?」

   ここまで来てようやく、鉄男が2つ目の台詞を紡ぐ。どう説明したらいいものか、
  俺は三井サンに寄り添いながらしばし沈黙した。ちらりと視界の隅に入れた鉄男の
  瞳が言外に「何故戻ってきた」と三井サンを責めていて、それでも直接的な凶器を
  向けない彼に少しだけほっとした。
   部屋の主は黙した俺に焦れてか、無造作に伸びた髪の毛をかき混ぜると、この部屋の
  数少ない家具である戸棚から湿布薬らしきものとタオルと包帯、そして小型冷蔵庫から
  飲料水のペットボトルを取り出し俺に向かって放り投げた。
  「ちぃと見たところたいしたことねぇよ。俺にとっちゃあな。まぁこいつは打たれ
  弱そうだしわからんが・・・」
   彼の行動に密かに感動していたら不吉な台詞が返って来て、俺はとにかく三井サンの
  手当てに思考を紛らわさせた。上半身の制服を全て剥いで、灯りの下で見た白い腹に
  青いアザのコントラストは中々凄絶だった。
  「本当に大丈夫なんすかね・・・?」
  「刃物でもない限り、たかがチーマーのパンチ一つで内臓が傷ついたりはしねぇな」
   つい声に出てしまった思考に返事が返って来て驚いた。
   重そうな煙草をふかしつつ、紫煙の奥で鉄男が呟く。アザから素人の仕業だと判断した
  鉄男の場馴れ具合に改めて背筋を薄ら寒いものが這った。
   鉄男は壁にもたれかかるとそのまま座り込み、手中の煙草の箱をくしゃりと潰す。  
  
  「・・・この世界に戻ってきたんなら、もう次は逃がさねぇ。所詮そいつも掃き溜めの
  中のカラスってことだ。ツルと思って飛ばしてやった俺の面子がたたねぇよ」
   
   三井サンが抜けるのにはやはりそれなりの工作が必要だったんだろうか?この人が。
   そりゃそうだろうな・・・桜木軍団よりもっと闇の匂いがする・・・
   
   ガラっと変わった男の視線と声音に俺は反射的に視線をぶつけた。
  「ち、違うんす!!三井サンはここらの自転車ドロの被害にあっただけで、俺らは
  それに巻き込まれただけで・・・」
   慌てて弁解する俺の言葉に、目の前の猛獣のような男は片眉を器用に跳ね上げた。
  「自転車ドロ・・・ねぇ・・・?」
   なにか思うところのあったらしい鉄男は身軽に腰を浮かすと、三井さんのそばに
  片膝で座り込んだ。そしておもむろに三井サンのシャープな頬をぶっ叩く。
  「うわー!!何してんすかアンタ!!」
   突っかかる相手が危険人物だという事を忘れて俺は叫んだ。しかし憎らしいほど彼は
  俺に興味を示さず(一度完膚なきまでに勝利したからか?あぁ?)
  「三井、起きろ」
   と至極要点だけを簡潔に気絶したままの男に語りかけていた。

  「・・・いてぇ・・・」
   掠れてはいるものの印象的な声が、狭く薄暗い空間に伝導する。ほかりと綺麗な虹彩を
  開いた三井サンは、しばらく微動だにせず天井をその瞳に映し出していたが、やがて首を
  廻らし周囲の人間と自らの身体の異変を認識したようだった。
  「宮城?・・・鉄男?なんでここに・・・いや、ここは?いてぇ・・・」
   腹の鈍痛と頬の痛みに翻弄されているらしき三井サンは、苦悶の表情で傷口を下に
  寝返りを打って更に刺激に身体を跳ね上げていた。アホだなー・・・この人。
  「俺の質問に答えたらまた気絶していい。てめぇらが関ったチーマーはタクんとこか?」
  「・・・そうだ。この周辺まで乗ってきた原チャが多分アイツの・・・カギ、見たこと
  あったし・・・探せばまだ近くに・・・最後まで面倒見れなかっ・・・」
  「無免のクセにイキがるから事故んだ。この不良」
  「・・・鉄男に不良言われるのか俺は・・・」
   切れ切れながらもしっかり鉄男の目を見て言葉を繋ぐ三井サンと、意外と真摯な表情
  でそれを受ける鉄男との間に・・・俺は何か共犯者めいた信頼関係を感じてしまって
  居たたまれなかった。
   ―――アンタのパートナーはもうそいつじゃねぇでしょう・・・
   そしてナチュラルにそんなことで嫉妬を憶える自分に驚いて頭を抱える。現在この部屋
  の住人はアヤシげなヤンキー2人と、一人百面相を演じる男の計3人という異様なメン
  バーで構成されていた。

  「ツルの恩返しね・・・やっぱりこいつは“違った”か・・・」

   鉄男の低い呟きに俺は彼らの方向を振り返った。三井サンは何事も無かったかのように
  眠りについていた。先程までより、幾分呼吸が和らいだ気がする。
  「恩返しってどういう意味っすか・・・?」
  「・・・お前三井の仲間だろ?だったら聞くなスポーツマン」
   ギロリと睨まれ、俺は二の句が告げられないまま再び三井サンの様子を見ることに
  徹した。キツイ眼差しが瞼の裏に潜められ、ただ幼い表情を晒して眠っている彼を、
  『けっこー可愛いかも・・・』とか思ってしまい再び唸りつつ頭を抱える。
   混乱した思考の裏で、冷静な脳が鉄男の言葉を拾っていた。どうやらケータイに
  向かって話しているらしい。別に潜めた声ではなかった。
  「ああ、間違いねぇ。タクんとこだ。以前から張ってたかいがあったな・・・」
   続いて『これで適当におびき寄せりゃパクれる』だの『素人でサツにたれこめ』だの
  『シマが拡大できる』だの、いたいけな高2にはアダルティーなセンテンスが飛び込
  んできて俺は意識的にそれらを排除した。
   何となく手持ち無沙汰で、ふと視界に捕らえた三井サンの長い指を無意識に触る。
  少しだけ冷たくて、でも人間らしい体温があって、俺はそれを握り締めた。
   交わった体温から伝わればいい。この言葉には到底出来ない心の内が。
   パスのようにうまく繋げることが出来たら、どんなにいいだろう。

   チャッとケータイを折りたたみジーンズの中に入れると、鉄男は畳に放置されていた
  らしきジャケットを羽織った。
  「俺とお前らはここまでだ。三井が気付いたら出ていきな」
   どうやら鉄男はどこかにでかけるらしい。それが俺と三井サンが齎した情報に関係し
  ていることは明白だった。
   玄関とも言えないドアの前で、履き古されたリーボックのシューズのかかとを踏み
  潰し、鉄男は火のついた煙草を指で弄びつつ誰にともなく言った。

  「馬鹿で間抜けで傲慢でそのくせ小心で度胸も体力も知力もねぇわ、そのうえいっぱし
  気取りやがるくせに喧嘩は弱ぇわしょっちゅう面倒くせぇ始末つけさせやがるわ、すぐ
  泣くわ変な色気はあるわでしょーもねぇ奴だったが、不思議と空気に馴染んでたぜ・・・
  三井は」
   
   突如饒舌になった彼に俺は驚いたのだがそれより先に―――
   うわぁアンタ言いすぎ・・・と心の中で突っ込んだ。

  「そいつはその気になればどこでだって羽根を伸ばせる・・・」

   鉄男のどこか愛惜を感じさせる視線の先には横たわる三井サンがいた。
  
  「ねぇ鉄男・・・サン。アンタと三井サンてどういう関係だったんすか?」
   
   その瞳に聞いても許されるような気がしたのだ。今聞いておかないと、もう一生
  会わないだろうから。鉄男は元の無表情で俺を見た。そして不敵に笑う。

  「何かイロっぺぇ関係でも期待してんのか?」
  「っ!ち、ちげーよ!この人がアンタに未練でもあるようなら困るんすよ部活が!!」
   内心飛び出そうになった心臓を飲み込んで慌てて否定するも、鉄男は意にも介さない
  ように紫煙をくゆらせた。どこか遠い場所に想いを馳せるように・・・

  「関係ねぇ・・・言葉にすると“おさんどん”が一番近いだろう。俺らのグループ
  にいさせる代わりにメシ作らせたり雑用させたりな。そのうちのし上がっていった
  のは奴の人徳だろう。俺は驚くほど関与してねぇよ・・・」
   それは僅か5日ほど前に終わったところなのに、遠い遠い昔。
  「でも何故だろうな・・・こいつ印象深ぇんだよ。ココに残るのがうめぇ」
   鉄男は曲がった感じの唇を更に歪めると太い親指で頭を示した。
  「こいつに懸想してた物好きなヤロウもいたみてーだけどな。そりゃ俺の知るとこ
  じゃねぇ」
   次の言葉が、鉄男が扉の向こうに姿を消す前の最後の台詞だった。

  「てめぇが何をそいつに思ってるかは知らんが・・・こいつはいろいろ役に立つぜ。
  だから、長いこと共にいたら囚われちまう」

   何を思って鉄男がそう言ったのか知らない。でも三井サンのことは―――
       
  
  「知ってるっす。俺が誰より知ってる・・・」
   それだけは確かな自負。
  
  「恐ろしいほどいつもそばにいるんだからこの人・・・三井サンの好きな人すら
  知ってるっすよ俺」
   俺はそう言ってここに来て初めて笑顔を見せた。もう彼も怖くなかった。
  「ほぉ」
   鉄男は最後まで読み取れない視線でそれだけ吐息に紛れさせると、最初ほどの
  敵意を感じさせず唇の端を吊り上げ、彼もまた笑ったのだ。
   じゃらりとハーレーのカギの束を揺らし、鉄男は俺達の世界からいなくなった。

   静寂―――

   さぁアンタはいつ起きるのだろうか?そしてこの声が聞こえるだろうか?
  
  「俺、“今が”楽しいんす。きっと、アンタも気付いてないだけで本当は・・・」
   アホな後輩に無口なエース、ゴリラなキャプテンに苦労性の副キャプテン、可愛い
  マネージャーに磨けば光る素材たち・・・楽しくないわけが無い。
   これからきっと楽しいよ。
  「もう大丈夫でしょう三井サン・・・生きるのが楽しいだろう?」
   バスケが、ガッコーが、そして俺の心をかき乱す日常が。
   こんなに苦しかったりスリリングな友情を知らない。
  「よーやくお互い対等に前に進める。また昇格すよオメデトウ。俺アンタのことが―――」
   続きは寸でで飲み込んだ。やっべー・・・まだ告げるわけには行かない。
   まだ“夢”より大切だとは思えなかった。コートの上では仲間でいたかった。
  「・・・それでも俺は三井サンを捕まえるんでしょーねいつか・・・」
   もう俺の前でしか羽根を伸ばさないように。
   
  「保険のため所有印でも押しとくか・・・」
   アンタに引きずり回された身体だ(俺も結構ガタが来ていた)少しくらいイイ目
  を見てもいいだろう。
   三井サンの滑らかななで肩をやんわりと手で押さえつけ、晒された首筋の白さに
  動揺を押し殺しながら唇を落とした。噛み付いてしまいたいほど優しい温かさのそこに
  酩酊しそうになりつつ、AVで覚えた知識で証をつける。それから少し高い位置で見下
  ろして、けっこうエロティックなその印と光景に満足した。うん、これなら来るべき
  時がきても大丈夫だ。ちゃんと勃ちそう。

  「何やってんだか・・・」

   愚かだと笑いたい奴もいるだろう。けれども。
   逆境だってなんだって、この始まりほどサイアクなことなんてこれからねぇだろうから。
   覚悟も準備も出来てる。
   俺はもう、前しか見ない。

  
   

   この目まぐるしく忘れ難い夏が過ぎ、短い秋が頬を掠め、
   最後の冬が巡り来て、やがて再びの春が訪れアンタがいなくなっても。

  
   終わらないことがあるよ、ずっと。


  「1ゴール差、1ゴール差ぁ!!イケるッ!!」
  「いけーっ!!湘北!!王者を追い落とせーッ!!」
  「海南ーっ!!今こそ全国制覇だぁ!!こんなとこで燻ってるヒマはねーぞ!!」
  「頑張れーー!!」

  幾多もの激戦を創りだした体育館が、また一つ波瀾を生もうとする。
  飲み込まれるほどの歓声。いつかオトナになってしまったら、きっともうこんな数
  の激励を受けることはない。
  靴の鳴る音。ボールの弾む音。ライバルの鋭い声。チームメイトの雄叫び。
  全てがプラスのエネルギーに変換され、俺たちを走らせる。
  生み出そうとするのは、ネットを揺らす微かな摩擦音。繋げてくれるヤツは誇らしい
  ほどいる。
  
  その為の道具は今俺の手中にあり、絶え間なく規則的なバウンド音を響かせている。
  寒い季節なのに、館内は、そして身体は恐ろしいほど熱を持っていた。
  吐息の弾む苦しささえ、俺を突き動かす。

  「アンタを超えるのを、ずっと夢見てましたよ・・・」
   荒い息の下、鋭い眼光で目の前の相手を照射した。牧紳一は俺の最も欲しい称号
  を携えている人物だった。
  「でも、もう夢は終わりッス。俺はもう一度全国に行く。いや、何度でも」
  「・・・いい目だ宮城。だが俺もまだ全国で手に入れていないものがあるんでね」
  「・・・スンマセンが、それも俺らが頂きます」
   王者はその精悍な顔を不敵な笑みに染めた。それがサマになっていて腹が立つが、
  俺も負けじと唇を吊り上げる。

   瞬間力強い褐色の腕が伸びてきて、その指先がボールに触れる寸前、俺は背中に
  腕を回し左サイドに球体をワンバウンドさせて放った。その先には視線すら合わせなく
  ても、頼もしい存在がいるのがわかる。

  「神!チェック!!」
  「行けーい!ミッチー!!」

   そして―――ほんの一瞬絡めた視線が物語る。

  「任せたっすよ」
  「任しとけ」

   描かれた虹のような放物線。


   SWISH!

   
   その音は、俺を更に高揚させた。
   それを見届けて、俺は重い足を精一杯で躍動させた。








   薄い水色の天は果てしない距離を感じさせ、火照った身体を徐々に蝕む寒さは
  自分達の置かれている時を教えた。
   普通の、町を行く人々には何てことはない冬の一日―――

   ひとつの時代が、静かに終わる。


  「リョーちん・・・」
   日本が沈没したかのような表情で微動だにしないものだから、手を差し伸べて
  落ちた肩を叩いてやった。
   身長差がもう少し何とかなれば、胸に抱きこんでやっても良かった。
  「・・・負けちまったがそれが何だ花道・・・俺たちが強いのは決してあきらめねぇ
  からだろ?」
   隣でしゃくりあげている、幼馴染みの副キャプテンにも笑いかけた。
  「もっと強くなりゃあいいだけさ。なぁヤス・・・」
   それで精一杯だった。あんなにもはっきり見えていたコートもリングも、蜃気楼の
  ように歪み始めた。
   牧が息を整えながら、俺に静かな視線を向けているのがかろうじて認識できる。
  ヤツの前では情けない姿を晒すわけにはいかない。高校という舞台での雌雄は決して
  しまったが、これからも追い続け、絶対に捕らえなければ。
   そして、それが達成された時のために涙は取っておかなければならないのに。
   
   と―――唐突に背後から伸ばされた腕に視界が閉ざされ、うろたえる間も無く疲弊
  した身体が何かの後ろに追いやられた。続いて頭上から発せられた深い声に、その
  正体に気付く。
  「牧・・・今度は俺が倒す」
  「三井か・・・」
   牧の面白そうな声音が、三井サンの背中を挟んで俺の耳にも届いた。
   この3年連中は、センチメンタルになってる間も与えてくれないようだ。
   俺は三井さんの痩せた背中から飛び出して、帝王に指を突きつける。
  「牧ッ!!お前は俺が倒すんだから全国の他の連中に負けたら只じゃおかねーからな!
  この湘北に勝ったからには全国制覇してもらおーじゃねぇか!!」
   悔しさを込めまくり、ここぞとばかりに啖呵を切ると、三井サンはきょとんとした顔を。
  牧はクスリと唇に笑みを刻んだ。そして全く異なった声で全く同じ台詞を口にする。
  『桜木みたいなことを言うな・・・』
  「はっ・・・ハモんなー!!」
   俺たちの背後では件の桜木花道と清田が言い争い、ヤスがグズり、流川が悔しそうに
  ラインに並んでいた。
   センターライン。
   そうだ―――湘北のキャプテンとしてこの試合を終わらせなければ。
  「終わっちまったか・・・」
   深い溜息に整列しかけていた足が止まる。まだ終わるには早すぎると悲鳴を上げる
  心を押し殺し、背後に佇む先刻庇ってくれた唯一の先輩に無言で手を差し伸べた。
  一瞬、彼は微かに双眸を収縮させた。
  「・・・お前の手を取るのは初めてだな・・・」
   そして、彼はかつてないほど鮮やかに微笑んだ。形良い長い指を俺のそれに絡めて。
   その熱の伝導に勝手に頬が火照る。
   ああ、いつの間にか俺はこんなにアンタの事が―――
   もう引き返せない。一つの終わりからも、一つの始まりからも。


   ヤスが一度俺と視線を合わせ、そして湘北に与えられた更衣室を後にした。
   ―――静寂。俺たちは更衣室で2人きりになった。あの遠い初夏の日と同じように。
   交わす言葉は今更無い。雄弁に語り合った。コートの中で、身体で、視線で。
   そう、今更ないのだ。バスケットボールを通しては。   

   先程まで歓声と熱狂に包まれていた体育館は、今恐ろしいほど静かだった。
   
   俺以外のもう一人の存在は、俺に背を向けて荒い息を吐いていた。タオルの掛けら
  れた薄い肩が上下している。体力が無いのも相変わらずだなぁと俺は知らず微笑んでいた。

   負けたのは歯軋りするほど悔しいが、この空間は居心地がいい。
   俺もこの人と一緒で、何度でも甦ることができるだろう。
   
  「三井サン・・・何か俺に言いたいことないっすか?」
  「ああ?んだよ・・・」

   壁沿いにロッカーと中央に木製のベンチ、一室向こうに洗面台とシャワールーム。
  無機質なこの空間に俺の声と、怪訝そうな三井サンの声だけ色を持つ。

  「・・・今更何もねーよ・・・」
   やがて掠れて熱を持った声が返って来て、俺は息を吸い込んだ。
   さて、ココからが男:宮城リョータの勝負どころです。

   まず手始めに扉まで俺は駆けより鍵をかけた。カチャとロックの回される音に
  弾かれたように三井サンが振り向き、眉間に皺を刻む。
  「宮城・・・?何の真似だてめぇ・・・」
  「何の真似も、俺は実は語りたいことが腐るほどあるんすよ。もう腐って発酵してっかも」
   チャラけた俺の口調に、三井サンの凛々しい顔が更に疑問を刻んだ。
   俺はいつかの鉄男のように悠然とした態度で、三井サンの隣りに殆ど密着する形で
  腰を下ろす。吐息すら触れ合いそうになって、三井サンが身じろぎするのがわかった。


  「三井サン、俺と付き合おーよ。サイコウに幸せにしてやるよ」
   

   隣りの肩が逃げるのを許さず、俺は彼を少し屈ませ滑らかな肩甲冑に手を回した。

  「一生かけて聞いてよ。俺の話・・・」

   あの初めて屋上で告られた日から、まさしく俺の心の一部はアンタに持ってかれた
  ままなんです。

  「いつの間にか俺はめちゃくちゃアンタを好きになってたらしいスよ」

   知らなかったでしょう?
 
  「・・・知らなかったに決まってんだろ」
   ややあって、押し殺したような低い声が隣りから返ってきた。大きな手のひらで
  口元を抑えそれに隠された頬が赤いのがひと目でわかる。
   伏せた顔が思いのほか色っぽくて、俺はのた打ち回りたいのをかろうじて堪えた。
  「・・・じゃあイヤっつーほど教えてあげますよ」
   ミーティングの後でね・・・と囁くと同時に三井サンの手を払い、露わになった
  赤い唇を俺のそれで封じる。
  「宮・・・」
   見開かれた琥珀の光の踊る瞳が、やがて観念したように閉じられたのを見て、俺も
  視界を閉ざししばしお互いの唾液の交換に酔った。

   みんな俺達を外で待っているだろう。こんなことしてるなんて思いも寄らないに
  違いないと考えるとちょっとワリィが面白かった。

   
   このキスが終わってあの扉を開ければそこは新世界―――

   
   
   これが俺たちの始まりの、終わり。 


   
   


   “サイアクの始まり”/完

  




  
  これが私がリョ三にはまって初めて書いた小説なのですが、恐れ多くも会員制三井受け
   サイト「HM」様に投稿させて頂きました。いや、リョ三布教がしたくて・・・(笑)
   しかし、HM様に納められている数多の三井受作品のすばらしさに、逆に洗脳されて
   帰ってくる始末(笑)土三とか面白いんすよ。人気あるんすよ。
   「ドサン」とか読んでてごめんなさい(爆)

   サイト開いた当初、これをもう少し詳細にして裏バージョンと称して、三井さん視点で
   リメイクしてみようと思ってたんですが、当分短編の新作を書きたいのでしばらくその
   企画は延期になりそうです。矛盾とか変なとことか埋めたいんですがー(汗)
   いつか裏バージョンが完成したら、こちらは消去させて頂きたいと思います。
   HM様にもありますしね・・・読んでくださって有難うございました。


                                    02.06/27 FG