『 サイアクの始まり 』 #2  




 
act:2 天国と地獄


  前回までのあらすじ。三井サンに“絶対オトス”宣言されました。以上。




  「うぃ〜す・・・」
  神奈川県立湘北高校―――
  2年1組の表札がかかった扉を力なく引く。殆どのクラスメートが机あるいはロッカーに凭れかかり、
  予鈴もとうに鳴り終わった教室で、僅かな時間を惜しむかのように友人達との談笑を楽しんでいた。

  「アレ〜宮城今登校してきたん?おせーじゃん。朝練は?」

  笑い声の絶えることのない教室の中、いち早く俺の存在に気付き声をかけて来たのは、
  クラスで一番仲の良い悪友―中迫大輔だった。軽音楽部のクセに身長が185センチもあり、
  顔もイイので結構モテる鼻持ちならないヤツだが、どういうワケか気が合い1年の時からずっと
  つるんでいる。

  「今日は無ェよ・・・何か3年の進路説明会かなんかで体育館使用準備あんだと・・・くぁ・・・」

  語尾は自らの欠伸にかき消され、モロ寝不足です!といった空気を纏う俺に中迫は整った眉を顰めた。
  「おいおい大丈夫かよ・・・クマ目立ってるぜ?」
  「大丈夫だ。今ントコは寝不足だけだ・・・被害は」
  「被害ぃ〜?で思い出した!てめぇ俺のジャンプどこやったよ!?まだ開いても無かったんだぜ!?」
   漫画雑誌にんなに目くじら立てんなよ・・・と思いつつ、再度欠伸を噛み殺す。
  「ワリ・・・生け贄に捧げちまった・・・」
  「ねぇのかよ!?マジ信じらんねー!!っつーか生け贄ってなんだよ!?」
  「悪かったって・・・ピッコロの最期は俺がちゃんと見届けたから心配すんな・・・」
  「関係ねぇって!!ネタばらしすんなって!!」

  朝っぱらからハイテンションな友人をうぜーうぜーと払いつつ、自分の席にカバンを投げ出し、
  着席しようとした所で、俺はその姿勢のまま硬直した・・・
  廊下側の窓枠に肘を付き、ひらひらと手を振る人物が目に入ったので。

  「ちゅーす宮城。朝イチから俺に会えて嬉しいだろ?わざわざ出向いてやったんだ、感謝しろい」
   傲慢極まりない台詞を満面の笑みで放ち、俺のクラスのオンナノコの熱い視線を一身に浴びて
  いるのは、目下俺の寝不足の原因となっていた、シューター三井寿その人だった。
  
  「名指しで呼ばんで下さいよ・・・なんなんスか、こんな朝っぱらから・・・」
   俺まで注目を浴びる羽目になった恨みを言内外に存分に込め、俺は不機嫌極まりない声で
  ヤツに詰め寄った。
  俺の鋭い眼光にひるむ事も無く、三井サンは鼻先に何かを突きつけてきた。
  「?何すかコレ?」
   思わず手に取ると結構な重みを感じる。更に凝視すると、黒い布製の袋の中に箱状の物体が
  鎮座していた。
  「愛妻弁当だ。有り難く残さず食えよ?」
   ―――どぎゃん。
   ノーミソが爆発するかのような台詞に、俺は袋を手にぶら下げたまましばし呆然とした。
   窓際の席なため、俺たちのやり取りを自然聞いていた学級委員の森本が素でヒイていた。
   後で口封じしなければ・・・

  「愛妻弁当ってアンタ・・・」
   俺自身もかなりヒキつつ、三井サンのオンナノコなら蕩けてしまうであろう微笑に
  青ざめた表情で対抗する。
  「あ、てめぇ俺の料理不味いと決め付けてやがんな?鉄男んトコで散々仕込まれたから安心しろ!
  味は保証する」
   あああ・・・そんなイロんな意味に取れる台詞をデケェ声で吹聴すんじゃねー!!
  暴れだしたい衝動を抑制しつつ、俺は愛妻弁当の論争はさて置き、とにかく三井サンを帰す事に
  専念することにした。
  「食います!残さず食いますからもう行ってくれよ!アンタ出席ヤバいんでしょ!?」
  「1限は授業ねーよ。なんか進路説明会とかいうのが体育館で・・・」
  「なおさらヤベぇだろ!?とっとと行けー!!」
   引きつった笑顔を作り、痩せた肩をぐいぐい押し返そうとする俺に、何故かクラスの大半の連中の
  目は冷たかった。
  「な、なんだよ冷てぇじゃねぇか宮城・・・やっぱ怒ってんのか?そんなに俺が嫌いか?」
   そう呟いて切なげに睫毛を伏せる三井サンには、カッターから覗く浮いた鎖骨も伴って
  ある種の壮絶な色気を感じるが、俺はそこまで堕ちたくねー!!・・・と内心絶叫しつつ、
  心を夜叉にして追い払う。
  同時にHRの開始を告げるチャイムが鳴り響いたが、2年1組の教室はむしろ騒々しさを増していた。
  
  「ちょっとリョータ!三井先輩と喧嘩しちゃダメって安西先生と約束したでしょ!!」
   ぐっ・・・アヤちゃん・・・よりによって一番見られたくないヒトに・・・
  「ちょっとぉ!あんな追い返し方なくない?宮城君ちょー酷ーい!!」
   黙れ女子一同。一昨日までの三井サン見ても、同じ台詞が返せるか?
  「宮城君・・・いや、例え同性の恋人でも俺はいいと思うけど、泣かすのはどーかな・・・」
   誰がいつ泣かせたよ!?つか誰が恋人だあぁ!?森本。後で覚えてやがれ・・・
  「宮城ィ。さっきのデルモ誰よ?男でもいーから紹介しろよ」
   中迫。お前とは今日限り絶交だ。

  「コラー、いつまで喋ってるー。席につけー」
  出席簿を叩きつつ教室に入ってきた担任を、今日ほど有り難いと思った日は無かった・・・








  あっという間に昼休みとなってしまった時間の流れに、世の無常をヒシヒシと感じつつ、
  貫けるような晴天の下、俺は『愛妻弁当』を広げた。なんでだか三井サンにやられてしまっている
  悪友やクラスメートの羨望の視線をかいくぐり、辿り着いたのは最早憩いの場(修羅場とも言う)
  となってしまっている屋上で、相も変わらない強風が吹き荒れているため俺以外の人物は
  見当たらなかった。

  「・・・良かった。そぼろやデンブで『LOVE』とか書いてなくて・・・ってアホか俺」
   けったいな先輩の持ってきた弁当箱の中身は、和の色と香りが漂うごく普通の弁当だった。
  可愛いオンナノコやアヤちゃんが作って来てくれたものなら速攻でむさぼり食ったが、俺は漆塗りの
  ハシをおかずの上で数分躊躇わせると、ダシ巻きを一つ取り、えいっとばかりに口に放りこんだ。
  「む・・・マジうめぇじゃん・・・」
   見るからにガサツそうなあのヒトの、意外な繊細さに驚く。その隣の煮付けもなかなか美味だった。

  「・・・なのに心も身体も寒ぃのはなんでだろなー・・・」

   俺の呟きに応えるかのように、一陣の風が俺の髪とボロシャツを弄んだ。


   

  「弁当箱を回収しに来たぜ!とっとと差し出しやがれ!!」
   どこの地上げ屋かと問い詰めたくなるような台詞と共に、昼休みが終わる直前またしても教室に
  三井サンが現れた。
  彼のせいでクラス内村八分寸前な俺は、うんざりしつつも黒い袋に入れたそれを窓枠越しに差し出す。
  「ごっそーさんです。まぁまぁうまかったっすよ」
   やる気のない俺の台詞に、何故だか三井サンは猫のように双眸を見開き、俺の顔をマジマジと見つめた。
  「・・・マジで全部食ったのか?」
  「アンタが食えっつったんでしょ!?」
   キレキレモードフルスロットルな俺の反応に、三井サンは少し窓から身を引くと、照れたように苦笑して
  見せた。
  「マジで食ってくれるとは思わねーよ・・・自分の弁当はどうしたんだよ?」
  「ああ、俺いつも購買でパンすから・・・」
  「マジかよ?栄養偏るぜ・・・」
   少し非難の色を滲ませる彼の口調に、お前は俺のなんなんだ!?と突っ込みたくなるのを抑えつつ、
  俺は彼の真摯な瞳に悪戯心を起こしてにやりと口元を歪ませる。
  「三井サン・・・じゃあ毎日俺に弁当作ってよ。俺のこと愛してるならさぁ・・・」
   言いつつ、三井サンの耳元に息を吹きかける。瞬間彼はびくっと細い肩口をしならせ、
  白い顔に朱色を宿した。
  うはははは!ここまでやれば、いかなおバカ三井サンでも事の異常性に気付くだろう!
  波のように級友達が引いていくのを背後に感じまくってるけどな!!
  投げやりに俺は、何とかイジメにあうのだけは避けようと、すかさず「冗談すよバ〜カ」
  ・・・と続けようとしたのだが、その前に三井サンの方が先手を打って来た。
  
  「お前がどうしてもってんならしょうがねーな!すっげぇ面倒クセーが作ってきてやるよ!
  他ならぬテメーの為だもんな!恩に着やがれ!!」
   
   ・・・・・・
   ウソォ!!?頬に冷や汗が伝うのをリアルに感じつつ、俺は、頬を紅潮させながら怒鳴っている為、
  台詞に全く凄みの無い三井サンを、信じられない・・・と言った瞳で見てしまう。
  だってこのヒト絶対おかしいって!!一昨日まで歯ぁへし折って入院沙汰になる程の仲だったヤツに、
  どうしてここまで惚れこめるんだよ!?
  
  「三井サン、アンタおかしいって!冷静に頭冷やせば、自分のヤッテル事の変さに気付くはずだ。
  それとも嫌がらせでやってんなら、俺の負け。降参だ。土下座でもした後、パラパラでも踊ってやるよ・・・」
   華麗なシュートを放つ三井サンの右手首を掴み、自分で思った以上に真剣な言葉が
  何故か唇から溢れ出た。
   こんな酷い言葉を投げつけても、鳶色の瞳に映る俺の姿が揺らぐことが無いのが怖かった。
  「宮城ィ、んな言い方ねぇだろ先輩に向かって・・・」
   見かねたらしい中迫が近寄ってくるが、それを視線で牽制すると、また振り返り三井サンの
  眼光だけ受け止め見据える。
   アンタの本音をそん中に見出すまで、俺は逃げないよ?
   いい年した男同士がガンつけあう情景も相当異常だったが、もし冗談だったらそろそろ止めて
  もらわねーと胃に穴が開いちまう・・・本気なら、なおさらだ。
   先に目を反らしたのは―――三井サンの方だった。
  「・・・悪い。俺のしたこと許さねーでいいから、嫌がらせじゃねーことだけわかってくれよ・・・」
   弱気にも程がある声音にギョッとしつつ、胸の奥を締め付ける痛みを無視しつつ、俺は三井サンを
  見つめつづけた。
   聞きたくない。そんな言葉アンタらしくない。本音以外は聞きたくない。
  
   笑えよ。全部嘘でした。ひっかかったなバカヤロウ宮城がって。

  

  「・・・宮城に本気で嫌われたら、きっと生きるのが辛ぇ・・・」  



   ドクン。搾り出すように自嘲気味に呟かれたそれは、俺の胸の最奥を容赦なく抉っていった。     

  

  「弁当食ってくれてサンキュー。見返りもなんも求めず、優しいこと言ってくれたのは、
  てめえが初めてだったぜ」

   
   
   手のひらに温もりだけ残して、呑気に去って行く痩せた背中。
   
   それだけかよ。
   『そんなこと』が俺を好きになった理由かよ。
   ふざけやがって。
   俺よりアンタに優しいやつなんて、どこにだっているよ。

   『俺』を、『宮城リョータ』だけを好きになった理由を言えよ。


   ―――きっと彼は、恋を知らない。唐突に理解した。
   ―――バスケから遠く離れてしまった2年間。きっとそこであの人の価値観は大きくズレて
   しまったのかもしれない。

   
   俺が三井サンに感じた初めての感情は、愛情でも友情でもなんでもなく、唯の憐憫だった。

   
  「・・・お前らすっげぇ仲いいんだな〜。ここまで慕われてるお前っていったい・・・」
   呑気に口笛を吹く中迫に、「うるせぇ」と呟く。
   視線は、遠ざかる寂しい背中に奪われたまま・・・


  


   act:2 天国と地獄/了  act:3 闇の外へ に続く